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「私たちがインタビューしました!」
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「地球探検隊」のブランド名で、世界各国の多国籍冒険ツアーの予約・販売をしている。
渡航国は40ヵ国以上。
■ブログ【中村隊長のビタミンT】
■「心の冒険」を一緒に楽しむ旅行会社です
その方をはじめ、皆さん、「中村隊長」と呼んでらっしゃいますね。
私たちもそう呼ばせていただきます。
では、早速ですが、現在のお仕事を教えてください。
「地球探検隊」というと南極・北極などの極地探検とか秘境ツアーを扱っている会社と誤解されますが、「冒険」の意味するところが違って、どちらかと言うと心の冒険ですね。
まだやったことがないことをしてみる、それくらいのことでも心の冒険になります。
初めてのことはみんな不安じゃないですか、やれるかどうか分からない。
でもちょっとやってみようと、飛び込んだ人が楽しめるツアーを紹介しています。
だから、アドベンチャーツアーといっても、ソフトアドベンチャーですね。
必要以上の体力はいらないのですが、精神的にタフであることのほうが重要です。
そんな想いもあっての「地球探検隊」なので、参加した人を「お客様」ではなく、「隊員」と呼んでいます。

トレックアメリカとは・・ロサンゼルスからニューヨークまで横断したり、オリンピック選手村のように、色々な国の人と旅ができるツアーです。
ホテルやロッジにも泊まるが、基本はキャンプ場テント泊。
いわゆる世界のバックパッカーと共に成長していく旅です。
会社を退職して参加する方も多いですね。
世界中から参加しますから、共通語は英語です。
でも、英語に自信がないという方の参加も多いです。海外が初めてという方も結構います。
どういう旅が記憶に残るかというと、分からないことは、下手な英語でも、自分で現地の人に聞いた方が記憶に残るんですね。
身振り手振りでも、絶対に気持ちは通じますから。

■一歩踏み込む勇気が必要
その経験があれば、何かでやろうかやるまいかと思ったときに、「やる!」と決めるじゃない
ですか。
そういう旅・・・せっかくお金払っているんだから、人生を変えるくらいのインパクトがあって
いいんじゃないかと思って。
それがね、心の冒険。たぶん、一歩踏み込む勇気が必要。
いつもの安心領域から、とにかく一歩踏み出す。そして、習慣化する。
考えないで、やる方向に向く。
そのクセがつくと、無意識レベルまでに、やる方向にいきます。
やる人間になれば、どうやってやるかを考えればいいのです。
それを誰かが一生懸命言ったところで、伝わらない。
たぶん、自分の中で気づかないと。体験していかないと。
このツアーは、そのきっかけづくりでもあります。
他に、「大人の修学旅行」というのもやっています。
■リピート率バツグン!大人の修学旅行とは?
そこで、トレックアメリカツアーを、日本人に貸切することを思いつきました。
これが、当社の人気ツアー「大人の修学旅行」です。
私がツアーを創るときに一番考えたのは、どうしたら記憶に残るのか楽しめるのかです。
そのために、私やスタッフが仲間としていくこと。
私やスタッフが通訳やガイドになっちゃうと、隊員は頼ってしまう。
いわゆる「連れて行かれる旅」になってしまう。
そうすると、記憶に残らないんですね。
大人の修学旅行は2001年に誕生したのですが、この旅はリピート率がむちゃくちゃ高い。
1年6回も参加したという隊員もいます。
「地球探検隊」のメルマガで告知すると、すぐに売り切れ。特に年末年始は早いですね。
発表から数時間で埋まってしまうツアーもありますね。
あとは隊員同士の交流会など、国内イベントもよくやりますよ。
来春からは「国内のアウトドアな旅」も主催していくつもりです。

■数ヶ月留学しただけで、大して英語が話せない
私にとって衝撃的でした。「面白そうですね」というリアクションをとったのは私だけだったそう。
それで採用されました。一番最初に就職した会社です。
当時、1980年代ってまだ海外旅行に行く人は、今ほど多くありませんでした。
格安航空券がそろそろ出始めたのですが、今ほど安くなかったし。
若者たちに、「今年こそ夢の海外旅行を実現させよう!」くらいの時代。
お金の貯まった20代後半から30代前半位までのお客さんが多かった。
その中に、海外で遊ぶというプログラムもあったのです。
一番、お客さんからリアクションがあったのは、この「遊ぶ」プログラム。
たった2~3週間くらいの短いプログラムだったんですけどね。
それが今でも扱っている多国籍冒険ツアー、トレックアメリカです。
