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「私たちがインタビューしました!」

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ライフワークインタビュー (2007/01/30 ~ 02/14掲載)
私には夢がある 和田清華さん&岩崎久美さんのプロフィール 

<有限会社 私には夢がある 代表 和田清華>

1976年8月10日、富山県生まれ。同志社大学卒業。 作家・中谷彰宏さんの編集をしようと上京。
「給料いらないから働かせてください」のひとことで、出版社入社が決定。
2年間中谷彰宏氏の編集を担当。

退職後、25歳で起業。会社名は、「私には夢がある」。
「はじめの1歩を踏み出す、キッカケを作ろう」と、主に社会人を対象に、講演会や
ワークショップを企画・運営。
著書に『その夢はいつやるんですか?』(ゴマブックス)。
女の子と男の子の 2児の母。

<有限会社 私には夢がある 社長 岩崎久美>

1976(昭和51)年、埼玉県生まれ。埼玉大学卒業後、出版社入社。
書籍編集部に所属し、数々の本を編集。退職後、有限会社 私には夢があるの
設立メンバーとして働く。セミナーの司会から運営に携わり、現在、心理学や
カウンセリングを中心とした研修や講演を行う。
04年12月取締役社長に就任。


  私には夢がある のサイトはこちらから  


ライフワーク インタビュー


■ 心にスイッチが入るようなセミナーやワークショップを


現在のお仕事を教えてください


和.講演会、セミナー、ワークショップなどを、不定期で開催しています。
   人数は、10-100人規模。内容にあわせた人数で開催しています。

どういう内容のものでしょうか?


和.心にスイッチが入るような、やる気がでるような感じのものです。

   また、最近の、「夢ある」セミナーは、参加者が主体性を持って、参加する形をとっています。
   ただ受身で聞いて、「あー楽しかったね」で終わらないように。
  
   来た人たち同士が仲良くなるようなゲームを入れて、ネットワークを広げてもらったり、
   講師との距離感が近いものだったり、何度も回を重ねて参加する連続形式だったり。
   セミナーで感じたこと、学んだことを、今の自分がやりたいことへと踏み出す、
   きっかけにしてもらえればいいなと思っています。

今で何年目ですか?


岩.7月10日で4周年を迎えました。

その夢はいつやるんですか?―ユメアル自分を元気にする本



■ それぞれの会社員時代
 

お二人それぞれの会社員時代の仕事を教えてください。


和.大学卒業後、出版社に勤めました。

   作家・中谷彰宏さんの担当をさせていただいてました。

   あとは、雑誌のコーナーの連載を持ったり、ホテルに就職したいという学生向けに
   情報を発信したり、イベントを企画したりしていました。


岩.私も編集の仕事してました。

   レストランで働いている人を対象にしたような本、例えば、実際に調理している人のところに
   行って、料理の仕方を取材し、レシピをまとめたり、包丁の使い方やキムチの作り方の本などを
   編集していました。


そんなお二人の出会いは?

和.出会ったのはホテル・レストランショーという、
   業界向けの展示会のようなものでした。

   厨房機器や従業員のユニフォームとかも展示するなかで、出版社も出展してたのです。

   私がブースで本を売ってたら、「この本、下さい」と中谷さんの本を全部買っていった
   人がいました。それが岩崎です(笑)


岩.(和田さんを見て)私、挙動不審だったよね?


和.そう! 

   最初は1冊だけ買っていって、その後、柱のかげからこちらを覗いてて
   「やっぱり全部ください!」と買っていったんですから。

   そんなに好きなら、サイン本あげましょうか? と、こちらから連絡先を聞いたのがきっかけです。

岩.私が感動したのは、次の日に全部、本が届いたことです。

   その速さに、すごい!と思って、わぁ、この人と仲良くなりたいと思いました。

   和田もその頃は「来るものは拒まず」という人で、自分から縁を切らない人だったので
   色々と誘ってもらったものにくっついていってたら、遊んでもらえるようになりました。



■ この人、気合入ってるなーって(笑)
 

和.なんとなく、「何かやろう」と思ってたので・・・

   社外のネットワークをつなげようとしてました。
   ビックリしたのは私がお誘いすると、時には、会社を早退してくることもあって・・・!

   わぁ、気合入っているなーって(笑)


岩.和田にすれば、私はたくさんの一人だったと思います。

   でも、私はそんなに社外に、セミナーなどに誘ってくれるような知り合いがいなかったので、
   和田の誘いだけに応えていればよかったんです。


和.だから、気合はいるよね、ははは(笑)


岩.和田は、私が社会人になってから出来た、最初の仕事以外での社外の知り合いでした。

   だから嬉しくって、くっついていってたみたいな。

   私は本当に何も分からなかったから・・・例えば、人に会ったら、すぐにメールを送れとか。
   色々教えてもらったりして、この人、本当にすごいなー、同じ年齢なのにって思いました。

   その頃から、上下関係はぴしっ!と(笑)、決まっていました。


元々、何かやろうと思ってたのですか?


和.明確には思ってませんでしたが・・・

   一生この会社にいるつもりはありませんでした。

   転職するなり、いつか独立するなり・・・自分で歩く道を決めていくタイプだったから
   どんどん変化していくと思ってました。

   だからこう、会社にいても中途半端に仕事しようではなく、10年、20年いる訳じゃないんだから。
   今学べることを学びつくしてやろうと。

   全部、私は経験するんだ! 雑用とか全部やる!という勢いで、周りに
   「何かやることないですか?」と聞きまわってました。


自分で仕事をみつけ、仕事をつくり、ということを会社員時代からやってたのですね。

和.その会社も、中谷彰宏さんに憧れて、最初は学生バイトで入りました。

   中谷さんは会社には滅多に来ないのですが、社長がたまたま「社員向けに講演でもしてあげて。」
   と中谷さんに頼んだことがありました。

   その講演はオフィスでやったんです。みんなは自分の席に座りながらでしたが、私は一番前に
   陣取り、中谷さんから数センチの距離で聞きました。

   「ああ、なるほど~」って、目をきらきら輝かせながら。

   録音もしてたので、その日の講演を、その日中にテープを起こして、何十枚のレジメに
   まとめました。
  
   FAXで送ってもらったものをみて、中谷さんからは「すばらしい!」と言われました。
   まだバイトの学生で、編集もしたことないけど、そんなに好きならやってみたらと、
   中谷さんの担当にしてもらえたのです。



■ 依存しているから ぜんぜん怖くない(笑)
 

当初からすごい行動力だったんですね。

岩崎さんは会社員時代、独立は考えていたのですか?


岩.全く、無かったです(笑)、そういうタイプではないし。

   「和田と一緒にやる」というより、「和田さんについていけば平気そう」という意識でした。
   依存100%、ぶら~んとぶらさがった状態でくっついていきました

   起業というより、転職という感じですね。そのまんま居座らせてもらおう。


不安はなかったのですか?

岩.「なんで怖くないの?」と聞かれましたけど。

   和田についていけば平気、
   依存してるから、ぜんぜん怖くないんですよね(笑)


独立当初から、二人だったんですよね。

先に一人で始めて、あとから一人加わったという訳じゃないんですよね。


岩.(和田さんを見ながら)本当はそうしたかったんだよね?


和.(うなずきながら)、そうそう、でも会社がなかったんだよね。


岩.辞めますといって、辞めたという訳ではなくて、

   会社の方から「さよなら~」って言われました。


和.大体これくらいの時期に会社を作ろうかな~と

   ボヤっと話しているときに、岩崎から
   「会社をクビになったので、宜しく」と言われちゃったんです。

   「よろしくって・・・」



■ 和田さん一人なら 仕事あげるのに・・と言われて
 

それは会社を作る前?


和.そう。

   まぁ、ちょうど会社を辞めようと思ってた時期だったので、背中を押してもらった感じですね。


岩.かなり強引な、ね。

   私は良かったけど、あなたにとっては重たかったよね(笑)?


和.重い(笑)。

   でも、荷物があった方が頑張れるタイプだったんで、いた方がむしろ良かったですね。
   例えば、子供がいるからとか、守るものがあった方が頑張れるので、良かったですね。

岩.周りからはそうは見えてなかったようです。
 
   ま、これは和田が私には言わなかったんですが、
    「和田さん一人だったら、仕事を上げるのに」と言われたこともあったようです。


和.それはこちらから仕事を断った腹いせとかに言われて・・・

   最初から言われたことは無かったんですが。
   私も「こっちは二人でやる。」と思ってましたし。


岩.私もだいぶ後から、それを聞きました。

   それで「なら、岩崎とは別れる」と言うんじゃなくて、「それだったら、その仕事は断る」と
   言ってくれたと聞いて、ビックリしました。



■ 何がやりたいのか? 分からなかった起業当時
 

立ち上げ当初は、どういう仕事をしてたのですか?


和.普通はやりたいことがあるから起業するんと思うけど、

   「はい、何でも自由にしていいんですよ」と言われても、「なにがやりたいんだよー。」って
   最初は分かりませんでした。

   何が出来るかな?ということで、最初は編集をやってました。

   そのうちに、自分たちがやりたいことは出版という枠組みなしで考えたら、どうなるかな?
   と考えてみたとき、講演会が浮かびました。

   自分たちがまず聞きたい人の講演会を主催したら、お客さんは満杯になりました。

   出版のときは、読者との接点がなかったのですが、講演会ではダイレクトに近づけるので、
   やりがいを感じました。

   「あぁ、面白いね」って、講演の内容を本にしたりとかで、だんだん講演会とか主催する方に
   なってきたんです。



■ 社会人のための学校をつくりたい
 

社会人のための学校、人生予備校はいつから始めたのですか?


和.講演会を始めて、1年経ったあとですね。

   単発は刺激は大きいけど、何か長期的に、成長の過程をみていきたい。

   講演会に参加下さったからから、かなり後になってメールを頂くんです。
   「こんな風に変わった」って。その過程を私たちももっと直に感じたいと思いまして。
  
   現在は、人生予備校から内容もバージョンアップし、キャリアデザイン講座として開催しています。
   ゲームなども取り入れて、楽しく学んでいます。
  
   何でも話せる利害関係のない、バックボーンの全然違う仲間ができるというのも、
   この講座の魅力です。講座が終わってからも、ずっと、受講生同士で勉強会をしている期や、
   同窓会を定期的に開催している期などもあります。

岩.社会人のための学校をやりたいというのは、

   起業当初から言ってたよね?。

   社会人の学校を創りたいって。和田がそう言い始めたとき、私はてっきり建物を作るんだと
   思ってました。

   なんて壮大な計画なんだー。
   数億はかかるだろうし、この人どうやって貯めるんだろー。  


和.「そんなに大きいの?」とか、

   そういう反応してるから、この人、何考えてんだ?と不思議でした。



■ なぜ、私をクビにしなかったの??
 

そんな、でこぼこコンビといったら失礼かもしれませんが、

何があったからお二人やってこれたと思いますか?


和.(二人、顔を見合わせて)何があったんだろうね?


岩.何でクビにしなかったの?


和.成長したいという意欲が大きかったんです、岩崎は。

   スピードは確かに遅かったり、いきなりブン!と成長したりする。
   まだまだ、秘めている可能性があるし、成長するという気持ちだけはいつも持っています。
   あきらめない、というか。  

   私はまぁいいやと放り投げて、次のところに行ってしまうんです。
   一つのことにずっと地道にやるのではなく、ポンポン新しい道を渡り歩くタイプ

   岩崎は不器用だけど、一つのことを執念かけてやるタイプ。
   講師の依頼も3ヶ月とか、半年とかかけてやってくれるのですよ。


岩.私には、「夢ある」を辞める理由なんてないです。

   本当に成長させてもらえるし、何かうまくいかないことがあっても、和田は、絶対に私のせいには
   しないんですよ。
   最後は全て引き受けてくれる安心感があり、自由にやらせてくれます。

   私にとって、もっといいところがあるとは、決して思えないんです。
   ここで何も出来なかったら、どこに行っても出来ないだろうなと素直に思える場所です。

   私がここを辞めないのは、すごく分かるけど、なんで辞めさせられないのか?は
   あまりよく分かんないです(笑) 

   私も聞いてみたいというか。


和.岩崎はどこに行ってもかわいがられるし、

   何の仕事をやっても、出来るまでやり続ける人です。

   だけど、夢あるに最初から関わった縁もあるし、ここで働いている間に、何か一つでも
   自信を持ち帰ってほしいなと思っているから。


岩.まだね~、その期待には応えてないもんね(笑)


和.そうよ! その期待には応えてほしいわよって。

   それで、苦労の甲斐が報われるというか。
   こんな大変な人を一人育てたという実績が欲しい!


岩.私は、子供とちがって、口答えするし、大変だよね。


和.ま、おこがましいかもしれませんが、

   最初はどうやって育てたらいいのか? 
   のびのび成長してもらうにはどうしたらいいかを考えました。
  
   で、これをやってと頼むと、「無理」と言う返答が帰ってくるんです。
   えっ、何で「無理」って言うんだろう?って不思議でした。


岩.そういうの、和田は言わないタイプだったからね。


和.そう。それで「無理って言っていいんだ」と発見しました。

   で、「なにが無理なの?」とか「何が怖いの?」とか、色々聞いてみたり、機嫌とってみたり、
   怒ってみたりしてました。

   やり方分からないというから、段取りやスケジュールまでこちらで立ててました。
   でも、そうすると、「窮屈だ」と言われたりして。。

   もうダメだ、放っておこうって思って、放っておいたら、自分でどうやるか
   やり方を考え出してるんですね。

   「仕事はどのくらい進んでいる?」、今はそんなこと聞かずに、桜の開花をじっと
   見守っているという感じですね。



■ 自分が成長したいスピードに、自分が追いつけなくて
 

会社やめてから、自分自身で変化がありましたか?


岩.自分のことは分からない・・・あんまり変わらないですね。


勤めていた頃の自分が、今の自分をみたらどうでしょうか?

岩.もっとがんばれよって言うかもしれない。

   自分が成長したいスピードとそれが全然追いつけてなくて、焦る。
   なんで、こんなにいい環境があるのにって、なーんで、私、変わらないんだろうなって。


成長意欲が、もともと強いのですね。


岩.自分があまり仕事できないなという自覚だけはあります。

   自分よりずっと前を、和田が走ってくれているので、早く追いつきたいじゃないですか。
   でも、距離が全然近づかない。むしろ開いている。すごく、あせります。



■ せめて いい空気を出す人になりたい
 

和.自己否定観はなくなったよ、自分を卑下しなくなりましたよ。


岩.それは、言葉を変えよう! というキャンペーンをしたから。

   和田の旦那さんが、私と会いたくないって言ったそうなんですよ!

   なぜかというと、すっごくマイナスの表現が多かったんです。
   一緒にいる人って疲れるじゃないですか? 
   「どうせ私は」とか、ずっと聴いていると、一緒にいるだけで疲れてしまう。


和.ははは(笑)


岩.その言い方が、「変われ!」みたいな、感じではなくて、切実だった。

   「お前が悪い」とかじゃなくて、「俺、本当に辛いんだよ~」って。
   あぁ、それって悪かったなと思いました。
   人によくない感じを与えてしまうんだなと。

   仕事は、できなくてもいいから、せめて、いい空気を出す人にはなりたいと思ったんです。
   それで、言葉を変えるようにしたんです。


和.いい空気を出す人になったよね。

   前はどよーんとしていました。猫背で暗くて、前髪がすごく長くて、いつも隠しているイメージ
   でしたが、今はひまわりのイメージに近づいてきました。



■ 二人とも変わりました
 

私は数年前、和田さんの講演会に参加したことがあります。

そのとき、岩崎さんが司会をされてましたよね。
あのとき、「がんばってるなー」という感じはしましたが。


岩.頑張ってましたよ、かなり、ムリしていました。


和.がんばってたよねー(笑) 

   あの頃は無理に元気というか、真逆のキャラを演じてるような。

こうしてお話させていただくと、

今は自然な形で、元気なところが見せられるようになったようですね。


岩.前は緊張しまくってましたよ。

   名刺を渡すのもガチガチで、インタビューでも答えられませんでした。

  
和.前はね、人に嫌われたくないと思ってたようですが、

   今はあまりそういうのを感じなくなったよね。


岩.自分に自信がないと、あまり他人を嫌わないですね。

   人を嫌うということって、私にとっては一大事だったんです。

   だけど、和田やスタッフと話して気づいたのです。
   人って割とお気軽に、人を嫌いになるんだなって。


和.岩崎に「嫌いな人いる?」と聞いたら、

   「いない」って言ったのですよ。
   なんか、嫌いになったらダメと思っている感じでしたよね。


岩.そんなに大騒ぎすることではないと気づいたんです。

   嫌いな食べ物ってあるじゃないですか、
   そんな感覚で、みんな気軽に嫌いになると思っていれば、
   人に嫌われることが、そんなに苦ではなくなる。もちろん、多少はつらいけど。

   ある意味、私が「人を嫌わないようにしよう」とするのも、逆に おこがましいかなって。
   別に、私から嫌われたって、その人も、どうってことないでしょうし。
   そんなふうに考えられるようになったら、ちょっと、気が楽になりました。


岩崎さんも変わった感じはしましたが、

和田さんも数年前に比べて雰囲気が変わりましたね。


和.えっ、どう変わったんでしょうか??


前はパワフルな起業家という感じでしたが、今は穏やかなエネルギー感じます。


和.前はハングリー精神がエネルギーの源にしていました。

   今は、感謝の気持ちだったりとか穏やかなエネルギーの出方になってきました。

   ハングリーなエネルギーは、立ち上げ時は確かに必要です。

   でも、刺激的なエネルギーは、何回も浴びたいような、心地よいものではありませんから。
   それを出し続けるのは、周りも自分もキツいんですよね。 

   結婚して、出産があったりも、影響してるかもしれませんね。


以前は、お二人の陰陽がはっきりしていましたが、今は交じり合っている感じですね。

元々岩崎さんが持っていたところが和田さんのところに入りいき、逆もしかりで、
中和されている感じです。

和田さんが起業してから、変わった部分はありますか?



■ 仕事で頑張らなくても、焦りはなくなった
 

和.仕事に対しては、健全な考え方をもっていました。

   仕事で成長していこうと。

   その後、結婚生活で、夫とのコミュニケーションスタイルが変わりました。
   子供が出来て、そっちが伸びた感じですね。


どんなときに感じられたのですか? 

和.家庭で押さえつけられているエネルギーを、

   仕事に発散することがなくなりました。
   そうすると、家庭がうまくいきだしたのです。

   仕事でがんばらなくても、そんなに焦らなくなりましたし。

   一人目のときは焦ってたけど、二人目生んでからはゆとりも出ましたね。


仕事も「早く早く」という気持ちは、なくなってきたのですか?


和.ここ1・2ヶ月でなくなってきて、最近、どっしりしてきました。

   むしろ、今日できなくてもいい、明日やろう、みたいな。

   私、進むときは早いから、きっと取り戻せるだろうと、自分を信頼しています。



■ 今後のビジョン
 

今後のビジョンを教えてください


和.1年以上の視野は決めないようにしています。

   子育てしているときは、長期的なビジョンは向いてないから。

   今までの流れで、セミナーやったりとか、ママ部門を立ち上げたりとかしてるけど
   まだ決めない。今は決めない。けれど、1年後は決めていきたいですね。

   それまでは、先のことを考えるのが得意で、どちらかというと今、やっていることを楽しまず
   数年後のビジョンを常に頭において、行動していました。

岩崎さんは?

岩.起業当時、和田から言われました。

   「この会社は、岩崎のために作った。だから、何でもやってもいいよ。」

   私は目立ちたがりなんです。
   和田が取材を受けても、私に譲ってくれたり、講演依頼も譲ってくれました。

   でも、これから、和田を出していきたい。
   和田の生き方は、「憧れ」になると思うのです。スタッフに慕われているし。
   今までは自分はどう見せるかばかり考えたけど
   和田をどう見せていくか、どうプロデュースしていくか。やってみたいんです。

   和田だけでなく、講演会のプロデュースも、しっかりと、やっていきたい。
   和田を、もっと引っ張りだしたい。
  

和.私も岩崎に、引っ張りだされたいよー(笑)


今、岩崎さんのエネルギーが、ぐっと上がりましたね。


岩.私の苦手な分野だけど、プロデュースをやってみたいんです。
  
   今、私も司会の勉強したりして、パンと目立つ快感はあります。

   でも冷静に考えると、私が出るよりも、和田が出たほうがいいと思うことも多いんですね。
   それは決して、卑下じゃないんです。


分かります。私も朝比奈に同じこと言われますから(笑)


岩.こういう風に準備して、こういう風に和田を出せば、

   お客さんはこう反応する。
  
   そこをやってみたい。

  
和.いままで、100人近い、外部講師に来てもらって、

   その人のいいところを引き出すのは十分経験はありますよ。
   たぶん私たち、同年代の中で、講演会に出席した数は多いんじゃないですか?

   こんなに人の話を聞いている29歳はいませんよ。

   でも、自分たちがまずは楽しむことが大事ですね。人のために何かしようと思っても
   楽しんでなくては、やってる意味がありません。

   そりゃ、ビジネスでやれと言われても出来るかもしれないけど、数ヶ月も講師と交渉したり
   1回にかけているエネルギーが高いから、それを単にビジネスとしてやるには重いんです。

   でもやってて楽しいんです。だから、やれてるんです。


岩.そう、楽しいです。大変でも楽しい。

   ある程度までは、大変であればあるほど、楽しいです。
   講師とモメることもあります。もちろん、本当はもめないほうがいいですけど、
   後から考えたら、それはそれで、また楽しいです。

   もしかしたら、モメないということは、こっちの主張がないときかもしれない。
   ぶつけるものがあるからこそ、モメるのだと思うのです。





■ 今でも依存度100パーセントです


和田さんの出産は、岩崎さんに影響はありましたか?

岩.一人目のときは影響ありましたよ。

   出産後は連絡とれないし、どうしようって。
   以前は、困ったときにすぐに連絡したけれど。

   二人目のときは、2回目だから、和田と連絡とれないということも、慣れました。
  

依存率は今、何パーセント?


岩.えっ、100%ですよ(笑)。

   以前は、依存している自分がいやでした。
   でも、依存していいやと思ったら、すごくラクになりました。

   依存させてくれる人がいるんだから、まぁいいやって。

 

当初の社員という肩書きから、「社長」という肩書きに変わってからは

変化ありましたか?


岩.社長になっても、何も変わりませんでした。

   そう和田に伝えたら、めったに怒らない和田なのに、すごく、怒りました。

   「変わらないのでなく、変えてない!!」
  
   会社作ったときもそうだったのですが、作っただけでは何も変わらない。
   環境変わっても、自分が変わらなければ、何も変わらない。

   上司に恵まれ、環境に恵まれ、肩書きに恵まれている状況だからこそ、
   誰にも言い訳できないのです。



■ 二人にとって、「変わる」とは?
 

お二人にとって「変わる」とは、どういうことでしょうか?


岩.根本からがらっと、変わってしまうというよりは

   出来ることが増えること、人としての幅が広がることだと思っています。
  
   人間としての視野が広がったら、自分自身が変わったと感じられるかなと思います。
  
   視野が広がると、相手のことも考えられる。
   自分が自分が・・・ではなくて、人のことをちゃんと考えられたりできたら、
   自分が変わったという実感をもてるかもしれません。


和.私の場合は、ふっと上に行く瞬間があるんです。

   主観的な自分の考え方では分からないこともあるんですが、ふっと一段上に
   行くことがあるんですね。

   私はまだここにいるけど、客観的な自分もリードして引き上げられる。



■ 好きを仕事にしたい人へのメッセージ
 

   

同じ「変わる」という言葉でも、人によって違うんですね。

お二人にはまだまだお話を伺いたいのですが・・・

最後になりますが、好きを仕事にしたいという方にメッセージをお願いします。


和.私は好きな「職業」はないと思っている。

   私は講演をやるのが、決して好きという訳ではないですよ。
   むしろ、私は何をやっても楽しめます。

   すごい嫌いなのはダメだめだけど、その仕事の面白みを見出すことが一番ですね。

   私たちのセミナーで、「つりをするとしたら、どこに楽しさを感じる?」と質問します。
   人によって答えはバラバラで、私だったら、たくさんの人を誘うことですね。


岩.私はつり教室を開催することです。


和.受講生の中には、なかなか取れない魚を取りにいくところだとか、

   色々な意見が出ます。
   好きな「仕事」があるのではなく、好きな「スタイル」があるんだと思います。


岩.私は、あえて「好きな仕事はある」として答えてみると・・・

   好きなことを仕事にしようとしたとき、必ずぶつかるのが、好きなことがつらくなるという壁
   だと思います。
  
   趣味でやっていたら、楽しかったことでも、仕事にしようとすると、しばらくして、
   ちょっとつらいなと感じるタイミングがやってくる。
  
   たとえば、文章書くとか、映画を見るのが好きだとしても、それを仕事にするのはしんどいと
   思いますよ。
  
   日に5・6本見て、それぞれのコラムを書くとなったら、体調が悪くても観て書かないといけないし、
   興味のない映画も観ないといけない。
  
   好きなのだけ、好きなときにやるのは趣味。
   仕事は、書きたくないときも、書く。

   好きを仕事にする。趣味だったものを、仕事にするのは、趣味が仕事になる、一歩手前が
   一番辛いと思います。
  
   でも、そこを乗り越えたところに、
   好きなことを仕事に出来る瞬間がやってくるのではないかと思っています。
  
  
和.たぶん、それを乗り越えた人たちが、
   本当の、プロだと思います。

   好きなだけのままでいたいのなら、仕事にはしない方がいいかもしれませんね。


岩.「好き嫌い」の壁を超えたとき、「好き」「嫌い」を超えた世界、

   違う世界があると思っています。
   好きで片付けられない。考えられないような世界があるんだと思います。
  
   逆に考えれば、つらくなったときがチャンス。
   あと、もう一歩で、壁を越え、仕事にできるから。
  
   私もいま、その壁の前にきていると思っています。
   そこで、踏ん張りたい。
  
   「好きなことがつらくなったときこそ、もう一踏ん張りしよう」
  
   これが、好きなことを仕事にしたいと思っている方へ、
   そして、私自身へのメッセージです。



インタビューこぼれネタ

 今回、二人一緒にインタビューに応じて頂くのは
 好きを仕事に!メルマガでも、初の試みです。

 いやぁ~、でも二人一緒に出てもらって良かった!!

 なぜなら、掛け合い漫才が、むちゃくちゃ面白かった
 んです。私も赤木も、抱腹絶倒でした。

 『ね?』
 和田さんと岩崎さんが、共に見つめあいながら
 「仲のよいオンナ友達」というノリで、話を進めて
 いきましたが。

 時折、真剣な表情で 自分たちの夢を語る姿や
 経営する側として、ビジネスのことを語る姿が
 印象的でした。
 






「私たちがインタビューしました!」

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ライフワークインタビュー (2006/11/14 ~ 11/28掲載)
山崎 啓支 さんのプロフィール 

NLPラーニング代表取締役 米国NLP協会認定トレーナー

1994年経営コンサルタント会社に入社。
その間約3000人の経営者やビジネスパーソンのカウンセリングを担当。

10年以上に渡って心理学、脳機能研究等の科学的分野をはじめ、
ヨーガ、密教といった伝統的な能力開発体系にいたるまで独自に研究。
2002年独立。現在はNLP(神経言語プログラミング)を中心とした様々なセミナーを行っており、
自らの体験に基づく独自のプログラムは、多くのクライアントの共感を受けている。

  NLPラーニングのサイトはこちらから  


ライフワーク インタビュー


■ 天才と言われる方の”脳の使い方”


山崎さんと私は、会社員時代の先輩と後輩でした。

ですから、会社員時代のこともよく知っていますが、今回は初めて聞くかのように、
インタビューさせていただきますね。
早速ですが、現在のお仕事を教えてください。

主に、個人向けと企業向けに、セミナーを開催しています。

どういうセミナーかというと、アメリカで開発された心理学NLP(神経言語プログラミング)に
関するものと、それを応用したものです。

 

私たちはよく知っていますが、NLPとは何か?

知らない読者のために、もう少し説明いただけますか?

NLPというのは、一言でいうと、

いわゆる天才と言われているひとたちを研究した学問であり、心理学です。

たいへん大雑把に言うと
「天才と言われる人が、どのように脳を使ったのか?」について研究し、
偉人の脳の使い方を 一般の人にも応用出来るようにしたものと
考えていただくといいかと思います。

本国アメリカでは、「脳の取扱説明書」と言われています。



セミナー中の山崎さん


■ 私のあだ名が「ホフマン」だったワケ
 

独立してから、今日にいたって、まさに破竹の勢いで活躍されていらっしゃいますね。

サラリーマン時代のお仕事、どんな社員だったのかを教えてください。

はははは(テレ笑い)


いや、これはお決まりですので(笑)。

大学卒業後8年間、赤木さんと同じ会社で、教育研修会社の営業をやってました。

ところで赤木さん、私が「ホフマン」って呼ばれていたの、知っていますか?


えっ、いえ、それは知りません。どういう意味ですか?
まさか、あの映画俳優 ダスティン・ホフマンに似ているとか・・・??

私も初めてそう呼ばれたとき、そうかな~と思ったのですが。

そんなわけはありません(笑)
ヒントは、ダスティン・ホフマンの代表作にあります。


・・・「クレイマー・クレイマー」!!

その通り!

『山崎ですけど』
自分の会社に電話したら、相手が『ホフマン?』って聞き返してくるんですね。
最初は、意味が分かりませんでしたが(笑)

会社員時代の私は、毎週毎週クレームを作っていました。
しかも、会社を揺るがすくらいの大きなクレームを、3ヶ月に一度出してました。

会社からは、春夏秋冬、大イベント(大クレームのこと)があるとまで言われていて・・・
あいつは「クレーマー・クレーマーだ」と、社内で話題になり、そこからです。
「ホフマン」と呼ばれるようになったのは。



■ 会社で一番の ”ダメ社員”でした。
 

「クレーマー・クレーマー」 

朝比奈ように、今の山崎さんしか知らない人には信じられないかもしれませんが、
確かにそう言われてましたね・・・

ええ。

会社で一番 落ちこぼれ社員で、もっともダメだというレッテルを貼られてました。

なにがダメなのか・・・圧倒的に、営業成績が悪かったですね。

しかも、先輩社員が取っていた仕事を、電話対応が悪くてキャンセルさせたり、
セミナー参加を決めていた受講生を怒らせて、キャンセルさせてしまったり。

会社にプラスをもたらせないどころか、マイナスをたくさん作っていました。


今の山崎さんをみていると、もともと能力がなかった訳ではなく、

その当時は、能力が発揮できなかったということが分かるのですね。
ご自身で、何か思い当たるところはありますか?

今なら分かります。

そのころの私は、自分のセルフイメージが相当悪かったですね。

そもそも、入社早々に、いくつかミスをしたんです。
そのときに、自分は仕事ができないという思い込みが出来てしまいました。


思い込み通りの現実を、自他ともに作っていたということですか?

ええ。その当時、何も良いところがないと思っていましたね。

電話対応すると、お客さんを怒らせてしまう
営業にいくと、成果が上がらないどころか、クレームを起こしてしまう。

これは、営業だけに限らず、会社が主催するセミナーのサポートでもミスを連発しました。
講師が前から血相変えてやってきて、『何をしてるんだ!』と頭をなぐられたことも。

小学生でも間違えないだろう・・・というミスをしてしまうんですね。

事務作業もダメでした。
経理のお姉さんに出張清算書を提出するのですが、毎回といっていいほど計算が間違えます。

「間違ってはいけない」と思い、5回も6回も計算機でカタカタ確認して、
提出するのです。でも、どこか間違えるんですね。

その頃思ったのは、いかにやる気があっても、意識で「注意しよう」としても、
無意識で「仕事ができない」とか「仕事をミスする」と思い込んでしまうとその通りなってしまう。
  
その典型的な社員でしたね。



■ 毎日、生きているのがイヤでした。
 

その頃の山崎さんの様子、私は見ていたので分かりますが・・・

辛そうでしたね。

毎日、生きているのがイヤでした。

出勤することもイヤ、営業に出るのもいや。

コイツ、またクレームを持ち帰るんじゃないか。
同僚から白い目で見られてるのが、分かるんです。

営業から帰って、経費の精算すると間違えて、経理のお姉さんに呆れられるし。

何にやってもうまくいかない毎日・・・
もう、自分に存在価値を感じられませんでした。
  
生きてても仕方がない・・・それくらい、私は無価値感が強かったです。


自分がダメでなく、仕事自体が向いていなかったかもしれません。

会社を辞めようと思ったことはありますか?

ずっとクレームを創り続けましたが、それでも会社を辞めませんでした。

こんなダメ社員なのに、会社も先輩も、私を育てようとしてくれました。

申し訳ない気持ちが強く、何とか恩を返したくて、会社に残りました。



■ ドン底だった自分を 承認してくれた出来事
 

でも確か、山崎さんは、途中からなぜか営業成績が伸びましたよね?

何かあったのでしょうか?

一つだけ、思い当たる節があります。

あるとき、ものすごい深刻なクレームを作っちゃったんです。
研修を導入する予定だった会社が、私の対応が悪くて、キャンセルされました。

そのときにはさすがに、もう辞めようと思いましたが、その前にそのお客さんのところに
謝りにいきました。

夜の11時くらいに、お客さんのところにチャイムを鳴らしたのです。

『山崎です。話を聞いてください』と私が言うと
『お前には何も話すことない』とそのクライアントに言われました。
  
そこで『出てきて下さるまで、ここで待ってます』と言って、
ひたすら待つことにしたのです。

夜中の2時まで待ち続けた結果、その方も呆れて出てこられました。

私は土下座し、心をこめて謝りました。
後にも先にも、土下座したのはこの時だけです。
  
お客さんは一旦、中に戻っていかれましたが、根負けなさったのか
一緒にファミリーレストランに行きました。

私は全て正直に話しました。

 自分は会社でクレームばかり起こしているダメ社員だ。
 今回のことは全部、自分のせい。会社は何も悪くない。
 私はこの件を終えると、会社を辞めるつもりだと。

私の話をじーっと聞いていただき、一言おっしゃいました。
『今は、お前を許さない。しかし、これを機会に成長してほしい』
  
それから、その社長は自分の身の上話を熱心に語ってくれて、大きな失敗こそ、
たくさんの学びがあると、優しい目をして励ましてくれたのです。


研修を再度、導入してもらえるようになったのですか?

いや。

私は正直言って、成長しなくていいから、許してほしい・・・
研修を導入してほしいと思ったけど、それは叶いませんでした。

だから、会社を退社しようと・・・。



■ 人間が変わる瞬間は どんなときか
 

退社の決意をされたのですね。
決意しました。でも、結局、会社を辞めることはありませんでした。

翌日、出社して、直属の上司とセンター長に昨晩の出来事を全部話したんです。
  
普段はものすごく怖い上司が、なぜか、その時は、全く叱らなかったのです。
多分、私が全てを捨てる決意をしていたので、覚悟が伝わったのだと思います。

ひと通り、私の話を聞いたあとに、ポツっと言ってくれたのです。
 『お前、よう頑張ったな・・・。あとは俺たちがケツを拭いてあげるから、安心しろよ』

そう言って、肩を叩いてくれました。


ありがたい一言ですね。

はい、その時に、強烈に感謝の気持ちを感じたのです。

その瞬間に、「この人たちのために生きよう」 と思いました。
これは理屈ではありません。なぜか、そう思ったのです。
    
それを機会に、本当に一生懸命 仕事をしました。
すぐにではないですが、ミスもめっきり減り、営業成績も順調に上がっていきました。

そのときに、私は悟りました。
人間が変わる瞬間は どんなときかということを。


どんなときですか?

どん底で、もう自分はダメだと思ったときに・・・

そんな最悪な自分を承認してくれる人がいたとき、人間は変わると悟りました。
  
どん底だからこそ、その承認が深い部分に届くのだと。
  
普段は承認されても、心に沁みないことでも、もうだめだと思っている
ときの心からの承認は、潜在意識の深い部分に届くのだと思います。

よく大病を患ったひとが、人間変わるといいますよね。

一筋の光もない闇の中、絶望の中で、人は希望のメッセージを拾うことで、
変わる瞬間があります。

この体験をしたときに、私自身が救われたと思ったんです。

自分のためでなく、誰かのために生きよう。
自分の命を、この人たちのために使おうと思ったときに、ウソのように事態が
好転し始めました。

この体験したときに、将来、自分と同じようにどんずまりの人たちを
励ましていくのではないか・・・そんな予感がしました。

それが今につながっています。



■ 劣等生の希望の星になりたい


その事件自体は知りませんでしたが、その頃の山崎さんを
知っているので・・・目頭が熱くなりました。

山崎さんの今と、どう繋がっているのでしょうか?

私は、普通のひとたち、できれば、現場でもがき苦しんでいる ひとたちに関わりたい。

それは、私が体験の中で習得したノウハウを、一番必要としている人たちだから。

 そういう人に、「大丈夫だ」と、ひとこと言ってあげたい。
 以前、私は、劣等生の希望の星になりたいと思っていました。
 私が、やはりもの凄い劣等生だったからです。

「劣等生の希望の星」
坂本竜馬がそうなんですね。
途中で何らかの変化があっても、大バケしたと言われています。


営業成績もあがり、ご自身もラクになったのではないですか?

いえ、今度は別の苦しみが襲ってきました(笑)。

しばらくは、会社のため、敬愛する上司のために生きていました。
売り上げは確かに上がりましたが、そこには自分というものはありませんから。

でも、あるきっかけで、自分のために生きようと思えるようになりました。



願望実現コース 卒業パーティの様子!


■ 好きなことで生きていく人生を、プレゼントしてあげたい 


そのきっかけを教えてもらってもいいですか。

お客さんは経営者が殆どだったので、苦しんでおられる方が多かったのです。

が、中には仕事をして、楽しくて仕方がないという経営者もいらっしゃったのです。

仕事をして 楽しんでいいかもしれない・・・わずかながら、そう思えるようになったときに
「ソース」という本に出会ったのです。「ソース」とは平たく言うと、
非常によくできたライフワーク発見プログラムです。

ソースワークショップを受けて、コレだ!と確信しましたね。
そのあと、ソースセルフスタディキットをやり終えたときに、

その時、自分の人生を生きたいと思った。
自分が主役で輝くことができる人生を。

あぁ、自分が好きなことで生きていく人生を、自分にプレゼントしてあげたい 

そう思うようになりました。


私もそうでした。

ソースプログラムを受けて、「好きなことをして 生きていこう!」と決意しましたから。

その、私が好きだと思える人生が、会社の中にあるかどうかというと・・・。

このまま残るとすると、いずれは経営幹部になっていくしかありません。
しかし、私はリーダーシップを発揮して、他の人を統率していくタイプでもないんです。

会社の周りには、その会社のトレーナーになりたい、コンサルタントになりたい、
幹部になりたいと燃えて働いている人もいました。会社の中に目標を持っている、
そういう人を見てうらやましかった。

残念ながら、私は会社の中で、やりたいことがないと気づきました。そして決意しました。   



■ 実家に戻れないほど、借金を抱えて・・・


退社する決意ですか? 

