![]() ![]() |
「私たちがインタビューしました!」
|
■ 心にスイッチが入るようなセミナーやワークショップを
和.講演会、セミナー、ワークショップなどを、不定期で開催しています。
人数は、10-100人規模。内容にあわせた人数で開催しています。
和.心にスイッチが入るような、やる気がでるような感じのものです。
また、最近の、「夢ある」セミナーは、参加者が主体性を持って、参加する形をとっています。
ただ受身で聞いて、「あー楽しかったね」で終わらないように。
来た人たち同士が仲良くなるようなゲームを入れて、ネットワークを広げてもらったり、
講師との距離感が近いものだったり、何度も回を重ねて参加する連続形式だったり。
セミナーで感じたこと、学んだことを、今の自分がやりたいことへと踏み出す、
きっかけにしてもらえればいいなと思っています。
岩.7月10日で4周年を迎えました。
■ それぞれの会社員時代
和.大学卒業後、出版社に勤めました。
作家・中谷彰宏さんの担当をさせていただいてました。
あとは、雑誌のコーナーの連載を持ったり、ホテルに就職したいという学生向けに
情報を発信したり、イベントを企画したりしていました。
岩.私も編集の仕事してました。
レストランで働いている人を対象にしたような本、例えば、実際に調理している人のところに
行って、料理の仕方を取材し、レシピをまとめたり、包丁の使い方やキムチの作り方の本などを
編集していました。
和.出会ったのはホテル・レストランショーという、
業界向けの展示会のようなものでした。
厨房機器や従業員のユニフォームとかも展示するなかで、出版社も出展してたのです。
私がブースで本を売ってたら、「この本、下さい」と中谷さんの本を全部買っていった
人がいました。それが岩崎です(笑)
岩.(和田さんを見て)私、挙動不審だったよね?
和.そう!
最初は1冊だけ買っていって、その後、柱のかげからこちらを覗いてて
「やっぱり全部ください!」と買っていったんですから。
そんなに好きなら、サイン本あげましょうか? と、こちらから連絡先を聞いたのがきっかけです。
岩.私が感動したのは、次の日に全部、本が届いたことです。
その速さに、すごい!と思って、わぁ、この人と仲良くなりたいと思いました。
和田もその頃は「来るものは拒まず」という人で、自分から縁を切らない人だったので
色々と誘ってもらったものにくっついていってたら、遊んでもらえるようになりました。
■ この人、気合入ってるなーって(笑)
和.なんとなく、「何かやろう」と思ってたので・・・
社外のネットワークをつなげようとしてました。
ビックリしたのは私がお誘いすると、時には、会社を早退してくることもあって・・・!
わぁ、気合入っているなーって(笑)
岩.和田にすれば、私はたくさんの一人だったと思います。
でも、私はそんなに社外に、セミナーなどに誘ってくれるような知り合いがいなかったので、
和田の誘いだけに応えていればよかったんです。
和.だから、気合はいるよね、ははは(笑)
岩.和田は、私が社会人になってから出来た、最初の仕事以外での社外の知り合いでした。
だから嬉しくって、くっついていってたみたいな。
私は本当に何も分からなかったから・・・例えば、人に会ったら、すぐにメールを送れとか。
色々教えてもらったりして、この人、本当にすごいなー、同じ年齢なのにって思いました。
その頃から、上下関係はぴしっ!と(笑)、決まっていました。
和.明確には思ってませんでしたが・・・
一生この会社にいるつもりはありませんでした。
転職するなり、いつか独立するなり・・・自分で歩く道を決めていくタイプだったから
どんどん変化していくと思ってました。
だからこう、会社にいても中途半端に仕事しようではなく、10年、20年いる訳じゃないんだから。
今学べることを学びつくしてやろうと。
全部、私は経験するんだ! 雑用とか全部やる!という勢いで、周りに
「何かやることないですか?」と聞きまわってました。
和.その会社も、中谷彰宏さんに憧れて、最初は学生バイトで入りました。
中谷さんは会社には滅多に来ないのですが、社長がたまたま「社員向けに講演でもしてあげて。」
と中谷さんに頼んだことがありました。
その講演はオフィスでやったんです。みんなは自分の席に座りながらでしたが、私は一番前に
陣取り、中谷さんから数センチの距離で聞きました。
「ああ、なるほど~」って、目をきらきら輝かせながら。
録音もしてたので、その日の講演を、その日中にテープを起こして、何十枚のレジメに
まとめました。
FAXで送ってもらったものをみて、中谷さんからは「すばらしい!」と言われました。
まだバイトの学生で、編集もしたことないけど、そんなに好きならやってみたらと、
中谷さんの担当にしてもらえたのです。
■ 依存しているから ぜんぜん怖くない(笑)
岩崎さんは会社員時代、独立は考えていたのですか?