だらだらと3ヶ月や6ヶ月留学しただけでは、大して英語は話せないんです。
授業以外にどれだけ英語を話したかで、実力が決まりますから。
目に見えた卒業証書より、遊びながら身につけた目に見えない心やスキルの方が一生残る。
何よりかけがえのない仲間が残る。
そう思ってやってたんですが、親会社からクレームが入りました。
苦労の割りにあまり儲からない。
入社6ヶ月で、上司と私はクビになり、そのセクションも無くなりました。
■「理不尽」と顔に書いた女性社長との13年
その女性が社長で、私がナンバー2。
今から思うと、「理不尽」と顔に書いた女性(笑)。
カミソリのように頭が切れた人だったのですが、社長には向いてなかったと思います。
最初に、この人とやるのは10年と決めたんです。
10年はどんなことがあっても、一緒にやる。我慢すると決めました。
その間、何人も入社してきましたよ。
でも「こんな上司についていけません」といって、皆ドンドン辞めていく。
私自身も力不足でした。
歯がゆい想いを何度も味わいました。
気がつけば、いつも二人。
色々とエピソードはありますが・・・。
在職中、離婚直後、それを忘れるために仕事に打ち込んだ結果、前年比3倍の売り上げを
達成したことがあったんです。
さぞかし良い賞与が出るかとワクワクしていたら・・・社長は一言。
『会社に増資するから、今月給料ゼロね。』
こんなこと、平気で言うんです。
そして翌月も。
『えっ、またゼロですか?いつまで続くんですか?』
『何言ってるの。まだ貯金があるでしょ』
むちゃくちゃな人だけど、なぜか憎めないし、どこかで信じてました。
今は払えないけど、いつかきっと払ってくれるだろうと・・・。
現に退職するときに、まとめて払ってくれたのです。それ以上のものを。

ちょっとブレイク
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■上司がどうこうで辞めたくなかった
『20代でそんな馬鹿なヤツいない。お前絶対に利用されてるんだよ。
辞めちゃえよ。お前みたいな部下だったら、俺もほしい。
給料ゼロでも思いっきり働いてくれるんだから。』
周りの友達に散々言われましたよ。
確かに利用されてるのも事実かもしれない。
でも20代の僕に任せてくれているのも事実。
任せられているということは信頼してくれていることだし、だったら信頼に応えたい。
それは自分の力にもなる。
あくまでも、自分がどの考えを選択するかだと思います。
これは自分のためにやっている。
あるフィールドを・・・舞台を用意してくれてる。
自分の会社じゃないんで、ある程度開き直りも出来る。
思い切り、自分はその舞台で演じている。やらせてもらえているってね。
この仕事を好きになっちゃったし、上司がどうこうで辞めたくない。
だから、自分で自分の環境や気持ちをよくしていくしかなかったのです。
こんな素晴らしいお客さんがいる。
上司がどうくらいで、お客さんとの関係を終わらせたくない。
お客さん同士の縁をつなげる飲み会とかやって、それがクラブみたいになっていきました。
それを見てるのが、その場をつくったのが自分の喜び。
でも・・・実は25歳のときに、一度この会社を辞めたことがあります。
そこで3ヵ月の放浪の旅に出たのですが、人生変える言葉と出会いました。
■全ての原点となった人生を変える言葉とは
久々に聞く日本語で、こう言われたのです。
『中村さんのおかげで素晴らしい2週間でした。ありがとうございました。
私の人生でこんなに笑ったことがなかった。
私はこれで元気になれたから、今後も私のように日本人を元気にさせて。
そして日本を元気にして。いい仕事やってますよ。』
その頃、離婚した自分を責めて、自分なんて何の役にも立ってない無価値な存在だと思ってました。改めて、自分を見つめなおしたのです。
俺は何のためにやってるのか。
別に給料でるとかでないとかそういうのではない。
死んだかもしれない自分が生かされて、自分でも役に立っている。
自分がやったことで喜んでくれる人がいるんだ。
あの時の思いはいつも忘れない。
それが全ての原点で、原動力で、これがあるから今までやってこれました。
その後、女社長からも『戻って来る気があるなら戻ってくれば!』と言われたので、
復帰したのです。
■年収200万円の時代を乗り越えて
「半分しか給料出さないから、半分は他で稼いで」
それで、二束のわらじとして、バイトやりました。
通信社の仕事で、その当時、時給600円でした。
通信社の仕事は休みもありましたが、365日働いていました。
朝9時半~夜11時半くらいまで働いていて、両方あわせて年収200万ちょっとでしたね。
次の年からようやく、社長が元のポジションに戻してくれ、通信社のバイトをやめることが