ええ。でも、すぐに独立するのではなく、一旦転職しました。

2つ目の会社も人に恵まれました。
しかし、自分の居場所ではないと思いました。

それに、誰かの下で働くのは、やっぱり自由じゃない。
私は自由に自分を表現したい。それなら自分でやっていくしかないと。

自分が本当に伝えたいことを伝える セミナー事業を始めようと。

10年ほど住んでいた東京を離れ、実家に戻ろうと決意したのですが
すぐに帰れませんでした。


帰れない理由が、何かあったのですか? 仕事の関係?

多額の借金があり、お金が無かったんです。

冗談みたいですけど、帰るお金すら無かったんです。
引越し費用も新幹線代も、ありませんでしたから。

何とか実家に帰ったとき、200円しか手元にありませんでした。


借金の内訳は?

能力開発のセミナー、無能だと思い込んでいる かつて私のような人に

必要なセミナーをどうしても作り上げたかったのです。

そのために役に立つと思うセミナーは、さんざん受講しました。
その時にNLPと出会えたのですが・・・

ただ、セミナー受講代捻出のためにサラ金に手を出し、最終的には数百万円もの
借金を作ってしまいました(苦笑)。


話は前後しますが、関西に帰る直前に、知人が私を講師に招いて、NLPの
3時間セミナーを、大阪で開催してくれたんですね。

それが、赤木さんと朝比奈さんが受講生として来てくださったあのセミナーです。



■ 自分のやりたかったことを、やるしかなかった


あぁ、あのときの(笑)

講師として人前に立とうと思ったものの・・・

前にいく勇気が、なかなか持てませんでした。

でも、もっとも深い部分のアイデンティティが、
『この方向でいくしかあなたの人生はない』
とささやきました。

だから前に出て、語り始めた。当時、お金もなかった。やるしかなかった。

あのセミナーは、緊張でガチガチで、汗だらだら流しながら、話ししてたんです。


えっ、そこまで緊張されているようには見えませんでしたが。

そのすぐ後に、赤木さんが、僕のNLPの1日セミナーを主催し、 驚くほどたくさんの受講生を呼んでくださいました。

そのときも震えながらでしたが、自分なりに一生懸命やったおかげで、共感して
くださる方がいらっしゃっいました。そのセミナーで共感して下さった方々のおかげで
別の地方で、セミナーを開催する機会に恵まれました。

それが今につながっています。
赤木さんたちのあのセミナーが、講師としての最初の成功体験です。



■ 自分のやりたいことやって、収入が得られる感動を


あっと言う間に、今の地位を築いてこられましたね。

セミナー事業を始めた頃は波乱万丈で、最初は講師料タダだったり、

数千円だったり。今は事業的にも非常にうまく行っています。

年商は今、5千万円を突破し、講師料も相当頂いています。
もちろん、サラ金からの借金は全部返しましたよ(笑)


でも、最初に赤木さんたちに主催してくれたときに頂いた 1日8万円の講師料。

赤木さんはあのとき、「一日中、あんなに話してもらったのに、これだけで・・」
そう申し訳なさそうにおっしゃってましたが、とんでもないです。

人前で話して、自分のやりたいことやって、きちんとした収入があった。
あの時の感動は、決して忘れられません。


山崎さんの誠実さに心打たれ、それから定期的に、山崎さんをお招きして
セミナーを開催させて頂きました。

ここまで発展された今でも、山崎さんの人としての、一貫性は変わりませんね。

ありがとうございます。   本当に大切だと思うことを ただ 伝えていきたいのです。

僕は、長く「本来の自分ではない人生」を生きてきたからこそ、言えることがあります。

『自分が大切にしている生き方をしながら、結果的に、それが「誰かのためになること」に
 繋がったときに最も力を発揮できる。』

そのことを伝えていきたいのです。



■ 山崎さんの これからのビジョン


山崎さんの、これからのビジョンを教えてください。 

今、ファインネットワールドさんと共催でさせて頂いています

この「願望実現コース」をもっとやっていきたいと思っています。

来年、2007年はすでに他のスケジュールが詰まっていて、年に一度しか開催できませんが
再来年以降は、本数をもっと増やしたいと思っています。

願望実現コースのような、直接的に、本来の生き方に目覚めるセミナーに関わる時間を
増やしたいのです。

なぜなら、私が私自身のことは、まさに他人事ではなく切実に思えるように、他の人も、
その人自身のことだけは、まさに他人事ではなく切実に思えるのではないか・・・
 
だからこそ、目の前の人のミッションや生き方に直結するような活動をしていきたいのです。

     『人生のミッションや本来の生き方に目覚める』

人間にとってこのことほど大切なことはない、そう私は思います。





■ この世で一番の奇跡


ソースプログラムの中で出てきた、山崎さんの重要なキーワードは何でしょう?

影響力、表現力、この世で一番の奇跡 そういったキーワードが出てきました。


この世で一番の奇跡とは?

オグマンティーノの本に書いてあったのですが

ボロ雑巾のように打ちひしがれて 街頭に倒れている人たちが 希望をもって生きると
決意したときそれが一番の奇跡・・・それを私が、心からやりたかったんです。
かつての私がそうだったからです。

何かを表現することを通じて、ね。
  
私は人前で話すのは苦手だったけど、でも 表現力だったんですね。
何かを表現して、その人の生き方の転換を作り出すような。

今、NLPという心理学の講座を開催していますが、私の場合スキルを教えるのではなく
生き方を変えるという方向でやってます。

そのためのスキルをお伝えしてまして、今の私はそれを支持して下さった方々のおかげで
存在しています。


セミナーを開催するとき、山崎さんは何を大切にしてらっしゃいますか?

「純粋性」です。

本当に思っていることを正々堂々と語ること
本当に伝えたいと心から思っていることを語ること

その人の深い部分に眠る 偉大な存在としての使命や生きる目的や、可能性について語ること

胸からこみ上がってくるその純粋性がなければ、何も伝わらないし、相手のハートを震わし、
相手の人生全体に影響を与えないものを伝えても意味がないと思うことが多いのです。

より長い時間、その純粋性を伝え続けたいのです。

結果として、受講生の方々に喜んでいただけたら うれしいですね。


その純粋性が伝わっているのでしょう。

今、山崎さんのNLP講座は、キャンセル待ちが続いてますよね。

ありがたいことです。

私の人生が全部、今につながっています。

私が伝えたいメッセージは

   人は変化する 
   自由にやりたいことをやって生きていい 
   あなたがあなたになるために

これらのメッセージは、苦しい会社員時代の体験があったからこそ、
表現できるようになったのです。


■ 好きを仕事にしたい人へのメッセージ


最後に、好きを仕事にしたい人へのメッセージをお願いします。

ここは慎重にやってもらいたいと、私は思います。

「この仕事が好き!」と思ったときに、好きというのがどのレベルなのか
考えてもらいたいですね。

 ただ これが心地よいから とか
 流行の職業だから とか
 知人がこの仕事で成功したから とか

そんなことではなく、本当の好きというのは、私は深い部分にあると思います。

いわゆる 生きがいやミッション と言われるものですね。

自分のミッションや方向性が派手じゃない可能性があります。
意識では、自分はもっと脚光を浴びたいと思っていても 
でも何となくフィットするのは、派手でなく地味なものと感じたら
  
その地味なものを選ぶ勇気が大切と 私は思っています。
  
野球でも脚光を浴びるポジションもあれば、サポートするポジションもあります。

全てが重要であって、役割を大切だと思っているひとは、その役割の中で素晴らしい貢献が
出来ると思っているし、素晴らしい能力を発揮することが出来ると思っています。

表面的なことに惑わされず、深い部分にある生きる目的に近づいてもらいたい。

そのときに、本当に自分らしいと感じられたり、自分の予想を超えた能力を発揮できると
私は思っています。

2007年度 願望実現プログラム 受付開始! 

  一人ひとりが、本当に自分の人生に生まれてきて良かった そんな体験をしてもらいたい -
  山崎さんの切実な願いから、この願望実現プログラムは誕生しました。

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    潜在意識の活用法を学び、体感するワークを重ねることで変化を体験し、
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インタビューこぼれネタ

 今回のインタビューでも、ありのままの姿を
 お話くださいました。

 私たちが講師としてお招きする願望実現プログラムでも、 
 「えぇ、ここまで・・・」というくらい
 過去の自分、現在の自分をさらけ出して下さいます。

 講師として、受講生より上に見られたいとか
 そういうのは全然ないようで、受講生も安心して、自分の素を
 見せられるんですよね。

 見栄っ張りな私(笑)は、人前に立つと「よく見られよう」という
 意識がどうしても出てしまいますが、そんな山崎さんの姿は
 非常に学ばせていただいてます。
  
 






「私たちがインタビューしました!」

                メルマガには掲載できなかった記事はこちらから!

ライフワークインタビュー (2006/09/26 ~ 10/10掲載)
安西 敏幸 さんのプロフィール 

  東京の個人タクシー
  真空管アンプを搭載したジャズタクシーのマスターです。
  還暦を二年前に迎えてますがジャズを通じして毎日楽しくお客様と
  ジャズ談義・真空管サウンドでCDを聴いてます。
  ジャズタクシーを開業してから14年ジャズ好きな常連客とジャズを
  聴いてます。 GET JAZZED !!

     ジャズタクシーのサイトはこちら  


ライフワーク インタビュー

■ もう15年になります


先日はありがとうございました。

「すごく良かったよ!」と、数名の友人から紹介されて
安西さんのジャズクルージングを楽しませていただきました。

ジャズタクシーとは?

ジャズタクシーを始めて、何年になるんですか?

15年ですね。これは、個人タクシーだから出来るサービスです。

個人タクシーやり始めた頃、自分のために車内でジャズを楽しめるようにしたのですが、
それがたまたまお客さんにも受けました。


私たちも口コミで知りました。

「えっ、こんなタクシーがあるの?」ってびっくりしたことを覚えてます。

今、東京に個人タクシーは1万9千台走っていると言われてます。

僕みたいなジャズタクシーは、まったく異例です。
ただ、自分では独自化したとか、そういう気はありませんし、発想すらしませんでした。

どうやったら楽しくやれるか。
それが結局、いい結果に繋がっただけです。


安西さん


■ 僕の辞書に「努力」はないんです
 

差別化や独自化しようとして、始めたサービスではないということですね。
よく言われるんです。 「安西さん、すごく勉強していてますね。努力していますね。」って。

でも、僕の辞書に「努力」はないんです。
「楽しむ」しかないです。

パソコンも58歳で始めて、大変だったでしょう?
そう言われるけど、全然大変じゃないですよ。

パソコンは利用の仕方によっては色々できるしね。


パソコンで何が楽しいですか?

僕はホームページを作ってます。

ホームページって、自己表現できますよね。

今までで、アクセス数は55万を超えました。
それだけの人が見てくれているということです。
それだけアクセスがあると、それだけで自己満足ですよ。


タクシー運転手で、ホームページ出している方というのは、
あまり聞いたことないですね。

そうですね。

東京の個人タクシーの方でも、ホームページ出しているのは10人いないじゃないかな・・・。



■ 自衛隊での2年間
 

今の安西さんを見ていると、会社員時代があったとは思えないのですが・・
高校卒業後、2年間は自衛隊にいました。


えっ、自衛隊ですか!

高校は進学校だったんですが、僕は学校帰り、映画ばかりみてました。

もう卒業するだけで精一杯。

当時、進学校には求人も無かったので、コレという目的なく、自衛隊に入隊しました。

結果的には、自衛隊も人生経験にプラスになりましたよ。


どんなところプラスになったのですか?

例えば、便所掃除とか・・・まぁ色々と汚いこともたくさんやりました。

汚いことでも何でもやってるから、社会人になって仕事する場合でも、例えばゴミ掃除を
やっても、 何とも思わないんですね。

生きることに怖くなくなりましたよ。



■ 僕は社会的に協調性がないようです
 

自衛隊を辞めた理由は何でしょう?
合わなかったんです。

最近気づいたのですが、僕は社会的に協調性がないようで。

上司でもこの人はいいと思ったら、もう何でも聞きます。
逆に、ちょっと気に入らなかったら、逆らいました。

それから職を転々として・・・営業系の仕事が多かったですね。
で、30歳のときに、タクシー会社に就職しました。


そこは社員としてですか?

ええ。17年いました。それから独立です。

その頃から、タクシー乗務員やってました。
自分でやる環境が水にあったんですね。


もともと、車が好きだったんですか?

いえいえ。そんなに車にこだわらなく、動けばいいと思っています。

ジャズタクシーで使っている車は、韓国のヒュンダイ社製です。
ヒュンダイ製にこだわったとかではなく、この車は鉄板が厚いから、音楽聞くには
いいんですね。

それだけで選びました。



■ 高い意識なんて ハナから持ってません
 

自分が好きか嫌いかは関係ないんですね。
僕は楽しければいいだけなんです。 高い意識なんて持ってません。

楽な方、楽な方を選んで、ジャズタクシーを選びました。


安西さんから、「楽しい」とか「らく」いう言葉がたくさん出ますね。

あなたみたいな極楽トンボはない。

女房からもそういわれてます。
高い意識はなく、起業意識もありません。

この間TVでみかけた社長は、26歳で何歳であれをやって、何歳でお店を何店舗にして・・・
とかそういう計画立ててました。

へぇ、そういう人もいるんだ!とびっくりしましたよ。


数年後の計画を綿密にたてている起業家の方は、時々お見かけしますね。

もちろん、ジャズタクシーの中で、こんなサプライズをやってみたい!

とか、そういうのは考えますよ。

そうそう。高校のとき、映画ばかり観てたと言ってましたよね。
アメリカ映画はサプライズが多いし、アメリカ人はそういうのがうまい。

で、お客さんから「彼女を驚かせたい・・・」とか、そういう相談がきたときに、そのシーンが
浮かぶんです。

一つ例に出すと、ある銀行の人が、大事な女性にプロポーズしたいというのがありました。

どっかいいところないか?

考えてみたところ、愛宕神社を思いつきました。


あっ、私もジャズクルージングで行きましたね(笑)

桜が満開の季節でした。

他に誰もいない神社の脇は池があって、ほのかにライトアップされた桜がうつって
ました。

そこでプロポーズ・・・。



■ 会社員時代は、ただ仕事をやってただけです
 

サプライズのお話するとき、本当にいたずらっこみたいな顔をされますね。

先ほど、高い意識ないと言ってましたが、安西さんが意識していることは何ですか?

ラクして楽しむか、です。


会社員時代は、そんな風に考えてましたか?

組織にいると・・・難しいですね。

自分がそういう風にやったらいいと思っても、現実的にはくだらないからと、会社側
から却下されます。

自衛隊のときも、会社員のときも、ただ仕事をやってるだけでした。

タクシー乗組員時代も、お客さんの注文のとおりに行くだけ。
一生懸命やって、お金を稼ぐだけ・・・そんな感じでした。


先ほどと違って、顔から楽しさが消えましたね。

会社員時代、つまり法人タクシーの思い出は殆どありません。

よっぽど楽しかったか、よほどヒドイかだけですね、覚えているのは。


インタビュー風景


■ 「音にこだわるなら、金かけなきゃダメだよ」と言われて
 

ずっと法人でやっていこうとは思ってましたか。
思わなかったですね。

ただ、個人でやるには、法人タクシーでの経験が10年かかりますから。


個人でやるには躊躇はありましたか?

躊躇はありませんでしたね。

個人タクシーをやってすぐ、オーディオ積みました。
これは自分のためです。

あるとき、世田谷のとある技術研究所から乗った人から
「運転手さん、音にこだわるならお金かけなきゃだめだよ」
と言われました。カチンときましたね。

で、何かないかと秋葉で探したら、真空管アンプがあったので、搭載することにしたんです。
若い人は真空管なんか知らないけど、オーディオに詳しい人からは驚かれました。

アメリカからもお客さんが来るけど、こんなのニューヨークにもないと言われます。


安西さんは英語は話せるんですか?

僕は学校の成績は悪かったけど、結構、英語が出来るんです。

若い頃、イギリスの女性とつきあったことがあるんですね。

で、必死にコミュニケーションとってたので、外国語勉強するときは、異性と付き合うのが
いいと思いますよ。



■ 今までの経験が 全てジャズタクシーにつながってます
 

今までの経験が、全部ジャズタクシーで花咲いたと言う感じですね。
そう!今までの経験が積み重なって、ジャズタクシーにつながっています。

パソコンも全体像はつかめてない。英語もネイティブ並ではない。
でも好きなことだから、続いてしまうんです。


好きだから続く・・・それですよね。

お客さんとのコミュニケーションも、自分の言葉で話しています。

ジャズの好きなお客さんなら、仲間に話している感じになりますね。

客に対して、そこまでフレンドリーに話すのはどうか・・・という人もいるかもしれない。
でも実際には、その方がお客さんもやりやすい。

だから、わがままなタクシーかもしれない。


確かにフレンドリーでしたが、いやな感じはなかったです。

僕に対して、ジャズ喫茶のマスターのイメージを持って、乗って下さることも多い ようです。

それって、無愛想とか、色々あるわけ。
そのイメージで来てくれるので、ラクですよ(笑)



■ 同じ年代の個人タクシーの人とは話が合わない
 

まさに、ラクで楽しくを追求ですね。
そう。極楽でも十分生きていけるんです。

人生短いし、楽しくやった方がいいですよ。

64歳で、同じ年代の個人タクシーの人とはもう話が合わないですね。
話題も、演歌やスナックやパブの話ばかりです。

その人たちと僕とレベルが違うとかではなく、好きなことがやってると別のグループが
出来ます。
そっちの方とつきあってるし、僕にとってはその方が楽しいだけです。


同業者から同じようなサービスをやりたい

そんな相談を受けることはありませんか?

受けますよ。「僕も安西さんのようにやりたい。」って。

「だったらやれよ。」と言うのですが、「今はできない」という返事が返ってきます。


なぜ、その人たちはやりたいと思ったのでしょうか?

ジャズタクシーが取り上げられた雑誌とか見たんでしょう。

楽しそう、もしくは儲かるんじゃないか。
苦労してお客さん探さなくていいのでは・・・そう思うのではないでしょうか?

でも、ジャズが本当に好きじゃなければ、お客さんにバレちゃいますよ。
今まで演歌だったやつが、いきなりジャズなんて難しいし。



■ 僕はそろばん勘定したこともありません
 

確かに、表面だけ真似しても、見透かされますよね。
あと、そろばん勘定が強すぎますね。

僕のサービスを話ししたら、こういわれます。
「そこまでやったら、儲けがないじゃん!採算合わないよ。」

今まで、僕はそろばんを考えたことがないのですが、先に損得から考える人が
多いですね。

銀座に行けば、ずらーっとタクシー並んでます。
僕は他のタクシーに比べて、特別収入が高い訳ではないですが、来るか来ないか
分からない客を待つより、私は、好きな話をしながら、運転したいんです。


好きなことをやるには、特別なことをやらなきゃいけないと思い込みがちですね。

失礼な言い方になるかもしれませんが、タクシー乗組員になるには、特別な技術が
必要という訳ではなく、運転免許があれば、誰でも出来る仕事ですね。

それをいかに好きで、楽しく出来るかが大事と私は思いました。

僕は計画性がなく、ラクな道を選んでます。それが許されているんですね。



■ お客さんを断ったことも・・・
 

イヤな仕事に妥協しなかったということもありますか?
それはありますね。

酔っ払ってるときにいつも、家まで送ってくれというお得意さんも何人かいましたが、
ある時期から断るようにしたのです。

だから、一時期はお客さんが減りました。
今はマスコミで出るので、お客さんが「乗せてください」と来てくれます。
「乗ってやる」ではないです。

それに僕のジャズタクシーを乗りたいという人には、親身になって相談に乗ってます。


サプライズの相談ですね。

女房に言わせると「またね」という感じ。楽しいことをたくらんでるな、と。

しょうがない、また働きに行こうか、そう思うことなんてありません。

だって、全国から来てくれる、宮崎県とか北海道とか・・・そんなタクシーないでしょ?





■ 好きを仕事にしたい人へのメッセージ
 

好きを仕事にしたい人へのメッセージを教えてください。
そうねぇ。儲けは考えないことですね。おのずからついてきます。

あとは楽しくやることでしょうか。

大阪の講演でも、色々な人に聞かれました。
「なんで、そんなに楽しそうにできるんですか?」

先日、あるイタメシ屋に入りましたが、従業員がハツラツとしていて、受付の女性も、
一生懸命やってます。

対面にある、イタメシ屋はガラガラでした。
そっちの店にも入ってみたのですが、雰囲気が全然違います。

経営者の教育がいいでしょうね・・・従業員に、ただマニュアルどおりにやらせたらダメ。
そこの店員各自が、楽しくやっていれば、お客さんも寄ってきますよ。

私も、乗ったときから感じが違うと言われます。



■ 今後のビジョン - 今のまま 続けるだけです
 

今後のビジョンは何かありますか?
今のまま、続けるだけですね。

さらにやろうというのはないし。

どうやって、クルージングにサプライズできるかなと考えたり、乗って良かったという
粋なタクシーになればと努力しますけど・・それが目標ですね。

あとね・・・女性を口説き落とせないとダメ。
口説くって言うのは心を開かせること。

例えば、夜、女性が一人でタクシーに乗るのは不安じゃない?
それをいかに楽しませて、少しの間でも幸せな感じを与えられるか・・・

その女性が降りるときに「ありがたい、乗ってよかった」という気持ちにさせたら、
男なんて簡単ですよ(笑)

インタビューこぼれネタ

 「僕はね、難しいことは考えない。好きなことをやってきただけ」

 何度も繰り返し、おっしゃっていたのが、とても印象的でした。
 
 「ねぇ、ミクシーって知ってる?
  僕ね、誘われてやってみたんだけど面白くてねーーー」

 「なかなか同年代で、ミクシーやっている人はいなくてね」

 安西さんといえば、我が母と同年代。 
 そりゃ、少ないかもしれない・・・。

 早速、マイミクになってもらったのですが、こまめにブログも
 更新されています。

 一度、ご覧あれ。 
   安西さんのブログはココ!

 



ライフワークに生きるためには? Q&A 

 

 好きを仕事に!編集部宛に届いた 読者からのご相談です。
 ライフワークに生きる!と決意したあなたにも、ヒントになるかもしれません。


  ・子供時代のワクワクについて 

  ・今の仕事への情熱が無くなりました。 

  ・楽しいことより、辛いことばかり思い出します。

  ・目標は立てず、進む方向だけを決める。本当にそれでいいの?

  



子供時代のワクワクについて

先日参加したセミナーで、子供の頃に好きだったことを紙に書きました。
   子供時代の好きが、今につながっているというのですが、その時は好きだと思ったことも
   今はあまり好きでなかったり、その時も果たして本当に好きだったのか、
   正直分かりません。


ありがとうございます。
 
   ソースワークショップでも、子供時代のワクワクとして、このテーマについて
   話し合ってもらいます。   
   
   子供時代に好きだったこと-
   鬼ごっこや川遊び、お絵かき、または秘密基地を作った!ことなど
   子供の頃のように瞳をキラキラさせて、お話されています。
      
   ただ、結論から言うと、”何が好きだったのか”は重要ではありません。
   そして、今は好きかどうかも。
      
   例えば、秘密基地にワクワクした! というのは男性を中心に よく出てきます。
      
   そこで私たちは、さらに質問します。
   「秘密基地の何にワクワクしたのか?」
       
   ある人は、文字通り”内緒ごと”にワクワクし、ある人は 自分たちで持ち寄った”木”などで
   秘密基地を創っていく過程がワクワクしたとおっしゃいました。
      
   そうです。
   ”何に”ワクワクしたのかは人それぞれで、ここに ”ワクワクの源”が隠されているのですね。
   
   創っていく過程が好きだと答えた人は、一人ではなく、仲間とともに一つのことを
   創り上げていくことが今でも好きだとおっしゃいました。
   
   それは、現在の仕事で”好き”と思えることとつながっています。
      
   ですので、好きな「こと」ではなく、好きなことをしていたときの気持ちや、
   何が好きだったのかを、もう少し掘り起こしてみてはいかがでしょうか?
   
   そこに、大きなギフトが詰まっているかもしれません。
   


今の仕事への情熱が無くなりました。

好きなことを仕事にしたいと思ったとき
   今の仕事への情熱が全くなくなってしまいました。

   でも、好きな仕事も、まだよく分からないし、何より、急に今の仕事を
   放り出すわけにもいかない。

   そんなとき、赤木さんはどのように毎日を過ごされましたか?


同じような気持ちを感じている方は、他にもいらっしゃると思います。
   
   私もそうでした。良ければ、弊社サイトの赤木ヒストリーを、ぜひご覧くださいね。

   私は父親が倒れた姿を見たことで、これまでのような仕事への情熱は、なくなり
   ました。

   それは、自分がこれまで大切だと思っていた
   「自分が成長するには、仕事で長時間働かなくてはいけない」
   という信念が、ガラガラと根底から崩れ落ちたからです。

   しかし、自分が本当に大切にしていることは何かを見つめなおしたとき、
   仕事の全てで情熱を失ったわけではありませんでした。

   仕事は色んな作業の集大成であって、一つ一つの作業では楽しいものもありました。
   

   私の場合は、 
   「人の話を聴くこと」「お客さんに喜んでもらえるような知識や情報を提供すること」
   などです。


   長時間働きづめの仕事のスタイルには疑問を持ちましたが、
   お客さんに喜んでもらえることをしたいという気持ちは変わりませんでした。

   もちろん、何度もやめようと思いました。
   かろうじてこの「お客さんに喜んでもらいたい」という気持ちを支えに、喜んでもらえる
   ようなことを探しながら、何とかやっていたというのがこの時期ですね。

   仕事全てに情熱がもてなくても、何か一つでも楽しい、嬉しいと思えることを探すのは、
   過渡期を送る上で一つの方法でしょう。


   やめなかったもう一つの理由は、やはり「お金」です。

   「1年間、何もしなくても大丈夫なだけお金をためてからやめよう」と
   現実的に考えてからは、モチベーションは相変わらず低いままでしたが、何とか
   仕事をこなせるだけの意欲は保てました。

   仕事そのものへの情熱が薄くなったときは、当面、お金を貯めることを目標にして、
   モチベーションを保つのもいいかと、個人的には思います。


   あと、この時期色んな「自分探し」をしました。

   スピリチュアルなセミナーや個人レッスンを受けたり、「神との対話」といった
   精神世界関係の本を読んだり、瞑想をしたりと精神のバランスを保つために
   いろんなことをしました。

   カウンセリングやセラピーといったものを受けることで、精神のバランス保つことは
   を非常に大事なことだと今でも思います。


   そして、あるとき本屋で偶然「ソース」の本と出合いました。
   その3ヵ月後、これもたまたまお客さんが忘れた「コーチング」の本を見つけ、人生が
   大きく変わったのです。

  
   振り返ると、今まで大切にしていた信念に疑問が生じ、混乱する時期がまずありました
   (父親が倒れたときです)

   それからすぐに新しい信念が出来、人生が新しく変わるかというと 「そうではない」
   ということです。

   混乱の後に、崩壊が起こり、しばらくは何もない空白の時期が生じます。


   人生で一番しんどいのは、もしかしたらこの「空白」つまり、先が見えない時期かも
    しれません。

   しかし、今なら間違いなく言えるのは、この先が見えない時期は、永遠には続かない
   ということです。
 
   あなたも、これまでの人生の中で、何度かそんな時期があったことでしょう。
   

   けれども、それらを乗り越えて、今ここにいるということです。


   先の見えない時期は、闇の中、霧の中にいるように感じ、無力感にとらわれる
   こともあるかもしれません。


   そんなときは、

       「夜の明けない朝はない」「夜明け前が最も暗い」
   
   これらの言葉を思い出してください。

   そして、その闇の体験が、周りの人に光をもたらすことになるということも
   ぜひ知っておいてください。

   夜が明けた後には、新しい創造のときが必ず待っていますので。





楽しいことより、辛いことばかり思い出します

私も「好きなことを仕事にしたい!」と願っています。
   そして、「好きなこと」を探している最中です。

   書籍「ソース」でもそうですが、最近いろんな本の中で
   「自分が小さい頃、好きだったことを思い出すといい。そこに自分が
    本当に好きなことを見つけるヒントがある」と言ってます。

   本田健さんの本にも、そう書いてました。

   でも、かなり前のことは、なかなか思い出せません。さらに、楽しいことを
   思い出すと同時に、辛いことも思い出してしまって・・
   なかなかヒントを見つけるところまでいきません。

   楽しいことばかり思い出すヒントはあるのでしょうか?


まず、初めにお伝えしたいことがあります。

   「幼い頃の思い出というと、辛いことばかりが思い出されてしまう」
   こうおっしゃる方は、あなただけではありません。

   私たちが提供しているワクワクを自宅で見つける学習教材、ソースセルフスタディ
   キット受講生の方々からも、よくそんな声を聞きます。
   
   喜びや楽しみという、いわゆるポシティブな感情は心地よいので、その場で
   味わいつくし、あとに残ることはありません。
   しかし、悲しみや怒りなどネガティブな感情は味わいつくすことが難しいので、
   処理しきれず、心に残りやすいと言われてます。

   ですので、何かを思い出そうとするとき、ネガティブな出来事を思い出してしまう
   のは、自然なことです。

   ここで大切なのは、ネガティブな出来事を思い出した自分を責めないこと、
   そして、思い出した出来事を無理に打ち消さないことです。

   さきほど、感情は味わいつくすと処理されるといいました。
   
   悲しみや怒りといった感情は、ケーキのだま(小麦粉の塊)のようなものかも
   しれません。

   溶けきれずにそのままになっている感情のだまを、もう一度、ゆっくりと味わって
   あげることで、自然とそれは溶けていきます。

   小さい頃は、まだ人生の経験も浅く、悲しみや怒りといった感情をじっくりと
   味わい、昇華する余裕はまだなかったでしょう。

   でも、今はその当時とは違うことを思い出してください。

   今なら、当時感じた悲しみや怒りといったネガティブな感情を充分に昇華できる 
   だけの経験もつみ、成長してきたことに気づいてください。
   
   とはいえ、無理にネガティブな感情を味わおうとする必要もありません。
   
   味わおうとしてみたけれど、昇華しきれないなと思ったものは、まだその
   タイミングではありませんので、
   「タイミングがきたら、この感情も味わい溶かすことができる」と、自分に
   語りかけてあげてくださいね。
   

   そして、もう一つのやり方は、自分の状態を整えるということです。
   
   自分のワクワクを、他の人たちと一緒に思い出すソースワークショップでは、
    「ワクワクを見つけよう」という全体の雰囲気に包まれるので
   比較的早く、辛いことは流れ、自分の好きなことだけを思い出しやすいです。

   一人で考えてると、辛いことに気をとられ、楽しいことを思い出す前に、考えること
   すら、つい辞めてしまうことになりがちです。

   ですので、環境を整えるのがまず大事です。仕事帰りの疲れたときなどは避けて、
   目覚めのよい朝や、友達と楽しく食事したあと、マッサージやお風呂の
   あとなど、リラックスしているときに思い出してみるのがポイントです。  
   
   
   過去のことを思い出すということは、思ったよりエネルギーを使います。

   普段よく考えていることは、すぐに思い出せますが、昔の記憶をよみがえらせる
   のには、時間がかかります。

   ですので、出てこなくなったり、ネガティブなことばかり思い出してしまうときは、
   ちょっと休むことも大切です。

   最初にも書きましたが、何よりも大切なことは、自分を責めないこと、
   自分に優しくすることです。

   このことだけを今は、おぼえておいてくださいね!





目標は立てず、進む方向だけを決める。本当にそれでいいの? 

 

前回のプレゼント企画で、書籍「ソース」を頂いた者です。

   読ませてもらいました。私の考えていることとピッタリでした。

   本に書いてあった内容で、質問があります。

   「目標を立てる代わりに、進む方向だけを決めるといい」とありましたが、
   自分の好きなことを仕事にするために、目標を立てた方がいいこともあるのでは
   ないでしょうか?

   それに関しては、どう思っておられますか?


ソースプログラム受講生の方々からも、何度か同じような質問を受けました。

   書籍「ソース」を読むと、「目標立てるのはいけないのか?」と思ってしまう方も
   おられるようですが・・・。

   目標に関する考え方は、大きく分けて2つのタイプに分かれると言われています。
   

   一つは、「目標設定型」。

   「いつまでに、こうする」という風に、明確に目標を定めるタイプを指します。
   目標を点のように定め、「そのために、どうしたらいいのか」を計画し、実行に移します。
   
   もう一つは、「展開型」

   書籍「ソース」に書いてるのがコレに当たります。
   目標を明確に定めず、方向性だけを決めるタイプ。計画は決めてみても
   状況に応じて、臨機応変に行動も目標も変えます。

   どちらが良い訳ではありませんし、人によって向き・不向きもあります。
   また目標により、両方を使い分ける人もいます。

   赤木もアミーゴも、両方の要素があります。
   目標達成型と展開型の割合が、赤木は3:7。アミーゴは6:4ぐらいでしょうか。   

   差し迫っている業務があるときは、目標達成型で期限・計画・行動を決めてやってます。
   
   年間目標みたいなのは、方向性だけを決めていますね。

   ソースプログラムの受講生にもお伝えしてますが、目標設定はあくまでもツールです。
   目標を明確にした方がパワーが出る、そんな方が無理して「展開型」になる必要もあり
   ません。

   逆もしかりです。

   あまりとらわれず、フレキシブルにやっていかれたらイイと思います。







「私たちがインタビューしました!」

                メルマガには掲載できなかった記事はこちらから!

ライフワークインタビュー (2006/07/23 ~ 08/06掲載)
大村あつしさんのプロフィール 

   エクセルのマクロ(VBA)の解説書を得意とするITライター。 

   VBAに関する著作物の総売上部数は100万部を超え、IT界では「今後も破られることのな
   記録」との評価を得るほか、「過去10年間でもっとも成功したITライター」の異名を持つ。
   2004年3月には、12年間経営してきた創業会社の代表取締役の座を失い、
   失意のどん底でうつ病と診断されるも、その試練を乗り越えて上京。

   満を持して発表した 『人生は数式で考えるとうまくいく 』 (サンマーク出版) が5刷のベストセラーと
   なり、現在は執筆分野を拡大して著述家として活動中。


ライフワーク インタビュー

■ 累計100万部売り上げたITライター


現在のお仕事を教えてください。

名刺の肩書きは著述家です。

ITライターとして、エクセルを中心にマイクロソフト・オフィスの使い方、 そしてエクセルマクロ
(VBA)の解説本を執筆しています。


大村さん

「あっ、コレを書いていた作家さんだったんだー」

大村さんのIT解説本、朝比奈がOL時代にお世話になったそうです(笑)

累計100万部の売り上げを記録したITライターとして、IT出版業界では、大村さんはかなり
有名だそうですね。

よく言われますが、自分では実感がありません(笑)。

ただ、昨年の11月に初めて一般書を出版し、その本がベストセラーになったことで、一般的
にも名前が知られるようになりました。


「人生は数式で考えるとうまくいく」ですよね。

私も人に勧められて読ませていただきました。今日、本を持ってきましたが、このように
たくさんラインが引いてあります(笑)

ありがとうございます。

おかげさまで、「この本で人生が変わった」と言って下さる方から大勢、お便りやメールを
いただきました。



■ 昔から小説家を目指してましたが・・・
 

大村さんは著作の中で、会社員、そして会社も経営していたと書いてましたが。

まずは、会社員時代の仕事について教えていただけますか?

私は昔から、小説家を目指してました。

しかし、なれるはずはないとブレーキをかけていたのです。
小説家になれないなら、どこでもいい。
そんな気持ちで、大学卒業後に地元の大手企業に就職しました。

私は文系だったので、入社後、総務部などに配属されるのかと思いましたが、
情報システム部に配属されたんですね。つまり、コンピュータを扱う部署です。


コンピュータ関係の部署というと、理系というイメージが強いのですが・・・

私もそう思ってました。

けれどもいざ、その世界に入ってみると、プログラムを作ったりメンテをしているのは
文系出身者ばっかりだったんですね。

当時は、コンピュータというと、オフコン(オフィスコンピュータ)と呼ばれる大きな機械
でした。

私はオフコンを使って、生産管理ソフトをプログラミングしていました。

そのときにコンピュータは面白いと思いました。


どういうところが、面白かったのですか??

自分が思ったとおりに動くところです。

人間相手だと、自分の思い通りに動きませんよね(笑)
それに対して、コンピュータは忠実に動いてくれる。それが痛快でした。

それと、私はルーチンワークには向いてないと気づきました。

1日の終わりに何か「進んだ。やり終えた」と実感できるモノがないと、満足できない
んです。


どういうときに、その実感が得られるのですか?

コンピュータのプログラムは、真っ黒の画面から1行1行書いて作っていきます。

今日は何行進んだとか、進捗状況が目に見えますよね。

時々、工場が忙しいと、私もそっちに借り出されてました。
ベルトコンベアーの流れ作業をやるんですが、例えば、ある製品を磨き続けるとか、
1日中全く同じ作業を繰り返すんですね。

進んだという実感が得られず、ルーチンでは生きていけないと気づきました。


何年間働いたのですか?

4年です。

当時、1千万円以上するオフコンに、私どもでプログラミングしたソフトをつけて、
売っていました。

最初は良かったのですが、入社して3年目でバブルがはじけました。

ちょうどその頃、パソコンが出始めたのです。友人のパソコンを借りて、自分でプログラムを
書いてみました。

ビックリしました。
1千万円以上するオフコンと、当時100万円ほどだったパソコンで同じことが出来たのです。

それが、退職するきっかけとなったのですが・・・



■ 会社が辞めさせてくれず


どういうことでしょうか?

同じシステムが作れるなら、より安価で購入できるパソコンに代えて 販売したらどうでしょうか? 

そう提案しましたが、上司は聞く耳を持ってくれませんでした。

そうこうしているうちに、パソコンの価格がどんどん下落していき・・・
あるとき、上司と大喧嘩して、辞表をたたきつけました。


それで退職されたのですか?