岩.全く、無かったです(笑)、そういうタイプではないし。
「和田と一緒にやる」というより、「和田さんについていけば平気そう」という意識でした。
依存100%、ぶら~んとぶらさがった状態でくっついていきました
起業というより、転職という感じですね。そのまんま居座らせてもらおう。
岩.「なんで怖くないの?」と聞かれましたけど。
和田についていけば平気、
依存してるから、ぜんぜん怖くないんですよね(笑)
先に一人で始めて、あとから一人加わったという訳じゃないんですよね。
岩.(和田さんを見ながら)本当はそうしたかったんだよね?
和.(うなずきながら)、そうそう、でも会社がなかったんだよね。
岩.辞めますといって、辞めたという訳ではなくて、
会社の方から「さよなら~」って言われました。
和.大体これくらいの時期に会社を作ろうかな~と
ボヤっと話しているときに、岩崎から
「会社をクビになったので、宜しく」と言われちゃったんです。
「よろしくって・・・」
■ 和田さん一人なら 仕事あげるのに・・と言われて
和.そう。
まぁ、ちょうど会社を辞めようと思ってた時期だったので、背中を押してもらった感じですね。
岩.かなり強引な、ね。
私は良かったけど、あなたにとっては重たかったよね(笑)?
和.重い(笑)。
でも、荷物があった方が頑張れるタイプだったんで、いた方がむしろ良かったですね。
例えば、子供がいるからとか、守るものがあった方が頑張れるので、良かったですね。
岩.周りからはそうは見えてなかったようです。
ま、これは和田が私には言わなかったんですが、
「和田さん一人だったら、仕事を上げるのに」と言われたこともあったようです。
和.それはこちらから仕事を断った腹いせとかに言われて・・・
最初から言われたことは無かったんですが。
私も「こっちは二人でやる。」と思ってましたし。
岩.私もだいぶ後から、それを聞きました。
それで「なら、岩崎とは別れる」と言うんじゃなくて、「それだったら、その仕事は断る」と
言ってくれたと聞いて、ビックリしました。
■ 何がやりたいのか? 分からなかった起業当時
和.普通はやりたいことがあるから起業するんと思うけど、
「はい、何でも自由にしていいんですよ」と言われても、「なにがやりたいんだよー。」って
最初は分かりませんでした。
何が出来るかな?ということで、最初は編集をやってました。
そのうちに、自分たちがやりたいことは出版という枠組みなしで考えたら、どうなるかな?
と考えてみたとき、講演会が浮かびました。
自分たちがまず聞きたい人の講演会を主催したら、お客さんは満杯になりました。
出版のときは、読者との接点がなかったのですが、講演会ではダイレクトに近づけるので、
やりがいを感じました。
「あぁ、面白いね」って、講演の内容を本にしたりとかで、だんだん講演会とか主催する方に
なってきたんです。
■ 社会人のための学校をつくりたい
和.講演会を始めて、1年経ったあとですね。
単発は刺激は大きいけど、何か長期的に、成長の過程をみていきたい。
講演会に参加下さったからから、かなり後になってメールを頂くんです。
「こんな風に変わった」って。その過程を私たちももっと直に感じたいと思いまして。
現在は、人生予備校から内容もバージョンアップし、キャリアデザイン講座として開催しています。
ゲームなども取り入れて、楽しく学んでいます。
何でも話せる利害関係のない、バックボーンの全然違う仲間ができるというのも、
この講座の魅力です。講座が終わってからも、ずっと、受講生同士で勉強会をしている期や、
同窓会を定期的に開催している期などもあります。
岩.社会人のための学校をやりたいというのは、
起業当初から言ってたよね?。
社会人の学校を創りたいって。和田がそう言い始めたとき、私はてっきり建物を作るんだと
思ってました。
なんて壮大な計画なんだー。
数億はかかるだろうし、この人どうやって貯めるんだろー。
和.「そんなに大きいの?」とか、
そういう反応してるから、この人、何考えてんだ?と不思議でした。
■ なぜ、私をクビにしなかったの??