できました。
それでまた数年やってきたのですが、独立1年前にターニングポイントが。
■社長にオフィスを追い出されて・・
言い争った末に、「うるさいからあっち行け!」と分室に追いやられました。
あるオフィスの1Fが開いてたので、そこで一人で仕事をすることに。
そこは3畳くらいのオフィスで、トイレもありません。
それまでは、専務取締役という肩書きをもらってたのですが、それも無くなりました。
さらに給料ゼロの、独立採算制に。
雑誌の威力はすごかった。
連日、ラーメン屋状態。3畳なので、2人入るとオフィスがいっぱいなんですよ。
だから、一人終わったら次の人を呼ぶということをやってました。
で、オフィスで話している間も、電話がかかってきます。
私一人しかいないので、目の前のお客さんに待ってもらうことも多いのですが、多国籍
冒険ツアーなので、不安な人も多く、問い合わせの電話も長いのです。
「この1回の問い合わせ。ここで終わるのか、それとも一生の友達になるのか。」
一期一会の気持ちで対応していました。
電話で話している相手だけでなく、その場で聞いているお客さんも、外でその話を聞きながら、待っている人も感動するくらいの勢いでやってましたね。
それが相乗効果になって、どんどん成約率も上がりました。
あっという間に売り上げもあがりましたね。
行列ができてから、その苦労した年の年収分くらいが月収になりました。
そのお金が独立資金になったのです。
その前に、社長に言われて、一般旅行業務取扱主任者の資格を取っておいたので、旅行会社を立ち上げることが出来ました。
■独立して、家族はホッとしたようです
よく「独立して、家族から反対がありましたか?」を聞かれますが、それは全く逆です。
「サラリーマンの方が不安…。」
今の奥さんと結婚して、よく言われてました。
いつまた給料ゼロと言われるのか・・・そっちの方が心配でしょう。
だから、独立してほっとしています。
会社作るといってもどうしたらいいか分からないし、経理もシステムも分からない。
でも、行動することで、次の現実がくるという言葉がありますが、その通りだと思います。
あまり考えないで、とにかく動いちゃったら、自分が苦手なことを補う人が出てきましたから。
司法書士や税理士も紹介されて…。

■私は「旅」というものにはこだわりがありません
嫌な環境だと嘆いていても変わらないから、こんな上司でもこんなことができるんだぜと
いうことを少しでもやっていったら、本当に仕事が好きになりました。
今から思うと、落ち込んでこのままだとどうしようというのは何度もあったけど、周りが苦労
したと思うほど、苦労したとは思ってません。
好きなことをやらせてもらっているじゃん。そっちの方がずっと強かった。
私は、目の前の人にどれだけ喜んでもらうかというのをやってました。
旅を好きじゃなく、人と会うのが好き。
私は「旅」というものにはこだわりがありません。
旅を商品として売るよりも、旅をきっかけにして、人と出会うことが楽しいのです。
旅を通じて、広がるコミュニティ。
旅が終わったら終わりじゃなく、逆にそこからがスタート。
余計に関係が深まる。同じような旅をしてますから、仲間意識も強くなる。
旅は目的ではなく、人と人が出会う場を提供する。そのための手段です。

■ふんぞり返り、左うちわになったら、自分は終わり
例えばネット界で有名になったり、メルマガに関して、書籍で紹介されたり、講演やって「先生」って呼ばれたり、マスコミに取材されたりすると、だんだん色々なことを言ってくれる人が少なくなってしまうんですよ。
でも、言いにくいことを言ってくれるのは、同じ目線で語り合える隊員なんです。
「ちょっと最近、隊長違うんじゃないの?」
それで、本来の自分に立ち戻れるんです。
「隊員とホイホイ飲みにいってないで、ちょっと権威のあるように・・・ちょっとやそっとでは
会えないんだよという感じで行ってくださいよ」
ある人に、そういわれたこともあります。
でも、それはオレの道じゃない。
年齢が上だろうか下だろうか、同じ目線で言い合える仲間がいるのが、私にとっては一番。
ふんぞり返って、左うちわになったら、自分は終わりだな、と。
今のこの状態、仲間の一人として旅に参加することを、50代になっても、60代になっても
続けられるのが目標です。
■お客様は神様ではなく、隊員は友達です
それに隊員たちが、どんどん報告しにきてくれた。
関西空港が出来る前は、だいたい成田発が多かったので、出発前にうちに寄ってくれたり
帰ってきても、家族にあう前に、うちに来てくれたりする。
すでに、現地で焼き増ししてくれた写真とか見せてくれて・・・行く前は、不安の塊だった人も多いです。
「ツアーといっても、周り男ばっかりだとどうするの?