いえ。会社が辞めさせてくれませんでした。

情報システム部は数年前に出来た部署で、特に上の世代の人は、他の部署から異動して
来ていましたので、コンピュータのことをあまり理解できてなかったのです。

彼らにしてみれば、若い頭脳でコンピュータを理解した人間が辞めるのは痛手だったのです。
大村をやめさせたらとんでもないことになると、とっかえひっかえ上司の方々が頭を
下げてくださいました。


多くの上司がそこまで言って下さるのなら・・・という気持ちになりますね。

 
はい。

そこまで言って下さるなら、1年かけて、オフコンよりもパソコンのほうが優れていることを
理解していただく。その気持ちを伝えていくしかないなと。

一生懸命、オフコンとパソコンのコストパフォーマンスの資料を書きましたが、まったく
検討してもらえませんでしたね。

もっとも、今、自分が当時の上司の年齢になって、上司は部下、すなわち私と、取締役との
板ばさみであったことがわかりますが・・・

結局2年間、辞表は受理されませんでしたが、最後は誰が何と言おうと引き下がらずに
退社しました。

 

この経験が、後々どんなふうに役立ちましたか?

コンピュータとの出会いという意味では、本当にありがたかったですね。

生産管理ソフト、給与ソフトなど、色々作れるようになったから独立できたのです。

クライアントがコンピュータに何を求めてるか? 
どういうソフトを導入したら、クライアントの利益の向上に寄与できるか?

会社としてはどうしても、めったに使わない機能をつけて、高値で売りたがるのですが
中小企業の会社では必要のない機能がほとんどです。

会社の規模に応じて、オーバースペックにならないものを提供することが大切だと
身をもって学びましたね。



■ 若さゆえに無知で、実力さえあればいいと思っていました
 

そうした会社員時代の経験を生かして独立されたわけですね?
そうです。

生産管理ソフトの制作・販売は、極端な話、机とパソコンさえあればできるので、
初期コストがかかりませんし。

前の会社で2500万で売っていたものを、自分は400万円くらいで売れると思いました。


独立するとき、躊躇はありませんでしたか?

それはなかったですけど、若さゆえに無知でした。

実力さえあればいいと思っていましたね。

今は珍しくありませんが、当時は25・6歳で起業する人はいませんでした。
前の会社が売っていたオフコンやソフトは高くて手が出ないと言っていた会社を廻っても、
相手にされませんし、銀行もお金を貸してくれません。

相手にしてくれるのは、怪しげな先物取引業者だけです(笑)

それで、ハタと気づいたのです。


インタビュー風景

何に気づいたのでしょうか?
結局、自分はその会社の名刺の肩書きで仕事をしていたことにです。

1件目の契約をとるまでに半年かかりましたね。

ただ、仕事をくださった会社に喜んでいただき、他の会社を紹介してくださったおかげで
ようやく軌道に乗りました。



■ 家にひきこもり、TVゲームばかりやってました


それから順調に業績を伸ばしていかれたのですね。

ええ。ところが、28歳の頃に、軽く燃え尽きてしまいました。


28歳といえば、まだ会社を経営して数年じゃないですか?

最初の方は生産管理ソフトを、それぞれの会社にオーダーメイドで作って いました。

途中でパッケージ化して売るようになりました。

3枚のフロッピーにコピーするだけで3百万。コレを繰り返すだけ。
モチベーションが保てなくなりましたし、勤労意欲を失いました。


とはいえ、収益的にはかなり良かったのではないですか?

ええ。お金のことを考えずに、ものが買えるようになりました。

小学校5年生まで電話もカラーテレビもなかった、風呂場にシャワーがついたのが
23才のとき、そんな貧乏育ちの私が28歳にして初めてそういう状況になり、
金銭感覚が狂ったのです。

肝心の仕事の方は、ソフトを作るよりも、ソフトの使いかたを教えるほうがメインになって
飽き始めていました。

また、その地域では有名になりつつあったけど、閉ざされた地方都市で、
一生グルグルしているだけでいいのか? という思いもよぎってきました。

そこで一生を終えたくない。
でも、そのために自分が何をしたらいいか分かりませんでした。

それからの2年は苦しかったですね。


どんな2年間だったのですか?

弥生会計とかいいソフトを多くの人が使うようになって、仕事はぱったりなくなりました。

お金はまだあったので、今でいうニートになり、TVゲームばっかりやってましたね。

さすがに2年たつと、どうにかしようと思いはじめました。

その頃、表計算ソフトのエクセルが日本でも広まりはじめ、エクセルの解説本も
本屋で見かけるようになりました。

ただ、エクセルVBAに特化した書籍というのが、全くありませんでした。
そこに目をつけたのです。


今のお仕事に繋がっていったのですか?

ええ。ただ、どうしたらITライターになれるのかが分かりませんでした。

出版社の社長にVBAで作ったソフトを売っているという話をしたところ、
じゃあ、その書籍を出してみませんか? と声をかけられたのです。



■ 出版社に売り込むからと、30万円騙し取られてしまって


とんとん拍子に話が進んだのですね。

いや、そうではなかったのです。

詳しい経緯は「人生は数式で考えるとうまくいく」に書きましたが、そこは出版社では
あるけど、自分たちで本を出版したことがない、いわゆるエージェントだったのです。

「出版社に売り込んであげるから」と言われて30万円騙し取られました。
まあ、エージェントというよりも悪徳ブローカーですね(笑)

その後、「うちから出版しましょう」と、文芸系の出版社が言って下さったのです。

ただし、条件がありました。
5千部のうち、3千部は私が買い取ることでした。


お話を伺っていると、普通の出版社ではないようですが・・・

ええ。全て自分の無知・・・出版業界のこと、何も知りませんでした。

まっとうな出版社だったら、著者に「3千部買え」とは言いません。
きちんと情報を仕入れておけば、こういう風にはなりませんでしたが、結局
「それなら、3千部、自分で売るしかないな」と思い、動きました。



■ 3千部の販路を見つけようと


どうやって、3千部の販路を見つけようとしたのですか?

まずは、パソコンスクールや専門学校に売り込みに行きましたが、門前払いでした。

売れるわけがないですよね、まだ本が出来上がっていないんだから(笑)

しかし、先に販路を見つけずに、本を印刷してしまったら、多額の借金かかえることになります。
必死でした。

御社の宣伝のPRになるのだからと、あのマイクロソフト社にも泣きつきました。
その時、今につながるアドバイスを頂いたのです。


どういうアドバイスですか?

「周り道をするよりも、PC系の出版社に直接当たってみてはいかがですか?」

応対して下さった方が、VBAの解説本をまだ出版していないIT出版社を
数社教えてくださいました。

7社目でようやく出版にこぎつけるようになって、大村あつしというVBA新人ライターが
誕生しました。デビュー作は2万部売れました。

その後、私が書いた本は出せば2万部という状態が続き、ついにはPC系では最大手の
会社に声をかけられました。

で、冒頭でお話したとおり、自分では実感はありませんが、一躍、業界で有名になりました。



■ 歯車が狂えば、今の私はありません


お話を伺っていると、知らないということが強みにもなったようですね。

いい言葉でいうと、強みですね。知らなかったから、突っ走れたのはあります。

けれども、出版社に売り込むには、本来なら色々なことを知らなければいけません。

知った上で、セールスやマーケティングが成り立ちます。
マーケティングを知らない人間を相手にするほど、出版社は暇ではありません。

それでも私はうまくいきましたが・・運が良かっただけですね。
それを実力というのとは違います。

ちょっと歯車が狂えば、今の私はありません。


IT出版業界では押しも押されぬ存在になった大村さん。

一般書を書くようになったきっかけは何でしょう?

確かに、IT業界の枠の中でとどまれば、神さまのように踏んぞりかえれます。

ただ、IT書籍自体が斜陽分野なんですね。

インターネットの普及で、パソコンで分からないことがあれば、大抵ネットで調べられます
から。


そういえば、私も最近はインターネットで調べてますね。

そうした中で、自分は物書きの中で何が書ける? と自問するようになりました。

先ほど話に出てきた、IT出版社最大手から出したVBAの本は、いきなり20万部
売りたいと出版社が言ってきて、誕生した本です。

どうしたら売れるかを私は考えました。結果、文章を少なくして、分かりやすく図を
たくさん入れたのです。

結果、20万部どころか、60万部売れました。
それ自体は満足しましたが、自分は物書き志望なのに、文章がかけない。

これはすごくジレンマで、ここ5~6年は葛藤していました。

IT書籍も斜陽で、次のステップに進まなくてはと。そのとき、幸か不幸か、26才のときに
作った会社の代表取締役社長の座を失いました。
1年半後に株式公開というところまで成長させたところで、ある人間に裏切られました。
人間、お金が絡むと怖いですね(笑)

それがきっかけでうつ病になり、数ヶ月寝込みましたが、友人や家族の理解や支えが
あって、2年前に小説家を目指して上京したんです。



■ 取説ライターにどうして小説が書けるのですか?


出版社に小説を持ち込まれたのですか?

ええ。しかし、ここでもまた門前払いされました。

「取説ライターにどうして小説が書けるのですか? 読んでる暇はありません」

ITライターとして一番有名、累計100万部のベストセラーという実績と共に、
出版社に持ち込んだのに全然ダメでした。
A4一枚のあらすじさえ読んでもらえません。

そんなとき、ひょんなことから、サンマーク出版社の社長さんと知り合うことができました。

会社経営をしていたときに、サイト上にエッセイをUPしていたんですね。

そのエッセイを、サンマークの社長の友達に見せたのですが、エッセイを読みながら、
彼は僕の前で涙を流しました。そして、サンマークの社長を紹介してくれたのです。

「小説は出せないけど、あなたの経験を1冊の本にして」

その一言で、「人生は数式で考えるとうまくいく」が誕生しました。

人生は数式で考えるとうまくいく


そうだったのですか・・・。

もしとんとん拍子で小説でデビューできていたら、この本はまだ誕生してなかった
かもしれないのですね。

私の中では30代の一区切り。

読んでいただいたとおり、この本に図はありません。
やっぱり文章を書くのは楽しい。子供の頃からの夢でしたしね。 

私が書いたITのノウハウ本は、時が経ってソフトのバージョンが上がれば、
残念ですが使い物にはなりません。

いえ、ノウハウ本は、頭に叩き込まれた時点で使命を終える「消費財」ですから
使い捨ては宿命だとも思っています。
実際に、私も古くなった本はどんどん捨てていますし。

けれども、この本、「人生は数式で考えるとうまくいく」は、折にふれて、
落ち込んだりしたときに読んでいただきたいと願っています。

どこかにヒントが書いてあったな・・みたいな感じで。

そういう意味では、この本は「文化財」ですよね。
墓場にまで持って行っていただけるとは思っていませんが、何年経っても捨てずに、
再び読み返すことができます。

「成功の秘訣」は、時代が変わっても古くはなりませんから。



■ 今後のビジョン


今後のビジョンを教えてください。

やはり、小説を書きたいですね。   登場人物の言葉や行動を通して、読んだ人が何かを気づいてくれるもの。 そして、読んだ人が読む前より少しだけ幸せになる小説を。

ITライターから、小説家に変わっていく過程のつなぎとして、今回の本は書いた
つもりでした。

しかし、つなぎにはなりませんでした。


どういう意味ですか?

これが書けたし、ベストセラーにもなったので、次は小説だと思いました。

あらすじと原稿、そして5刷まで版を伸ばしているベストセラーのこの本の実績で、
営業ができると思ったのに全然相手にされません。

「こんな本を書いたからって、小説が書けることにはならない。」
「これは、自分の考えや体験をストレートに表したエッセイじゃないか。」

どうやって出版社にあらすじを読んでもらえるか、あちこち探している途中です。


「人生は数式で・・」みたいな自己啓発書は書かないのですか?

この本を書いたことによって、同じような自己啓発本の執筆依頼が 十数社きました。


では、続編みたいな形で出版されるのですか?

いいえ。

また経験を重ねたら、書くかもしれませんが、当面その予定はありません。

この本は自分の体験の中で書いています。
自分の経験という有限のなかで、何冊も書くのは到底無理です。

出版社にそうお伝えすると、「同じような内容でテイスト変えるだけでいい」と言われました。 

自己啓発本を量産することを否定しませんが、それは私の望む道ではありません。
同じ量産するのであれば、IT書籍を書きますよ。
それに、これからも、ITライターとしてもやっていきますし。

しかし、ベストセラーを目指すつもりは毛頭ありませんが、やっぱり小説も書きたい
ですね。

両輪でやっていきたいんです。 





■ 好きを仕事にしたいという人へのメッセージ


好きを仕事にしたいという人にメッセージをいただけますか。

よく独立相談に乗ることがあります。

私は初年度売上ゼロでも大丈夫なほど蓄えがなければ、独立するなと言っています。
独立3年で累積の損失が消えればいいというくらいの心持でやらないと、不安で
経営の舵取りなんてできません。

焦って誤った判断をしてしまうだけです。


やめて1年くらいの蓄えがなければ・・・というのはよく分かります。

私もその蓄えが出来てから、独立しましたから。

最初の1年は人脈づくりで終わりますよね。

何でもそうですが、物事動き出すまでの最初が辛いです。
雪だるまと一緒で、周り始めたら、ごろごろ動き出すんですけどね。

ま、今だからそう言えるのですが、私ももっと計画性を持って独立すべきでした(笑)

独立前に、大村くんにうちの会社のソフト任せてみようかというアテを持ってから、
独立しておけばよかったんです。

成功は実力だけでなく、運にも左右されます。
「運も実力のうち」と言う人もいますが、それは僕は違うと思っています。
「実力」に含まれないから「運」だと思うのですが(笑)



■ 幸運・不運も偶発的


運について、大村さんのお考えをお聞かせください。

幸運・不運も偶発的です。

僕の小説も周りも面白いと言ってくれていますが、編集者に気に入っていただけないと
出版できません。
さらに、作者の知名度といった営業的なファクターもあります。

「人生は・・・」には「あきらめなければ・・」ということを書きましたが、実際には
それだけでなく、偶発的なことが2割・3割含まれます。

好きを仕事にしたいという人は、今の生活レベルを保ちつつ、夢を追いかけるのが
現実的ですね。

確かに、手堅いですよね。
若い頃は「夢を持てないなんて、なんのために生まれてきたのか」

そう思ってましたけど、今は思いませんね。

自己啓発本はニートだったころ、自分も読んでました。

宗教を否定するわけではありませんが、どうしてもすがる気持ちになってしまいます。

その時思ったのは、成功談から学ぶことは少ないということです。
成功する前の不遇な時代、その人はどうだったのか? 逆に失敗から学べることは
多いと感じます。


人生が変わった本はありましたか?

「脳内革命」という本に出会い、この1冊で変わりました。

VBA書籍を出版しようと出版社を廻ってましたが、6社目であきらめようと思いました。
ひどい扱い受けました。

どんな扱いを受けたのかは、「人生は数式で考えるとうまくいく」をお読みください。
そのとき支えてくれたのは「脳内革命」でした。

ただ、私の本も「脳内革命」も、同じサンマーク出版というのは奇遇ですね。

これを「必然」とおっしゃる方もいますが、私は否定的です。
これこそ、人生には偶発も付き物、を地で行くような話ですよね。

あきらめられないのは、あきらめられない理由があるはずなんです。それが目標だ
と思います。
でも、夢は違いますね。



■ 夢は捨てても後悔しないもの 目標は捨てたら、後悔するもの


大村さんが言う”夢”とは何ですか?

夢は捨てても後悔しないもの 目標は捨てたら、後悔するものです。

例えば、子供の頃に、私は野球選手になりたかったんです。
しかし、大きくなるにつれ、それは無理だと分かり、諦めました。

成長するということは、好き・きらい、得意・不得意を知っていくことだと思っています。

ただ、何歳になっても、これは好きでたまらない。イヤな仕事をして1千万円もらうより
200万円でもいいからやりたいというモノ。
それを捨ててしまったら後悔すると思います。

東京にきて2年で、友達はたくさんできました。その中に、ヒルズ族・芸能人もいます。

私自身の成功の定義は、人生に満足することなのですが、世間一般でいう成功の
定義とは、富・名声などでしょう

東京には1千万人も人がいるのに、そんな人は1万人くらいしかいません。

昔は人気あったのに今は・・・というタレントさん、バブル期までは業績絶好調で、
今は友人のアパートに住み着いている元経営者もいます。

そういう人をたくさん見てきているので、世の中に流布している安易な成功法則には
疑問を感じます。


どういうところに疑問を感じますか?

ポシティブな言葉を言い続けるとうまくいくとか、潜在意識に強く 思えばかなうとか・・・

そう言いますが、そのとおりになるとは思えません。

例えば、フェラーリの写真を持ち歩いていたら、フェラーリが持てたというのは
10回コイントスして、すべてのコインの裏表を当てられた人が言うことです。

先ほど、「東京の1千万人の中で世間一般の定義の成功者は1万人しかいない」と
言いました。

1000分の1です。

10回コイントスして、すべての裏表を言い当てる確率も1000分の1です。

絶対数では1万人も成功者がいるので、そうした人の生き方を紹介して
「あなたも成功できる」とか、「1万人の成功者が実践していたテクニック」なんて
言うのは簡単です。

でも、相対数では1000分の1しかいない現実から目を背けてそれを鵜呑みに
してすがるのは、私は心の弱さだと思っています。

私はブレイクする前から、井川遥さんの大ファンで、部屋にポスターを貼りまくって
ますが、東京にいる今も逢えてません(笑)

どなたか、成功法則に当てはめて、私が井川さんに逢えない理由を、私が
納得のいくように説明してくだされば、私も考えが変わるかもしれませんが(笑)


大村さんにとって、小説家になることは夢でしょうか? 

目標でしょうか?

夢と目標の中間くらいですね。

小説家にならなければ死ぬというほどでもない。
ただ、小説家になる自信を捨てることもできません。

自分が自分で自信を持たないことには、売り込みもできません。
今なら、今日明日の食事には困らない程度のお金もありますし、体力もあります。

ただ、小説も映画も音楽も、凄い才能を持っているのに成功できていない人を
東京で何人も見ました。

仲の良い女優さんがいますが、どうしても端役しかもらえずに、アルバイトをしています。
ルックスも演技も申し分ないのに・・・。

彼女は、あと4年、30才まで頑張ってダメだったら諦めると言っていますが、
その気持ちは非常によくわかります。
そういう意味では、小説家は半分目標、半分夢ということになると思います。

ただし、「自意識過剰になること」。
これは大事な点だと思いますし、そうでありたいと心掛けています。

この仕事なら、自分の方がうまくできるし、自分の方が儲けられる。
もしそういう気持ちになれたら、それはチャレンジする最高のタイミングだと思います。

実際、ITライターとして売り込んでいるときも、市販の解説書を読んでいて、常に
「これなら、自分のほうがいい本が書けるのに」とほぞを噛んでいました。

でも、その気持ちがあったからこそ諦めることなくチャレンジできましたし、
結果としてITライターになれました。


「それは自意識過剰なのでは・・」と自分を抑えることなく、ですね。

そうそう。自意識過剰は、人から言われて注意するくらいでいい。

自分で自分を愛さなくて、誰が自分を愛するのでしょうか?

私は、経営権を失って、大学時代の夢だった作家が頭をよぎったとき
2冊の芥川賞作品を読みました。そのときに思ったんです。

「これで最高峰の賞が取れちゃうんだ・・・。うーん、自分にも書けないことはないぞ」(笑)
もっとも、自分が芥川賞や直木賞作家になれるとはまったく思っていませんが、
作家の夢を全否定するほど、自分に才能がないわけではない。

そう思ったのが上京したきっかけです。

自分の中で思っているだけなら、いくら自意識過剰でもいいのではないでしょうか。

インタビューこぼれネタ

 ベストセラー
 「人生は数式で考えたらうまくいく」

 この本を読んで感銘したアミーゴが
 面識のない大村さんに、インタビューを
 申し込んだことから、実現しました

 昨年、ロイヤルウェディングで話題になった、
 帝国ホテルにての取材。
 
 とても丁寧に、ご自身の言葉をかみ締めつつ
 インタビューに答えて下さる大村さんの姿に
 感銘受けました。
 
 こうやって、著書ご本人からお話を伺うと
 著書の内容が、よりリアルに鮮明に迫って
 くるのを感じます。

 あぁ、これだからインタビューは辞められない!  

 






「私たちがインタビューしました!」

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ライフワークインタビュー (2006/06/11 ~ 06/25掲載)
吉島 智美さんのプロフィール 

  大学で住宅設計及びインテリアを学び、卒業後は大手ハウスメーカー設計室に勤務。
  2000年「ワイズスタジオ建築設計事務所」を設立、住宅の設計やリフォームを手がける。
  様々な収納を提案したものの、住み手によっては、上手く使いこなせていないという
  実態を知り、現在は収納アドバイザーとして、収納の活用法、モノとの関わり方について、
  アドバイスを行っている。


ライフワーク インタビュー

■ 物があふれて困るという方のために・・・


現在のお仕事は何ですか?

現在は、主人と一緒に設計事務所を経営しています。

住宅設計のほかに、収納アドバイザーをやっています。


収納アドバイザーとは、どんなお仕事ですか?

せっかく新しい家を建てても、物があふれて困るという相談を受けるよう になりました。

どう収めたらいいかわからないという人に対してアドバイスしています。

収納の仕方はもちろん、
 なぜ、物があふれるのか?
 あふれた物は、その方に本当に必要なのものなのか?

それを本人に問いかけた上で、物をすっきりさせたり、必要なものだけ
残すようにアドバイスしています。


会社員だったころのお仕事を教えてください。

大手ハウスメーカーで、住宅設計の仕事をしてました。


そこには何年、勤務なさってたのですか?

6年です。

営業が契約をとってきたものを、施主の要望や会社の意向を踏まえて、設計してました。
学生時代に、私があこがれていた設計とは違いましたね。


学生の頃から、住宅設計をやりたかったのですか?

ええ。家政科の住居科を卒業しました。

授業で住宅の図面を書いたりしてたんです。
私は住宅設計とインテリアの仕事をやりたかったので、ハウスメーカーに就職したのですが・・・



■ 会社員時代は、施主の言うとおりにしていました


先ほど、実際に勤めてみてのギャップがあるとおっしゃってましたね。

ええ。

学生時代授業では、自分の好きなように、自由にデザインしてやってました。

ハウスメーカーでは、施主の意見が中心です。
私が、デザイン的にコレはちょっと・・・と思っても、施主がいいと言えばその通りにします。

あと、学生時代は、法律とかあまり知りませんでした。
実際は、色々な法律に阻まれて、建てられる住宅は限られてるということが分かったのです。


そういう意味で、会社にいて学んだことはどんなことですか?

今に活きていることは、法律やコストという壁のなかで、どう納めていくか?

自由にデザインした家を設計したいけれど、現実社会でお金をもらうということを考えると、
そういう訳にはいきませんね。

社会人になって、初めて学んだことです。

実際の現場では、工事監督、職人、チーム一体となって、家を作っていくんですね。
それはすごく楽しかったので、会社にいるよりも、現場に出る事の方が好きでした。



■ 不景気になって、雑用的な仕事も増えてくるようになってきて


会社を辞めた理由はなんでしょうか?

私が会社に入った当初は、まだそんなに不景気じゃなかったのです。

会社も数年前から、女性社員を設計として、起用しようという動きもあり、自由にやらせてもらって
いました。

だんだん、時代とともに不景気になっていくと、雑用的なことも女性社員に回ってきました。

設計以外のこと、自分がやりたくないことも、どんどん流れてくるようになったので辞めました。


辞めるとき、躊躇はなかったですか?

給料がよかったので、もったいないとは思いました。

あと、大手企業だったので、周りの人や親からはもったいないと言われましたね。

けれども、やってる内容が自分がやりたいとか、楽しいことではなかったので、私自身の躊躇は
あまりなかったですね。


大手とか給料といった外側の部分よりも、自分がやりたいことを大切に
されたんですね。

やりたい!というと、私の中でカッコつけてる部分がありますね。

もっと本音で言えば楽しいか、楽しくないか、それが私の選ぶ基準です。



■ 独立後は、夫婦で設計事務所を設立しました


その後は、どういう風に?

辞めたときは、すでに結婚してました。

そのとき、主人は設計事務所に勤めてましたが、いつかは二人で独立して、そう結婚前から
言ってました。
私が辞めたのを機に、設計事務所設立の準備をやろうということになったのです。


それは、住宅設計の事務所ですか?

独立後は住宅が中心ですが、それ以外にも店舗だったりアパートも手がけてます。

あとは、他の設計事務所と組んで、マンションとか大きい仕事の一部を受け持ってました。

枠は作らずにやってたのですが、一番、やっていて楽しいのは住宅ですね。
アパートやマンションなど、人が生活する場を手がけるのは楽しいです。


人が住んでいるところの、どこが楽しいですか?

100人いたら、100人とも意見が違うところです。

こちらでタイプを用意してても、タイプに当てはまらないところが楽しいです。

生活したいところや望んでいることが違う。
それを聞いていると、何年もこの仕事している私たちでも、毎回気づきがあります。

へぇー。こういうところに生活のポイントを置いてるのかとか、楽しみ方を求めているのかーとか。
マンネリ化が全くないですね。



■ お客さんありきで、ハイハイと聞かなくて良かったと思う


設計をしていて、嬉しかったことはありますか?

私たちの方と、施主と同じ目標を持っていきます。

が、窓を一つとっても、縦に長く、横に長くとか、色々決めることがあるんですね。

施主はデザイン優先で、要望を言ってきたりしますが、私たちの方が経験上、ここにはこういう
大きさで、こういう防犯を施したりとか、アドバイスすることもあります。

最初はどうしても意見が食い違ったり、ぶつかったりしますが、最終的に、私たちの意見を取り
入れてもらって、その方が良かったと言ってもらえたときは嬉しいですね

お客さんありきで、はいはい聞かなくてよかったと思う瞬間です。

どうしても、お金を払っている方が偉いということになって、お客さんがそんなに言うんだったら
いいですよ、とハイハイしてしまうことは、私たちにもあります。

しかし、どうしても譲れない部分、あとあとの使い勝手を考えると、私たち設計士が曲げずに、
ケンカも恐れず押し通すこともあります。


ここはゆずっていいということと、ゆずっちゃいけない、ゆずれないと
いうところがあるんですね。

そこに住んだ後に、快適に住める。あまり煩わしいことがないように。

これは後に収納アドバイザーの仕事にもつながっていきますが、片付けが面倒にならない収納
や、戸締りが面倒にならない防犯や、あとあと、ひと手間が省けるのは、設計の段階でやって
おきたいと常々考えてます。



■ 収納のコツは、みんな知っているものだと思い込んでたのですが。


某有名作家も依頼したという(笑)収納アドバイザーという話が出た
ところで、その仕事を始めたきっかけを教えてください。

もともとは住宅設計の仕事をしてきました。

その中で、収めやすい収納の仕方をその場でアドバイスしてきたんですね。

私は当たり前のこといってたのに、みんなはとっても感動して聞いてくれている。
自分にとっては当たり前に思いすぎてたけど、意外にちょっとしたものの収め方とか工夫とか
知らない人が多いんだな。

私もやっていて楽しいし、そのアイデアを考えるのも楽しいから、それに特化した仕事に結び
つけたら、私の仕事はますます楽しいんじゃないかなと。それが始まりです。


昔から収納が好きだったんですか?

大好きでした。

実家は自営業だったので、母が忙しい上に、収納が苦手。
忙しい母に代わって、整理したりすると母にとっても喜ばれたんです。
子供なので単純。舞い上がりながらやってました。

「お母さん、とーっても助かるぅ!」、そう言う母も、人を動かすのが上手でしたね


いくつくらいの頃でしたか?

物心をついた頃・・幼稚園のときからです。お道具箱ってありますよね。

そのスペースに、クレヨン、のり、えんぴつをキレイに収めたり。
「お母さんできた、みて!」と、母に自慢げに見せてました。

遊びでしたね。そう、パズルみたいなもの。


以前、吉島さんがおっしゃってましたね。収納はパズルみたいなものだ
って。

ええ。パズルというのは例えで、まぁ、遊びですね。



■ 人生の無駄をそぎ落とす楽しさにもつながります


収納の楽しさはなんでしょうか?

私にとって、収納の楽しさには2つあります。

一つはもちろん、ものが取り出しやすく、すっきり収まる。
もう一つは、収納のすきな私でも、何ヶ月もほうったらかしたり、仕事が忙しかったりすると、
色々なものがたまってきて、山になります。
そのなかから、いらないものを探す楽しさがあって。

これはいらない、不要という、そぎ落とす楽しさ。
自分の手紙やお知らせのメモだったりするのですが、捨てたときに重荷も減った感覚があるん
です。
これは、人生の無駄をそぎ落とす楽しさにもつながりますね。


今、収納アドバイス単体で仕事を請けることもあると聞きましたが、
どういう形で広まったのですか?

収納は主に、口コミです。

あるお宅にいって収納をやったとします。

そのお宅の人が喜んでくれて、友達が遊びにきたときに、いつもは見せないのに、
「うちのキッチン見て。こんなにきれいになったのよ!」と見せびらかしたりするんですよ。

それを見た友達が、「うちもやってもらいたい!」ということになって。
そこで広がりました。

今のところ、私一人でやっているので、ちょうど口コミで広がるほうが、私にとっても負担が少ない
です。
何人かの方に一度、スタッフとしてやってもらおうと思ったこともありますが、私も感覚でやってる
部分が多いので、うまく人に説明できないんです。

それにシステム化することに重点おいてしまうと、自分が楽しんでやってるのが半減しちゃいます。

なので、あまり大きく宣伝はやってませんね。


お客さんがどういうところに感動して、口コミしたくなるのでしょうね?

そうですね・・・

やはり、このスペースにはこれだけしか収まらないと思ってたのに、もっと色々なものが収納
できた。
棚が取り出しやすくなったというところで、感動してくれた人が多いです。



■ ごちゃごちゃとしている家をみると、燃えます(笑)


本当に好きで、感動して、口コミせずにいられないのは、お客さんが
よほど嬉しいんだなと伝わります。

お客さん以上に楽しんでるのは私なんです。

自分の周りって、日常はもう整理つくされて、もう出来ないんです(笑)
だから、やらせてくれる場を提供してくれてありがとう。

だからいまだに、ビジネスやってる意識よりは、新しいクイズを出してくれたという感覚の方が
強いですね。


飽きないですよね。

色々なところにいって、色々とごちゃごちゃしているのを見ると、燃えます(笑)

さぁ、どうやってやろう。。。って。

お客様のところにいると、必ずお客さんから、「そろそろ終わりにしませんか?」と言われます。
夢中になってるので、「もう少しやらせて」とこちらが言うくらいです。
ある意味、時間管理は下手かもしれない。



■ 好きなこと、収納がお金になるなんて


それくらい好きなんだなーと伝わってきます。はじめからお金をもらって
た訳ではないのですか?

ええ、そうです。もらってなかったです。


それがお金をもらうようになったきっかけは?

好きなこと・・・もちろん収納なんですが、こんなの、お金にならないと 思ってました。

周りの設計事務所の人からも、それだけではお金とれないと言われました。
リフォームとかそういうのではないと。

そんなとき、本田健さんの「幸せな小金持ちへの8つのステップ」という本に書いてある、好きな
ことを仕事にするというセンテンスを読んだのです。

もともと、ダメ元でいいからやってみようと思ってました。

やってみると、意外に喜んでくださる人がいたんですね。


どういう一歩を踏み出されたのですか?

とりあえず、周りの人に言いました。

「収納アドバイスをする」と宣言すると、何人かの友達が「ためしに」と言ってくれたんです。

遊び場を提供してもらい、やってもらった友達は
「これいけるよ。仕事になると思うよ」と言ってくれたんです。
褒められると調子に乗る私は、じゃあやってみようとはずみがつきました。


収納アドバイスをすると宣言したときから、お金はいただいたのですか?

最初は実費プラスアルファくらいでした。

後から思えば、セルフイメージが低かったのでしょうね・・・。
それから、徐々に上げていきました。



■ 安い報酬が、お客さんのためになるとは限らない


徐々に上げていったというのが、自然な感じですね。

そうですね。

最初は安いというか、実費プラスアルファくらいでやっていくと、仕事はたくさんありました。
ただ、自分ひとりなので、追いつかなくなるんですね。。
安い単価でやると、「ちらかったら、また頼めばいいや」ということになるんで、ある意味、
お掃除屋の延長になってしまう。

本来、私が求めているところと違うところに、感動が出てきました。

このスペースにこれだけ入るんだったら、今度、押入れもやってもらえたら、まだまだ入る。
まだまだ物が買えるって。

前回お伝えしたとおり、収納したことで、そぎ落とすものもあります。
求めるところは、シンプルでセンスよくなんです。
なのに、シンプルじゃない方向に持っていかれる。

「まだまだ入るから、もっと」という感じが、一部のお客さんから出たときに思いましたね。

闇雲にやっていたのでは、私の思いは伝わらない。
だから、少しずつ単価を上げて、ふるいにかけ始めました。


今は、そういうお客さんは来なくなったのですか?

ええ。

最初は「とにかくやらせてもらえるなら」というのがあったので、そんなに自分の思いを伝えて
ませんでした。

最近は、実際の現場で動く前に、カウンセリングを必ず行います。
どういう風にしたいのか、カウンセリングでじっくりとお伺いするので、お客さんと私のやりたい
ことがマッチングすることが増えてきましたね。

私の思いが伝わった方は、物が無くなったときの空間的なゆとりを楽しまれたり、わずらわしい
整理整頓とかお掃除から解放されます。

もちろん、私も前もってカウンセリングの段階で、そういう風に気づいてもらえるように話して
ますが。
これを味わってもらうと、闇雲にものを購入することはなくなります。



■ 会社員時代とは違い、人と比べることはなくなってきました。


会社員時代に比べて、変わったことは何ですか?

物にも考え方にも、何事にもとらわれなくなってきたというか、枠が 無く なりました。

会社時代はどうしても競争社会の中にいますので、他人と比べたりとか、他人の目を気にする
こと多かったです。

自営業になって、色々なことをシンプルにしていくことを仕事に選んだのですが、そこから学ん
だのは、他人じゃなくて、まずは自分。
自分の中で揺るがない部分があれば、他人と比較することはないということが変わってきました。

どうしても20代は、おしゃれや遊びにいくことも多かったです。
精神的な意味でも大人になったかもしれません。


精神的なとらわれに対しても、枠が無くなったのでしょうか?

20代、会社員時代のころ、その当時は分かりませんでしたが・・・

今思うと、常に他人との比較が中心でした。他人から格好良く思われたい、うらやましく思われ
たい、そんな気持ちをどこかで感じてました。

昔から物をたくさん持ってた訳ではないですが、他人と比べて良いもの持とう。
というのはありました。

今は、ものを少なく持つ、そのために厳選したときに、自分が心地よいものを中心に持つように
なりました。



■ 収納とは”その人の人生を写す鏡。”


目に見えることも見えないことも、全部つながってると言いますね。

収納を通して、それを学びました。

物が多い方だったり、自分の物というのにこだわりすぎる方は、物だけじゃなく、プライドとか
名声にとっても捉われている方が多いんです。

あと、昔の物を捨てられないというのは、昔の名声・・学校時代にこだわっていたりとか。

そういうのは、ものの整理をして、多くの人に出会ったときに何気なく学びました。

ものはその人の精神の表れだと、つくづく実感したのです。

 見栄とか他人が持っているから欲しいのか、
 それとも本当に自分が欲しいから持っているのか

自分に何かを買おうとしたときに、無意識のうちに確かめるようになりましたね。


吉島さんにとって収納とは、何でしょう?