何があったからお二人やってこれたと思いますか?
和.(二人、顔を見合わせて)何があったんだろうね?
岩.何でクビにしなかったの?
和.成長したいという意欲が大きかったんです、岩崎は。
スピードは確かに遅かったり、いきなりブン!と成長したりする。
まだまだ、秘めている可能性があるし、成長するという気持ちだけはいつも持っています。
あきらめない、というか。
私はまぁいいやと放り投げて、次のところに行ってしまうんです。
一つのことにずっと地道にやるのではなく、ポンポン新しい道を渡り歩くタイプ
岩崎は不器用だけど、一つのことを執念かけてやるタイプ。
講師の依頼も3ヶ月とか、半年とかかけてやってくれるのですよ。
岩.私には、「夢ある」を辞める理由なんてないです。
本当に成長させてもらえるし、何かうまくいかないことがあっても、和田は、絶対に私のせいには
しないんですよ。
最後は全て引き受けてくれる安心感があり、自由にやらせてくれます。
私にとって、もっといいところがあるとは、決して思えないんです。
ここで何も出来なかったら、どこに行っても出来ないだろうなと素直に思える場所です。
私がここを辞めないのは、すごく分かるけど、なんで辞めさせられないのか?は
あまりよく分かんないです(笑)
私も聞いてみたいというか。
和.岩崎はどこに行ってもかわいがられるし、
何の仕事をやっても、出来るまでやり続ける人です。
だけど、夢あるに最初から関わった縁もあるし、ここで働いている間に、何か一つでも
自信を持ち帰ってほしいなと思っているから。
岩.まだね~、その期待には応えてないもんね(笑)
和.そうよ! その期待には応えてほしいわよって。
それで、苦労の甲斐が報われるというか。
こんな大変な人を一人育てたという実績が欲しい!
岩.私は、子供とちがって、口答えするし、大変だよね。
和.ま、おこがましいかもしれませんが、
最初はどうやって育てたらいいのか?
のびのび成長してもらうにはどうしたらいいかを考えました。
で、これをやってと頼むと、「無理」と言う返答が帰ってくるんです。
えっ、何で「無理」って言うんだろう?って不思議でした。
岩.そういうの、和田は言わないタイプだったからね。
和.そう。それで「無理って言っていいんだ」と発見しました。
で、「なにが無理なの?」とか「何が怖いの?」とか、色々聞いてみたり、機嫌とってみたり、
怒ってみたりしてました。
やり方分からないというから、段取りやスケジュールまでこちらで立ててました。
でも、そうすると、「窮屈だ」と言われたりして。。
もうダメだ、放っておこうって思って、放っておいたら、自分でどうやるか
やり方を考え出してるんですね。
「仕事はどのくらい進んでいる?」、今はそんなこと聞かずに、桜の開花をじっと
見守っているという感じですね。
■ 自分が成長したいスピードに、自分が追いつけなくて
岩.自分のことは分からない・・・あんまり変わらないですね。
岩.もっとがんばれよって言うかもしれない。
自分が成長したいスピードとそれが全然追いつけてなくて、焦る。
なんで、こんなにいい環境があるのにって、なーんで、私、変わらないんだろうなって。
岩.自分があまり仕事できないなという自覚だけはあります。
自分よりずっと前を、和田が走ってくれているので、早く追いつきたいじゃないですか。
でも、距離が全然近づかない。むしろ開いている。すごく、あせります。
■ せめて いい空気を出す人になりたい
和.自己否定観はなくなったよ、自分を卑下しなくなりましたよ。
岩.それは、言葉を変えよう! というキャンペーンをしたから。
和田の旦那さんが、私と会いたくないって言ったそうなんですよ!
なぜかというと、すっごくマイナスの表現が多かったんです。
一緒にいる人って疲れるじゃないですか?