お前の英語力じゃ、何もできないよ」
周りからそんなことばかり言われて、出発前にはごはんも食べられなくなったという
女性もいました。
帰ってくると、目が輝いている。目の奥に力がある。
そんな姿を見ると、やってて良かった、本当に思う。彼女も話したくて仕方無い。
私もそれを聞くのがとても楽しかった。
私にとってお客様は神様ではなく、隊員は友達です。
その頃から変わってないけど、友達というのはなぁなぁじゃなく、真剣勝負。
目線を一緒にし、何でも真剣にモノを言ってくれます。
どんなことがあっても、お客様は神様といって、へりくだるか、留学の斡旋会社に多いのですが、先生のように上からしか話さないような会社。
真剣勝負だ対等だと思い、フラットな関係で何でもお客さんと言い合ってる旅行会社って
ありそうでないよな・・・。
何でも言いたいこと言い合うと、失敗して言われたくないこと言われてしまうこともありますが、それが、次のお客さんにつながるんです。
そんな感じで発展していけばいいやと思ってます。
■好きを仕事にしたい人へのメッセージ
うじうじ悩んでいるなら、転職した方がいい。
場所を変えてしまう方が早い。
「思い」と「行動」が一致してないとストレスになる。
それで転職しちゃっても変わらなかったら、自分の中に何か別の原因があると思います。
何をやっても不満な人は、何やっても一緒。
自分の好きなことが分からないという人は多い。
けど、そんなに簡単に見つからないですよ。
だったら逃げないで、今の仕事をとことんやりましょうよ。
どこかでもっと、人と違う本気度でなにかに取り組まないと、何もつかめない
オンリーワンになるためには、とことん自分自身が納得するまでやらないと。
あと、職種とか考えない方がいいですね。
本質を見たほうがいい。
私のおじさんは高校教師でした。
熱血先生・・・古いドラマで言うと「飛び出せ青春」みたいな、そういう先生に近かった
です。
私は、おじさんのような先生になりたいと思ってました。
今から考えると、あのときやりたかったことはやってるんですよ。
教員ではなく、一緒にツアーに参加する隊長として。
隊員たちから教わっていることがたくさんあります。
学校の先生が、生徒と一緒に成長するように、隊員と一緒に成長しています。
あと、自己投資はしていった方がいい。
たとえば本を読んだり、人と会ったり、セミナーに通ったりして、インプットするだけで
なく、アウトプットも大事です。
自分はブログとメルマガでアウトプットしています。
アウトプットすることで喜んでくれる人がいると、日常が変わります。
「今日はこれに感動したから、伝えよう。」
感動のアンテナが敏感になってくるんですね。
そして失敗なんて恐れることないですよ。若くなくてもOK。
失敗恐れて何もしないより、行動しているうちに、新たな目標がでてきます。
動いた分だけ、ベストなタイミングが訪れますよ。
![]() | 隊長は非常にパワフルにしゃべる、しゃべる。 隊長も心配してくれましたが、記事をまとめるの 非常に大変でした。 しかし、地球探検隊オフィスのアチコチに貼って とっても、心地よい空間でのインタビューでした! |
最後までお読みいただき、ありがとうございました!!
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