”その人の人生を写す鏡。”

その人が日常で暮らしてるときに、ものを大切に使うひとは、親を大切にしてますし、友達も
大切にしています。

100円ショップとか、安いものだけをとりあえず、とりあえずで物を買って、とりあえず収納を
収めている。
人生もとりあえずとりあえずで流されている人、とっても多いんですね。

先に言った、昔を捨てられない、昔にこだわるのも同じですね。
自分の思いが、目に見えやすい「物」に写っていることがとても多いです。

全てのものを捨てろというわけではないんですよ、もちろんね。
自分の納得いくものに囲まれて、自分の納得いく収納して、納得いく人生に進んでって
もらいたい。

自分の身の回りのものも大切にできなくて、自分の人生を本当に大切にできるんですか?
こう問いかけたいです。

自分の家がごちゃごちゃしていて、落ち着かない。
そういって外に出て行く方は、自分の人生もどこかで軽く扱っていて、どこか他に楽しむところ
がないかと逃げている方がとても多い気がします。

物や収納にたいする態度は、人生のあり方、生き方につながってます。





■ 好きを仕事にしたい人へのメッセージ


好きを仕事にしたい人へのメッセージをお願いします。

自分の「楽しい」という思いに対しては、もうとことん貪欲になっていいと思います

それを忘れて、お金や名声ばかり追いかけると、「楽しい」という気持ちは半減して、それが
お客さんに伝わります。

楽しいという気持ちには、常に正直にいてほしい。
それは決して、わがままではありません。
責任を持った上での、貪欲さを追求してほしいです。



■ これからのビジョン-シンプルな生き方を多くの人に


これからのビジョンを教えてください。

物がなかった時代は、物をたくさん所有するのは価値がありました。

これからの時代は、自分が物を所有することにこだわらずに、物をそぎ落として、身軽に
なって、目に見えない部分での、人とのつながり、健康、体を動かす喜び、そういうところの
バランスをよくしていただきたい。

それに気づくきっかけとして、シンプルでものを少なく、そして自分の持っているものには
こだわる。

それはとっても楽しくて、気楽な生き方なので、その感覚を味わっていない方にお伝え
していきたいし、そういう人を増やしたいですね。

人生の重荷をはずしたときの楽しさを、私だけじゃなく、他の人にも味わってもらいたいんです。

今の日本は、ローン社会だったりして、今日のためにではなく、明日あさって、老後のために、
お金を使ってますよね。
例えば、家を購入してしまったがために。

そうすると、イヤな仕事、イヤな会社でも続けなきゃいけなくなったりして。
見栄やものを捨てると、無駄な仕事をしなくていいんじゃないですか。

大きな家にこだわらなければ、今の家を快適に使えばいいと思いますよ。

人生はマラソンだとよく言われますが、あんまり所有してしまうと、重すぎて動けないでしょう。
それよりは、必要なときに必要なものを借りたらいいんじゃないですか?
カーシェアリングも少しずつ増えてきてますし。

赤の他人と住むのがイヤだったら、好きな人たちと一緒に住んで、そのコミュニティの中で
色々なものをシェアしていく。
快適な人たちの中で生活できたらいいなー。これが私の将来の夢ですね。


以前、吉島さんは「家は自分たちだけの家じゃない」とおっしゃってましたね。

北欧は環境問題に力を入れてます。

北欧では、自分は所有しなくて、例えば地域の役所やコミュニティが日曜大工とか園芸道具
など、色々なものを貸し出してくれます。

もちろん、物価が高いというものあるんですが、やはりシェアがとても上手なんですね。

日本人はもっとそういうところに目を向けて、そこで浮いたお金や時間を、楽しみだったり、
ボランディアとかね、違うところにまわせばいいと思うんですが。


自分だけのものじゃなければ、大切にできるところもありますね。

自分が「こんなスゴイもの持ってる」という、

持ってるもの=自分の価値みたいに勘違いしてる人も多いですね。

いかに他の人の持っていないものを持とうとか、それで自分の存在価値を感じてる人も
いますね。

そこにこだわってるのは、時間やお金、精神的なものを浪費してますよ。
競争してるわけだから、ストレスになります。

本人は気づいてないでしょうが。

 物はどんどん新しくなって、どんどん珍しい物が出てくる。
 そして、企業も売りたいから、作る。
 文明はそれでできているから、それが悪いわけではない。
 しかし、それに踊らされすぎてる。

せめて私が携わった人には、そういう重荷から軽くしてあげたい、そう願ってます。

インタビューこぼれネタ

 吉島さんのご自宅にて、インタビューをさせていただき
 ました。

 「自宅はもうやりつくした」と、ご本人がおっしゃてましたが
 その言葉どおり、シンプルに美しく機能的なご自宅でした。

 インテリア雑誌そのまんまの家って本当になるんだなーと
 だたひたすら、自宅をキョロキョロしてました。

 これだけ美しいのだから、さぞ掃除も好きなのかと思った
 のですが・・・

 「私は掃除がスキではない。収納をきちんとしておけば
  掃除の手間がかからないのよ」
 
 同じく、掃除ズキではない私にとって救いの言葉でした。





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Vol.14 水島 智裕さん 幸せ研究家(副業で豊かな現役サラリーマン)
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Vol.12 和仁 達也さん  (株)ワニマネジメントコンサルティング 代表
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ライフワークインタビュー (2006/04/09 ~ 04/23掲載)
犬飼ターボさんのプロフィール 

24歳でコネもお金もノウハウもない状態から、愛犬と競争心だけを心の支えに
無理やり起業。2年間全く上手く行かずに、生活もままならない状態に。

そんなある日、成功者に出会い、
「成功したければ、他の人の成功に貢献しなさい」と教わり、素直に実行してみる。
すると次第にビジネスが上向き、28歳で貧乏からの脱出に成功。

結婚を機会に、今まで自分でやっていたビジネスを他人に任せ、2005からは年
愛妻と愛犬と共に、本の執筆や成功プログラムの作成をしてすごす平和な日々を送っている。
 公式サイトではハピサクコラムを無料公開中 


ライフワーク インタビュー


■ 一言で言えば、「犬飼ターボ」というビジネスをやってます
 

現在のお仕事をお聞かせください

一言で言えば、「犬飼ターボ」というビジネスですね(笑)

本を書くこととセミナー、そして自宅で学べるプログラムを作っています。
それらの目的は、幸せに成功する自分になってもらうお手伝いをすることです。

著書で僕の考え方を知ってもらい、もっと学びたい人にはセミナーに来てもらう。
セミナーに来れない人、もっと深く学びたい人のために、CDプログラムを用意しています。


僕も「星の商人」を読んで、ターボさんのセミナーに参加しました。

星の商人 -「成功の秘法」を手に入れるためのレッスン-


そうですね。ありがとうございます。

アッキーさんは目立っていました。そしてたしか寝ていましたね(笑)


とんでもない!寝ている振りですよ!!(汗)

話は変わりますが、会社員時代の仕事を教えていただけますか?

ずっと、セールスの仕事をやってました。

もともと、学校を卒業して、すぐに起業したんですよ。
就職活動も一切せずに、勢いだけのチャレンジ起業です。

中古車のブローカーを始めたんですけれども、1年半やってて全くうまくいきませんでした。最後の方は、生活もできなくなりました。



■ 一番怪しい会社にチャレンジにしてやろう


そうだったんですか・・・うまくいかなかった原因に心当たりは?

それはコミュニケーションですね。

一番の弱点だと気づきました。そのとき25歳でした。

僕の中では一応スケジュールがありまして、30歳までは徹底的に経営者をやってみようと。30歳まであと5年間ある。
だから残りのこの5年間は徹底的にやってやろうって腹をくくりました。

そして、世の中で一番やりたくない仕事であるセールスを選んだのです。

ただ、ちゃんとした会社に入っても面白くないので。一番怪しい会社にチャレンジしてやろうと思いました。
新聞の求人で「週給50万円も可能」という・・・みるからに怪しいので決めました。(笑)


それは怪しい(笑)

あんなのに面説に行く人っているんですね。

僕ですね(笑) 面接にいったら、簡単に採用となりました。

そういう会社って、常に人を募集しているんですよね。すぐ辞めていくから(笑)

こうして僕は家の壁を塗るペンキの営業マンになりました。
ペンキマンです。


筋肉マンの超人みたいですね。それは、完全歩合制ですか?



■ サラリーマンってすごい!


いえガソリンや手当なんかも含めてですが、固定で14万円もらえました。

あとは、売り上げに応じての歩合です。
そのとき、思いました。サラリーマンってすごいなーと。

確かに給料14万円というと、普通にはひどく安いと感じるかもしれませんが。
中古車ブローカーをやってたときは、1日中働いても収入になりませんでした。

それが、とにかく1ヶ月間会社にいるだけで14万円もらえるんですよ!(笑)。
感動しましたね。


もともと、人とのコミュニケーションを、ということで選んだ仕事ですよね。
コミュニケーション能力は、高まったのでしょうか?

それまで、僕は初対面の人と会うのが苦手でした。

飛び込みセールスだったので、知らない人の家にズカズカ入るんですね。
最初はチャイムを鳴らすだけでもイヤでした。
「あぁ、留守でありますように」って(笑)

でも、そんな風に思ってたのも、最初の1週間だけ。
1週間たてば、何でもなくなって、むしろ僕は話すのが得意だと気がつきました。
思ってもいなかったところで、得意分野が見つかったという感じです。


その会社に入って、他に変わったことはありますか?

セールス会社にもそれぞれのやり方があります。

その会社は何にも教えてくれませんでした。
「どうやったら、儲かりますか?」と社長にきいてみたんですが、答えはこうでした。

「とにかくたくさん、ピンポン鳴らせばイイんだ」

確かにそうなんですけど、ずっと一人旅を続けるのも効率が悪いですからね。
他の会社にはもっとノウハウがあるに違いないと感じていました。
蓄積されたノウハウを知りたくてその会社を退社しました。

今度は、何社か回ってセールスマンを育てるシステムがあるところを選びました。
部下にやり方を教えて、売り上げを伸ばしているところ。

セールスは、気分に影響される仕事です。
上司は部下をポシティブな気持ちにさせて、結果を出させることが大切です。
僕はそこでプレゼンテーションの方法や部下に対するマネジメントを学びました。

そこで重要なことに気がつきました。

セールスが難しい点は、目の前にお客さんに座ってもらうことなんです。
お客さんに説明できれば、契約してもらうのはそれほど難しくありません。
プレゼンテーションがしっかりできれば一定の確率で買ってくれるものなんです。

その前の段階、見込み客を探すために8~9割の時間を割くんですね。



■ 僕がセールスからマーケティングに移った歴史的瞬間


私も前職は営業でしたので、それは分かります。

へえ、アッキーさんってあまり営業っぽくありませんね。

失敬。

見込み客探しは一番の悩みってやつです。
で、僕はどうやったらもっと効率よく見込み客が見つけられるかなと考えたんです。
そのころちょうど普及し始めたインターネットに目をつけました。

それまでは情報を発信するためには莫大なお金がかかりましたよね。
僕もチラシを配ろうとか、新聞に広告を出そうとかしましたが、すごくお金がかかるんです。何十万も出せません。
でも、インターネットはほとんどお金がかからない。
大企業も個人も基本的にはホームページは同じ費用です。これってすごいことでした。

そこで、僕は社長に直談判しました。
「インターネットって分からないけど、やってみたら」と、意外に簡単にOKが取れました。

僕はさっそくその会社のホームページをつくりました。
これが、僕がセールスからマーケティングに移った歴史の教科書に残るかもしれない瞬間でした。

始めは会社が出しているパンフレットそのままのサイト。
当たり前ですが、そんなサイトですからアクセス数もないし、何の反応もない。

僕はどうやったらお客さんが来てくれるのかなぁと、試行錯誤を繰り返しました。


それはいつ頃の話ですか?

今から7年くらい前ですね。

その当時、誰もインターネットで物が売れるんなて信じていませんでした。

専門家もよく、雑誌などのインタビューでいまのところ広告しか使える道はないと、結論付けていました。

僕がやってみたことは、パンフレットではなくて、セールスの仕組みを作ることでした。

とにかくお客さんの興味を引いて、資料請求してもらうことを目的にしました。
「買ってもらう」よりもハードルを下げたわけですね。
徐々に資料請求をもらうようになりました。

そして、僕はパンフレットを送る代わりに電話をかけました(笑)

パンフレットを送っても、そのままで終わってしまうことが多かったんで、できるだけ効率よく売り上げに結びつけるために、電話しちゃうんです。掟破りですけどね。

パンフレットでは人は動かせませんが、話をすれば動かせます。
なんたって、それまではまったく興味がないような人にアプローチしていましたから、
資料請求をくれた人に電話をしてアポイントメントをとるなんて簡単です。
相手は興味があるわけですからね。

気がついたら、毎日お客さんと会う約束で手帳がいっぱいです。
行列が出来ているような状態ですね。当然収入もバンと増えました。

その会社は完全歩合制だったんですが、売れなくて辞めていく人が本当に多いんですね。
それで、自分がさばききれないお客さんを、彼らに渡すことにしたんです。

会社の最高売上を記録し、社長も大喜びでした。
それまでは、社長にいじめられたりしてたけど(笑)、手のひらを返すとはこのことかと。



■ お前は稼ぎすぎだ!と怒られました


社内で、一目置かれたのではないでしょうか?

ええ。

ただ、一人の社員が売上を上げすぎて会社の命運を握ってしまうと、社長が危機感を持つんですね。

僕もヤンチャでしたし、自分が売り上げを立ててると尊大に思ってたんで、社長に
「そりゃダメですよ」とか「こうすべきだ」なんて言いたいことを言っていました。
 
あるとき社長に呼ばれ、なんと「お前は稼ぎすぎだ」と怒られました(笑)
一人で稼ぐから、みんながやる気をなくしてしまったと責められるんです。

びっくりしました。
でも、組織っていうのはきっとこんなものなんだろうと、理解できるところもありました。

僕にとっては、セールスで学ぶ時代は終わったんですね。
そして、再独立を決意しました。27歳のときです。


何の会社を立ち上げたのですか?

マーケティングの会社を作りました。とんとん拍子でしたよ。

当時はホームページも作れて、セールスもできるという人間がいなかったので、クライアントを見つけるのは簡単でした。

とにかく電話で社長に会う約束を取り付けます。
でホームページを作りませんかってセールスをします。
面白いように契約がとれて、睡眠時間を削ってホームページを作りました。

一人で全部やっていたんで、大変でしたが収入もどんどん増えました。



■ 僕がその当時、興味があったのはマーケティングだけ


そのいくつかの会社とは今も契約してますか?

今はしてません。終わりました。


その理由、もし良ければ教えてもらえますか?

だんだん問題が起きてきましてね・・・。

僕がインターネットで集客して、契約した会社がさばくという仕組みだったのですが、
ほとんどの場合、あきらかに効率が悪いんです。

僕も色々と提案しましたが、元のやり方を変えられないという事情もありました。

社員さんの気持ちもありますからね。
今まで何年間もやってきたやり方があるんだ。
インターネットなんて、訳の分からないものに負けてたまるかという・・。

はがゆい思いが常にありました。

そこで、インターネットマーケティングをベースにして、それにあったサービスを提供する
会社を作ったら、すごくいいかもと思ったんです。


インターネットで集客することを前提にした会社を別に立ち上げたのですか?

はい。

でも、僕が経営するのではなく起業家を探してその人たちに、経営をやってもらったのです。

殆どうまくいかなかったけど、いくつかは成功しました。
売上もどんどん上がっていきました。そういうビジネスを2、3個つくりました。

僕が興味あったのはマーケティングだけだったので、経営は完全に起業家にまかせました。それがよかったんですね。



■ 収入が増えても、幸せにならないのは なぜ?


収入もうなぎのぼりだったのではないですか?

はい。うなぎは好きです。じゅるるる(笑)

しかしですね、いくら収入が増えても幸せにはならないんです。

実は、僕は起業して2年目くらいにある成功者の方から成功の秘訣ってやつを伝授してもらっていまして、まあそれはこのメール小説で公開しているんですが、これを使ってどんどん収入が増えたわけです。

今から思えば、僕の心の深い部分での最大の関心は「人から尊敬されること」でした。

で、その尺度として僕が考えていたのが収入の多さだったんです。
収入が多ければ尊敬されるだろうと、そして幸せになれるだろうと。

そういえば、その頃の自分のホームページには、収入を堂々と書いてました。
それをみせれば、多くの人から「この人はすごい!」と思ってもらえると思っていたんです。

そんな時代があったんです。ターボ君かわいいですね。ははは。

ところが、どんどん収入は増えていくのに、満たされた気持ちにならない。
僕は車が好きなので、高いイタリアのスポーツカーも買いました。
車の半分がエンジンみたいな、よく考えれば無駄な車です。

手に入れたらどんな素晴らしい人生になるかと期待していたんですが、
興奮は一瞬で、僕の心は何も変わらなかったのです。
ただ管理の必要なモノが増えただけ。
駐車場もセキュリティのしっかりした地下駐車場に保管しなくちゃいけない。
一時期は月に8万円も駐車場のために払っていました。

ずっと恋人もできませんでした。



■ そりゃ 尊敬されるためですから


虚しさが伝わってきますね。

恋人がいなかったってところですか?
まあ、それも虚しそうですけど、何も変わらなかったというところですよ。

それでどうしたんですか?

それでですね。

僕は、もっとすごいものを手に入れてやろうと思ったんです。懲りずに(笑)
まだ、間違った方向に進んでいることに気がついていなかったんですね。

僕はこう考えました。

世の中にはお金を持ってる人はたくさんいる。
けれども、時間まで持ってる人は殆どいないじゃないかと。

お金と時間の両方を持てたらこれはすごいぞ!と思いました。

そして、僕は今まで自分でやってた仕事のほとんどを人に任せるようになりました。


すごい大胆ですね。

そりゃ、尊敬されるためですから(笑)

実際、2年もすると殆ど何もしないでも、収入が入るようになりました。
鼻高々でしたよ。両方を持っている人はそうはいませんからね。

けれども、何も気持ちの変化がないんです。

自分の中に乾いた部分とか空虚な部分があって、収入と時間を持てば、きっと虚しい
心も癒されると祈るような気持ちでいたのですが、しかし、実際に両方を持ってみても、
何も癒されなかったんです。

だって、想像してみてください。
もう気を紛らわすための仕事がないんです!
忙しくしているほうが、気がまぎれるってもんです。
心の中を見ないですみますから。

でも時間がたっぷりあると、つい心を見てしまいます。
そうすると、その時間全部が虚しいんです。

人生ってこんなものか・・・絶望を感じましたね。
でもね。周りを見ると、圧倒的にそういう人が多いんですよ。
孤独な成功者というか(笑)

なんとか心のバランスをとるために、比較して自分を元気付けようとしました。

僕は収入だけじゃなくて、時間もあるじゃないか。
みんなよりもずっと勝っているんだと、自分を慰めていました。

要するに、優越感で紛らわせていただけですけどね。



■ これはおかしい・・・やっと自分の内側に目を向けました


「成功して不幸になる人びと」という本を読んだときも、そういう成功者
の姿が描かれてました。

とことん経験して、しつくしたときに、これは違うなと思いました。

結局、優越感を得ようとすると、劣等感も大きくなるだけなんですよ。

月収100万円なら50万円の人には自慢できるわけですよ。
でも、月収200万円の人には負けを感じてしまう。

200万円だと、さらに300万とか、上はいくらでもいる。
いつも上には上がいて、劣等感に打ちのめされるんです。

これはさすがにおかしいと、ここで僕も気がつき始めました。
いくら手に入れても虚しさは消えず、幸せにはなれないと分かったんです。


やっとですか。

やっとです(笑) やっと自分の内側に向き合いはじめました。


どういう風に、自分の内側と向き合ったのですか?

こんなふうにです。



■ 深い部分で、父親に恨みを持っていたことに気づいた


ターボさん、踊りで表現されても読者には分からないので、言葉にして
くれますか?

あ、そうでした。

それまで、成功系のセミナーにはよく参加してました。

幸せは外側じゃなくて内側にあると気づき始めてからは、心理学系、セラピー系とか、
スピリチュアルなものに行くようになりました。

そうすると、たくさんのものがボコボコ出てくるんです。
特に父親との関係とか。


ははあん。さっきのはボコボコの踊りですか。

そうです。

あっ、一応言っておきますが、父親とは昔から仲が良いんですよ。
それでも、深い部分では父親に対して恨みを持っていたんです。

父親は早朝から夜中まで働くサラリーマンでした。

父とあまり遊んだことがなくて、家に帰っても疲れ果てて話をしてくれない。
話しかけても、ずっとテレビを見ていて反応がないんです。

僕はコミュニケーションをとってくれない父に対して、ありのままで受け入れてくれないと
いう恨みをいだいたんです。
また、自分は愛される価値がないんだという罪悪感も持ちました。

そして、愛される価値がある人間だと証明するために、一生懸命に収入を増やし、
社会に僕の価値を認めさせようとしていました。

演じていたこの心のドラマに気づき、僕の人生は変わりだしました。



■ 犬飼ターボの活動を始めてから、それまでの事業が傾き始めました


それは男なら誰でもありそうですね。
ターボさんはどう変わっていったのですか?

まず、何もしなくても幸せを感じられるようになりました。

ありのままの自分でも許せるようになったんです。
幸せになっていいと、自分に許可を出すことが出来るようになりました。

そして、自分で気づいたことを、今度はセミナーなどで人に伝えたりし始めると、
それがすごく幸せで!

それと同時に、今までのマーケティングの仕事が面白く無くなってきました。
僕にとってマーケティングには興奮という面白さはあるけど、平和な安らぎ・・・
愛に満ちた気持ちはないんです。

僕は空いた時間に『チャンス』という物語を書き始めました。
主人公が成功していくストーリーですが、内面の成長や癒しが裏にあります。
チャンス―成功者がくれた運命の鍵


次に、人の成功に貢献し分かち合いうことで成功していく『星の商人』という物語を書きました。

偶然、二冊が2005年の7月に発売になったのですが、不思議なことに本を出した頃から、築いてきたビジネスたちがどんどん傾き始めたんです。

でも焦りはほとんどなくて、自然な出来事のような感じ。
犬飼ターボとしての活動のほうへ背中を押されているような不思議な感覚でした。

確実に自分の人生流れが変わってきたな、そう感じました。

犬飼ターボの活動をしていると、幸せを感じることができます。
だからこれからはこれをやっていこうと決意しました。


全てが、予定通り。天職への道、天道ですね!

てんどう・・てんどう・・・?

ごめんなさい。天童よしみの歌は「なめたらあかん~」くらいしか知りません。

わざとですか?
わざとです。


関西人は笑いのハードルが高いので注意してください。

以後、軽々越えられるように精進します。



■ 振り返ると、全てに意味がありました


天命を見つけてから、今感じることを教えてください。

そう。今、こうして振り返ってみると、全てに意味がありました。

無価値感があって、思いっきり成功を目指していた時代。
あの期間があったからこそ、昔の僕と同じ状態になっている人に伝わるのでしょう。


経験からくる言葉の重みですね。

ずしっと約20kgくらいですね。それが片手の限界でしょうか。

そこに、僕の役割があるかなと。
外側に幸せを求めてる人たちに、「幸せは内側にあるよ」と気づいてもらうことですね。

でも、気づきに加えて“癒し”が起きないと幸せを受け取ることはできません。

幸せっていうのは手に入れるものでなく、「そこにある」ことに気づくこと。
幸せを受け取るためには、それを自分に“許して”あげることなんです。

誰でも過去に「自分は幸せに値しない」とか、「幸せになってはいけない」という、罪悪感や否定的な経験があるものです。

自分を“許して”その傷を癒さなければ、いくら「幸せを感じよう」「幸せになろう」と
思っても、無意識の部分でそれを止めてしまう。
そのブロックがあるときはいくら努力してもなかなか幸せを感じられないんですね。

僕はもちろん成功することを否定はしません。
この世に生きている以上、物質的な豊かさは大事ですから。

それを味わうことにも肉体を持って生まれている意味があるでしょう。

ようは、バランスの取り方なんです。
「幸せ」か「成功」かのどっちが大事なのかではなく、両方とも大事。
ハッピー&サクセスなんです。ハピサク!

人はなぜ成功したいと思っているのか?

それは、幸せになりたいからなんです。
でもいくら成功しても、幸せにはなれません。

なぜなら、成功は外側で実現し、幸せは内側で感じることだから、もともとの軸が全く違うんです。別腹です。

そうですね。幸せは「得る」ものではなく、「ある」ことだと私も思います。

でも、席に座って話してください。
こんなカフェで、立ち上がって大声で話されると恥ずかしいです(笑)

はあ。すみません。興奮するとつい立ってしまうんです。

いや、いや、違います。アッキーさん。変なところ見ないでください!
僕の下の方を見ないでください!



■ 成功を目指す動機は2つ


見てません・・・。

読者の方が勘違いされるので変なことを言うのはやめましょう。
ところで、ターボさん。どうやって成功と幸せのバランスを取ればいいんですか?

成功を目指すときに、大きく分けて動機が2つあります。

“喜び”と“恐れ”です。

多くの人は“恐れ”から成功を目指してしまうんです。かつての僕のよう。

自分は価値が無い。
だから、自分が愛される価値があることを証明しなければならない。
そう思って、収入や地位や権力やステイタスを示すものを手に入れようとします。

ただ、それをやってしまうと成功すればするほど恐れも膨らみます。
価値のなさを外側に手に入れたもので埋め合わせていることを知っていますから。
失う恐怖にやられちゃいます。

だから“恐れ”をどこかで、“喜び”に変えていくのが大事ですね。




■ 恐れを喜びに変えていくために  ※ここからはサイトのみで掲載


恐れをどうやって、喜びに変えていけばいいのでしょうか?

はい、こういう感じです。


ターボさん、変な踊りではなく、インタビューなので言葉で説明してください。

そうでした。ついダンサーの血が騒いでしまいました。失敬。

恐れで成功を目指している時には、自分ではそれになかなか気づきません。
一番いいのは、それに気づいた人に触れることです。

僕は色々と成功法則の本を読みました。
成功本ってみんな同じことを書いているようにみえて、実は作者によってマインドが違うんですね。

著者によってはね、怒りや恨みから書いてたりするんです。
著者自身は気づいていないようだけど。

 (ここで具体的に本のタイトルを挙げて教えてくれる)

彼らとは逆に、本田健さんや矢野惣一さんなどの最近出てきた著者は、マインドが引き起こす結果もちゃんと分かってて、喜びをエネルギーにして成功しようと言ってますよね。



■ これからのビジョン


これからのビジョンを教えてください。
踊りではなく言葉でお願いします。

はいっ!

僕が最終的にやりたいことは、みんなが喜び状態、ワンネスの世界を作っていきたいんです。

ワンネスとは?
ひとつである、という状態です。

何段階かあって、最初に、「思考のワンネス」があります。

たとえば、以前に、僕は自信がない人を見ると嫌な感じがしました。

なんであんなに自信がないんだろうかと、彼らを理解できず、それを通り越してとっても
つながれない感じがしたんです。

でも、あるとき本当は自信がなかった自分を否定しているだけだってことに気がつきました。
起業したてのころ、とっても自信をなくした時期があったんですけど、こんなのは
自分じゃない!って、無いことにしちゃったんです。(笑)

自信のない自分を削除ボタンを押して抹消しようとした。

そうすると、普段は自信が満々だぜ!っていうような気分でいられるんですけど、
自信がない人と会うと、とっても嫌な感じがするんですね。
否定している自分に出会うわけですから。

このように、人には「自分だ」と認めている部分と、「自分ではない」と否定している部分があります。

僕は否定された部分を“グレ子”と呼んでいます。

それに気付いてあげて、もう一度ひとつになる仲直りをします。
そうすると、頭の中の「思考のワンネス」が進むんです。



■ 思考と肉体のワンネス


深い話ですね。
でも、ハピサクレッスンに出席させていただいたからよく分かります。

体験しないとわかりませんね。

グレ子と仲直りをするととっても安らかな気持ちになりますよね。

で、次のワンネスなんですけどそれは「思考と肉体のワンネス」です。

例えばアッキーさん、体や腕は自分が持っていると思いますか?
それとも、自分が体であり、腕だと思いますか?


腕は持ってるという感じですね。。。

そうなんです。目や鼻も自分だとは思いませんよね。

僕もどちらかというと体を持っているって感じがしています。

持っているということは自分とは別物ですね。
そこで境界線があるわけです。

つながりを無視していると、肩こりとか腰痛とか内臓の病気とか、肉体がたくさんの情報を発してるのに、本人が気づかず体の声を無視してしまうんですね。

そこを融合して、体を自分自身と見て、つながりを感じるようにする。
それが「思考と体のワンネス」です。

さらに、体と思考がワンネス状態になると、今度は皮膚を境目にして、内側と外側との間の分離がテーマになります。

「個人と環境のワンネス」です。

僕にはこの皮膚より内側が犬飼ターボだという線引きがあります。
皮膚の外は自分ではないんですね。

外も内側も本質的にはつながっているという感覚を呼び覚ますことが、
最後のワンネスです。

これが僕の将来のビジョンです。

僕たちはこの世のもの全てと本当はワンネスだけど、まるで分離しているように見えるし、感じます。

人間の肉体組織は7年で入れ替わると言われています。
8年前の自分の肉体と今の肉体は別のもので構成されているんです。

食べ物を食べて、排泄してそれが肥料となってまた食べ物になる。
僕たちは地球と循環しています。

そして、地球は宇宙と循環しています。

体と思考、内側と外側など、ワンネスを感じるようになっていくと、最後には宇宙と自分は一つという感覚になります。

絶対的な安心感、幸福感がやってくるんです。
失うものは何一つ無いし、何ひとつ不足しているものは無い。

奪わなくていけないものはなにひとつない。
与えるものはすべて持っている。

そのとき、本当に恐怖無く、自然にみんなが分かち合い、奉仕しあうことができます。
分離感がある状態では分かち合いは無くなる恐怖と隣り合わせです。

みんなが、争うことなく、お互いに成功を手伝い、幸せのために奉仕しあう。
それが自然にできる世界。
僕はそんな世界を作る力になれたら嬉しいんです。

今、犬飼ターボとしてやってるのは、一番初期の段階の思考のワンネスです。

「こんな自分ではダメだ」という否定してきた自分(グレ子)を認めて、その自分と一つに
なるところですね。


ワンネスが進むと、お互いに成功を助け合い、分かち合うことが自然にできますから、
分離したバラバラ状態よりもみんなの成功がずっと早いんです。

そして、すべてはつながっているという信頼と安心感のもとに歩んでいけますから、
“恐れ”から成功を目指すことがなくなってきます。
ストレスが少なくてずっと楽しい。

何をつくりたいか、思いをはっきりさせるとそれは実現します。
自分と宇宙はつながってると感じながら、実現したい目標にフォーカスすると、実現のスピードも速まります。

その実現した結果を見て、宇宙とのつながりを信じられるようになります。
宇宙とのつながりとは実現する力そのものですから。
自分の実現する力を信じられるようになるんです。

だから、成功したい人にとってワンネスの感覚って重要なんですよ(笑)

逆に言えば、成功を目指していくと自然と宇宙との一体感に気付く仕組みになっている
んですね。

自分の考えたことが不思議な偶然、シンクロニシティによって現実になっていくんですから。

ターボさんが、ワンネスに行きたい気持ちはどこからきますか?
成長は自然のものです。 もっと大きなものになりたいという内側からでてくる感覚です。

今、世界も競争の社会から共存の社会へと進んでいってると感じますが、今までの
競争社会が悪いわけではありません。
こんなに人類が繁栄してるんですから。今でも十分です。

でも共存のステージのほうがもっと楽チンだということですね。
ワンネスに近づけば近づくほど、苦痛が減って幸せが増えるんです。

僕自身は今、競争のステージと、共存のステージの中間にいると感じます。
夫婦の関係というのは嘘がつけませんから、時々勝ち負けの世界になることも
ありますが(笑)
このごろはだんだん調和が続く時間が増えてきました。

そのほうが幸せだから、自然とワンネスに近づきたいと望むようになるんです。
これは生命のプログラムでしょう。



■ 結婚してから、毎日がすごく楽しくなった


ご結婚されて、どれくらいですか? 自分の中で、変化はありました?

3年目ですね。3年目の浮気の時期です(笑)

すみません。また、くだらないことを言ってしまいました。

すごく変わりましたよ。
独身時代は気づかなかったんですが、僕はそれまで喜びを感じることをがまんしてました。
成功ばかりに目を奪われて、すっかり忘れてました。感じるということを。

それに対して、妻は何でも喜ぶんです。
こんなことでも喜んでいいんだ!と大きな気付きをくれました。
妻のおかげで毎日が楽しくなりましたね。



■ 東京にいると、高級車に乗りたくなる理由


今は、八ヶ岳に住んでらっしゃると聞きましたが。

最初は東京の大田区にいましたが、結婚して1~2年で八ヶ岳に移住しました。

自然がすきだし、最初は海でも良かったんですが、八ヶ岳に訪れてみて、森の中が
自分には合ってると分かって。

変なことも起こりました。
八ヶ岳に移住してから、時々東京に戻ると高級車に乗りたくて仕方なくなったんです。
八ヶ岳だとそんなことないんですが。

単に、高級車が欲しいとかではなくて、ですよね。
ええ。原因が分かったんです。

普段静かなところにいて、すごく感覚が敏感になったから、人間が出す電波みたいなの
を感じるようになったんです。

東京には人が密集して住んでいますから、思いの念が飛び交っているんです。

だから東京に出てくると高級車に乗らなきゃいけない、みたいな脅迫的な思いが浮かんできたり。

この前は無性にイライラして、ふと見ると、トラックと乗用車が割り込んだとかで喧嘩して
いるんですよ。影響を受けちゃう。
以前は自分もそのなかにいたので気がつきませんでした。

自然と都会のギャップは本当に大きいですね。



■ 好きを仕事にしたい人へのメッセージ


好きを仕事にしたい人へのメッセージをお願いします。

犬飼ターボでやっていることはライフワークだと思うのですが。

僕が過去にさんざんマーケティングの仕事でやってきたことは、全くムダではありません。
ライフワークをサポートするために役立っています。

犬飼ターボでなぜうまくいってるのかというと、それまでのマーケティングやセールスのノウハウがあるからなんですね。

セールスレターとかを書く作業で文章力もつきましたし。
購買心理も分かるようになりました。


今まで色々な人にインタビューしてきた人は、みなさん言うのですが。

好きな仕事をする前はみなそうでない時期があった。
なんでこんなこと?って思ったけれども、今から振り返ると、あのときの経験が活かされてるというのがたくさんあるとよく聞きます。

何となく、ライフワークをしてないことに焦り感じてる人がすごく多い気がします。 自分が今やってることは、本当は好きなことではないんじゃないかと。

実際、ほとんどの人は、好きじゃないことを仕事にして頑張っています。

ライフワークのブームなんで、それが許されない、ダメだと思ってしまうようですが、
決してそうではありません。

目の前のことを一生懸命やればいいんです。
本当にやりたいことが見つかる時期がいずれやって来ますから。

みなさんにお伝えしたいことは、今のことをしっかりやって、その中でいろいろ経験して、
能力を高めてください。

そうしていれば、本当に自分が好きで、仕事にしたいことが出てきます。
そのときに心を開いていれば、いいタイミングでその方向に進んでいきます。

無理にライフワーク探しが苦痛に感じるのなら、しないほうがいいと思います。
もちろん、楽しいのならどんどん探せばいいでしょう。

時期がきたら、やりたいことが目の前にきますから。大丈夫です。

以前の僕がみたら、今、自分がセミナーを定期的にやるなんて考えられません。
昔はそんなの、もう面倒くさくて・・・。

マーケティングの仕事をジャンジャンやった方がずっと稼げます。
それに比べたらセミナーってそんなに儲かるわけじゃありません。
自分がしゃべんなくちゃいけないし、体も疲れるし(笑)

でも、今は2ヶ月に一度のセミナーが楽しみで仕方ないんです。
人生は読めません(笑)




インタビューこぼれネタ



 実はターボさんがマーケッターしていた時代に
 発行していた、彼のメルマガを読んでました。

 確か、その当時のメルマガには
 「成功するには~」といった記事が多かった気がします。

 だから、私の中では「バリバリの成功者」というイメージが
 すごく強かったんです!!

 あれから数年しか経っていない はずなのに、伝える
 内容が様変わりしていてビックリ。

 一応、昔からの読者だったので、お会いするのに、
 ドキドキしてたのですが・・・
 あまりにフツーで(失礼)、えっ、これがあの・・・と
 口ごもってしまったのが、生ターボさんの第一印象でした。






「私たちがインタビューしました!」
ライフワークインタビュー (2006/02/26~03/12)
さとうみどりさんのプロフィール

(株)ハーストーリィ 代表取締役副社長

1959年、広島県生まれ。広島デザイナー学院卒。
舞台美術制作会社を経てイラストレーターに。
広告代理店時代に代表の日野佳恵子と出会い二人で独立。
女性だけの企画会社(株)ハー・ストーリィ代表取締役副社長をする傍ら、
イラストレーターとして全国雑誌や印刷物で活躍。
(株)ハー・ストーリィは、現在全国10万人を超える主婦の家庭と会社を
インターネットでつなぎ組織化。
ハーストーリィのロゴマークを含むトータルイメージ戦略も築いてきた。
同社より2004年独立の(株)リシュラの立ち上げ・プロデュースも手がけた。


ライフワークインタビュー


■ 女性の視点と感性を大切にした 企業のマーケティングをサポート

現在のお仕事を教えていただけますか?
広島のマーケティング会社、株)ハーストーリィで副社長をしております。

さとうみどりさん


マーケティング会社は数多くありますが、御社の特徴を教えてください。


当社の特徴は女性の視点と感性を大切にした、企業のマーケティング活動
をサポートしているところです。

具体的には、当社に登録いただいた10万人の女性を活用し、調査やプロモーションを
組み合わせたメニューを提供しています。

私は主に、会社の財務と媒体・物販部署の統括、そして子供服等販売のグループ会社
リシュラの運営補助をしています。

イラストレーターとしての仕事もしておりまして、最近、人気サイト「ほぼ日刊イトイ新聞」
に掲載されているエッセイで、ついに本になった「ほめ道をゆく!」のイラストも
担当しました。

あと、さとうみどりのブランド「satomido」を確立、私が監修した絵本と雑貨のギフトの
販売をしています。


御社、ハーストーリィは設立何年ですか?

平成2年に設立したので、丸15年経ちました。

主婦二人が始めた会社が、いまでは社員数は50名になりました。
男性は取締役に1人と営業部に1人、あとは全員、女性です。

設立当初は、ここまで大きくなるとは全く思っていませんでした。



■ 以前は、舞台美術製作会社に勤めてました


御社の社長、日野佳恵子さんとの共著「私たちの会社 はじまり物語」を
読ませていただくと、設立10年までの歩みがリアルに描かれてますよね。

設立のさらに前・・さとうさんの会社員時代の仕事を教えて頂けますか?

専門学校卒業後、舞台美術製作会社に在籍していました。

そこで、TV局の大道具を作っていたのです。


そこにはどれくらい勤めていたのですか?

2年でしたね。

早くに結婚をし、妊娠しました。
体力がいる仕事で、出産後にに続けるのは無理でしたので、辞めました。

子供が2歳半までは専業主婦してましたが、その後に編集のパート勤めを。
離婚したのをきっかけに、終日勤務に切り替え舞台美術製作会社にパートとして
出戻ったのです。

そこで3年。主に看板書きの仕事をしてました。




インタビュー風景



■ その後、転職した企画会社で運命の出会いが


その後、日野さんと初めて出会った企画会社に就職されたのですか?

はい。その前に再婚して、次女を産んだ後、1年半はまた専業主婦して いました。

以前の会社で感じたことですが、パートのままでは頑張って月収12万円。
手に職をつけ、独立してやりたかったので、専業主婦の間にイラストを独学で学んでいたのです。

雑誌を毎日めくってると、様々なカットが目に止まりました。
“ここに描きたい! 名前がクレジットされる有名なイラストレーターに なりたい“
そんな意欲が出てきました。

そして、私の姉が企画会社を紹介してくれて、そこにいたのが日野です。
私はパートで、日野は正社員でした。


でも、その企画会社には、長く勤務されていないのですよね? 

ええ。企画会社にいたのは3ヶ月です。 イラストレーターとして入社したつもりが、それは名ばかりで、雑用みたいな仕事が多かったです。

日野が書いた企画書に、イメージを膨らませるためにイラストを挿入したり、鰻屋のPOPに、うなぎの絵を描いたり・・・。

すごく小さな会社で、全部で4人でしたね。


日野さんと一緒に会社を立ち上げるようになったきっかけは?

日野がその企画会社の社長と意見が合わなくて、先に辞めました。

私も「このまま、ここにいても、自分の思う道には進めない」
そう感じて、一緒に辞めることにしました。
そんな私に、日野が「一緒に会社をやろうよ」と言ってくれたのです。



■ やってみてだめならやめればいいかと、起業を軽く承諾


すぐに同意したのですか?

一緒に会社を経営するとか、起業をするという意図は、私にはありません でした。

その頃、イラストレーターとしての仕事も、少しずつ増えてきてたのです。
私は全然人脈がなかったので、様々なイラストコンクールの公募に応募したりしてました。その公募に入選したり月刊誌での仕事も決まったりと、良い兆しが見えてきたので、
それを続けたかったのです。

日野は女性を束ね、モニター組織などを作って、女性ならではの会社を立ち上げたかったようです
仕事場を一緒に借りて、日野は日野の仕事、私はそこでイラストレーターの仕事をやればいいかな~ そんな軽いノリで考えてました。


それが一緒に会社をやろうと思うようになったのは、なぜでしょう? 