「どうせ私は」とか、ずっと聴いていると、一緒にいるだけで疲れてしまう。
和.ははは(笑)
岩.その言い方が、「変われ!」みたいな、感じではなくて、切実だった。
「お前が悪い」とかじゃなくて、「俺、本当に辛いんだよ~」って。
あぁ、それって悪かったなと思いました。
人によくない感じを与えてしまうんだなと。
仕事は、できなくてもいいから、せめて、いい空気を出す人にはなりたいと思ったんです。
それで、言葉を変えるようにしたんです。
和.いい空気を出す人になったよね。
前はどよーんとしていました。猫背で暗くて、前髪がすごく長くて、いつも隠しているイメージ
でしたが、今はひまわりのイメージに近づいてきました。
■ 二人とも変わりました
そのとき、岩崎さんが司会をされてましたよね。
あのとき、「がんばってるなー」という感じはしましたが。
岩.頑張ってましたよ、かなり、ムリしていました。
和.がんばってたよねー(笑)
あの頃は無理に元気というか、真逆のキャラを演じてるような。
今は自然な形で、元気なところが見せられるようになったようですね。
岩.前は緊張しまくってましたよ。
名刺を渡すのもガチガチで、インタビューでも答えられませんでした。
和.前はね、人に嫌われたくないと思ってたようですが、
今はあまりそういうのを感じなくなったよね。
岩.自分に自信がないと、あまり他人を嫌わないですね。
人を嫌うということって、私にとっては一大事だったんです。
だけど、和田やスタッフと話して気づいたのです。
人って割とお気軽に、人を嫌いになるんだなって。
和.岩崎に「嫌いな人いる?」と聞いたら、
「いない」って言ったのですよ。
なんか、嫌いになったらダメと思っている感じでしたよね。
岩.そんなに大騒ぎすることではないと気づいたんです。
嫌いな食べ物ってあるじゃないですか、
そんな感覚で、みんな気軽に嫌いになると思っていれば、
人に嫌われることが、そんなに苦ではなくなる。もちろん、多少はつらいけど。
ある意味、私が「人を嫌わないようにしよう」とするのも、逆に おこがましいかなって。
別に、私から嫌われたって、その人も、どうってことないでしょうし。
そんなふうに考えられるようになったら、ちょっと、気が楽になりました。
和田さんも数年前に比べて雰囲気が変わりましたね。
和.えっ、どう変わったんでしょうか??
和.前はハングリー精神がエネルギーの源にしていました。
今は、感謝の気持ちだったりとか穏やかなエネルギーの出方になってきました。
ハングリーなエネルギーは、立ち上げ時は確かに必要です。
でも、刺激的なエネルギーは、何回も浴びたいような、心地よいものではありませんから。
それを出し続けるのは、周りも自分もキツいんですよね。
結婚して、出産があったりも、影響してるかもしれませんね。
元々岩崎さんが持っていたところが和田さんのところに入りいき、逆もしかりで、
中和されている感じです。
和田さんが起業してから、変わった部分はありますか?
■ 仕事で頑張らなくても、焦りはなくなった
和.仕事に対しては、健全な考え方をもっていました。
仕事で成長していこうと。
その後、結婚生活で、夫とのコミュニケーションスタイルが変わりました。
子供が出来て、そっちが伸びた感じですね。
和.家庭で押さえつけられているエネルギーを、
仕事に発散することがなくなりました。
そうすると、家庭がうまくいきだしたのです。
仕事でがんばらなくても、そんなに焦らなくなりましたし。
一人目のときは焦ってたけど、二人目生んでからはゆとりも出ましたね。
和.ここ1・2ヶ月でなくなってきて、最近、どっしりしてきました。
むしろ、今日できなくてもいい、明日やろう、みたいな。
私、進むときは早いから、きっと取り戻せるだろうと、自分を信頼しています。
■ 今後のビジョン
和.1年以上の視野は決めないようにしています。
子育てしているときは、長期的なビジョンは向いてないから。
今までの流れで、セミナーやったりとか、ママ部門を立ち上げたりとかしてるけど
まだ決めない。今は決めない。けれど、1年後は決めていきたいですね。
それまでは、先のことを考えるのが得意で、どちらかというと今、やっていることを楽しまず
数年後のビジョンを常に頭において、行動していました。
岩.起業当時、和田から言われました。
「この会社は、岩崎のために作った。だから、何でもやってもいいよ。」
私は目立ちたがりなんです。
和田が取材を受けても、私に譲ってくれたり、講演依頼も譲ってくれました。
でも、これから、和田を出していきたい。
和田の生き方は、「憧れ」になると思うのです。スタッフに慕われているし。
今までは自分はどう見せるかばかり考えたけど
和田をどう見せていくか、どうプロデュースしていくか。やってみたいんです。
和田だけでなく、講演会のプロデュースも、しっかりと、やっていきたい。
和田を、もっと引っ張りだしたい。
和.私も岩崎に、引っ張りだされたいよー(笑)
岩.私の苦手な分野だけど、プロデュースをやってみたいんです。
今、私も司会の勉強したりして、パンと目立つ快感はあります。
でも冷静に考えると、私が出るよりも、和田が出たほうがいいと思うことも多いんですね。
それは決して、卑下じゃないんです。
岩.こういう風に準備して、こういう風に和田を出せば、
お客さんはこう反応する。
そこをやってみたい。
和.いままで、100人近い、外部講師に来てもらって、
その人のいいところを引き出すのは十分経験はありますよ。
たぶん私たち、同年代の中で、講演会に出席した数は多いんじゃないですか?