会社組織にすることに、日野はこだわっていました。

私がいい返事をしないと、「○○会社のあの人に、○○会社のあの人も面白いねって
言ってくれたのよ」と、“やらないなら他の人を誘うよ、”をほのめかされました(笑)

『一緒にやろう。イラストの仕事も私たちの会社でやればいいじゃない』

最後に日野はそう言ってくれました。
やってみてだめならやめればいいかと、軽く承諾してしまいました。

会社設立するとき、定款って書きますよね。お互いのやりたいことを、次々に定款に
入れましたよ。
雑貨屋、イベント、あと、ベビーシッター会社。
小さい子供がいるうちは、なかなか外に働きにいけない。
何とかこういう思いをしてる女性を助ける会社にしたいなと。

もちろん、日野が望んでいるモニター組織も。
もう、可能か不可能かも考えずで定款に連ねました。


会社を設立するのに、費用も結構かかりますよね。

全然。私も主婦だったので、出せるお金は十万足らず。

後は物品です。お互いの車・ワープロなどなど。
銀行にも借り入れのお願いに行きましたが全滅で、自分たちの物品とお金と、最後の
手段で日野は勘当されてた親に、100万ほど借用書を書き、そのお金を借りて
会社を立ち上げました。



■ 最初は内職の会社だと思われていました


最初から、自分たちのやりたい仕事を実現していったのですか?

始めの頃は、内職会社と思われてました。

私たちの目指す方向ではなかったのですが、何かで収入を得ないと、会社は存続できません。コピーライトの仕事を請け負っても、登録者の中でそんな仕事ができるのは、
100人のうち1人いればいいほう。

100人のうち100人全員できるのは、内職仕事だったんです。
周りからはなんて言われても、資金作りのために、多くの登録者に出せる仕事を請け
負っていました。

やりたいことをやるために、一歩ずつ階段上がっていくためにも、絶対に底辺の仕事、
何でお給料を払うのかをもっておく必要がありますから。


女性二人で会社を続けるのは大変とよく聞きますが・・・

ええ。私と日野は性格も何もかも、全く正反対。

取引先に『主婦のくせに甘い』とか、辛いこともよく言われてました。
お金もないので、ケンカもよくしますし・・・というより、いつも私が爆発していたのですが。



■ 最初の1・2年はケンカばかりで


爆発??

大体ケンカの原因は決まってました。 『イラスト書く時間がない!』

私はもともと口数の多いほうじゃないのに、電話番をやったり、登録者との対応をやって
いました。

自分がやりたいことが出来ないじゃない! 
イラストレーターなのに、どうしてこんなことしなきゃいけないの・・・
そんな思いが募り、日野にぶつけました。

1・2年はそんなケンカばかりでしたね。
さらに、自分たちは何がやりたいかも、時々ブレてしまってました。
「本当はこうなりたい」
ある時、私が思い描くハーストーリィのビジョンを1枚の絵にしたのです。


 
それを見て、日野が言いました。
『私も同じところを目指している。あなたと私、全然違う話をしてるようだけど、
 目指すところは実は同じ。 だから、ココにいこうよ。一緒に続けよう』と。


その時期を越えて、一緒に続けてこれたのですね。

正反対な二人。私はO型で、日野はA型。 逆に見られがちだけど、日野の方が繊細なところがあるんです。

それに、私はこれまでの人生、サブばっかりでした。
学校の副会長とか・・・副ばっかりで、しかも「陰と陽」の「陰」の役割をさせられるというか・・・ 
時々、日野のサンドバックかと思っちゃうときもあります(笑)
私、末っ子なんです。だから、兄と姉に虐げられてきたから(笑)、案外怒られても
平気なところがあって。

設立当初、私たちは自分たちの給料がほとんどありませんでした。
今なら分かりますが、当時は『少しでも儲かればまずは自分たちの給料をとりたい。』
そんな不満も、日野にぶつけてました。

そんなとき、日野は
『多くの人に仕事を分配して、自分たちが取るより、今は事業を広げるた めに使わ
 なきゃ広がらない。』と言って次の投資を計画するんです。

部屋変わったり、本出したり投資しないと事業が広がらないということは今ならよく
分かりますが、会社が小さいときはなかなか・・・・。。



■ 登録者と出会えたことで、私は変わりました


辞めようと思ったことはありますか?

ええ。何度もありました。

ただ、私は、ひとつの仕事を長く続けた経験がなく、離婚して、イラストレーターを始めて、すぐ会社を辞めることになって・・そのことが、コンプレックスになってました。

32歳にいたるまで、仕事の実績がない。
やるからには、今度は3~5年やろう。そう決めました。

あと、続けていけたもう一つの理由は、仲間が増えたことですね。
登録者やスタッフが増え、同じ苦労を分かち合える仲間が出来るのは、心強かったですね。人と話するのが好きではなかった性格が、登録者と出会えたことで変わりました。

また、辞めたいと思ったときに、イイ事が起こるんですよ(笑)
すごく辛い仕事のあとに、嬉しい仕事や心が動かされるほどの温かい出来事がね。

『大丈夫、もうちょっとだから』
辛い時期になると、日野がいつも私にそう言います。
とはいえ、15年間言われ続けているセリフですが(笑)



■ 会社をしてなかったら、離婚してなかったかも


会社初めてから、さとうさんご自身に変化はありましたか?

生活はガラリと変わりましたね。 午前中だけ、深夜がいいなど、自分の都合のよい時間に働きたい人をまとめるので、 こっちはフルタイムで体制を整えます 2年目で3人目を出産したのですが、産まれる前日まで仕事してました。 健康体だったので、出産に支障はなかったのですが、子供は・・・家族はどうかなと 思いますね。

2度目の結婚も、結局は離婚ということになりましたし。
会社をしてなかったら、離婚もしなかったかもしれません。
ま、私はそれはあまり思ってませんが、日野は誘った手前、引け目を感じているところも
あるようです(笑)


ご自身の内面の変化はありましたか?

内面といえるのかどうか分かりませんが、人前で話せるようになりました。 営業も社員の前で話すのも、最初は胃が痛くなってました。 何でも慣れですね。今は大丈夫です。

あと、私は店をやりたいと思ったほど、雑貨好きで少し前までは、雑貨自体がすごく大好きだったのに、今は店の中身が気になります。
客単価はいくらなんだろうとか、この広さで月の売上はどうだろうとか、経営の状態のほうが・・・どうなんでしょう。

日経新聞を読んだり、TVでもビジネスの動向が気になったり・・・
それまでは右脳的だったのが、左脳が開かれてきたのでしょうか?(笑)



■ とにかく 女性たちの職場はよくぶつかります


著書を読んでいると、色々な経験を経て、年々成長なさったようですね。

10年目くらいまでは、人の言うことにフラフラしていましたよ。

二人でやってると、人間関係も両極端になります。
日野派は、スーツをぱりっと着こなしたビジネスウーマンみたいな人たち。
さとう派はクリエータータイプの右脳型の人間タイプと、違う同士の集まりです。
それだけならいいのですが、登録メンバーさんも社員も全て女性なのでよくしゃべります。
 
『日野さんがこう言ってたよ』
誰かが私に言ったり、『○○さんがかわいそうです』と人のことを回りまわって曲がって
伝わったり・・・。
ただ、良くも悪くも、二人がそういうことをあまり気にならなかったんですね。

とにかく、女性たちの職場はよくぶつかりあうんです。
昔は“私ではリーダーはダメだ、辞めようか・・・”そう心をよぎることもあります。
それでもやらなきゃ と 腹をくくるようになりました。

それからは、ブレなくなりましたね。


創業してから、一番びっくりしたのは「人の問題がこんなに大変だったと
は思わなかった」という人も多いですよね。

そう、人が一番大変です。

3人目・4人目のパートを雇ったときはすごく大変でした。
自分たちの常識は、人とは違ういうことが身にしみました。

今、雑誌でお見かけする女性経営者も、割と少人数でやっている方が多いように
感じますが、それだけ組織にするのは大変なんじゃないでしょうか。
雇うということは、社員に割く時間が増えるということですから。



■ インターネット事業の始まりが、会社としても本当のスタートに


御社はインターネットと出会ってから、事業が飛躍的に発展したと聞いて
ますが。

現在、登録会員は10万人を超えました。

インターネット事業を始めてから、やっと会社としての時代が始まったと、日野はよく言います。

色々な意味で、インターネットが始まってから、本当の経営者としてスタートラインに
たった・・・そんな感じです。

インターネット事業を始めた頃、弊社の業務を見直すと、手広くやりすぎたことに気づきました。
その頃は、SOHOの紹介をメインにやってましたが、SOHOの数だけ仕事があったのです。

色々なことをやりすぎると、結局何もできないことにも気づきました。

年齢が近いので、社員は「日野さん」「さとうさん」と呼んでました。
和気藹々としてていいだろう、そう私たちも思っていましたが・・。
それではケジメもつかないし、会社らしくしていこうと、今はちゃんと肩書きで呼んでいます。

私は私で、苦手だと思っていた財務に力を入れようと決めました。
自分の夢だけを追いかけていられない立場になったからです。


もし、ハーストーリィに入社しなかったら、今ごろどうなってたと
思いますか?

お店をやってたんじゃないでしょうか。

ちっちゃい雑貨屋。やっぱり、起業してたのかな・・

大ぶりな経営者じゃないけど。
イラストレーターとして、寝ずに仕事してたのではないでしょうか。



さとうさんのイラスト



■ 今後のビジョン


今後のビジョンを教えてください。

まずはハーストーリィのビジョンを。 世界のハーストーリィにする! 全社員にそう宣言していました。 女性の会社と言われたら、ハーストーリィが浮かぶようにしたい女性のことなら、ハーストーリィに聞け!

会社としては、そこを目指していきます。

私個人のビジョンとしては、「satomido」ブランドを通じて、良い絵本やグッズを提供していきたいですね。



■ がんばりすぎるのは 好きじゃない


絵本やグッズを通じて、伝えたいことを教えていただけますか?

がんばりすぎるのは好きじゃないんです。

私は思うは、神様は自分の中にいて、自分の内側から発する声に耳を傾けるのが大切だとということ。

「やりたいことをすればいい。
 たぶんみんな幸せになる。

 やりたくないことをやるから、無理してしまう。
 ありのままの「やりたいこと」をやっていけば、難しい仕事も
 苦になりません。
 仕事がなくて辛いと思ってても、あきらめません。
 自分がやりたいことで動けばいい」

 そんなメッセージが伝わればいいなと思っています。




■ 15年前の私たちのような人が 全国から訪ねてきます


登録者の中には、15年前のお二人みたいな方もいらっしゃるのでは
ないですか?

二人で始めたいんです。

という人たちが昔はよく全国から訪ねてきてました。
不思議と、県外からの方ばっかりなんですが。

そんなときに伝えていることを教えてください。
弊社が続いてる理由は、自分たちでプロモーションが出来るという強みがあったからです。

うちはたまたま、企画・広告製作出来る二人組でした。
つまり「強みを表現できるしプロモーションが出来る」、仲間の得意が特化してたらきっと
うまくいきます。



■ 好きを仕事にしたい人へのメッセージ


好きなことを形にしていきたい という人に対してのメッセージを
お願いします。

まずは、あんまりこだわりすぎず進む方がいいですね。

自分らしさとかも大事ですが、最初はできるだけ、間口を広く自分の人以外にも判る
シンプルな商売をしたほうがいいと思います。

要は底辺のお金を稼ぐ手法を考えてそこからあと好きなことを突き詰めていくというのも
いいでしょう。

一人でやるなら、自分らしさにこだわっても構いませんが、起業するなら、会社として
社員を雇っていくつもりがあるなら、シンプルな方がいいと思います。

私も日野も企画が好きで、得意です。部下にも企画力を求めるんです。
でも、それは間違っていると気づきました。

企画力もあって、部下も私たちと同じように伝えられるならいいけど、なかなか
そうはいきません。
私たちが企画し、それを形にする仕組みを作らないと。
やりたいことがシンプルにわかるように。

例えばお茶を売りたい。
お茶を売るというときに大切なのは、誰にでも一言で言える商品の良さをもつことです。
そこがあまり難しくしすぎたり、あれこれアピールしなければわからないとと困りますよね。

口コミで広げてもらうためには、シンプルに伝わったほうがいいのです。

私だって今思えば、イラストかきたいなら、ポストカードを作って、自分だけでなく
他の人にも売れるようにしていけば良かったと思っています。
その得たお金で、自分が本当にやりたいこと・・・
例えば、誰もが利用できるおしゃれなギャラリーを運営する等やればいいのですから。


やりたいことが見つからないという方もおられると思います。
その場合はどうすればいいと、さとうさんは思われますか?

やりたいことが見つからない人は、いきなり大きなことをしようと 考えている気がします。

大きなことが見つからなければ、小さなことから考えたらいいと思いますよ。
案がいっぱい出てくる。

私も最初は、子供がいても、小遣いくらいは欲しい。
そのために何がいいのか考えて、選んだのがイラストレーターだったんですから。

他に、料理が好き、裁縫が得意とかそういう小さな特技から考え、じゃあ、何が出来るのかを考えたらいいのではないでしょうか?

自分に素直に、が一番ですよ。





インタビューこぼれネタ




 ハーストーリィのオフィスには、さとうさんの
 イラストが あちらこちらに飾ってました。
 白を基調にした壁に、さとうさんの温かな
 イラストがすごく映えていて・・・

 とてもお忙しい中、私たちの質問にゆっくり
 丁寧に答えて下さる姿が、とても印象的
 でした。






「私たちがインタビューしました!」
ライフワークインタビュー (2006/01/15~01/29)
河原 治さんのプロフィール

こんにちは!パン屋税理士こと、河原 治です。
税理士という仕事をしながら、「私は、どんな人の役に立てるのであろうか?」
いつも自問自答していました。
そして、出た答えは『ベーカリーショップ』。

パン屋に長年勤めていた母のDNAを受け継ぎ、パンが大好きな私は、おいしいパンを
作ってくれるベーカリーショップを心から応援したいと思ったのです。
ベーカリーショップのオーナーと共に歩み、ベーカリーショップ繁盛店の秘訣を
これからも追い続けていきたいと思います。
【ベーカリーno1】 
【ブログ】ベーカリー税理士が話題のお店を訪問


ライフワークインタビュー


■ベーカリショップ専門の税理士さん


「ベーカリショップ専門の税理士さんがいる。彼の話も面白いよ!」 

佐藤元相さんより、河原さんをそうご紹介いただきました。
このベーカリーショップ専門というのについて教えてください。

はい。

本で取り上げられたりして、ベーカリーショップ専門というイメージが少しずつ定着していますし、今後の展開から言っても、ベーカリーショップに特化していくでしょう。

ただ、実際にはベーカリーショップだけでなく、いろいろな業界の会社と税理士として顧問契約していますよ。

肩書きで言えば、税理士となりますが、僕としては、儲かるお店を作るために一緒になって取り組んでいくパートナーという意識で、クライアントと関わっています。



河原さん!



■営業という仕事は、僕には合わなかった


なぜ、ベーカリーショップ専門と名乗っているのか? 

これついては、後ほど、お伺いしますね。
学校卒業後は、普通に就職されたとお伺いしましたが。

ええ、大学卒業後、医薬品を扱う商社に就職しました。

大学の頃は、サラリーマンになることしか思いつきませんでした。
手に職もなかったし、就職するんだったら、景気のいいところにしようと。

僕が就職活動を始めた頃は、バブルといってもいい時代でしたね。その頃華やかだった
のが薬品関係だったので、就職活動もソレに絞りました。

入社した会社では色々なメーカーの薬を扱ってました。
私は営業マンとして病院を回り、納品するということをやってましたが、正直、営業という
仕事は僕には合わなかったですね。


どういうところが合わなかったのですか?

薬品メーカーのトップ営業マンって、とんでもないんですよ。 生まれながらに営業マンというか・・・素質が全然違う。

あの頃はまだ、接待も派手でした。トップの営業マンは病院の院長たちが行きそうな
お店に先回りしたり、そこで盛り上がって、契約を取り付けたり・・・

人と会うのは嫌いではなかったのですが、僕はそこまでできないというか、
そういう連中に勝てないなと思いましたね。

もともと営業が好きだから、薬品が好きだからといって選んだ仕事ではなかったので、
途中からは「自分には合わない」という気持ちが膨らんできました。

結局、その会社に勤めたのは5年でした。。 



■何も決めずに会社をやめ、学校に


そのあと、次の予定は決まってたのですか?

いえいえ、何も決めずに辞めました。

これからどうしよう・・・そう考えたとき、もともと、僕は数学好き、得意というのが
あったのです。
だったら、もう少し自分のスキル、いわゆる簿記とか会計の勉強をして、企業の中の
経理か財務部門に就職しようと思ったのです。


私も、簿記3級の資格を持ってます・・・実は(笑)

僕は大原簿記専門学校に入学し、簿記の勉強を始めました。

その学校に「税理士」や「公認会計士」になるためのコースもあったんですね。
僕は最初、会計士にひかれて、本などで調べました。

すると、専門知識がかなりいる、弁護士のようにべったり勉強しないと到底合格できない
ということが分かりました。

その頃、結婚の話が持ち上がっていたのです。
ある一定期間、場合によっては数年でしょうか、仕事をせずに勉強だけの生活を続ける
ことは無理でした。

会計士を目指すのは諦め、税理士に・・・
僕は税金に興味なかったんですが(笑)


税金に興味がない河原さんがどうしてでしょうか?

とりあえず、税理士のことを調べました。 税理士試験は5科目あるのですが、会計士のように一度に合格しなくてもいいのです。 仕事をしながら、一つずつ科目合格している人が多いし。


あぁ、私の知り合いの税理士もそう言ってました。

最初は就職するつもりでした。しかし企業の財務もいいけど、どうせなら 専門家を目指した方がいいかも、そう思い始めたのです。

だけど、税理士って本当のところは、どんな仕事するねん
で、本ではそう書いてるけど、本当に資格はとれるのか・・・

とにかく、現役でやってる税理士の話を聞きたい!

そこで、前職のお客さんで、僕をすごく可愛がってくれた開業医の方が顧問先である
税理士事務所を紹介してもらいました。

そこで働く税理士さんが、「税理士という仕事について」僕に教えてくれたのです。
それで決めました。



インタビュー風景1


■仕事内容も面白そう! かっこいい! それで税理士に


税理士になろうと?

ええ。そのとき、僕に対応してくれたのが、今、私と一緒に税理士事務所 を運営している、小笠原税理士です。

小笠原先生がね、すごくかっこよかったんです。
バリバリやってる税理士という感じで・・・。

仕事内容も、僕が思ってたよりも、面白そう!
昼間は税理士事務所で働きながら、夜間学校に行けるような事務所を探したらいい、
そう言ってもらいました。


税理士を目指して、勉強を始めたのですね。

ええ、すぐに税理士学校に申し込みました。 しばらくしてから、憧れの小笠原先生のいる、その税理士事務所勤めることになりました。ちょうど、人員の空きが出て・・・これもご縁ですね。

その頃には、いずれは独立したいと思いましたね。


もともとは会社に就職しようと思っていた河原さんですが、いつかは
独立しようと、気持ちが変わったんですか?

税理士って、どこかで勤めているイメージはあまりないですよね。 自分でもだんだん、事業主になるというイメージが出来てきました。 頭の中で、自然に切り替わった感じです。

小笠原さんもその頃は勤務税理士で、2年くらいは一緒に仕事していま
したが、彼は先に独立しました。
ずっと一緒に仕事したかったのに・・「裏切りモノー」って感じ(笑)


でも、河原さんも後に独立され、今は小笠原さんと一緒にやってるんですよね?

ええ。僕が独立したときに、小笠原さんが声をかけて下さったのです。 もっと早く独立したかったのですが、結局12年かかりましたね。



■独立するのに、12年かかりました


独立が遅くなったのには理由があったのですか?

税理士資格がなかなか取れなかったのです。

平成元年にこの業界に入って、全科目合格するのに10年かかりました。
2科目合格してから、あとがなかなか合格できない。

途中、何度も挫折しそうになりました。

試験ではなかなか合格できないので、税理士になるもう一つの方法で
ようやく合格できました。


もう一つの方法とは?

大学院に入学し、大蔵省の認可をもらえるよう修士論文を書いて、 合格すれば会計科目が免除されるという方法が、実はあります。

夜間と土日でいける大学院に合格し、2年間通いました。
会計科目の免除をうけて、ようやく全科目合格に!


働きながら、夜は学校に行き・・・その上、勉強する時間も必要ですよね。
どうやりくりしてたのですか?

早朝の時間帯に、勉強してました。

税理士学校では、僕のように働きながらの人だけでなく、学生が税理士を目指して
通っているのですね。
1日中、自習室に篭って、ひたすら勉強してたんじゃないかという学生もいました。
しかも彼らは若い、私はこういう連中と勝負しないといけないのかと焦ったのです。

そのとき、先生に言われました。
『社会人は朝、勉強するのがいいんじゃないですか? 
 夜はつきあいがあったりと、勉強する時間が確保できないのでは。』

朝、5時半におきて、7時まで勉強してました。
夜間の学校は、講義を聴く時間。それを復習する時間は次の日の早朝。
土曜日は1日、自習室に篭りました。



■お金がなくて、パン屋でバイトしたことも・・・


もともと早起きは得意だったんですか?

ええ、これには理由があって、会社をやめ、税理士を目指して勤め始めた 頃、お金が本当にありませんでした。 結婚の予定もあったので、母親がパートで勤めてたパン屋に、朝の5時 から7時くらまで働いてた時期がありました。 そういう経験もあり、今も早起きが苦じゃなくないのです。


先ほど、何度も挫折しそうになったとおっしゃってましたが、それでも
やりぬいたのは何でしょうか?

資格とったら、独立したい-その思いと、周りの人たちの励ましですね

税理士事務所というところで勤めてたので、まだ資格を取ってなくても税理士の
下にいる職員として、顧問先に訪問に行ってました。

すると自然に、顧問先と人間関係ができますよね。

『河原さん、独立するようになったら、うちの面倒みてね』

そう言ってくださる方が、何人もいました。

「私を信じ、お客さんになろうと言ってくれる人がいる。」
 すごく励みになったし、支えになりましたね。

もう一つの支えは、照れくさいですが、家族の存在・・・特に家内がね。

学校に行きながら、税理士事務所で働かせてもらうのは、いわば丁稚みたいなもの。
今はそうでもないかもしれませんが、僕らの頃は給料が安くて当たり前でした。

家内には苦労させました。
本当に税理士になれるかどうか分からないのに、結婚してくれたんです。

子供が小さくて、外に働きにいけないときは、内職で家計を支えてくれました。



■スーツが粉で真っ白に。現場主義を貫いてます。


私が聞いてて思ったのは、河原さんには、人から応援される・・
何かそういうものがあるように思えます。

客観的にご自身をみられて、その辺はどう感じられますか?

僕は超几帳面なA型で、まじめにきちっとというイメージがありました。 できるだけ、丁寧にやってくれるし、曲がったことはしないだろう。

派手なことはできないけど、愚直にコツコツやっていくタイプ。
信頼、まじめさを信用できると、私のことを評価してくれてました。


勤めた10年間の中で、自分の変わったところはありますか?

そうですね。あえて言うなら、前向きな部分がでたところでしょうか。

経営者は孤独とよく言いますよね。相談相手がいない。
月に一度でも税理士がきて、話をするのを待っている人がいるんです。

最初の方はコツコツと帳面をもって、聞かれたことは答えたりとか
まじめさとか前面にありました。

だんだん、まじめさだけでなく、河原が訪問したときは、ちょっとでも空気が
明るくなるように心がけました。

せっかく楽しみに待ってるのに、暗い顔したらあかん!

あとは、基本的に現場主義を貫いてます。

ベーカリーショップの税理士として広がっていったのは、売り場とか工場とかに
スーツを真っ白しながら、入り込んだからもあります。
飾らずに、一緒に悩んだりいう部分に共感してくれました。



インタビュー風景2


■12年ごしの夢がかない・・・


さて、税理士試験に合格して、すぐ独立されたのですか?

いえ、合格して2年は前の事務所にいました。


いざ、独立というときに不安はありませんでしたか?

食うていけないという不安はなかったですよ。

税理士はクライアントがきちっとできれば、定額の顧問料が毎月もらえます。
今月は100万売上があるけど、来月は10万だけ・・というのはありません。

その点では、自分ひとりでやっていく部分では大丈夫だろう、と。

むしろ1から10まで自分でやらなあかん恐怖が襲ってきました。

例えば、郵便ひとつやるのも自分。電話とるのも自分。
私が知ってるのは1から8くらいまでで、総務がやってくれてた2を私は
知らないかもしれない。

現に、最初の請求書を出す段階で、プリンターが全く動かないとかね。


一人だと、何でもやらなくては行けないものですね。
事務の女性のありがたみって、独立してからは僕もひしひし感じます。

まぁ、それよりも嬉しかったですね。 独立したというのは・・・12年ごしの夢ですから。 ようやくここまでこれた、そんな気持ちでしたね。

逆に達成感がありすぎて、燃え尽き症候群というまでいかないけど、
しばらくすると、次の目標が見えなくなりました。

税理士になるという手段を手に入れただけなのに、いつの間にか目標にすり替わってて・・・。

それでも気を取り直し、新規顧客開拓も始めました。



■税理士の資格だけでは、お客さんがとれない


新規顧客開拓は順調にいったのですか?

最初はうまくいきませんでした。 「税理士の河原です」  色々なところに行って、挨拶しても「あっそう」という感じでした。

経営者の集まりに顔を出したのですが、知り合いに税理士がいたり、
顧問税理士もいるんですね。そこから話は広がりません。

税理士って強みと思ってたのに。資格とったら、それなりにやっていける
と思ってたのに・・・うぬぼれてましたね。

 他の税理士とどう違うのですか?
 あなたは何をしてくれる税理士なんですか?

当時はそれがなかった。そういうことに気づき始めました。


それが、ベーカリーショップ専門に繋がっていったのですか?

ええ。ちょうどその頃、有)NNAテンダーサービスの社長、 佐藤元相さんに出会いました。

彼にこう聞かれたのです。

 「河原さんの強みって何だろう?」

まじめにやってる。フットワークいい。
そう答えたら、さらに突っ込まれました。

 「そういう人たちと一緒にやってるときに、自分が必要とされてることはない?」

それで思いついたのです。

その頃から、顧問先はベーカリーショップが多かったんですね。
私のお客さん1号は、私がバイトしていたパン屋さんでした。

嬉しくて、工場の中まで入ったりとか、料金に見合わないようなこともやりましたね。
それに、ベーカリーショップには顧客が増える仕組みもあるんですよね、実は。

それに絞り込んでみたらと、佐藤さんに言われたのです。
そこで、ベーカリーショップ専門税理士と打ち出してみることにしました。



■以前のお客さんはついてきてくれました


飲食業に強い税理士さんとかは聞いたことがありますが、
ここまで特化している人は珍しいのではないですか?

本当にベーカリーショップしか来なかったらどうしよう? という不安はありました。

ただ、相談に乗ってくれたNNAの佐藤さんも当時は、製造業に強い
ホームページ会社と打ち出してましたが、他の業種からも依頼がきてるよ
と言ってくれました。

実際に打ち出してみたら、ベーカリー以外からも依頼がきましたね。

それ以上に、僕が不安だったことは別にありました。


それは何ですか?

「ベーカリー専門というなら、うちは関係ないから変えよう」

今までのお客さん、独立した時についてきてくれたお客さんにそう
言われたらどうしよう・・と。

悩んでばかりいても、仕方ないので、今回の取り組みを話しました。

「ベーカリーしか見ないの?」
「そんなことはないです。これからも、税理士業のスキルはアップして
いきます。それをご提供しますから」
「ほんだら問題ないわ。うちの業界専門じゃなくても、うちの会社に
ついては全てが分かってくれて、知ろうとしてくれるならイイよ」

僕のモヤモヤは吹っ飛びましたね。



■これからのビジョン


河原さんのこれからのビジョンを教えてください。

いくつかありますよ。

一つは、ベーカリーショップでナンバー1を目指すオーナーのトータル
サイトを作りたいと思っています。
ほんとに、ベーカリーなら河原だ!、という形に取り組みたいです。

2つ目は、私がオーナーになったベーカリーショップをやりたいんです。


えっ、河原さんがパンを焼くのですか?

いえいえ、そうじゃないです。(笑)

例えばマーケティングのプロがオーナーになあり、有名なシェフを雇って
パンを焼いてもらったりする-こういう形態は、今でも実際にあります。

僕の思いを好き放題にこめられる、ベーカリーショップを持ちたいですね。

あと、講演活動を全国でもっと増やしていきたいですね。
やっぱり、税理士というのは地域密着型です。
「河原さーん」といえば「はーい」と飛んでいける距離が営業エリアです。

マンツーマンの顧問契約は無理でも、エリア外の方のお役にも立ちたい。
色々なところで講演し、私の取り組みをご理解いただいた上で、ご要望頂けたら、
その都度、ご相談に乗ろうと思っています。
 
もっと大それたことも考えてますよ。
有名になりたいという部分もあるんです。

今、「行列のできる法律相談所」というTV番組がありますよね。
例えばね、あれがもし3年以内に「行列のできるお金の相談所」という番組
に変わったとしたら、顧問税理士として出たいなー(笑)そんな感じです。



■ベーカリーショップには顧客が増える仕組みが 

ベーカリーショップには顧客が増える仕組みがあるとおっしゃってましたが、 ソレについて教えてください。
ベーカリーショップを訪ねている人はたくさんいるんですよね。

粉屋さんやオーナー仲間など。
「へぇ、工場の中まで入ってくれる税理士さんもいるのね」
そう言ってくれました。

「あぁ、そう。じゃあ、うちも見てもらおうか。」と。 
あと、雇われてるパン職人は税理士と同じで、ゆくゆくは独立し、自分の店をもちたいと
思っています

いざ独立するとなると、粉やパンの作り方はわかるが、経理が全く分からない
だったら、河原さん頼むという風になるんですね。

ベーカリーショップには、お客さんが増える仕組みがあるなぁと思いました。
そこが面白いし、パンもすきだから、オーナーたちと一緒に取り組むのも楽しい。


普通の税理士から、ベーカリーショップ税理士と名乗ってから、何か変化はありましたか?

取るべき行動が変わりましたね。

税理士の勉強もするし、スキルも磨く。これは当たり前。
それだけやってても、差別化にならないです。

ベーカリーショップ専門と決めた、次、何をしたらいいねん! と迷いました。
とにかく、ベーカリーに関することをやっていくことにしました。
例えば、パン好きの人たちの集まりに出て行きました。
その人たちはベーカリーショップに、何を求めているのかを聞き、その情報を持って
パン職人やパン屋経営者の集まりにもいきました。



■店の前で行列になってる自転車を整理しながら


税理士の仕事をしてて、楽しい瞬間は何ですか?

ベーカリーショップの場合、自分のお店を持つのが第一目標。

その次は、2店舗持ちたいとなってくるんですね。

夢が叶い、2店舗、3店舗出したとき、花束をもっていきます。
このときが、本当に嬉しいです。

オーナーも嬉しそうです。新しいお店だから、スタッフも大変だけど、お客さんもバンバン
入ってくれます。

私は、店の前で行列になってる自転車を整理して、その様子をみています。
色々なものが報われる瞬間ですね。


満面の笑顔から、幸せな様子が伝わってきます。



■好きを仕事にしたい人へのメッセージ

自分の好きなことについては、幼い頃からの体験してきたことや自分の中で
コアなことに結びついているかどうかもミソだと思います。

ちょっとかじったことくらいで、そういうことだけで選ぶのはどうかと・・。 

ベーカリーショップ税理士があるんやったら、そば職人専門税理士になろうか
例えば、そんな人もいました。 

  その人に問いかけたいですね。
  そば職人に思い入れがあるかどうか。
  それに取り組んでいく中で、自分の生い立ちというか、歴史の中で入り込んで
  いるかどうか。

僕は小学校4年くらいから、母親がパン屋にパートで勤めてました。
家にはいつもパンがあったのです。朝はトースト。
昼間はサンドイッチ、おやつは甘いパン。
結構、パンは好きだし、思い出もあります。

それと、好きだけではなかなか出来ないと思います。

「がんばれ!社長」のメルマガで有名な武沢さんもおっしゃってました。
好きと得意が重なれば、お金になる。その2大ゾーンがないとお金になりにくい。

好きを仕事にしようとする場合は、もう少しじっくり考えた方がいいと思いますよ

僕だってパンが好きというだけでなく、ベーカリーショップにはお金になる仕組みもある
のも選んだ理由です
ベーカリーショップでは、職人が順番に独立していき、その都度、税理士を必要と
してくれます。

新しいお客さんをつくる仕組みがあるかどうかも大切でしょう。

最後になりますが。

「好きだけじゃダメ!」言ってしまいましたが、僕は、「好きなことを仕事にできる」
喜びを感じているから、「好きなことを仕事にして欲しい」という思いが強いから、
そんな言葉が出ました。

中途半端に始めて、好きだったことが嫌いなことにならないために




インタビューこぼれネタ



 河原さんの事務所にお邪魔させて頂いたとき
 「ここのお店、すごく美味しいんですよ!」
 なーんと、お土産にと、おいしそうなパンを頂き
 ました!

 早速、事務所に帰って、がっつく赤木とアミーゴ
 インタビューには、とても誠実に答えて下さった
 河原さんの愛がひしひしと伝わってきました。






「私たちがインタビューしました!」
ライフワークインタビュー (2005/09/11~09/18)
 神王リョウさんのプロフィール

有限会社アイアール代表取締役 
現在26歳。「金持ち父さん」に憧れ独立。
わずか2年で、投資とビジネスで月収2000万円を超える。

アイアールをはじめ、アメリカに本社がある投資会社の日本法人代表、IT会社
など5社を経営し、また、日本トップクラスの投資家としても、作家としても活躍中。

その傍ら、自らボーカルを務めるバンドでの音楽活動、スポーツチャンバラ・
第一回大阪市大会で準優勝など、人生をフルに楽しんでいる!


神王リョウさんの第1回目インタビューはこちらから! 

(2004年2月掲載)
24歳の彼が、会社員時代の話、そして独立後1年で
月収1千万円を稼ぐようになった経緯をお話いただきました。
こちらからご覧になれます!

ライフワークインタビュー 


■どうして僕はうまくいったのかを考え抜きました 


前回インタビューから1年半がたち、その後も色々な事業を立ち上げたと聞いております。
そのあたりについて、お話いただけますか?

あれからも、新しいビジネスモデルをいろいろと考えていました。 世の中の人たちは、どんなことを望んでいるんだろうって?

ですが、その前に、じゃあ、自分自身はどんなことを望んでいるのだろう?
新しいビジネスは、まさにその自問自答から始まりました。

まず、「お金の面」と「心や精神面」(いわゆる成功哲学みたいなモノです)のそれぞれで、
自分がやってきたことで、目標が達成できたことがあるけど、それはどうしてうまくいった
のかを考えました。

いままで古今東西、いろいろな勉強をしてきましたが、その中でも、うまくいったモノ・
うまくいかなかったモノが出てきました。

それを整理する過程で、次の新しいビジネスモデルとして自分が吸収して培ってきたもの、
うまくいったものをまとめて多くの方にシェアできたらいなあーと、思いはじめたのです。

その時、「お金」に関するモノがいいか、「成功哲学」みたいなモノがいいか、
かなり悩みました。

ですが、あるとき、なぜ僕はうまくできたのだろうかと突き詰めて考えていたときに、
お金の面だけでもなく、成功哲学だけでもなく、二つがあったからこそ、結果が出たん
だということに気がついたんです!



■ir大学誕生のきっかけ


それはまさに、前回のインタビューでおっしゃって下さった「お金のIQ」「お金のEQ」に
関わることですよね。

私が勉強した成功哲学、例えばナポレオンヒルは人生の心構えはあるけど、具体的なお金の 稼ぎ方はありませんでした。

「金持ち父さん貧乏父さん」の本などは、逆です。

どちらにせよ、片方ずつしかなかったのです。

だったら、二つまとめたものを提供できたら面白いのではないかなって思い、1年半の間で、
自分の夢を叶えられるために必要だったことを書き出して、それをまとめて提供する形で、
ビジネスをやってみようと決意しました!

ただ、1冊のノウハウや本としてまとめて出しても、あまりうまくいかないんじゃないかと
思ったのです。受講生の方が。

一度読んで終わり、みたいな感じになってしまうような気がしたので。

そこで、毎週の講義形式の形で、課題も作って提出してもらうような講座にしました。

その仕組みが「大学」っぽいので、「ir大学」とネーミングしました。


僕も受講生として、いつも勉強させて頂いてます。
ちなみに、受講者は何人くらいですか? 

現在は、4000人くらいです。※2005年9月現在


もう4000人ですか!出してみて、学びになったことは?

受講者の方から、「こういう風にしたらうまくいった!」という喜びの声を頂きます。

それが自分でも気がつかなかったことも多く、また深い気づきに結びつくこともあります。

膨大な知識やノウハウを詰め込んだのですが、まとめていき、アウトプットする中で、
「自分がなぜ、うまくいったのか」を、より深く理解できたんです。

「あぁ、僕はこんなやり方をしてたんだ。忘れてた。
今、再びこのやり方を使えばもっとうまくいくかも・・」
というような新たな発見があり、再びやってみることもあります。



■自分ができていると思った瞬間に、そこで終わり。 


無意識でやってたことが、実はうまくいくやり方だったと気づいたのですよね?
ということは、意識化できたということでしょうか?

そうですね。無意識が意識化できて、意識化すればより使えるようになり、より成長が 加速したということでしょうか。


たとえば、どんなところがより意識化できるようになったのですか?

例えば、「ir大学」のなかに、「お金を働かせる!」という講義があります。 その講義をまとめている中で、 「じゃあ、そういう自分は、どれだけお金を働かせているんだ?」 って振り返ってみました。

すると、自分の銀行口座に放り込んだままのお金が結構あったのです!

自分ではきちんとやってるつもりだったのに、お金を全然働かせていない部分が。
残ってました。ですからいまでは、ペイオフもあったので、専門家と相談しながら、
本格的な資産運用をやり始めてます。

また、勉強面でも、自分では素直に学んでるつもりでしたが、例えばセミナーに出席
してると、「あぁ、これ知ってるわあー」と思ってしまう自分もいました。

自分の講義をまとめるようになってから、ちゃんと聞くようになったのです。
すると、新たな学びにつながるのです。

やっぱり、自分ではできているつもりでも、できていないことってたくさんあるんだなあって。
アウトプットしている中で、逆に自分が成長しているんです。

最近思ったのは、自分ができていると思った瞬間に、そこで終わり。
成長が止まるということですね。


出来ているつもりになっている・・僕も気をつけます(苦笑)

僕の好きな言葉、いろんなところで機会あるごとによく言ってますが

『成長とは終点ではなく旅である。』

人間の成長って、本当にいつまでも続くことに気づきました。
それは本当に大きいインスピレーションでした。

事業面でいうと、Webノウハウとir大学という二つの柱ができ、よりビジネスは安定
してきました。

Webノウハウ講座と、ir大学とで相乗効果で売り上げを上げてます。



■今の月収は・・・かなり飛躍してます! 


月収1千万だったのが、今は?

うーん、税務署が怖いので秘密です(笑) でも、みなさんの想像以上に飛躍していることは確かです!

その内訳は先ほど言ったビジネスと投資と、あとは最近、不動産も始めたのです。
日本ではなく、海外の不動産ですが。

投資の部分は、前回のインタビュー当時、株と先物しかやってませんでした。
今は為替もやってます。

また最近では、「未公開株」への投資も本格的に行っています。
いま流行のいわゆる「IPO投資」なんかより、もっと刺激的で、もっとおもしろく、
そしてもっともっと儲かる投資です。

トレードじゃなく、インベスト(長期)の部分は、海外にシフトしています。
また、私の投資仲間とアメリカで会社を作り、本格的な投資ビジネスもいよいよ
スタートしています。

こっちもかなりおもしろいことになっていて、現地の新聞にも載ったくらいです!


月収が1千万円から、大きく飛躍して、精神面などで変わったことは?

そうですねぇ。お金については、買い物に使うお金は増えましたね。 ただ、今でも食事はコンビニ弁当ですよ、ほぼ毎日(笑)

似たようなモノが、100円と110円だったら、もちろん100円を選びます(笑)

お金に対しては(EQ面など)今までだいぶ学んできたので、変な方向にはいって
ませんよ!


確かに、いわゆる成金っぽくはなってませんよね。

そうですね。あっ、質問は精神面で変化したことでしたよね・・・ 毎月の月収が爆発的に増えたことによる精神面の変化はあまりありません。

むしろ、Webノウハウ講座とir大学という、2つの収益の柱が出来たときに、安心感は
増したことは確かです。

どっちかコケても、片方がまだ残っている。
その上、メインの投資もあります。

よく言うじゃないですか。3つの柱・3つの支えがあると、モノを支えて立てることができるって。
それがお金の面でできたので、安心感ができましたね。



■日本が破綻しても、「0」からでもやれます! 


逆にこれまでは、あまり安心してなかったのですか?

正直に言えば、お金に関してはなかったです。 と言っても、前回インタビューをして頂いたときは、まだ独立して数ヶ月しか経っていません したし。

このビジネスもダメになって、投資もうまくいかなくなったとき、あと何ヶ月生きていけるか・・・
そんなことを考えてた時期も、もちろんありました。

実は、私はアルバイトですら「商売をした」という経験がまったくなかったんです。
ですから、「Webノウハウ講座」が人生で初めて行った商売でした。

それが、数々のマスコミで取り上げて頂けるくらいうまくいったのですが、逆にそれが、
「Webノウハウというビジネスはたまたまうまくいっただけでは・・
ビギナーズラックなんじゃ・・」と。

今は、2つ目のビジネス、「ir大学」も見事に軌道に乗って爆発的に伸びていますし、
「ああ、ビジネスをやる力もついてきたんだ!」という自信もついてきました!

また、投資の方もうまくいっていますし。恐ろしいくらいに(笑)

ですから、いまは、たとえ大地震がきても、日本が破綻しても、明日から、
また「0」からでもやれるという自信が出てきましたね。


3つの柱全てダメになっても、またやり直せるという自信・・・。
その自信はどこから来てるのでしょうか?

「ir大学」という、新しいビジネスをうまくいかせたという経験でしょうか。

それまでも本などで勉強してきたのですが、それだけだと、自分を信じられなかったんです。
結果を出してなかったので・・・。

実際、カタチにしてみて、うまくいったときに、自分を信じられるようになりました!



■天才-僕のセルフイメージ 


神王さんが、そこまで成功した要因は何でしょうか?

うーん。自分のセルフイメージとして「天才」というのを持っていることが大きいと、 最近気づきました。

これには面白いエピソードがあるんです。
小学校の頃は、勉強してなくてもテストで百点とれてたんです。
中学校に入ると勉強が難しくなったんです。
それで、全然勉強しなくなりました。

あっという間に成績は、下から数えて、350人中10位以内、、
中学1年の頃は、自分のプライドというか自尊心がズタズタになりました。

それが変わったのは、2年生に上がったときのことです。
詳しい経緯は忘れましたが、友達に「お前、天才やなぁ!」と言われたんです。

その瞬間に「あ、僕って天才やねんな!」とストンとお腹に落ちた感じがしたんです!
アイデンティティの部分、魂のレベルで受け取ったというような瞬間です。

それからの中学2年の学年テストで、学年3番まで一気に上がったんです。
塾にも行っていませんし、特に何かしたというわけでもなく。


僕が最近受講したNLPセミナーの中でも、アイデンティティが変われば、全てが変わると
言ってました。ほんとにそうなんですね。

この出来事は大きかったです。

成功した要因・・・
他には、失敗しても、「これは成功するまでの階段だ!」と、かなりポジティブに
考えていたことですかね!

結構、加速度的に夢が実現していったんです。

成功するには、失敗が必要だと僕は思います。僕は失敗の数を積み上げました。
成功とは、失敗の山のことであるってね!
(お、いま、ちょっとカッコイイこと言った(笑))


失敗を避けず、そして恐れずに、むしろ積み上げていったのですね。
その背後に強い人生哲学というものも感じます。

「思考は現実化する」というのを、僕も信じているのです。 「人生は自分を写す鏡である」というのは、座右の銘でもあります。

人間が作り出す現実は、思考と言葉と行動。
どれかがマイナスだと、望まない現実をもたらす。

だから僕は、この3つを毎日意識して生きるようにしています。



■より高いところから新しい世界を見続けたい 


リョウさんの人生の目標は何でしょうか?

僕のミッションというか、人生の目標というか・・・ 「高みに登る」というのがあるんです。

より成長し続けて、より高いところから新しい世界を見続けたいんです。

そんな大きなビジョンはあるけど、日常では忘れてしまいます。

朝、早いとしんどい。
文章を書いていると、あぁ、疲れたからイヤだぁ~。

そのときは、思考や言葉や行動がネガティブになっているので、そういう現実を作って
しまいます。

そんなとき、僕は自分に1つの質問を投げかけるようにしています。
「僕が高みだったら、今どうしている?」

今、やってることが、人生の高みにつながると分かればやる気になるし、楽しみにも
なります。

逆に「これをやっていても、高みにのぼらない」と分かれば、やめます。
たとえば、ぼーっとTVをみてたりすることとですね(笑)


高みを登っていくことで、リョウさんの周りにどんな世界をもたらすと思いますか?

それにはまず、自分に高みに登ることが第一。 その経験を踏み、それを伝えることで、大きく言えば 人類全体の意識を引き上げていけたらいいなと思っています。ちょっと壮大ですね(笑)

もう少し、みんなの思考が変われば、世界はきっとよくなると信じているんです。
例えば、犯罪が起こってしまうのは、お金がないとか、自分に自信がないとかではない
でしょうか。

そういう部分では、「ir大学」といったようなものは、今後もやっていきたいです



■今後のビジョン-音楽業界に革命を- 


僕も「ir大学」の受講生ですが、リョウさんの生の言葉を聴けてうれしいです。

ありがとうございます。 ビジョンの話が出てきたので、ついでに・・。

ir大学で伝えたことを、今後は音楽に乗せて伝えていきたいとも思ってます。
そう、次は音楽です。

近い未来、音楽業界に革命を起こしてしまいます!(笑)
今の音楽業界は、売り上げ重視です。売れる音楽しか作らないって感じですから。

僕には、ミュージシャンの友達が何人もいます。
いつも思うのは、本当に良い音楽が世の中に出てこないということ・・・残念ながら。

だから、新しいレコード会社を作ろうと思ってます。

その他の新しい展開としては、投資ビジネスの部分ですね。
今後、年金問題とかいろいろとあるので、誰もが勉強する必要が出てきます。

今の教育は「株とは何?」というのさえ、教えていません。
そういう部分の啓蒙というか、投資の勉強などもお伝えしていきたいです。


色々とやりたいことが目白押しですね。

あとは、これから起業する人ためのベンチャーキャピタルです。

ベンチャーキャピタルは、初期の段階に入って、儲けたら逃げていくと言われてます。
そうでないとベンチャーキャピタルは儲からないので仕方ないですが、
それでは起業家はやってられません。

僕は自分が共鳴するビジネスに投資したいし、パートナーとして一緒にやっていきたい
のです。



■時間の使い方は、自慢できることの一つです 


今、色々なことをやろうとしてて、忙しいと思いますが、
時間の使い方で意識してることは?

あ、そうですね! 1つ自信を持って自慢できることは、「時間の使い方のうまさ」だと思ってます(笑)

成功した要因の一つに、時間管理も入れておかないと(笑)

仕事面以外でもめちゃくちゃ多趣味です。
音楽活動はもちろん、最近ではスポーツチャンバラにもハマってるし
(大阪市大会で準優勝!するくらい特訓もしてます(笑))、

マンガを読んだり、サイクリングしたり、、、
あと最近は、毎日と言っていいほど飲みに行っていますし(笑)

時間という面で言うのなら、最も大きな学びだったのは、フランクリンの言葉で、

僕がはっとさせられた言葉があります。

あなたは人生を愛しているか?
愛しているなら、時間を大切にしなさい。
人生は時間でできているのだから。

時間管理の秘訣はというと、よく「質の管理」といわれてますよね。
ですが、実際はそうではなく、人の3倍成果を出すには、3倍働く必要ない。

1.5倍でOKだけど、人より多く働く、時間をかける必要はあるってことです。

時間もですね、まずは「量」をこなさないと、「質」の管理ができません。
効率、効率ではなく、まずは量ですよ。その上で、質が追求できます!!

(時間管理については、今後の私のメルマガやセミナーなんかもやっていきたいです!)


量から入る。まさに名前のとおりですね(笑)

あ、「量」と「リョウ」ですね(笑)

それだけいろいろとやってて、本当大変ですねとか、忙しそうですよねとかよく言われます。

ですが、僕は楽しいです。楽しいことで忙しいんです!
前回のインタビュー時よりも、はるかに毎日充実しています。

常に人生、良い方向に向かっているんです。

短期的にみると大変な場面もありますが、長期的にみると本当にすばらしい人生だと
思っています。

長期的なところを見るのが大事ですよね。



なぜ、私が、わずか2年で、好きなことを仕事にして、
 年収2億円以上の 「幸せなお金持ち」 になれたのか? 

■神王さんが開講する 「ir大学」とは何?

 そのノウハウ・秘訣をこっそり、全てあなたに贈ります!

 「あまりにも、秘密を公開しすぎている、、」
  という、ため息の感想まで出ている、
  神王リョウの「告白」、始まる。

  ぜひ、こちらをご覧下さい 
  (赤木も受講しています)

インタビューこぼれネタ
 リョウさんをひたすら待つ日々でした・・・あぁ。

 インタビューをまとめた原稿を渡したのですが、
 その返事がこない!
 心を鬼にして、メールでの催促、時折電話もしましたが。

 「今はちょうど多忙で、連絡遅くなってごめんなさい。
  原稿チェックしておきました。
  それより、アミーゴがキリンになっていないかどうか心配。」

  遅い! もう首が伸びきってしまったわ!!
  との言葉をぐっとこらえて、「大丈夫」と笑った
  アミーゴでした






「私たちがインタビューしました!」


ライフワークインタビュー (2005/11/06~11/20)

中村伸一さんのプロフィール

1961年、東京生まれ。観光専門学校卒業後、国際体験プログラム代行会社勤務を経て、 1996年に独立し、(株)エクスプローラを設立。

「地球探検隊」のブランド名で、世界各国の多国籍冒険ツアーの予約・販売をしている。
渡航国は40ヵ国以上。
■ブログ【中村隊長のビタミンT】


ライフワークインタビュー

■「心の冒険」を一緒に楽しむ旅行会社です


今回、広島の友人より中村さんをご紹介いただきました。

その方をはじめ、皆さん、「中村隊長」と呼んでらっしゃいますね。
私たちもそう呼ばせていただきます。

では、早速ですが、現在のお仕事を教えてください。

冒険に特化した旅行会社を経営しています。

「地球探検隊」というと南極・北極などの極地探検とか秘境ツアーを扱っている会社と誤解されますが、「冒険」の意味するところが違って、どちらかと言うと心の冒険ですね。

まだやったことがないことをしてみる、それくらいのことでも心の冒険になります。

初めてのことはみんな不安じゃないですか、やれるかどうか分からない。
でもちょっとやってみようと、飛び込んだ人が楽しめるツアーを紹介しています。

だから、アドベンチャーツアーといっても、ソフトアドベンチャーですね。

必要以上の体力はいらないのですが、精神的にタフであることのほうが重要です。
そんな想いもあっての「地球探検隊」なので、参加した人を「お客様」ではなく、「隊員」と呼んでいます。



中村隊長!


ソフトアドベンチャー・・、具体的にどんなツアーなのでしょうか?

代表的なのは、トレックアメリカという多国籍冒険ツアーの代理店をやっています。

トレックアメリカとは・・ロサンゼルスからニューヨークまで横断したり、オリンピック選手村のように、色々な国の人と旅ができるツアーです。

ホテルやロッジにも泊まるが、基本はキャンプ場テント泊。
いわゆる世界のバックパッカーと共に成長していく旅です。


外国籍の人たちの中に混じって、ツアーに参加するのですよね。
隊員として参加される方は、どんな方が多いのでしょうか?

今の客層の核は、20代から30代の女性。

会社を退職して参加する方も多いですね。

世界中から参加しますから、共通語は英語です。
でも、英語に自信がないという方の参加も多いです。海外が初めてという方も結構います。

どういう旅が記憶に残るかというと、分からないことは、下手な英語でも、自分で現地の人に聞いた方が記憶に残るんですね。

身振り手振りでも、絶対に気持ちは通じますから。



感想ぎっしりの棚



■一歩踏み込む勇気が必要


確かに!日本語が全く通用しない場所で、つたない英語、時にはスペイン語でも何とか伝わったときの嬉しさは格別ですからね。

下手でも通じたこと、やってみたことが、一つの経験になります。

その経験があれば、何かでやろうかやるまいかと思ったときに、「やる!」と決めるじゃない
ですか。

そういう旅・・・せっかくお金払っているんだから、人生を変えるくらいのインパクトがあって
いいんじゃないかと思って。

それがね、心の冒険。たぶん、一歩踏み込む勇気が必要。

いつもの安心領域から、とにかく一歩踏み出す。そして、習慣化する。
考えないで、やる方向に向く。
そのクセがつくと、無意識レベルまでに、やる方向にいきます。

やる人間になれば、どうやってやるかを考えればいいのです。


他人からみれば小さな行動であっても、勇気を持って行動していくことで人生は変わりますよね。

そう。 仮に失敗しても、行動しないより、行動した方が後々の人生が濃くなる。

それを誰かが一生懸命言ったところで、伝わらない。
たぶん、自分の中で気づかないと。体験していかないと。

このツアーは、そのきっかけづくりでもあります。
他に、「大人の修学旅行」というのもやっています。



■リピート率バツグン!大人の修学旅行とは?


大人の修学旅行とは??

いきなり外国人だけの中は躊躇する・・という声や、社会人になってまとまった休みがとれず、短いツアーしか行けないという声も出てきました。

そこで、トレックアメリカツアーを、日本人に貸切することを思いつきました。
これが、当社の人気ツアー「大人の修学旅行」です。

私がツアーを創るときに一番考えたのは、どうしたら記憶に残るのか楽しめるのかです。

そのために、私やスタッフが仲間としていくこと。
私やスタッフが通訳やガイドになっちゃうと、隊員は頼ってしまう。
いわゆる「連れて行かれる旅」になってしまう。
そうすると、記憶に残らないんですね。

大人の修学旅行は2001年に誕生したのですが、この旅はリピート率がむちゃくちゃ高い。
1年6回も参加したという隊員もいます。

「地球探検隊」のメルマガで告知すると、すぐに売り切れ。特に年末年始は早いですね。
発表から数時間で埋まってしまうツアーもありますね。

あとは隊員同士の交流会など、国内イベントもよくやりますよ。
来春からは「国内のアウトドアな旅」も主催していくつもりです。



参加者からの喜びの声!



■数ヶ月留学しただけで、大して英語が話せない


会社員の頃も、旅行関係の仕事をされてたのですか?

先ほどのトレックアメリカというツアーは、1983年に入社試験を受けた会社から知りました。

私にとって衝撃的でした。「面白そうですね」というリアクションをとったのは私だけだったそう。

それで採用されました。一番最初に就職した会社です。
当時、1980年代ってまだ海外旅行に行く人は、今ほど多くありませんでした。

格安航空券がそろそろ出始めたのですが、今ほど安くなかったし。

若者たちに、「今年こそ夢の海外旅行を実現させよう!」くらいの時代。

お金の貯まった20代後半から30代前半位までのお客さんが多かった。


その旅行会社では、どういう仕事をされてたのですか?

私が配属されたセクションでは、留学やホームスティを斡旋したり、海外ボランティアの紹介をしていました。

その中に、海外で遊ぶというプログラムもあったのです。
一番、お客さんからリアクションがあったのは、この「遊ぶ」プログラム。

たった2~3週間くらいの短いプログラムだったんですけどね。
それが今でも扱っている多国籍冒険ツアー、トレックアメリカです。

だらだらと3ヶ月や6ヶ月留学しただけでは、大して英語は話せないんです。
授業以外にどれだけ英語を話したかで、実力が決まりますから。

目に見えた卒業証書より、遊びながら身につけた目に見えない心やスキルの方が一生残る。
何よりかけがえのない仲間が残る。

そう思ってやってたんですが、親会社からクレームが入りました。
苦労の割りにあまり儲からない。
入社6ヶ月で、上司と私はクビになり、そのセクションも無くなりました。



■「理不尽」と顔に書いた女性社長との13年


えっ。6ヶ月でですか・・・。その後、どうしたのですか?

直属の女性の上司と、旅行会社を立ち上げたのです。

その女性が社長で、私がナンバー2。
今から思うと、「理不尽」と顔に書いた女性(笑)。

カミソリのように頭が切れた人だったのですが、社長には向いてなかったと思います。

最初に、この人とやるのは10年と決めたんです。
10年はどんなことがあっても、一緒にやる。我慢すると決めました。


約束どおり、10年は在職されたのですか?

結局、13年いました。すごい日々でした。

その間、何人も入社してきましたよ。
でも「こんな上司についていけません」といって、皆ドンドン辞めていく。

私自身も力不足でした。
歯がゆい想いを何度も味わいました。

気がつけば、いつも二人。

色々とエピソードはありますが・・・。
在職中、離婚直後、それを忘れるために仕事に打ち込んだ結果、前年比3倍の売り上げを
達成したことがあったんです。

さぞかし良い賞与が出るかとワクワクしていたら・・・社長は一言。

『会社に増資するから、今月給料ゼロね。』
こんなこと、平気で言うんです。
そして翌月も。

『えっ、またゼロですか?いつまで続くんですか?』
『何言ってるの。まだ貯金があるでしょ』

むちゃくちゃな人だけど、なぜか憎めないし、どこかで信じてました。
今は払えないけど、いつかきっと払ってくれるだろうと・・・。

現に退職するときに、まとめて払ってくれたのです。それ以上のものを。



インタビュー風景


ちょっとブレイク
  
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■上司がどうこうで辞めたくなかった


その13年間で得たものは何でしょうか?

なんでしょうね・・・絶対にあきらめないことがまず1番ですね。

『20代でそんな馬鹿なヤツいない。お前絶対に利用されてるんだよ。
 辞めちゃえよ。お前みたいな部下だったら、俺もほしい。
 給料ゼロでも思いっきり働いてくれるんだから。』

周りの友達に散々言われましたよ。
確かに利用されてるのも事実かもしれない。

でも20代の僕に任せてくれているのも事実。

任せられているということは信頼してくれていることだし、だったら信頼に応えたい。
それは自分の力にもなる。


どれが正しくて、どれが間違っているというのではないですよね。

あくまでも、自分がどの考えを選択するかだと思います。

そう。どっちも正解だと思ったんですが、利用されてると思ったら、仕事になんないですよ。

これは自分のためにやっている。
あるフィールドを・・・舞台を用意してくれてる。

自分の会社じゃないんで、ある程度開き直りも出来る。
思い切り、自分はその舞台で演じている。やらせてもらえているってね。

この仕事を好きになっちゃったし、上司がどうこうで辞めたくない。
だから、自分で自分の環境や気持ちをよくしていくしかなかったのです。


環境や気持ちをよくしていく秘訣は何だったのでしょうか?

私の場合、環境を変えるひとつは、お客さんと友達になることでした。

こんな素晴らしいお客さんがいる。
上司がどうくらいで、お客さんとの関係を終わらせたくない。
お客さん同士の縁をつなげる飲み会とかやって、それがクラブみたいになっていきました。

それを見てるのが、その場をつくったのが自分の喜び。

でも・・・実は25歳のときに、一度この会社を辞めたことがあります。
そこで3ヵ月の放浪の旅に出たのですが、人生変える言葉と出会いました。



■全ての原点となった人生を変える言葉とは


人生を変える言葉とは?

かつて、ツアーに参加してくれたお客さんと、ばったりオーストリアのウィーンで出会いました。

久々に聞く日本語で、こう言われたのです。

『中村さんのおかげで素晴らしい2週間でした。ありがとうございました。
 私の人生でこんなに笑ったことがなかった。
 私はこれで元気になれたから、今後も私のように日本人を元気にさせて。
 そして日本を元気にして。いい仕事やってますよ。』

その頃、離婚した自分を責めて、自分なんて何の役にも立ってない無価値な存在だと思ってました。改めて、自分を見つめなおしたのです。

俺は何のためにやってるのか。
別に給料でるとかでないとかそういうのではない。
死んだかもしれない自分が生かされて、自分でも役に立っている。
自分がやったことで喜んでくれる人がいるんだ。

あの時の思いはいつも忘れない。
それが全ての原点で、原動力で、これがあるから今までやってこれました。

その後、女社長からも『戻って来る気があるなら戻ってくれば!』と言われたので、
復帰したのです。



■年収200万円の時代を乗り越えて


戻って待遇も良くなったのでは?

いいえ。逆です。復帰したとたん、その社長は言いました。

「半分しか給料出さないから、半分は他で稼いで」
それで、二束のわらじとして、バイトやりました。
通信社の仕事で、その当時、時給600円でした。

通信社の仕事は休みもありましたが、365日働いていました。
朝9時半~夜11時半くらいまで働いていて、両方あわせて年収200万ちょっとでしたね。

次の年からようやく、社長が元のポジションに戻してくれ、通信社のバイトをやめることが
できました。

それでまた数年やってきたのですが、独立1年前にターニングポイントが。



■社長にオフィスを追い出されて・・


ターニングポイントとは?

もともと社長と意見が合わなかったのですが、それがますます・・。

言い争った末に、「うるさいからあっち行け!」と分室に追いやられました。
あるオフィスの1Fが開いてたので、そこで一人で仕事をすることに。

そこは3畳くらいのオフィスで、トイレもありません。
それまでは、専務取締役という肩書きをもらってたのですが、それも無くなりました。
さらに給料ゼロの、独立採算制に。


自分で自分の給料を稼ぐってことですよね。すぐに軌道に乗ったのですか?

最初はキツかったのですが、売り上げが上がるきっかけは、旅行雑誌ABロードに記事として、掲載されたときですね。

雑誌の威力はすごかった。
連日、ラーメン屋状態。3畳なので、2人入るとオフィスがいっぱいなんですよ。
だから、一人終わったら次の人を呼ぶということをやってました。

で、オフィスで話している間も、電話がかかってきます。
私一人しかいないので、目の前のお客さんに待ってもらうことも多いのですが、多国籍
冒険ツアーなので、不安な人も多く、問い合わせの電話も長いのです。

「この1回の問い合わせ。ここで終わるのか、それとも一生の友達になるのか。」
一期一会の気持ちで対応していました。

電話で話している相手だけでなく、その場で聞いているお客さんも、外でその話を聞きながら、待っている人も感動するくらいの勢いでやってましたね。

それが相乗効果になって、どんどん成約率も上がりました。
あっという間に売り上げもあがりましたね。

行列ができてから、その苦労した年の年収分くらいが月収になりました。
そのお金が独立資金になったのです。

その前に、社長に言われて、一般旅行業務取扱主任者の資格を取っておいたので、旅行会社を立ち上げることが出来ました。



■独立して、家族はホッとしたようです


独立に躊躇はありましたか?

ありませんでしたね。

よく「独立して、家族から反対がありましたか?」を聞かれますが、それは全く逆です。
「サラリーマンの方が不安…。」

今の奥さんと結婚して、よく言われてました。
いつまた給料ゼロと言われるのか・・・そっちの方が心配でしょう。

だから、独立してほっとしています。


ははは、奥さんの立場なら、それならいっそ独立してほしいと思うでしょうね。

現状が普通の人だったら、少し立ち止まって考えるのでしょうが、普通じゃなかったから動き出しました。動き出したら、早かった。

会社作るといってもどうしたらいいか分からないし、経理もシステムも分からない。

でも、行動することで、次の現実がくるという言葉がありますが、その通りだと思います。
あまり考えないで、とにかく動いちゃったら、自分が苦手なことを補う人が出てきましたから。
司法書士や税理士も紹介されて…。



オフィスの様子



■私は「旅」というものにはこだわりがありません


給料ゼロだったり、二束のわらじをやったり・・・色々とありましたが、続けてこれたのは?

自分だから、出来たわけじゃない。

嫌な環境だと嘆いていても変わらないから、こんな上司でもこんなことができるんだぜと
いうことを少しでもやっていったら、本当に仕事が好きになりました。

今から思うと、落ち込んでこのままだとどうしようというのは何度もあったけど、周りが苦労
したと思うほど、苦労したとは思ってません。

好きなことをやらせてもらっているじゃん。そっちの方がずっと強かった。

私は、目の前の人にどれだけ喜んでもらうかというのをやってました。
旅を好きじゃなく、人と会うのが好き。

私は「旅」というものにはこだわりがありません。
旅を商品として売るよりも、旅をきっかけにして、人と出会うことが楽しいのです。

旅を通じて、広がるコミュニティ。
旅が終わったら終わりじゃなく、逆にそこからがスタート。
余計に関係が深まる。同じような旅をしてますから、仲間意識も強くなる。

旅は目的ではなく、人と人が出会う場を提供する。そのための手段です。



喜びのハガキがこんなに!



■ふんぞり返り、左うちわになったら、自分は終わり


まさに、一期一会を大切にしてらっしゃいますね。

雲の上の人になってしまって、何か思っても言いにくい存在にはならないように気をつけてます。

例えばネット界で有名になったり、メルマガに関して、書籍で紹介されたり、講演やって「先生」って呼ばれたり、マスコミに取材されたりすると、だんだん色々なことを言ってくれる人が少なくなってしまうんですよ。

でも、言いにくいことを言ってくれるのは、同じ目線で語り合える隊員なんです。
「ちょっと最近、隊長違うんじゃないの?」
それで、本来の自分に立ち戻れるんです。

「隊員とホイホイ飲みにいってないで、ちょっと権威のあるように・・・ちょっとやそっとでは
 会えないんだよという感じで行ってくださいよ」

ある人に、そういわれたこともあります。
でも、それはオレの道じゃない。

年齢が上だろうか下だろうか、同じ目線で言い合える仲間がいるのが、私にとっては一番。
ふんぞり返って、左うちわになったら、自分は終わりだな、と。

今のこの状態、仲間の一人として旅に参加することを、50代になっても、60代になっても
続けられるのが目標です。



■お客様は神様ではなく、隊員は友達です


隊長の話を聞いていると、とにかく「楽しさ」が伝わってきますね。

毎回、人と会うことが楽しくて、楽しくて・・・

それに隊員たちが、どんどん報告しにきてくれた。

関西空港が出来る前は、だいたい成田発が多かったので、出発前にうちに寄ってくれたり
帰ってきても、家族にあう前に、うちに来てくれたりする。

すでに、現地で焼き増ししてくれた写真とか見せてくれて・・・行く前は、不安の塊だった人も多いです。

「ツアーといっても、周り男ばっかりだとどうするの?
 お前の英語力じゃ、何もできないよ」

 周りからそんなことばかり言われて、出発前にはごはんも食べられなくなったという
 女性もいました。

帰ってくると、目が輝いている。目の奥に力がある。
そんな姿を見ると、やってて良かった、本当に思う。彼女も話したくて仕方無い。

私もそれを聞くのがとても楽しかった。

私にとってお客様は神様ではなく、隊員は友達です。
その頃から変わってないけど、友達というのはなぁなぁじゃなく、真剣勝負。

目線を一緒にし、何でも真剣にモノを言ってくれます。


参加してくれるお客さんと、そこまで深い絆が結べる旅行会社、他にはないですよね。

旅行会社は大体2パターンに分かれます。

どんなことがあっても、お客様は神様といって、へりくだるか、留学の斡旋会社に多いのですが、先生のように上からしか話さないような会社。

真剣勝負だ対等だと思い、フラットな関係で何でもお客さんと言い合ってる旅行会社って
ありそうでないよな・・・。

何でも言いたいこと言い合うと、失敗して言われたくないこと言われてしまうこともありますが、それが、次のお客さんにつながるんです。

そんな感じで発展していけばいいやと思ってます。



■好きを仕事にしたい人へのメッセージ


うじうじ悩んでいるなら、転職した方がいい。

場所を変えてしまう方が早い。
「思い」と「行動」が一致してないとストレスになる。

それで転職しちゃっても変わらなかったら、自分の中に何か別の原因があると思います。

何をやっても不満な人は、何やっても一緒。

自分の好きなことが分からないという人は多い。
けど、そんなに簡単に見つからないですよ。

だったら逃げないで、今の仕事をとことんやりましょうよ。
どこかでもっと、人と違う本気度でなにかに取り組まないと、何もつかめない
オンリーワンになるためには、とことん自分自身が納得するまでやらないと。

あと、職種とか考えない方がいいですね。
本質を見たほうがいい。

私のおじさんは高校教師でした。
熱血先生・・・古いドラマで言うと「飛び出せ青春」みたいな、そういう先生に近かった
です。

私は、おじさんのような先生になりたいと思ってました。
今から考えると、あのときやりたかったことはやってるんですよ。

教員ではなく、一緒にツアーに参加する隊長として。
隊員たちから教わっていることがたくさんあります。

学校の先生が、生徒と一緒に成長するように、隊員と一緒に成長しています。

あと、自己投資はしていった方がいい。
たとえば本を読んだり、人と会ったり、セミナーに通ったりして、インプットするだけで
なく、アウトプットも大事です。

自分はブログとメルマガでアウトプットしています。
アウトプットすることで喜んでくれる人がいると、日常が変わります。

「今日はこれに感動したから、伝えよう。」
感動のアンテナが敏感になってくるんですね。

そして失敗なんて恐れることないですよ。若くなくてもOK。
失敗恐れて何もしないより、行動しているうちに、新たな目標がでてきます。

動いた分だけ、ベストなタイミングが訪れますよ。



インタビューこぼれネタ



 隊長は非常にパワフルにしゃべる、しゃべる。
 隊長も心配してくれましたが、記事をまとめるの
 非常に大変でした。

 しかし、地球探検隊オフィスのアチコチに貼って
 いる、隊員からの熱いメッセージから
 地球探検隊ツアーが、そして隊長がどれだけ
 隊員たちから愛されているか、ひしひし伝わって
 きます。

 とっても、心地よい空間でのインタビューでした!



 


最後までお読みいただき、ありがとうございました!!
  
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「私たちがインタビューしました!」
ライフワークインタビュー (2005/10/02~10/16)
高橋麻希子さんのプロフィール

 ファーストクリエイト有限会社代表取締役 1969年生まれ。東京都出身。

大学卒業後、大手旅行代理店での勤務を経て、外資系マーケティング企業へ転職し、
日本法人の立ち上げに携わる。

2004年にファーストクリエイト有限会社を設立。
現在、家事代行サービス【クラブクリエイト】を運営している。

ライフワークインタビュー

■家事の便利屋さんです


現在のお仕事を教えてください

家事代行の会社を経営しています。

弊社に登録いただいたスタッフを、申込者のご自宅に派遣しております。


家事代行というと、ハウスクリーニングを思い浮かべるのですが・・
それだけではないのですよね?

もちろん、日常的な掃除はします。

が、専門的な技術や、道具を必要とするハウスクリーニングは対応しておりません。

むしろ、必要なときに、リーズナブルな料金で、日常的な家事全般を担当させて頂く”家事の便利屋的存在”と思っていただければ・・・

洗濯や料理はもちろんのこと、綻んだボタンの付け替えや夕飯の買出しなど・・、きめ細かいニーズに対応していますよ。



高橋さん


はぁ~、それは便利なサービスですね!
働く女性に喜ばれているのでは?

はい。共働き家庭だけではなく、単身者のお申込みも多いですね。


登録スタッフは、主婦歴の長い方が多いのですか?

そうですね。登録頂いているスタッフは50代前後の方が多いです。

主婦歴は長く、日常的な家事はお手のもの。
子育ても一段落したので、自分の時間がたっぷりある。

家庭のこともあり、フルタイムの仕事はできないけど、空いてる時間で、自分の今までの能力を生かした仕事がしたい。

そういった理由で、応募いただく方が多いようです。



■入社半年で、ここでは無理だと・・・


なるほど。

では、今から会社員時代のことを聞きますが、今の仕事とつながっているのでしょうか?


いいえ、全然違いますよ(笑)

私は大学卒業後、大手旅行会社に就職しました。

そこでは、海外の団体手配をしていました。

例えば、社内旅行や視察旅行の申込があった際、現地でのアテンドや食事の手配などをしていました。


その会社には、どれくらい勤務されてたのですか?

約5年です。自分でもよく続いたなと思います。 入社半年で、ここでは無理だと感じ始めました。
無理だと思った理由は何でしょうか?
大学生の頃、社長に接する機会がありました。

当時はバブルだったので、話を聞いていて楽しそうだし、そういう人たちの話は
勢いもあり、憧れました。

その頃から漠然と、自分もゆくゆくは独立してやっていきたいと思ったのです。

社会経験を積むため、一般企業に就職したのですが、大企業は、社内で必要なスキルを積み重ねる仕組みではないですか。

例えば、端末の使い方だったり、そこでしか通用しないスキルにすごく時間を取られます。
もっと一般的な、どこにいっても通用するスキルを身につけたかったこともあり、このままで良いのか不安になりました。

ただ、当時は私も学生から社会人になったばかり。
もう少し頑張ろうという気になり、それが長くなり、結局5年になりました。



■独立に不安は無かったです。


5年勤めたあと、すぐに独立されたのですか?

いいえ。もっと社会での経験を積みたい、よりスキルアップしたいと思っていました。

特にマーケティングに興味があったので、日本にきたばかりの外資系ベンチャー企業に
転職しました。

社員が少なかったので、いろいろな仕事をしました。
媒体制作、営業、企画書の書き方、リサーチ業務など・・・そこでは、たくさんのことを勉強できました。

そこでの経験は、今にとても役立っています。

会社以外にも、本を読んだり、起業セミナーに参加したり、独立に向けての準備のようなことはしていました。


そして、いよいよ独立。転職と独立に違いはありましたか?

あまり違いは・・・同じような感じでしたね。


会社を辞めて、独立することに対して、不安や恐れはありましたか?

あまり無かったです。

一回、転職してることもあり、場を変える不安はそれほどありませんでした。
むしろ、最初の転職の方が不安でした。

会社を出て、自分がちゃんとやっていけるかどうか分からない・・・
だったら、今いるところで積み上げ、ここでもっと上を目指す方がいいかもしれない・・とね。

あと、会社を辞めると言ったときに、当時の上司から「当社を辞めて、不幸な人生を歩んだ人の話」を聞かされたんです。

それはきっと親切心から言ってくれたのだと思いますが、社会は甘くないのかな~と思ったりもしました(笑)

でも、実際に辞めてみて思ったのは、もっと早く行動すれば良かったということでした。



■まずは家事代行会社にアルバイトしました


独立して選んだ業種は、それまでの経歴と全く違いますよね?
家事代行を選んだ理由を教えてください。

起業にあたり、事業のネタをいろいろ探していたのですが、丁度その頃、自分が忙しく、家のことまで手が回りませんでした。

お願いしたいけど、こういうサービスを申し込むのは勇気がいりますよね。
プライベートな領域に、知らない人が立ち入るわけですから。

いろいろ調べてみたのですが、そのハードルをクリアできていないケースが多いなと感じました。

だったら、自分でやってみようかな、と思ったのがひとつのきっかけです。


自分がこまってたことで、起業する例はよく聞きます。

お客さんの立場として、ハードル越えられない理由がいくつかあったのですが、まず、マーケティングが弱いと感じました。

告知が少ないのでそういうサービスがあることすら世に知られていない。
また、ホームページがあってもそれを充分生かせていない。

私もサービスを利用してみましたが、スタッフの対応が中途半端だと感じるときもありました。

異業種だからこそ、自分の経験が生かせられるのではと思ったのですよ。

ただ、その業界での経験が無かったので、3ヶ月間、家事代行の会社に、アルバイトにいきました。


経験したからこそ、分かることは多いですよね。

そうですね。

それまで、お客さん側の気持ちは分かりましたが、働くスタッフ側の気持ちが分かりませんでした。

自分も実際にスタッフとして働いた経験があるからこそ、今、どうしたら、働く人が楽しくなれるか、そういう視点を得ることが出来ました。

人材派遣業は、働いて下さるスタッフに過剰に負担がかかると続きません。
弊社にスタッフ管理を担当している者がいますが、私はお客さんの視点で意見を言い、彼女は働くスタッフの視点で意見をくれます。

よく討論になりますよ。

お客さんの要望を聞いて提案すると、それでは働く人には負荷が大きいと言われます。

でも、お客さん、働くスタッフ、どちらかだけの視点に立つとうまくいかないと、私は思っています。

バランスが大切です。



■人材サービスがこんなに大変だとは・・・


仕事をしてる中で、やりがいを感じるのはどんなときですか?

そうですね、お客さんから感謝されたとき・・・でしょうか。

ほんと、助かりますと心の底から言われるとすごく嬉しいですね。
やっててよかったなと思います。



インタビュー風景


逆に困っていることなんかはありますか?

人ですね。

当社は人が商品ということになる訳なのですが、人材サービス業が、こんなに大変だとは思いませんでした。

モノを売っている方がよっぽどラクなのでは?と思ったりしますよ。

だけど、私はまだ先にやりたいことがあるので、今、人で苦労してるのは、将来、絶対に役に立つと思っています。



■これからのビジョン


先にやりたいこと・・ビジョンを教えていただけますか?