こんなに人の話を聞いている29歳はいませんよ。
でも、自分たちがまずは楽しむことが大事ですね。人のために何かしようと思っても
楽しんでなくては、やってる意味がありません。
そりゃ、ビジネスでやれと言われても出来るかもしれないけど、数ヶ月も講師と交渉したり
1回にかけているエネルギーが高いから、それを単にビジネスとしてやるには重いんです。
でもやってて楽しいんです。だから、やれてるんです。
岩.そう、楽しいです。大変でも楽しい。
ある程度までは、大変であればあるほど、楽しいです。
講師とモメることもあります。もちろん、本当はもめないほうがいいですけど、
後から考えたら、それはそれで、また楽しいです。
もしかしたら、モメないということは、こっちの主張がないときかもしれない。
ぶつけるものがあるからこそ、モメるのだと思うのです。
■ 今でも依存度100パーセントです
岩.一人目のときは影響ありましたよ。
出産後は連絡とれないし、どうしようって。
以前は、困ったときにすぐに連絡したけれど。
二人目のときは、2回目だから、和田と連絡とれないということも、慣れました。
岩.えっ、100%ですよ(笑)。
以前は、依存している自分がいやでした。
でも、依存していいやと思ったら、すごくラクになりました。
依存させてくれる人がいるんだから、まぁいいやって。
変化ありましたか?
岩.社長になっても、何も変わりませんでした。
そう和田に伝えたら、めったに怒らない和田なのに、すごく、怒りました。
「変わらないのでなく、変えてない!!」
会社作ったときもそうだったのですが、作っただけでは何も変わらない。
環境変わっても、自分が変わらなければ、何も変わらない。
上司に恵まれ、環境に恵まれ、肩書きに恵まれている状況だからこそ、
誰にも言い訳できないのです。
■ 二人にとって、「変わる」とは?
岩.根本からがらっと、変わってしまうというよりは
出来ることが増えること、人としての幅が広がることだと思っています。
人間としての視野が広がったら、自分自身が変わったと感じられるかなと思います。
視野が広がると、相手のことも考えられる。
自分が自分が・・・ではなくて、人のことをちゃんと考えられたりできたら、
自分が変わったという実感をもてるかもしれません。
和.私の場合は、ふっと上に行く瞬間があるんです。
主観的な自分の考え方では分からないこともあるんですが、ふっと一段上に
行くことがあるんですね。
私はまだここにいるけど、客観的な自分もリードして引き上げられる。
■ 好きを仕事にしたい人へのメッセージ
お二人にはまだまだお話を伺いたいのですが・・・
最後になりますが、好きを仕事にしたいという方にメッセージをお願いします。
和.私は好きな「職業」はないと思っている。
私は講演をやるのが、決して好きという訳ではないですよ。
むしろ、私は何をやっても楽しめます。
すごい嫌いなのはダメだめだけど、その仕事の面白みを見出すことが一番ですね。
私たちのセミナーで、「つりをするとしたら、どこに楽しさを感じる?」と質問します。
人によって答えはバラバラで、私だったら、たくさんの人を誘うことですね。
岩.私はつり教室を開催することです。
和.受講生の中には、なかなか取れない魚を取りにいくところだとか、
色々な意見が出ます。
好きな「仕事」があるのではなく、好きな「スタイル」があるんだと思います。
岩.私は、あえて「好きな仕事はある」として答えてみると・・・
好きなことを仕事にしようとしたとき、必ずぶつかるのが、好きなことがつらくなるという壁
だと思います。
趣味でやっていたら、楽しかったことでも、仕事にしようとすると、しばらくして、
ちょっとつらいなと感じるタイミングがやってくる。
たとえば、文章書くとか、映画を見るのが好きだとしても、それを仕事にするのはしんどいと
思いますよ。