”女性の自己実現をサポートする”ことをキーワードに、関連事業をやっていきたいと思っています。

いくつか考えているのですが、その最初の一つ目が、現在の家事代行サービスなんです。


高橋さんを動かす、原動力といったものは何でしょう?

結果に対する執念でしょうか。

目指したい場所があり、そこに至る階段があるとしたら・・一段一段、昇っていかないかぎり、そこには到達しませんよね。

途中で諦めてしまうことも多いかもしれないけど、私は結果でるまで積み重ねていきたいと思っています。



■私、会社員って羨ましいです。


会社員時代の自分と今とで、何か違いはありますか?

全く違いますね。

まず、気の持ち方が違う。
私、会社員って羨ましいなと思いますよ。


戻りたいと思ったことはありますか?

ええ。6月になるとボーナスの話題が・・・(笑)。

ボーナスもらったら、どこに行こう、何買おうとプランを立てられるけど。
今は全く関係ありません。


おっしゃる通りです(笑)

会社員の人は、今いる環境がどれだけ恵まれているか、実感されたら良いと思います。

会社からとてもつない恩恵を頂いてると思いますよ。

例えば、給料の何ヶ月分もする研修に行かせてもらって、その間も給料貰えるんですから。

私たち自営業は、行きたい研修は全部自腹です。夏休みも何もありませんしね。
本音では会社員に戻りたいとは思っていませんが、羨ましい環境だな、とは思います。



■独立して、変なストレスは無くなりました


それ以外に変わったことはありますか?

真剣さの度合いですね。 もちろん、会社員当時も真剣にやってましたよ。

でも今は、自分がやらなきゃ、何も動かない。
やっても報われるとは限らないけど、やらないことには進まない。

それと、出会いが増えました。

会社をはじめてから、出会う人も変わりました。
今はたくさんの人と出会えるし、色々な機会がもらえます。
私が今、会社員のままだったら、この取材もなかったでしょう(笑)?

あと、変なストレスもなくなりましたね。

周りは仕事ばっかりしてないで、と言われるけど、休みたいと思わないんですよね。

変なストレスとはどんなのでしょうか?
例えば、遅くまでいること=仕事をしている=良い社員といった 表面的な価値観で判断されることもありましたし、付き合いと称した半強制的な飲み会もありましたし・・・・

組織にいる以上は、ある程度あわせなくてはならない。
でもこれって、生産性がないんじゃないかなと感じてました。

今もストレスはありますが、質が違います。


質の違いについて、教えてください。

昔は生産性のないことに価値を置く状況に対して、ストレスがありました。

飲み会に出たり、遅くまで仕事をしているからといって、本当に仕事ができること、結果に結びつくこととは違いますよね。

今は、仕事がうまくいくいかないは自分次第だし、人のマネジメントとか思うようにいかないことも多いのですが、自分が決めたことをシンプルにやるだけ。

すべて、自分で選択できる。

すべてプラスになるストレスばかりです。
自分が成長できるし、全部自分の今後につながります。


高橋さんのお話を伺っていると、成長していくことに対して、貪欲に感じます。

そうですか?

ある方に聞いたのですが、経営者的なひとはマゾ系が多いと・・・(笑)。
打たれることが好きというか・・・困難なことが起こっても、前向きに捉えて
よし、この壁を越えるぞ!と血が騒ぐというか、ね。

私も困難を前向きに捉えられるようになりました。
同じ出来事でも、人によって捉え方は違います。

考え方によって行動が変わり、結果が変わってきます。
独立する前後くらいから、考え方が変わりましたね。



■先入観を持たずに、相手の話を聞くこと


あと、高橋さんが大切にしていることを教えてください。

人との出会いです。

私は人と話するとき、出来るだけ相手にフィルターをかけないように心がけています。
フィルターというのは、年齢や性別、役職、バックグラウンドなどで、先入観を持たないようにしています。

先入観が先に立つと、その人自身の言葉がそのまま入ってきません。

これからは、せっかくの出会いをよりよいものに出来るよう、一人ひとりと、もっと関係性を深めていこうと思っています。



■好きを仕事にしたい人へのメッセージ


独立前に、人から言われました。

「道が二つに分かれていたら、Aに行くかBに行こうか・・・人は迷う。

 少しでも良い条件の方をと悩むのですが、意を決して一方の道を進んでみると、
 最終的にその2つの道は同じ道につながっていた、と。

 問題は、どちらに行くかではなく、迷って足踏みしていたり行動を起こさないとだ。
 進んでみれば、大きな違いなかったり、結局行くべきところには行くようになっている。

 もちろん悩むことも大事だけど、必要以上に足踏みしてるのは意味がない」

今、本当にその通りだと思います。

独立をしようが、会社に留まろうが、どちらでも良いことなのだと思います。
どのみち、必要な経験を経ないと目指すところには行けないのだから。

ただ、独立を考えているなら、早いほうが良いのではと思います。
弊社に登録して下さっている50代のスタッフと話をしていると、特にそう実感します。

20~30代くらいだと、現在の自分もしくは今以上に若くて元気な時代の自分しか
想像できないですよね。
しかし、年齢を重ねると気力が充実してても、肉体的な衰えが出はじめます。

具体的には目が見えにくくなったり、膝を壊して、歩行が困難になったり。
また、予期せぬ環境の変化もあります。
そういう要因で、やりたいことがやれない方もいらっしゃるのです。

時が経つにつれ、自分を取り巻く状況は変わってきます。
それは括弧たる現実なのです。

今の状態が一番ベストだと思い、やりたいことをはじめてみてください。




 インタビューこぼれネタ



 高橋さんと私は同じ年齢。

 よくよくお話すると、高橋さんが受講なさってた
 女性起業塾に、私の友人・須子はるかさんが
 講師を担当していたり、本田 健さんの話で
 盛り上がったり・・・
 初めてお会いしたとは思えないほど、共通の
 話題で盛り上がりました。






「私たちがインタビューしました!」
ライフワークインタビュー (2005/07/13~07/27)
水島智裕さんのプロフィール

1969年名古屋生まれ。つまらない毎日をオサラバするために、一念発起。
昇級試験失敗。アフィリエイト失敗。メルマガ失敗。
しかし読者からの感謝のメールに「心の幸せ」に気付く。それから幸せ研究にのめりこみ、
情報発信。

気がつけば、小冊子アマゾン1位、出版わくわく、続けよう(ゴマブックス)など人生が急展開。

ブログなど情報発信アドバイザー的存在に。

でも、ただ楽しみながら続けていただけなのですよ。
だから楽しいことをわくわく続ければ、みんな大丈夫なのですよ。
公式ホームページ:しあわせお父さん


ライフワークインタビュー

■こんな生活、いつまで続くの?


現在、本業はサラリーマン。しかしながら、副業でもだんだん収入も増え、活動も広がり、ついには商業出版も実現したそうですね!

ありがとうございます。


今回は、副業をどうやって発展させていったのかを中心に、お話していただきます。

まずは、大学卒業後のことから、お話いただけますか?

僕は「金八先生」に憧れ、教員になりたかったんです。

大学4年のときに、県立の教員試験を受けたのですが、すべりました。
教員になることしか考えてなかったので、民間企業はどこも受けていません。

卒業後、僕は1年間、フリーターをしていました。
昼間は工務店でバイトをし、夜は塾の講師・・・。

翌年も県立はダメだったんですが、私立高校の試験には合格しました。
その学校で、5年間、教員として働いてました。

その後、知り合いから転職の話をもらって、受験。
それに合格して、今の仕事に就きました。

今で7年目です。



ついに商業出版に!


副業を持とう!そう思ったきっかけを教えてください。

僕はマンションを買いました。

住宅ローンが高くて・・お小遣いがなくなったのです。
共稼ぎで、女房は帰りが遅い。
子供を保育園に預けてるんですが、お互いの実家が遠く、お迎えいくのも、夕飯をつくるのも僕でした。

こんな生活、いつまで続くの?ふと思ったんです。
やることいっぱいあって忙しいし、小遣いはないし・・・全くつまらない。

結婚して、子供できて、家買って、ローンができて・・・。そんな環境の変化に、自分がついていけなかったんですね。



インタビュー風景



■いよいよ、自分の人生は駄目だと・・・


あぁ、そんなお父さんは多いでしょうね。「こんなもんか」と思い、ため息をついて終わりの方も多いと思いますが、水島さんは行動に移したんですよね。

僕、これを解決するには「お金だ!」と思ったんです。

そこで最初に考えたのは、昇級試験。受かると、給料が上がります。
それを4年連続すべったんですよ。

いよいよ、自分の人生は駄目だと思いましたね・・・。

そんなときに、ロバート・キヨサキ著の「金持ち父さん貧乏父さん」を買って読んだのです。
そこには、「貧乏父さんは請求書に追われ、最後には家庭崩壊。」と書いてありました。

金持ち父さんはお金のために働かず、お金に働かせる。
その手段は投資やビジネス。
そんなの、僕には出来ない・・えっ、僕って貧乏父さんじゃん!

その後に、ロバートアレン著書の「億万長者入門」を、思い切って買ってみたんです。
今の僕の始まりは、この本からです。


「億万長者入門」には何が書いてあったんですか?

当時は、殻にこもってた感じでした。

人と会うのもいや。ノイローゼ気味でした。
自分がこうなったのも、全部人のせいにしてました。
そしていつか、誰かが助けてくれるとも・・・

この本には「個人でも収入が得られるよ」と書いてありました。
その中で、自分でできると思ったのはアマゾンのアフィリエイトでした。

「よし、やってみろ!」と思って、書籍紹介のサイトを作ってみたんです。
もちろん、アマゾンのリンクを張りました。



■アフィリエイト、メルマガ失敗


とにかく、やってみたんですね。成果はどうでしたか?

最初は、全く収入になりませんでしたよ。

職場の人にも、頼んでみました。「僕のサイトから、本を注文して」

反応は全くでした。

「なんで、ホームページから買わなきゃいかん?」
「本なんか、読まん」

そのとき、メルマガを発行すれば、自分のホームページに誘導できるという話を、何かで聞いたのです。
そこで、思いつきました。「メルマガ発行しよう!」

やってみました。最初の読者は2人でした(笑)



■読者からの1通のメールが、僕を変えた


今は殿堂入りしたメルマガ・・・最初はそうだったんですか!

ははは、実話です。最初は2人だったので、メールを打つ手もさびしかったですね。

その後、バンド仲間にも「読め」と登録してもらいました。これで8人(笑)
まぁ、そこから少しずつ、少しずつですが、読者が増えてはきました。

発行を続けていくと、ある日、読者からメールがきたのです。
「励みになりました」

そのとき、僕のチャンネルは変わりましたね。


どう変わったんですか?

アフィリエイトは失敗で、収益も失敗でした。

メルマガで書いていることは「幸せ」についてでしたが、しゃべってる自分は逆で、「愚痴」が多かったんです。

僕は「不幸せお父さん」だったので、「しあわせ父さん」になりたいという願いを、タイトルにこめました。

そんな僕に、読者から「ありがとう」と言われるなんて・・・自分こそ、その方にありがとうと思いましたね。


そのお気持ちは、とてもよく分かります。

「今回のお話、感動しました!」「友達に読んでもらいたくて、転送しました!」
そんな読者の方から励ましのメールを頂くと、いつも私たちの方こそ「ありがとう」と、手をとって伝えたい気持ちになりますから。

僕は昔から、人を励ますのは好きだったことを思い出したのです。

だから、メルマガではそれに集中することにしました。
まぁ、アフィリエイトの収入は、出来ればでいいや、と。

そんな思いになると、書けば書くほど、内容も深まってきました。
自分が何をやるべきかわかってきたんです。

僕がメルマガで書いていることは、自分が出来ていることだけではなくそういう風になりたいなと思ってのことも多いです。

自分が書いたこと、僕自身がどんどん実践していきました。
直接、色々な人と会いにいく、セミナーに積極的に参加するなど。

自分が実践し、気づき、それをメルマガに書く。
「今日はツボにハマった」みたいな感想が増えましたね。

そうなると、相手がパッとひらめくような、もっと良い話を出そうという気持ちになってきました。



■本を出版することになるきっかけとなった大きな出会い


副収入目当てだったメルマガ発行が、ご自身を変えることになったんですね。

ところで、小冊子を作るきっかけは?

毎日発行してきたメルマガが100号になりました。

いつまで作るんだろう・・・まぁ、続くまで続けようと思っていたら、100!
すごいなーと思った。自分で自分に感動ですよ(笑)

ふと、本を作りたいと思ったんです。100号まとめたら、本になるのでは、と・・・。

実際に、小冊子作ったのは1年後でしたが、その頃に、大きな出会いがあったんです。


大きな出会いとは?

まずは、小冊子を作ってくれる会社を探し、作り始めたんですが。

最初は訳が分からないんですよ。行間とかレイアウトとか。

「メルマガ、いつも読んでるよ」
そんなとき、僕のメルマガの熱烈なファンと言ってくださる方から、1通のメールをもらいました。

宝地図で有名な、望月俊孝さんからでした。


望月さんですか!昨年、当メルマガのインタビューにも登場下さいました。

彼のお話の中で、大きな励ましを頂いたんですよ。本当に素晴らしい方ですよね。

僕にとっては師匠です。

小冊子のことも、望月さんに色々とアドバイスもらいました。
望月さんとの出会いがきっかけで、今回の商業出版も決まりましたね。



■家で愚痴ばかり言ってた僕・・・まるきり世界が変わりました


副業を始めた当初からは、考えてもみなかった展開ですよね。

お金の流れを自分で作れると、自信を持てるようになりました。

サラリーマンだけだと、なかなかそうは思えませんよね。
どこかからお金をもらって、というのが普通。

実際に自分でやってみると、自分のところに金額が増えるんです。
アマゾンアフィリエイトで、15円ずつでも・・・自分でもできるんだ!と自信が持てます。

それまでの僕は、家で文句ばっかり言ってました。
メルマガ発行して、びっくり。世界が広がりました。

カプセルに閉じ込められたのが、小さな穴が開き、そこから光が差してきました。


内面的にも、かなりの変化があったようですね。

そうなんです。

僕は自分のメルマガの記事を、テープにして、自分で聞きました。
繰り返し聞いて、潜在意識に叩き込みました。

あれは、キマしたね~。

その当時、人間関係が苦手だったんです。職場のひととコミュニケーションがとれなかった。
自分はココにいる人じゃない、と。あいさつもしたくない、なんて思っていたくらいですから。
とんでもない思い上がりです。

今の仕事は、作業的なことが多いんです。肉体労働といってもいいくらいかな。
教師していた頃は、クーラーが効くところで、「教えてあげますよ」という感じだったのに・・・。
今は真夏でも、外にいることが多いんです。

職業に貴賎はないと分かっていながらも、
「こんなはずじゃない」「なぜ、俺ばかり・・・」
そんな思いでいっぱいでした。

僕はクーラー、アイスコーヒーが欲しかったのに・・・昇給試験には受かりませんでした。



水島さん



■昇級試験に受からなかったから、今の僕がいる


今から思えば、昇級試験に受からなかったから、今があるんでしょうね。

そうです!受からなくて、良かったんです。

メルマガと出会えたから。

神様がおしえてくれたんです。
「そっちじゃない。こっちだよ。メルマガ書け!」

メルマガを発行したのがきっかけで、色々なセミナーにも行き始めました。
参加すれば、色々な人に出会えますよね。

2003年は人脈に出会う年だ!と割り切り、おこずかいは全部、ソレに使いましたね。
小冊子がアマゾンで1位になったのも、そのときの出会いのおかげです。


今、副業でもかなりの収入を得ていると思いますが、独立の予定はありますか?

本業の年収の3倍・・・経費を差し引いて2倍くらいになれば、 独立しようかと思っています。

それまでは怖いから、辞めません。
逆にね、色々なひとから「サラリーマンでいるといい」と言われるんですよ。

「副業で成功する・・これは、多くのひとが求めるスタイルだから。
 やめて、バーンとうまくいくひともいるけど、副業を本業にして成功するひとは少ないから、
 逆にとっさんは続けたほうがいい。」ってね。



■とっさん流副業で成功するコツ


副業で成功するコツのようなものはありますか?

素直なひとが成功する・・

これはよく言われますが、本当にそうだと思います。

僕は、師匠がやれと言ったことは、「はい!」といって、すぐにやります。
「いやぁ、そんなこと言われても・・・」とは言いませんよ。

副業や独立で成功するのはね、誰かに出会うのが大事です。
僕が望月さんに出会えたように・・・

誰かに出会うには、自分がどんな人になればいいか?

僕は、応援されやすい人がいいと思いました。
では、そういうひとは、どんな人でしょう?

僕が思うには・・・。
ひねくれた人はいや。素直で明るいひと。

1やれ!といえば、3やる人。
ひたむきにコツコツするひと。

こんな人だと応援されやすい。

僕はそんな人になりたいなーと思ったし、メルマガでもそう書いてきました。
僕がメルマガで書いていることは、そうありたいという思いです。



■水島智裕さんから、好きを仕事にしたい人へのメッセージ


「大丈夫だよ。いけいけ!」
そういかに思えるかどうかです。駆け出しの頃はね。

自分だって出来ると思うこと、達成できると思ってやることです。

僕も、最初は大変だったけど・・・。
身内や親しい友達から、「何、へんなことやってるの?」と言われましたが。
1年、2年続ければ、協力してくれますよ。

そして最初の一歩を踏み出すなら、それを続けてねと僕は言いたい。
なぜ、失敗するかというと、みんなやめてしまうからです。

踏み出すときに、「絶対にあきらめない」と決めて下さい。

僕も失敗したとき・・・メルマガ読者増えないとき、アフィリエイトが増えないときにへこたれましたよ。
でも、あきらめないと決めました。

もがいているうちに、ポン!と道が開けます。
絶対にあきらめないことが大事です。

将来の夢は予定だと思って下さい。僕たちは、そこに行くだけです。
アメリカに行くのと同じです。

そのために、必要なことをやっていくだけですよ。
パスポートを取ったりなど、準備をしますね。

そうすれば、思ったとおりのところにいけます。

また、自分ひとりで行こうと思うから大変であって、誰かにうまいこと
手伝ってもらえるといいですよ。
お願い上手になる……。

自分は知らないということを素直に伝えるとね、みな、教えてくれますよ。



  普通のお父さんの出した小冊子が日本初アマゾン第1位!

■水島智裕さんからひとこと

作家になっちゃえ!

小冊子「作家になっちゃえ!」は、 無茶でドジでバカな私の体験を赤裸々に 笑い飛ばしながら読み進めることによって、
ふつふつと勇気がわいてくる、
そういう冊子です。
この小冊子は、日本で初めてアマゾンで 日本一になった自主制作の小冊子です。
「わくわく、続けよう」(ゴマブックス)には、 この小冊子のアマゾンへのチャレンジが書いてあります。

インタビューこぼれネタ
インタビュー当日、JR名古屋駅の近辺での待ち合わせ。

水島さんとは、お会いするのは初めて。
サラリーマンで、かつ精力的に色々な活動されている方だから、どこかエネルギッシュな感じの方じゃないかしら・・・と、勝手に想像していました。

時間が迫っても、ソレらしき人はなかなか現れず。
フト横を見ると、ずーっと本を読みながら、
誰かと待ち合わせしているだろうごく普通の、素朴な男性が!
「もしかして・・・」

携帯に連絡してみる。やはり、その男性のポケットから呼び出し音が。
・・・やはり、我らがとっさん。
イイ味だしてるわ~。







「私たちがインタビューしました!」
ライフワークインタビュー (2005/06/02~06/16)
平野秀典さんのプロフィール

感動プロデューサー(有)ドラマティックステージ代表

10年の演劇俳優の経験から、一番大切なことは、「感動が伝わること」との考えを基に、演劇と
マーケティングを融合させた「ドラマティックマーケティング」を実践。

その実践手法は、小手先のノウハウやテクニックではなく、感動の本質を理解した上で
「感動を設計する」という従来にないやり方である。

セミナーは、毎回告知数日で、100名を超える会場が完売する人気セミナー講師であり、
ベストセラー作家でもある。

著書に儲けを生みだす表現力の魔法―感動は設計できる(かんき出版)、感動力(ゴマブックス)

お客様の感動を設計するハッピーエンドのつくり方(ダイヤモンド社)など。

公式ホームページ:100万人感動倶楽部


ライフワークインタビュー

■僕はビジネス書に、「感動」というジャンルを新しくつくりたい


『先日行ったセミナー、すごくすごく良かった!!俺、泣いたよ~』

電話口で、あふれるほどの感動を伝えてくれた東京の友人がいたのです。
講演した人の名前を、僕は忘れてしまってたんですが、後で聞いたらまさに、

平野秀典さんでした。

嬉しいですね(笑)


今回は、そんな平野さんのお話をたっぷり
聴かせていただきます。

まずは、現在のお仕事を教えていただけますか?


はい。作家兼セミナー講師ですね。

本もすでに数冊出版されてますよね。 どういうジャンルのものをお書きになるのですか?
僕は新しいジャンルを作りたいのですよ。

ビジネス、自己啓発ではなく、「感動」という、ね。



ここで取材しました


最初の本は、会社勤めしていた時期に出版されたとお聞きしましたが。

そうなんです。 まず、本を出版するようになったいきさつをお話しますと・・・ もともと5年前、勤めていた会社の業績が悪化したのです。

このまま自分の仕事だけをやっていても、給料が上がらない
会社全体の業績を上げるには、私の力で何をやればいいのか・・・
そんなことを、考えはじめたのですね。



インタビュー風景



■プライベートでピンチに陥って・・・


給料が上がらないことに不満を言う社員は多いですが。

自分の力で会社全体の業績を・・・という方はなかなかおられないですね。
業績を上げるため、どんなことを思いついたのですか?

会社に新しい営業のやり方を提案をしてみたのです。

が、そのやり方とあまり合わない上司とぶつかりまして・・・
社内リストラにあいました。

会社を辞め、独立することも考えなかった訳ではないのですが。
ある事情で、それも出来ませんでした。


ある事情とは・・お聞かせいただいてよろしいですか?

えぇ。これは本にも書いてありますから。

当時、会社だけでなく、プライベートでもピンチに陥っていました。

大切な親友の借金を手伝って、財産がなくなってしまったんです。
僕には資金が何もない。

じゃあ、この会社、俺が立て直せばいいんだ
とりあえずそこから始めよう、そう思い始めたのです。



■商品の「説明」ではなく、商品の「表現」をしてみました。


ゼロならば、そこから始めればいい。そんなしなやかさを感じます。

社内リストラで、配属されたのはどんな部署だったのですか?

私が社内リストラで配属されたのは、ショールームでした。 社内の中で、一番身近にお客さんと接する現場だったんですね。

そこで、私は商品の「説明」ではなく、商品の「表現」をしてみました。
要するに、その商品に関連したお話とか、開発のエピソードとか・・・

同じ開発発想で作られている、他の商品のお話とかですね。
それが評判になりました。


あぁ、そんな面白そうなお話がたくさん聴けるショールームなら、僕も行ってみたいです。

当社の営業マンたちを見ていて、感じていたことがありました。

表現力をもっと身に着ければ、お客さんの反応が変わるのに・・
もっと商品が売れるのに・・・

それなら、他の営業マンにも教えてみようと、社内で勉強会を始めたのです。
最初は身近にいる営業マンに声をかけました。

そしたら、彼らの成績がボンボン上がっていったのです。

社内の口コミがどんどん広がり、役員の耳に入り、ついには社長まで、僕の勉強会を見に来ました。

いつの間にか、社内だけでなく、代理店もこの研修を受けたいと言い始めたのです。

自然な形で広がっていったのですね。
そういう意味で、僕はストリート系、ゲリラ系なんです。

自分でホームページも立ち上げ、いろんな人がアクセスしてきました。

ぜひ、受講したいというメールを頂くようになり、社内や代理店対象だけでなく、おととし初めて一般公開のセミナーも企画してみました。

そしたら、あっという間に席が埋まったんですね。

全国からのセミナー依頼が殺到し、本の出版オファーもきて・・・そういう流れが今に続いています。



■演劇との出会い-感動という言葉を超えて


その会社には、どのくらい勤められたのですか?

25年でした。大学卒業後すぐです。


えっ、そうには見えませんね・・・

こう見えても、結構トシいってます(笑)

会社では、営業や営業企画、教育部門などをやりました。
営業企画のときは、マーケティングを学びましたね。

大学の専攻が、心理学だったんです。
心理学とマーケティングと、個人的にやっていた演劇と・・・自分が興味もってやっていたのは、今、見事に融合しました。

平野さんは執筆・講演以外に、役者としても活躍されていると聞きました。

演劇との出会いを教えていただけますか?

演劇との出会いは、つかこうへいさんとの出会いです。

表現系のワークショップやっていた友人に、連れていかれたのです。
それまで私は、演劇なんてぜんぜん興味もなく、行ったこともありませんでした。
連れて行かれたのは、つかこうへいさんの芝居。

未だに覚えています。
雷が打たれた、この感覚を・・・

感動なんて言葉を超えるくらい・・頭が真っ白になりましたね。

人間って、こんな表現が出来るんだ・・・ひたすら涙がこぼれました。

芝居が終わったあと、みんなでお茶飲みに行ったんです。
普通だったら、「あぁ、良かったね」と感想言い合って終わりでしょうが、なぜか、「僕たちもやろう」ということになりました。

今でも不思議ですが(笑)


他の方は、すでに演劇をやってらしたのですか?

いいえ。観に行くのが好きなヤツはいましたが。

超ずぶの素人集団だったので、最初は劇場なんて借りれません。
研修室みたいなのを借りて、そこに照明を持ち込みました。

そしたら、人気が出ちゃったんです。

それで劇場を借りれるようになり、常時200~300人くらいの集客ができるようになりました。


普通、有名どころではない劇団やバンドは、集客が大変だと聞きますが・・すごいですね。

テーマが良かったんでしょうね。

サラリーマンが遭遇するような日々の出来事をドラマにしたりとか。
そうこうしてるうちに、つかさんの劇団との交流が始まったんです。

憧れの役者さんがそこにいるんですから、それだけで感動です。



■私には出来ないのではなく今はできないということ


演劇を始めてから、平野さんご自身の変化は何かありましたか?

表現力が身について、表現力が磨かれて、表現の楽しさを知って・・・。

自分はすごく可能性を持っているということに気づきました。
逆説的なんですけど、それしかできないということが分かってくるんですよ。

一流の役者さんを見ていると、上限のなさが分かってくる。
彼らを間近で見ていて、感じました。

人を感動させることって、こんなに素晴らしいことだと。

もともと、雷に打たれたような感動から始めましたので、感動にはこだわりがすごくあるんです。


先ほどおっしゃった「上限のなさ」について、もう少しお聞かせください。

自分がやりたいイメージを、動きや演技で表現します。

役者のキャリア積めば積むほど、ここまでしか出来ないということがわかってくるんですよ。
ただ、私にはできないのではなく、今はできないということ。

イメージしたものを、そのままやっている一流の役者もいますから。

そうすると、僕だって出来るかもしれない。
僕だって、こんな経験を積めば、こんな訓練をやればって楽しくなってくるんですよ。

僕も後になって気づいたのですが、オリンピックを見て感動するのは可能性を見るからではないでしょうか。

憧れの対象というより、同じ人間である自分の可能性をも見ることが出来るって・・



■これは、会社員生活だけでは絶対に味わえません


あぁ、なるほど・・・。超人みたいな選手たちの中に、自分の持つ可能性をも見出している・・・

その感覚、すごく分かります。

そう。憧れの役者に近づきたくて、僕は真似から入っていきました。

指先の動きだとかね。せりふ回しとか・・・まぁ、すぐには追いつかないですけどね。
でも、素人の自分がそれでどんどんうまくなっていきます。

うまくなる実感しながら、まだ先もあるということも分かります。
これは、会社員生活だけでは絶対に味わえません。

あぁ、何ていうか・・・成長する喜び、演じる喜びみたいなのがひしひしと伝わってきます。
そうそう。よく人から、言われるんですよ。

「役になりきるのって大変でしょ?」って、役になりきっている役者なんて、実は誰もいません。

なりきっていたら、舞台の上に立てませんから。
みんな、ちゃんと照明が当たる位置に立つんですよ。

客観と主観の両方の世界を生きているんです。
すごいですよね。
それがないと舞台ではやってられません。

演劇をやっている人の中で、それがビジネスに役立つとは誰も思ってません。
私はたまたま二足のわらじを履いていたので、両方の共通点や相違点が見えてきました。

今、セミナーや講演活動を通して、それをお伝えしています。



平野さん



■人生はすべてつながっている


もし、演劇と出会ってなかったら、今頃どんな自分になっていたと思いますか?

そんなことは、考えないですよ。

自分の中で「もし」というのはありませんから。
人生、全てつながっています。

出会うべくして出会っている。この先も含めて。
それに逆らわないことが大事じゃないでしょうか。

新刊のネタなんですが、これをカヌーの法則といいます。

水の流れに逆らうと沈む。乗ってはいるが、方向は自分で決める。
そんな生き方。

よく成功法則とか学んじゃって、流れに一所懸命逆らって沈没する人がいます。
逆に、精神世界系の人は、流れに乗りっぱなしで、岩に沈没してしまう。

そんな人、見かけませんか?

分かりやすい例ですね(笑)
要は、両方やっていくことが大事です。

こういうことをやっていくと、本当にまたいい流れがきます。

私も座右の銘が「流れに乗って生きる」です。

昔、成功哲学の教えに沿って頑張ってきましたが、もうあかんと思って手放したときに、
人生が切り開きました。

それがたぶん、自然の世界でしょうね。

いったん流れに乗ると、また良い流れが出てきます。
こだわりとか固執がよくないのは、流れに逆らうことだから。



■人生の目覚まし時計が鳴った!


平野さんを見ていると、自分や人生に対する「信頼」を感じますね。

たまたま幸運なことに、うちのお袋がとんでもなく褒めるひとだったんです。

そのおかげで、自己信頼感はすごく頂きましたね。
これは、万人に当てはまる話じゃありませんが。


その自己信頼感があったから、前回のリストラや借金の話が出たときも
大丈夫だったでしょうね。

いや、そうでもないです。結構、ショックもありましたよ。

もしかしたら、俺にとってピンチかもしれないとは思いました。
あっ、その言葉にたぶん、現れてるんですよ。

普通だったら、相当ピンチでしょ。
だからあの時、目覚まし時計が鳴ったという表現が僕には合います。

『おい、お前の人生、そろそろ成功させるぞ。成長はもういいから』

お金はないので、何とかしてビジネスに繋げなきゃならなかったんです。
そうでなかったら、のほほんと演劇を趣味で続けていて、終わりだったでしょうね。



■100万人の感動を生み出すプロジェクト


人生の目覚まし時計・・・いい表現ですね。

さて、平野さん、今後のビジョンを教えていただけますか?

今のライフワークは、100万人の感動を生み出すプロジェクトです。

自分で感動を生み出すのは、役者時代にやってたじゃないですか。
ただ一生かけても、たかがしれています。人数的に・・・

ビジネスとして生み出した方が早いだろう、そう思い始めたのです。
というか、楽しいだろう・・・

それで、お金をいただけるようになれば・・・そのための本であり、セミナーであり、ビジネスなのです。


聞いているだけで、ワクワクするようなプロジェクトですね。

私の本をいつも大量に買って下さる秋田の社長さんから、電話があったときに、こう言われました。

『今度また新刊が出ますので、楽しみにしてくださいね』
『そうですか。ぜひ、日本を元気にする本を書いてください!』

目から鱗でした。
そのとき、私「売れる本」を書こうとしてました。

日本を元気にする・・・これって素敵なことだなぁ。
そんな思いで書いたのが、新刊「ハッピーエンドのつくり方」です。

本を読んで下さった方からも、色々なメールを頂きます。
「自分の人生が変わった」とか・・・

1冊の本が、人の人生を良い方向へと役立つことができる。
本当に素晴らしいことです。

将来、5000人くらいの前で講演して、その前に本をスーパーヒットさせて、全国を回ろうと思っています。



■平野秀典さんから、好きを仕事にしたい人へのメッセージ


間違いなく、うまくいきます。
根拠無くても、うまくいきます。

好きだということは才能につながっていますから。
そのものズバリじゃないかもしれません。周辺かもしれません。

私は小学校のとき、漫画家になりたかったのです。

今、変形してますが、何か作品を作って、人に見てもらって、あわよくばお役に立ててもらう。

そんな仕事にしています。
好きを仕事にすると、必ず流れがきますから。

あと、自分の可能性を見せてくれる人って、周りにたくさんいるでしょう。
そのことに気づいてください。

わたし、偉い人と会ってもタメなんです。
馴れ馴れしいとかじゃなく、人間としてね。

人間が持ってる能力をどれだけ使っているかというと、多くても4%しか使っていない
というじゃないですか。

たかが、4%仲間じゃないですか(笑)

あとね、僕が思うのは、普通の人はニュートラルを持っていないということです。
ニュートラルな自分というのは、最強の自分なんですね。

車のギアでいうと、ドライブでもロウでもバックでも入れられる状態なんですよ。
ニュートラルを持っていなければ、ギアは入れっぱなしになってしまいます。

要するに、オプションが少ないんです。
単一のギアで走り回る・・・そりゃ無理ですよ。

一流の役者はね、一旦ニュートラルに戻してから、演技するのです。
たとえば監督に「そこはちょっと違うから、直して」と、演技を変えるように要求されます。

そのとき、車と同じように、ロウからドライブへと、一足飛びに変更できないんです。
ギアチェンジするために、瞬時に、ニュートラルに入れるのです、必ず。

この感覚が大事ですよ。




人生が変わるこの一冊「ハッピーエンドのつくり方」




■平野秀典さんからひとこと

お客様の感動を設計するハッピーエンドのつくり方

この本は、お客様を共演者に、あらゆるシーンで「ハッピーエンド」を
デザインするための発想法を書きました。
閉塞感あふれる今の世の中に最も大切なことを、
最もシンプルな書き方で表現した本です。

ビジネス書として出版されますが、本自体を「3幕構成」で
表現した「物語」にもなっています。
味わって読んでいただけるように、ページ数、文字の大きさ、
デザイン、本の重さ等に様々な工夫が込めれています。

テクニックやお金の話に疲れた方には、原点を思い出す
きっかけになることでしょう。
成功を目指す方には、方向性と高い基準が明確になること
でしょう。
そして、幸せで豊かな人生を志す方には、実現のための
キーワードが手に入ることでしょう。




インタビューこぼれネタ


インタビュー場所は、新宿の某ホテルのティーラウンジ。

素晴らしい見晴らしを横目に、話が盛り上がりました。
(特に赤木とは共通の話題が多かったようです)

「感動プロデューサー」という肩書きだけ聞くと、「熱い方かしら?」
そんな先入観もありましたが、平野さんは至って穏やかな紳士です。

「感動を暑苦しく伝えるのは、好みじゃない」

その美学は、彼のセミナーに参加いただけると分かります。
ハンカチは必須ですが、一過性でなく、長く続く感動が味わえますよ。






「私たちがインタビューしました!」
ライフワークインタビュー (2005/04/20~05/06)
和仁達也さんのプロフィール

経営者のビジョン実現化をサポートするビジョナリーパートナー。1972年1月1日生。

1999年1月に開業。
(株)ワニマネジメントコンサルティング、および(株)ビジョナリープラネットの代表を務める。
有能な幹部不在に悩む小企業経営者の外部パートナーとして、
「ワクワク感動できるコンサルティング」をカンパニー・スピリッツに掲げ、
コンサルティング活動をスタートした。弁護士や税理士などの
専門家ブレインや社外コンサルティングパートナーとの連携により、全国各地で活躍中。

著書に成功ノート術夢現力(共にゴマブックス)

キャッシュフロー経営って?(デンタルダイヤモンド社)など。

公式ホームページ:ワニマネジメントコンサルティング

ライフワークインタビュー

■ 僕はコンサルタントと名乗っていません(笑)


和仁さん、現在のお仕事を教えてください。

元気のある経営者が、ビジョンを実現するのを支援するコンサルティングを行なっています。

それに付随して、本や雑誌の執筆、セミナー、電話コーチング、セミナー商品の販売などを
行なっていまして、ビジョン実現にむけて、「お金」と「時間」と「コミュニケーション」を円滑に
マネジメントすることが専門分野です。


コンサルタントといっても、人によって業務内容は様々ですが、
和仁さんの特徴を教えていただけますか?

僕は現在、コンサルタントではなく、 ビジョナリーパートナ-という肩書きを自分でつくり、名乗っています。

コンサルタントといえば、他の成功事例を教えてくれる情報提供業、あるいはアメリカから
持ってきた経営ノウハウ・知識を教えてあげる先生のようなイメージがありますよね。

僕はいわゆる情報提供者ではありません。

経営者がビジョンを実現するために、
「どのように現状とビジョンの間にハシゴをかければ、ビジョンに到達できるか」を
一緒に考え、サポートしていくパートナーです。

どちらかといえば、赤木さんと同じ、コーチに近いですね。


和仁さんはご自身で、肩書きを作ったのですね?

経営コンサルタントという肩書きは、自分には今ひとつフィットしませんでした。

最初はそう名乗ってました。

でも、私がやりたいことが、世間一般的にイメージされているコンサルタントとは、セルフイメージが全然違っていたんです。

また、コンサルタントの中には、自分は出来もしないことをもっともらしい顔をして指導している人もいたりして、何かが違うのでは?と思っていました。

自分が伝えていることと実際の行動が違ってたら、違和感がありますよね。
もっとも僕もそんなに偉そうなことは言えません。
なので、僕が自然体でやれることを商品にし、仕事にしようと決めました。

今はおかげさまで、本も3冊出版し、昔の僕を知らない人たちからは「すごいひと」と思われることも、たまにあります。

が、もともと僕は、非常に出来の悪い会社員でした。




■出来の悪い僕にできることは、他の人にも出来ます


えっ。出来の悪いって、どういうことですか?

時間に関してルーズ、人の話をきちんと理解出来ない・・・

会社員時代は、トンチンカンなこともよくやりました。
何度もミスする。営業報告書も満足に書けない。スケジューリングもメチャメチャ。

忘れっぽくて記憶力が悪いのに、ノートをとる癖もシステムもなかった。
メモをしないし、忘れてしまう。だから、約束を守りたくても守れない。

その結果、上司から毎日のように怒鳴られて、僕の頭は硬直化する。
完全に「萎縮のスパイラル」にハマっていました。

入社して1年目は、特にひどかったです。

でも、それを克服してきたんです。

「出来の悪い自分が克服してきたプロセスであれば、たいていの人は実践できる。
 そして、僕と同じ悩みを持っている人に喜ばれるに違いない」と思い、それを商品化しました。

もし、私がもともと能力が高い人間だったら、
「和仁さんは出来るけど、僕にはできない」
そう思われてしまいますよね。

僕に出来ることだったら、他の人にもできる自信があるんです(笑)

もっとも、その人に「ビジョンに向かって人生を充実させたい」という意欲があることが
大前提ですけどね。


確かに。「この人だから出来るんだ」と思ってしまうと、余計に自信を失います。

経営者でも決算書を見て、よく分からないって人、結構います。

僕も数字や財務は大の苦手だったので、以前は相当苦しみました。

だからこそ、物分かりのいい方ではないから、どのように考えていけば理解できるかが分かるんです。

例えば、図にしてみせたり、描かせてみたり・・・。

また、社長自身は理解していても、社員にはうまく話せないケースは多いです。

そういう場合も、私が社長に代わって、社員の方に分かりやすくお話させてもらっています。

それによって、社長と社員の間に共通言語をつくって、お互いの情報量の過不足を補っていくことで、徐々に話が噛み合うようになっていきます。



■コンサルタントとして独立するその目標を支えに


その会社員時代は、どんな仕事をされてたのですか?

コンサルティングの会社で、まず新規営業の開拓を担当しました。

中小企業の電話番号の書かれたリストを渡されて、朝から晩まで電話をして、アポを取り、
訪問していく。いわゆる、”どぶ板営業”ですね。

100件電話して、1~2件アポがとれたらいいところ。

1年目は相当出来が悪かったですが、2年目になって、徐々に営業成績も出てきました。

でも・・・僕はコンサルタントになりたくて、入社したはずだったのに、新規営業ばかりやらされました。

最後のほうになってようやく、先輩コンサルタントに同行したり、自分ひとりでも顧問先を
訪問できるようになりましたが。


独立しようと思ったきっかけは、何だったのですか?

サラリーマン時代、とくに入社して1~2年頃は、いつも悲壮感が漂っていた気がします。

僕のデスクの近くに上司がいて、一日何度も怒鳴られるんです。

僕は「また、怒鳴られるんじゃないか・・・」と、恐怖に満ちながら、デスクに向かって仕事をしていました。

そばで上司がメールチェックをしながら「チッ」と舌打ちすると、「また何か、ミスをしたかな!?」と、おどおどしていました。

もともと、入社したときから、20代で独立と決めていたのですが、入社した後は「いずれ独立するんだ」と思っていなければ、やってられませんでした。

言い方をかえれば、当時の私にしてみれば、日常はボロボロだっただけに、
「コンサルタントとして独立することが、唯一の希望の星」でした。

その目標が僕の心を支えていたのだと思います。



■ビジョンがあるから、目の前の辛さに耐えられました


なぜ、27歳で独立できたのでしょうか?

独立はもう1回転職して経験を積んでから、とも思いましたが。

どうせ独立するなら、早いほうがいいと判断しました。

会社を辞めるときに、自分に問いかけたのです。
「もし、独立するのが今でないとしたら、何年後がベストだろうか?」と。

この質問は非常に重要でした。
そのとき気づいたのです。

30歳で独立しても、35歳でしても、いつになっても不安は不安だと。

「むしろ、まだ子供がいない今のうちなら、いろんな挑戦ができる。
 養う家族が増える前に、踏み出したほうが良い。
 先送りすれば、かえって挑戦心が落ちるのではないか」と考えました。

もっとも、「27歳で、コンサルタントとして独立する」というのは、会社員時代は、とてつもない夢だと思っていました。

「高い目標だなー、でも、そうなりたいなー。」
そう思いつつも、僕は、紙に目標を書き続けました。

そういうビジョンを持たなければ、やってられませんでした。
ビジョンがなければ、とっくに逃げてましたよ。
ビジョンがあるから目の前の大変さにも耐えられる。

それがなければ、耐えている理由もありませんでしたから・・・逃げていたかも知れません。


奥さんや周りの反対はありませんでしたか?

妻とは学生時代からの知り合いです。

学生の頃から、「いつか独立するぞ」と言っていましたから、独立のことを話したときも全面的に応援してくれました。

やはり、周りが応援してくれないとやりにくいですよね。
ただでさえ、勇気のいる決断なんだから。

それ以外にも、独立の意思を後押ししてくれる人もいました。

人に独立すると話せば、「独立するといっても、どういう風にするの?」と聞かれます。
聞かれるから具体的に考えますよね。まるでコーチングのように。

そして考えて答える。頭の中が整理されていきます。


ビジョンはどんどん周りに言いなさい。

著書「成功ノート術」に、そう書いてありましたが、色々な人に「独立する」と宣言したんですか?

いえいえ。

ビジョンは僕が独立して成功することを応援してくれる人にしか言いませんでした。

足を引っ張る人とか、根拠もなく「今、独立するのはやめとけ」と言いそうな人には何も言いませんでした。

辞める前、自分の現状を見つめました。

資金もない、資格も経験もない、お客さんもゼロ。
商品も自分が今から作り出すしかない。

それでも、やってみようと思い、紙に色々と書き出しました。

「今、僕は何が分かっていて、何が分かっていないのか?」
「何をやりたいのか、何ができるのか」
「絶対にこだわりたいことはなにか」
「どんな状態になれば理想なのか」

そして、自分なりにプランを書いてみました。それが始まりです。



■3ヶ月で達成する予定の目標を、1ヶ月以内で達成しました


独立直後の仕事、どういう風にお客さんを増やしたのですか?

独立時に貯金が100万円を切っていたので、「最初の3ヶ月で収入がなければ、バイトでもして食べていかなければ」と思っていました。

それで、まずはじめに自分なりの事業プランを作って、どういうサービスを提供したいのかを、紙でプレゼンできるように準備をしました。

それをもって、知り合いの経営者のところに挨拶まわりをしたのです。

「この人なら、何かお力になれるんじゃないかな」と思った人に。

幸い、新規開拓の営業マンをしていたおかげで、ある程度の人脈はあって、会うだけなら会ってくれる人は何人かいました。

とは言っても、「営業マンの和仁」としか認知していないので、僕をコンサルタントとは見ていないことは、若干不安材料ではありました。

ところが実際にお会いしていくと、嬉しいことが起こりました。
1~2時間お話をしていくと、2件に1件くらいは、

「和仁さん、ウチでコンサルやってくれる?」と申し出てくれて、即決で契約してくれたのです。


会社の看板が無くなった途端、そっぽを向かれることが多いと聞きます。

それなのに、次々と契約が決まるなんて、和仁さんご自身も驚かれたのではないですか?

えぇ。これには正直、びっくりしました。

結果的に、3ヶ月以内に達成しようと思っていた目標は、1ヶ月たたないうちに達成しました。

独立後は、自分にはチェックしてくれる上司がいませんから、きちんと自分でプランを立てて、やってきました。

おかげさまで紹介で広がっていき、そうこうしているうちにクライアントが、増えすぎたんです。

独立当初のことを思えばありがたいことですが、逆に「次のことが出来ない・・・。」
そう焦りました。

それでも、自分からクライアントを切ることはしませんでしたが、結果的に自然と適切なクライアント数になっていきましたね。

1社あたりの報酬もアップしました。

独立当初の仕事は、訪問型のコンサルティングばっかりだったのが、今ではセミナー、執筆と活動も広がっていきました。



■悲壮なサラリーマン時代に、社会人としての基礎を叩き込みました


自称「出来の悪かった会社員時代」からみると、今は水を得た魚のようにイキイキとされていますね。

まったく別人です(笑)

サラリーマン時代は、悲壮感でいっぱいでしたね。
でも、今思えば、あの時期はそれで良かったのだと思います。


あの時期が私のビジネスマンとしての基礎を築き上げてくれました。
独立してからは、一から自分でやらなきゃいけません。
その厳しさはサラリーマン時代とは比べ物になりません。

自分が失敗したら、収入ゼロ。

もし3~4年早くに独立していたら、きっとつぶれてましたね。
重圧というかプレッシャーで。

サラリーマンという場で、色々なことを習得してきました。
社会人としての基本ができてきました。
今は約束も守るし、メールもちゃんと返す。報告もおこたらない。

そういう当たり前の基本を徹底的にたたき込んだのが、サラリーマン時代でした。

上司にもいっぱい叱られましたので、メンタル面でも鍛えられました。
独立してからは、叱ってくれる上司はいないので、お客さんに学ぶことになります。

ある程度のプレッシャーがなければ、人は成長しないんじゃないでしょうか。



■大切なのは自分のエゴを知ること


和仁さんが大切にしているものは何ですか?

今の私にとって大切であり、追求していることは、「成長」。

そして「未知なものへの挑戦」です。その気持ちは常に持っています。

それだけだと自分のエゴなので、それを追求すると同時に 「人に役立つためにどうすればいいか」を考えています。

でもやはり、エゴ・・・自分が成長したいというエゴがなければ、今みたいに活動は広がっていかなかったと思います。

エゴは大切だと思うし、自分のエゴは何かを知って、それをうまく活用するようにしています。

自分のエゴは何かを知ること・・・僕がコーチングをする上でも、とても大切にしていることですね。
僕は、同じことを焼き直しするような仕事はしません。

例えば、公開セミナーでも1回やったら、ビデオに収録して提供することにしています。
同じセミナーテーマを何回も開催しません。

もちろん何度も同じコンテンツでやった方が効率的でラクですが、それだと僕自身がつまらないんです。

成長したい、未知なものへ挑戦したい、ということから外れてしまうのです。

自分のエゴは何か知らないと、単純に他人を真似して、焼き直ししかねません。
それだと、僕自身は満足感が得られません。

うなづくことばかりです(笑)

話は変わりますが、和仁さんの著書「成功ノート術」、とても参考にさせて頂きました。
おかげで、僕も中長期のビジョンを紙に書くようになったんです。

「何年後、こうなったらいいなー」と紙には書くけど、 僕は忘れてしまいます。


和仁さん成功ノート① (実物です)


わざと忘れるんじゃなくて、単に忘れっぽいだけなんですが(笑)
ただ、細かいことは忘れても、重要なところだけは覚えています。

書いたものを、数年ぶりかに見直すのも楽しいですよ。大抵は実現しています。
書くからこそ、そのことがアンテナになって実現していくのだと思っています。

僕がビジョンを実現してきた具体的な事例や方法を、実際のノートも公開しながら、
ご紹介したのが成功ノート術という本です。



和仁さん成功ノート②(実物です)



■40代の自分にワクワクしています


和仁さん、今後のビジョンを教えてください。

やりたいことは、たくさんありますよ。

年代ごとに、大まかなステージを考えています。

30代は、自分を資産にする仕事、つまり成長につながる仕事をやっていきたいです。
40代は、30代の蓄積を利用して、先々にも価値が残る一大事業をやりたい。
例えば、堀貞一郎先生が創られた東京ディズニーランドのように。

50代は、40代で一仕事終えているので、感性を豊かにする体験を楽しみます。
そのために、美術や芸術・文化などに、30代・40代のうちから触れておいて、布石を打っておきます。
50代で突然始めるよりも、下地があったほうが楽しめるでしょうからね。

60代・70代は現役の部分は継続しますが、遊びの割合を徐々に大きくします。
そのためにも、40代で何をやり遂げるか、が大事だと考えています。

自分で納得できるぐらいの偉大な仕事が出来れば、50代以降は心おきなく遊べるし、ゆとりが出来ると思います。

逆算すると、30代の今、色々な人脈やありとあらゆる経験を積み重ねておくことが必要なんです。

そして、40代に僕の目の前に、どんな案件が飛び込んでくるか、今からワクワクしています。

そのような年代ごとの方針と同時に、1年後、3年後、10年後のある程度の目標も具体的に書き出しています。

ホームページでも、その一部は公開しているので、みなさんがビジョンを考えられる際の参考になればと思います。※ホームページはこちらからご覧になれます



■和仁さんから、好きを仕事にしたい人へのメッセージ


好きなことを仕事にしたい・・・でも、できないという人がいるとしたら、
それはセルフイメージの低さが問題ではないでしょうか。

例えば、「自分は主婦だから」「学生だから」「もうトシだから」など・・・。

この世の中、探せば、ちょっと前までは自分と同じ立場・状況だったにも関わらず、
今ではあなたが憧れるような成功を遂げている、という人は必ずいますよね。
そういう人と知り合うことをオススメします。

そういう人に話しを聞きにいくとね、大抵はこう言われますよ。
「私も数年前は、あなたと一緒だった」

話せば話すほど、気がつきます。
自分の先を歩く人と自分との間に、能力の差はそれほどないということに。

それを実現した人がいるということは、やり方は存在する、ということです。
だったら、あと必要なのは、「やりたい」という気持ちだけです。

能力に差がないのに、「できない」と言っているのは、ただの言い訳にすぎません。
それは「できない」のではなく、「やりたくない」のです。

自分の先を歩く人に会うのには勇気がいります。

でも、勇気を出して会って話しをしてみると、自分のセルフイメージはかならず上がります。

逆に一人で考えていても、一人で何かをやろうと思っていても、
セルフイメージはなかなかあがりません。
自分の理想に近い状態の人を見つけて、会ってみることです。

また、会いに行くなら、誰かを通すのではなく、自分で申し出るのをオススメします。
僕は、ディズニーランドをプロデュースした堀貞一郎先生を尊敬しています。

まだ私には執筆の実績もたいしてないときに、「堀先生の本を書かせてください」と、
直談判しました。

堀先生の生き方は私の理想に極めて近かったのです。

75年間の人生の中で、テレビプロデューサー、映画評論家、
ディズニーランドの総合プロデューサー、大学教授、講演家、陶芸の先生
などなど。
何十人分の人生を生きておられ、しかもご家族が円満で、幸せそうでした。

「その成功の秘訣を虎の巻にしたい!」その想いで直談判して実現したのが、
「夢現力」という本です。

「何かチャレンジしたいときは、正面突破で行け!」と堀先生に教わりました。

周り道したり、変な小細工するよりも、正面突破で行く。
その方が速い。

僕の申し出を、堀先生が承諾してくれたのも、正面突破だったからかも知れません。



 普通のひとが夢をかなえる秘訣とは?「成功ノート術」

 ■和仁達也さんからひとこと

 資格なし、実績なし、顧客なし。
 最悪バイトも覚悟して5年前に独立。
 現在33歳のコンサルタントを急成長させた、
 誰でも今スグできる、夢を実現する秘密の
 方法が、この成功ノート術にございます。

 独立してから軌道に乗るまで、どのように考え、
 工夫をし、成果が出たのかをストーリー仕立てで
 お話します。

さらに私の実物のノートも公開する、今までにない実践書!


インタビューこぼれネタ
 

インタビュー場所は、愛知万博が始まる直前、
熱気高まる名古屋の某レストランでさせていただきました。

5月の風のようなさわやかな好青年・・・
和仁さんとは初対面でしたが、私の彼に対する印象です。

「学生時代、モテたんじゃないですか?」そう突っ込んでみると
「えぇ~、そんなこと無いですよー。妻だけですよ。ハハハ」
照れながら、頭に手を当て答えて下さった和仁さん。

・・・オンナの勘は、そうそう外れませんよ(笑)



 

 

「私たちがインタビューしました!」
ライフワークインタビュー (2005/03/13~03/27)
松田綾子さんのプロフィール

昭和50年12月12日神戸生まれ
神戸女学院大学文学部総合文化学科卒業
現在、(有)昌生コーポレーション取締役、JOICC代表

著作:「スゴ腕パワーマネキンが教える!売れる営業の法則」(2004年ダイヤモンド社)他。


ライフワークインタビュー


■いつも2~4つのわらじは履いてます(笑)


最近出版された本

「スゴ腕パワーマネキンが教える!売れる営業の法則」の売れ行きは非常に好評なようですね。

ありがとうございます。おかげさまで韓国でも出版が決まりました。


本のおかげか、「パワーマネキン」というイメージが強いですが、
現在、お仕事の幅はかなり広がっているそうですね。

現在は主に、歯科医師対象の会員制コンサルティング企画の運営に当たってます。

これは月会費制で、基本的に2年間ワンクールです。
コンサルティングの内容はニュースレターやテキスト、CDを600名弱の会員様向けに送っています。

2つめは、主に中国や韓国向けですが、機械貿易を行う会社(有)昌生コーポレーションを仲間と一緒に経営しています。

3つめは、「JOICC」という、働く女性のシンクタンクの代表もしております。
電子コンテンツを販売したり、セミナーや勉強会を開催などが、そこでの主な活動です。

あとは、講演活動ですね。



4つの顔をお持ちなんですね。

昔、医院スタッフをしていたときから、土日はマネキン(店頭試食販売員)やったりと、いつも2~3つのわらじを履いてました。

自分の中では、それが普通です。

今、私がマネキンをやらない理由は、時給1000円だから。(笑)
一つ学んだら、次のステージに進歩しなきゃいけないと思うので。

社会人としての最初のスタートは、5から6つの眼科を経営している大きな医療法人でした。そこに4年ほど、勤務していました。

そこを退職したのは、芝居をしたかったからです。
私は幼い頃からお芝居をやってました。
でも、医療法人に勤めている間は辞めていました。

でも、どうしても再開させたかったので、普通の会社勤めはあきらめました。



■野菜売るのも、サービス売るのも一緒です


えっ、お芝居と会社勤めは両立できないのですか?

稽古などですごく時間を取られるのです。

マネキン(店頭での試食販売員)を始めたのは、それからです。

ただ、マネキンだけの給料では生活できなかったので、地元の歯科の受付助手になりました。

そこでは、ただボーっと受付に座るのではなく、
「どうしたら患者さんが増えるのか」を考えて、色々な企画を自分で作りました。

すると最初は閑古鳥が鳴いてた歯医者だったのですが、数ヶ月もすると行列が出来る歯医者になったのです。

その頃には、何を売っても完売させる「パワーマネキン」としてブレイクしていたのですが、
改めて気づきました。

野菜売るのも、サービス売るのも一緒だな、と。

ようするに、圧倒的な魅力。
期待値を、はるかにはるかに上回る魅力
他とは全く比べものならないほどの魅力

これを作って、本音でお客さんを想えば、売れると思うんです。


その歯医者の受付は、最近まで続けていたと聞いてますが。

2冊目である「スゴ腕パワーマネキン・・」を出す直前まで、フルタイムで続けてました。

その頃には、商社も経営してましたし、「No.1 Dentist Club Japan」の運営もして、既に数百名の顧客を持っていたので、我ながら、一体いつ仕事していたんだろうと......。

正直、定職を手放すのが怖くて、辞める決心がつかなかったのです。


気力はあるでしょうが、体力的にはハードだったのではないですか?

大丈夫です。睡眠時間6時間とってましたよ。

ただ食事は1日1食になったかなぁ・・・食べながら、パソコンに向かっていました。



■23歳で専業主婦になることしか考えてませんでした(笑)


もともと、ビジネスに興味があったのですか?

いいえ、全~然。全く。(笑)

OL時代は、「一生働くなんて、絶対いや!」と思い、23歳で専業主婦になることしか
考えてませんでした。

えっ、専業主婦志望だったんですか!!分からないもんですね(笑)

ビジネスに興味をもったきっかけを教えてください。

本です。

「金持ち父さん貧乏父さん」や神田昌典さんの本を読んだとき、ビジネスに興味が沸いたのです。

それでビジネスはじめました。思い描いていたビジョンが、予定通りに回っていくのは、とても面白いです。

・・・今はこんな風に言える私ですが、新卒後に働いていた医療法人では、「できない」OLをしてました。

OL時代とは、考え方もガラっと変化したようですが、その医療法人では、どんな仕事をしてたのですか?
会社組織がバックにある巨大な医療法人で仕事をしていました。

そこでは色々な仕事を経験しました。

資格を持っていたので視力・視野などの検査員から、治療の補助、カルテ記入、
保険点数計算、経理、人事・教育、そして営業。

お掃除や消毒もしましたし、レンズの仕入れや販売、棚卸し、薬品管理など......。
何でもやりました。



■OL時代、このままでは自分がダメになると・・・


その頃から、今と変わらない意識で仕事していたように思えますが。

いえ、全然違いますよ。

確かに仕事は一生懸命やりましたが、給料分だけ働けばOKと思っていました。
周りからは、仕事できない人といわれてました。「私はできません」と、自分でも言ってたし・・・。

営業成績もビリ。
こんなのじゃ、普通の会社でも通用しない。
そんな思いでいっぱいでした。

私のクライアントにも、客観的に見れば能力は高いのに、「できない」意識を勝手に作り上げている方はいました。

「仕事ができない」というのは、松田さんの思い込みもかなり入ってたのではないでしょうか?

今なら、そう思いますし、なぜ自分がそう思い込んでいたかも分かります。

私、数学が得意じゃないんです。

それなのに、眼科の検査も経理も数字ばっかり・・・
今から思うと、自分の得意じゃない仕事ばっかりしてて、「できない」意識に囚われていたような......。

合わない仕事に、無理して続けるのに、体が悲鳴を上げたのか・・・
私は自律神経失調症になり、一時期は不眠と拒食でフラフラになりました。

このままでは自分がダメになる・・・そう思い、退職したのです。



■私を活かせる仕事と出会えた!


松田さん、今はすごくイキイキされてますよね?

自信を取り戻すきっかけは、何かあったのですか?

先ほども言いましたが、生活のため、マネキンを始めたんですね。

詳しい経緯は本に書いてありますが、とにかく自分の好きな通りに試食販売をやってみたら、スーパーの店頭で、柿がすごい勢いで売れていったのです。

そのとき、

「私だって、仕事が出来るかもしれない」

初めて、そう思えたんです。


事務的な仕事でなく、人と接する仕事の方が肌に合っていたかもしれませんね。

私が幼い頃からやってきたお芝居が、前の仕事では全く活かせませんでしたが、マネキンの現場では、活かせました。

売場で「役者声」出したり「物まね」なんかしたら、すごい喜ばれるんです。

私も嬉しかったです。
「やっと、活かせる仕事ができた!」って。



■商業演劇の舞台でなくても、役者やっていける


松田さんにとって、お芝居は非常に大切なもののように伝わってきますが。

その通りです!

私は10代の頃から、寝ても醒めても芝居のことしか考えてませんでした。
でも、残念ながらプロとしては通用するレベルではありませんでした。
欲しい役に、もう一歩のところで、いつも届かないんです。

時代劇とかなら生きていく道があったけど、興味が湧かなくて。

仕事でも、長年お芝居に携わってきたのに、医療法人の仕事では活かせる場がありませんでした・・・。

でも、「パワーマネキン」として認められて、息を吹き返しました。

「私は売場でなら生きていける」って。

そして、芝居をやる場所も取り戻しました。売場もそうだし...
私にとって書くことも芝居です。読むことで、私の芝居を見てもらってる。

セミナーも、お芝居。

別に商業演劇の舞台でなくても、役者やっていけるんだな、って思うと嬉しくて。
それを機に、人生が好転してきましたし、色々な人との出会いの場が増えました。

それから、商社を経営したり、歯科医のコンサルティング組織「No.1DentistClub Japan」を
設立したり・・・と、活動の場も広がっていきました。



■あまり知られていない歯周病菌の本当の怖さ


今、「No.1 Dentist Club Japan」での仕事に力を入れていると聞きました。

歯科との違いはありますが、眼科の医療法人で働いていたことは、今は活かされているのではないでしょうか?

活きていますよ。

私はレセプト請求の資格を持っていますし、医科での勤務が長かったので、
全身疾患と薬品との関わりとか......、全くの素人よりは分かっているんです。

勿論、歯科でも助手として現場に3年いたので、治療の流れは分かっています。

ですから、私のコンサルは、「使えるコンサル」。
「今日から現場で数字が出せるコンサル」なんです。

また、医療法人では「スチュワーデスと同じレベル」が基準でしたから、各社の企業研修プログラムを受けたり、上司にしごかれたりしながら、とても厳しい接遇マナーを叩き込まれてきたんです。

その中から、普通の医院で取り入れられ、しかも上質のマナー、患者さんに感激して頂ける心配りなんかを、クライアントのドクターにお伝えしています。

ただ、この会の本当の目的は、「接遇向上」ではないのですけど。


本当の目的は何か・・・教えてもらえますか?

「予防歯科」という概念を世間に広める・・・これが目標です。

あまり知られていないことですが、アルツハイマーや肺炎、心臓病、流産の原因の多くは、
歯周病菌なんです。

口の中にあるバクテリア類を、知らず知らずのうちに飲み込んで、毛細血管から全身に
回っているんです。これが諸悪の根源。

歯周病は「死に至る病」なんです。
完全に叩く方法が、一つだけあります。

でも、それを患者に伝えようとする歯科医はほとんどいません。

患者が悪化した方が、儲かるからです。私はこれに怒っています。

だから、うちの会には、「ただ儲けたい」という人だけでなく、この思いに
共感してもらえる歯科医の方のみに、入会してもらっています。



■真っ白な灰になりたいかーっと情熱的に行きたい。


松田さんの言葉から、すごくパワーを感じます。

ところでお聞きしたいのですが、松田さんの「芯」は何だと思いますか?

一言でいうと・・・「真っ白な灰になりたい」かな。

「あしたのジョー」が好きなんです。(笑)
これって、イヤな人にとってはイヤな価値観ですよね。

もっと「まったり」生きたい人はそれでもいいと思う。

でも、私はかーっと情熱的に行きたい。
私は、ずっと全力疾走してきたんです。

ずーっと芝居ばっかり。養成所に入ってからは毎日のジム通い.....。
空いた時間は、本を読んでました。

稽古か読書。他の楽しみは知らないんです。

20代で本を出して、雑誌にも登場して・・・知らない人から見れば、ただただラッキーだったように見えるかもしれません。

事実、そう言われたこともありました。
でも20代は、色々不遇なこともあったのです。
貧乏したり、重傷を負ったり、もう色々。

何でこんなヒドイことばっかりなのか・・・そう思ったこともありましたが、
下がった分だけ、上に向いてハイジャンプしたらいいか、と心を切り替えました。


表面だけ見て、判断する方も多いですからね。

自分も気をつけないと(笑)

もっと肩の力を抜いて、まったり生きてもいいけど・・・

やっぱり燃え尽きたい。全力でやりたい。
私の周りの役者をみてても、「かっこいい自分」を捨ててるひとは輝いています。

中途半端なプライドを捨てて、観客を喜ばせるために体を張る人って逆にかっこいいと思うんです。



■お芝居やりたい・・・ボロボロ涙が出ました


松田さんは、何にでもお芝居に結び付けて、表現されますね。

思い入れがびんびん伝わってきます。

通っていた心療内科のお医者さんに尋ねられたんです。

「本当にしたいことは何?」

医療法人に勤めていた頃、お芝居を辞めてました。

お芝居なんて、大人の贅沢。
生活のためにお金を稼がなきゃ、会社に行かなきゃ芝居なんてやってられない。

でも、本当にしたいことは何かと問われて・・・

「お芝居やりたい。」

ボロボロ涙が出ました。
今まで抑圧していていたのです。

『じゃあ、会社なんかやめて、やってみなよ。生活はきっとどうにかなるよ』

先生はそう言って下さいました。
で、会社を辞めて師匠に弟子入りしたとたん、パタッと自律神経失調症が治ったんです。



■人の期待に応えようとするのはやめたら・・・


その当時、松田さんはとても我慢強かったんだと思います。

その頃の自分に、今、何かメッセージがあるとすれば?

「人の期待に応えようとするのはやめたら・・・?」

お芝居を続けることは、身内の反対もあったんです。

お姫様みたいな役ばっかりだったら良かったけど、私、捨て身のギャグとか、エロい役ばかりやってましたから。アングラだし。

高校卒業後、本当はアングラ劇団に入りたかったんですが、「入るなら、勘当する」と
親から言われ・・・自分の意思を通せませんでした。

親の期待に応えなきゃいけない、
生活しなきゃいけない、いけない、いけない...
「押し付けられている」意識ばっかりでした・・・

今は何も抑圧していないです。

やりたいことだけをしたい放題です。

私、こんなことでいいのかなというくらい、好きなことばかりしています。



■松田さんから、好きを仕事にしたい人へのメッセージ


私はどうしても、社会の中で居心地のいい場所がなかったので、しょうがないから自分で、
「通信制歯科コンサル界」っていう場を作ったりした。

だから、引きこもる人の気持ちがすごくよく分かる......。
でも、どこかには「居心地のいい場所」ってあると思う。

私には、取っ掛かりとして、試食台、っていう場所があったから助かりました。

これは、今うまくいったから言うんじゃなくて、たとえ、ずっと運に恵まれていなかったと
して、一生、野菜を売ってるだけのマネキンであったとしても、会社員時代より幸せ
でした。

自分で見つけた場所だから。

好きなことをしたら、キャッシュが入ってくるとは言い切れないけど、でも気楽には
なれますよね。
これだけは言えます。

ただ、好きなことをするのはイイ面ばかりでなく、色々な反発がきます。

大抵は家族、恋人、仲間からでしょうか・・・。
人のイイ面だけみて、嫉妬する人もいます。

「自分の下にいる人に、上にいかれたくない。」
「自分が叶えられなかった夢を、身近な人に叶えられたくない。」とか。

「現実を見ろよ」とか「地に足をつけろよ」って言う人の言葉は聞く必要ありません。
こういう言葉のベースは「嫉妬」だと思うから。

最初は一人になるけど、前の友達より、良い友達が出来るようになると思う......。
ただ寄り集まって「皆で、隠れている才能を探そう」とか言っててもしょうがないし。

私、「才能」とは、「それをしないでは生きていけない情熱」だと思っています。

歌手や作家や役者でも、それをしないと生きていけないぐらい好きな人たちが、
一線で必死でがんばってるわけです。
そこへ、大して好きでもない人が参入したって......。

だから、「才能探し」とか「自分探し」って言葉を聞くと、私、少し違うんじゃないかと
思うんですよ(笑)。

キツイかもしれないけど、探さなきゃ見つからないような情熱は「才能」って
呼ばないと思うので。

趣味ならいいけど、お金を取るんだったら、責任持たなきゃいけないと思うんです。

だって、心のどこかに、
「自分には高い能力がある」「積み重ねてきた努力がある」という自信がないのだったら、
お客さんからどうやって、大切なお金を頂くんでしょうか?

私は「自分には才能がない」って言う人とは仲良くなれないけれど、
「何か湧き上がるものがあるけど、どう表現していいか分からない」という人とは、
一緒に何かをやっていきたいです。

皆、何かしら才能はあると思うから。



 大好評!「スゴ腕パワーマネキンが教える!売れる営業の法則」

松田綾子さんからひとこと

フリーターだった私が、半年で月商600万円の
ビジネスを起こせた理由、知りたくありませんか?

営業集客はズバリ「科学」、
お客様との関係作りは「心理学と演劇論の応用、
そして○○○」..

続きは「スゴ腕パワーマネキンが教える!
売れる営業の法則」
にて

「SPA!」書評他でも絶賛頂いております。


インタビューこぼれネタ


たった数時間で、いくつもの顔を見せてくれました。

「私なんかが、インタビュー受けていいのかしら・・・」
最初のうちはうつむき加減、けなげに語る綾子さん。
しかし!大好きな演劇の話では、水を得た魚のように
ダイナミックになり、ビジネスの話になると、キリリとした
女性社長よろしく、理路整然に語ってくださいます。

これからも、綾子さんの新しい顔が
出てくるのでしょうね。楽しみ!




「私たちがインタビューしました!」
ライフワークインタビュー (2005/01/23~02/16)
佐藤元相さんのプロフィール

  有限会社NNAテンダーサービス代表取締役
 1983年3月 大阪府立高校を卒業後 自動車部品製造工場へ就職
 1988年8月 単身渡米をきっかけに軽貨物・物流事業を始めアメリカのアウトソーシングを
 参考にコンピュータと物流を融合したサービス開始

1995年9月 NNAテンダーサービス設立し、中小製造業に特化したホームページ支援事業を
展開し小さな会社のブランドづくりに情熱を掛ける!

2000年その傍ら異業種交流会フォーラムアイ代表として「生野を日本のミラノに!」をビジョンに
地域のものづくりを世界ブランドにするとんでもないビジョンを計画し実践奮闘中!

2005年1月に出版した著書小さな会社集客のルール(フォレスト出版) 増刷決定!!

ライフワークインタビュー

■以前は、鉄工所の職人さんでした(笑)


佐藤元相さん、本日は宜しくお願いいたします。

まずは、現在のお仕事の内容を教えていただけますか?

こんにちは! (有)エヌ・エヌ・エー・テンダーサービス佐藤です。

どうぞよろしくお願いいたします。
メインの業務は、企業用のホームページ製作です。

ホームページは作ってしまえば終わりと考える経営者が大半です。
また、ホームページ作成業者は、見栄えが善い物をつくればそれでいいと思っているようです。

当社が手がけるホームページ製作の特徴は、3つあります。
まず、事業の強みを明確にすること、他社と競合しないように差別化をすること、そして、
オンリーワン企業を創り出すことです。

つまり顧客の一番得意なもの、得意な技術、他社とどこが違うのかということを、明確にしています。

ネット上でオンリーワンを作ってしまう。
それが結果的に集客につながるのです。

あとは、各種組合や団体、企業などでセミナーの講師もしております。
そこでは、集客できるホームページの作り方や、エクセルで売上げ管理とか、ワードで小予算で
できるポップの作り方などを教えてます。

私が仕事で最も大切にしていることは作る事ではなく、創る事。
つまり創造するプロセスです。



その方の「オンリーワン」を引き出していく過程は、我々が提供するコーチングと一緒ですね。

ところで、会社員時代はどういうお仕事をされてましたか?

高校卒業後、地元の自動車部品メーカーの工場で働いておりました。

いわゆる工員さんです。
12歳くらいから、近所の鉄工所でアルバイトをして、小遣いを稼いでいました。
18歳に社員として、本格的に職人技を教わりました。だから、結構腕はいいですよ(笑)。

金属加工の際に使用する刃物の研ぎ方などは、職人と言われる領域は極めたつもりです。
25歳まで勤務していました。




■あの頃は、製造業の未来に希望がもてず・・・


会社員時代に、独立・起業を考えておられましたか?

はい、鉄工業で独立しようと思ってました。

そのために、朝一番に出社して、刃物(ドリル)を研ぐ練習をしてました。
早く独立しようと思っていたので一生懸命に練習しました。

独立開業セミナーへも積極的に参加しましたよ。製造業での起業を考えていたので、まさか自分
が、コンピュータの業界で独立するとは思いませんでしたが。


ドロ臭い?というイメージの鉄工業から、
時代の最先端をいく、コンピューター業界へと方向転換された理由は何でしょうか?

実は約20年前に、アメリカに半年間、放浪の旅に出かけました。

目的もなく、ただ町から町へと放浪していたのです。そんな時、アメリカでは小さな商店やホテル
までどこに行っても、コンピュータが使われていることに驚きました。

それに比べて、私の勤めていた工場では、ネジの絵を描いて請求書を書いていまし(笑)。
象形文字ですよ(笑) 象形文字だからコンピューターで処理できるわけがありません。

その当時、ちょうど円高不況でした。給料が世界で一番高い、土地が一番高い。。
日本の製造業から仕事はどんどん減っていきました。激減です。

仕事が減ったのは一時的なものなのか?
ずーっと減っていくのか?

アジアの国々が製造力をつけてきたと聴いたが、これで日本は世界に勝てるのか?

私は、閉塞感でいっぱいになりました。製造業の将来に、輝くようなビジョンを描ける人も
いませんでした。
閉塞感ばかりの製造業より、コンピュータ業界の方が、輝く未来を描けたのです。

「かっこいい!これからは、コンピュータだ!!」
180度方向転換して、コンピュータ業で独立することにきめました。




■パソコンマニアに鍛えられました(笑)


時代の流れを自分の目で見て確認されたのですね。

独立して何年ですか?
そして、当時はどんな業務をされてのたのですか?

独立してから14年。法人になって7期目になります。

まずは軽トラックを購入して、オフコンを運ぶ仕事を始めました。何か出来るかもしれない・・・
と思いました。大手コンピューターメーカーの流通の仕事を頂くことができました。

そうしているうちにNECの98が登場しました。大阪の電化街・日本橋にもパソコンを売るお店が
出来だしていたのです。

今はパソコンを買えば、マウスはすぐに使えるようになってますよね。
でも昔は、マウス一つ動かすのも、パソコン上で色々と設定する必要がありました。
初心者には、非常に難しかったのです。

そこで、パソコンの色んな設定を請け負う仕事を始めました。
自分たちでちらしを作り、電気街に立ち、パソコンを買ったお客さんにちらしを配ってました。

ただ、その頃、パソコンを買う人といえば、マニアの方でした。私よりもお客さんの方がパソコンに
ついて、むちゃくちゃ詳しかったので冷や汗もたくさんかきました。

「何が悪いの?」と聞かれても、何が悪いのかも私にはさっぱり分からない。
コンピュータに関しては、マニアの方々に鍛えられました。



■ドーベルマンに追いかけられた、飛び込み営業時代


分かります。

私も古くから、いわゆるDOS時代からパソコンをいじってたのですが、当時はワープロソフトを
パソコン上で使えるようにするために、小難しい設定が必要でしたからね(笑)

その後、パソコンを習いたいという人が出てきたのです。

そこで、エクセルやワードなどを指導するサービスをくっつけた、パソコンのメンテナンス業を
始めたのです。

その頃になると、小さな工場でも徐々にコンピュータを導入しはじめていました。
私は、企業経営者に的を絞って、飛び込み営業を始めたのです。訪問先は地域の町工場。

いくらパソコンが浸透したからといっても、町工場のおっちゃん。
忙しいさなか、営業マンの話を興味深く聴いてくれる訳がありません。

名刺を渡しても、ピューンと投げ捨てられたり、『もう、しつこいから来るな!』と怒鳴られたり…。
あと、ドーベルマンを連れてきて、追い出されたこともあります。本気で吠えるから怖くって。
よくメゲました。

人格をここまで否定されるとは…、本当に飛び込みは辛かったですよ。


ドーベルマンとは!おっかない話ですよね…。

そのうちに、ある大手企業が同じ地域でコンピュータの営業を始めました。

スタッフと一緒に一生懸命作ったちらしを、その大手企業にそっくり真似されて・・・私は一人で、
一件一件訪問していました。

ある大手企業の営業マンは5人くらいが一チーム。一斉に飛び込み営業を始めてきました。
向こうはマンパワーで、片っ端からその地域の企業を訪問できます。

お金があるから、広告費もかけられます。
私は一人だから、訪問件数は、1日数件。これはもう。。。広告費も限られている。
コテンパンにやられました。

何かいい方法がないかと