日に5・6本見て、それぞれのコラムを書くとなったら、体調が悪くても観て書かないといけないし、
興味のない映画も観ないといけない。
好きなのだけ、好きなときにやるのは趣味。
仕事は、書きたくないときも、書く。
好きを仕事にする。趣味だったものを、仕事にするのは、趣味が仕事になる、一歩手前が
一番辛いと思います。
でも、そこを乗り越えたところに、
好きなことを仕事に出来る瞬間がやってくるのではないかと思っています。
和.たぶん、それを乗り越えた人たちが、
本当の、プロだと思います。
好きなだけのままでいたいのなら、仕事にはしない方がいいかもしれませんね。
岩.「好き嫌い」の壁を超えたとき、「好き」「嫌い」を超えた世界、
違う世界があると思っています。
好きで片付けられない。考えられないような世界があるんだと思います。
逆に考えれば、つらくなったときがチャンス。
あと、もう一歩で、壁を越え、仕事にできるから。
私もいま、その壁の前にきていると思っています。
そこで、踏ん張りたい。
「好きなことがつらくなったときこそ、もう一踏ん張りしよう」
これが、好きなことを仕事にしたいと思っている方へ、
そして、私自身へのメッセージです。
![]() |
今回、二人一緒にインタビューに応じて頂くのは いやぁ~、でも二人一緒に出てもらって良かった!! なぜなら、掛け合い漫才が、むちゃくちゃ面白かった 『ね?』 時折、真剣な表情で 自分たちの夢を語る姿や |
![]() ![]() |
「私たちがインタビューしました!」
|
■ 天才と言われる方の”脳の使い方”
ですから、会社員時代のこともよく知っていますが、今回は初めて聞くかのように、
インタビューさせていただきますね。
早速ですが、現在のお仕事を教えてください。
どういうセミナーかというと、アメリカで開発された心理学NLP(神経言語プログラミング)に
関するものと、それを応用したものです。
知らない読者のために、もう少し説明いただけますか?
いわゆる天才と言われているひとたちを研究した学問であり、心理学です。
たいへん大雑把に言うと
「天才と言われる人が、どのように脳を使ったのか?」について研究し、
偉人の脳の使い方を 一般の人にも応用出来るようにしたものと
考えていただくといいかと思います。
本国アメリカでは、「脳の取扱説明書」と言われています。

■ 私のあだ名が「ホフマン」だったワケ
サラリーマン時代のお仕事、どんな社員だったのかを教えてください。
ところで赤木さん、私が「ホフマン」って呼ばれていたの、知っていますか?
そんなわけはありません(笑)
ヒントは、ダスティン・ホフマンの代表作にあります。
『山崎ですけど』
自分の会社に電話したら、相手が『ホフマン?』って聞き返してくるんですね。
最初は、意味が分かりませんでしたが(笑)
会社員時代の私は、毎週毎週クレームを作っていました。
しかも、会社を揺るがすくらいの大きなクレームを、3ヶ月に一度出してました。
会社からは、春夏秋冬、大イベント(大クレームのこと)があるとまで言われていて・・・
あいつは「クレーマー・クレーマーだ」と、社内で話題になり、そこからです。
「ホフマン」と呼ばれるようになったのは。
■ 会社で一番の ”ダメ社員”でした。
朝比奈ように、今の山崎さんしか知らない人には信じられないかもしれませんが、
確かにそう言われてましたね・・・
会社で一番 落ちこぼれ社員で、もっともダメだというレッテルを貼られてました。
なにがダメなのか・・・圧倒的に、営業成績が悪かったですね。
しかも、先輩社員が取っていた仕事を、電話対応が悪くてキャンセルさせたり、
セミナー参加を決めていた受講生を怒らせて、キャンセルさせてしまったり。
会社にプラスをもたらせないどころか、マイナスをたくさん作っていました。
その当時は、能力が発揮できなかったということが分かるのですね。
ご自身で、何か思い当たるところはありますか?
そのころの私は、自分のセルフイメージが相当悪かったですね。
そもそも、入社早々に、いくつかミスをしたんです。
そのときに、自分は仕事ができないという思い込みが出来てしまいました。
電話対応すると、お客さんを怒らせてしまう
営業にいくと、成果が上がらないどころか、クレームを起こしてしまう。
これは、営業だけに限らず、会社が主催するセミナーのサポートでもミスを連発しました。
講師が前から血相変えてやってきて、『何をしてるんだ!』と頭をなぐられたことも。
小学生でも間違えないだろう・・・というミスをしてしまうんですね。
事務作業もダメでした。
経理のお姉さんに出張清算書を提出するのですが、毎回といっていいほど計算が間違えます。
「間違ってはいけない」と思い、5回も6回も計算機でカタカタ確認して、
提出するのです。でも、どこか間違えるんですね。
その頃思ったのは、いかにやる気があっても、意識で「注意しよう」としても、
無意識で「仕事ができない」とか「仕事をミスする」と思い込んでしまうとその通りなってしまう。
その典型的な社員でしたね。
■ 毎日、生きているのがイヤでした。
辛そうでしたね。
出勤することもイヤ、営業に出るのもいや。
コイツ、またクレームを持ち帰るんじゃないか。
同僚から白い目で見られてるのが、分かるんです。
営業から帰って、経費の精算すると間違えて、経理のお姉さんに呆れられるし。
何にやってもうまくいかない毎日・・・
もう、自分に存在価値を感じられませんでした。
生きてても仕方がない・・・それくらい、私は無価値感が強かったです。
会社を辞めようと思ったことはありますか?
こんなダメ社員なのに、会社も先輩も、私を育てようとしてくれました。
申し訳ない気持ちが強く、何とか恩を返したくて、会社に残りました。
■ ドン底だった自分を 承認してくれた出来事
何かあったのでしょうか?
あるとき、ものすごい深刻なクレームを作っちゃったんです。
研修を導入する予定だった会社が、私の対応が悪くて、キャンセルされました。
そのときにはさすがに、もう辞めようと思いましたが、その前にそのお客さんのところに
謝りにいきました。
夜の11時くらいに、お客さんのところにチャイムを鳴らしたのです。
『山崎です。話を聞いてください』と私が言うと
『お前には何も話すことない』とそのクライアントに言われました。
そこで『出てきて下さるまで、ここで待ってます』と言って、
ひたすら待つことにしたのです。
夜中の2時まで待ち続けた結果、その方も呆れて出てこられました。
私は土下座し、心をこめて謝りました。
後にも先にも、土下座したのはこの時だけです。
お客さんは一旦、中に戻っていかれましたが、根負けなさったのか
一緒にファミリーレストランに行きました。
私は全て正直に話しました。
自分は会社でクレームばかり起こしているダメ社員だ。
今回のことは全部、自分のせい。会社は何も悪くない。
私はこの件を終えると、会社を辞めるつもりだと。
私の話をじーっと聞いていただき、一言おっしゃいました。
『今は、お前を許さない。しかし、これを機会に成長してほしい』
それから、その社長は自分の身の上話を熱心に語ってくれて、大きな失敗こそ、
たくさんの学びがあると、優しい目をして励ましてくれたのです。
私は正直言って、成長しなくていいから、許してほしい・・・
研修を導入してほしいと思ったけど、それは叶いませんでした。
だから、会社を退社しようと・・・。
■ 人間が変わる瞬間は どんなときか
翌日、出社して、直属の上司とセンター長に昨晩の出来事を全部話したんです。
普段はものすごく怖い上司が、なぜか、その時は、全く叱らなかったのです。
多分、私が全てを捨てる決意をしていたので、覚悟が伝わったのだと思います。
ひと通り、私の話を聞いたあとに、ポツっと言ってくれたのです。
『お前、よう頑張ったな・・・。あとは俺たちがケツを拭いてあげるから、安心しろよ』
そう言って、肩を叩いてくれました。
その瞬間に、「この人たちのために生きよう」 と思いました。
これは理屈ではありません。なぜか、そう思ったのです。
それを機会に、本当に一生懸命 仕事をしました。
すぐにではないですが、ミスもめっきり減り、営業成績も順調に上がっていきました。
そのときに、私は悟りました。
人間が変わる瞬間は どんなときかということを。
そんな最悪な自分を承認してくれる人がいたとき、人間は変わると悟りました。
どん底だからこそ、その承認が深い部分に届くのだと。
普段は承認されても、心に沁みないことでも、もうだめだと思っている
ときの心からの承認は、潜在意識の深い部分に届くのだと思います。
よく大病を患ったひとが、人間変わるといいますよね。
一筋の光もない闇の中、絶望の中で、人は希望のメッセージを拾うことで、
変わる瞬間があります。
この体験をしたときに、私自身が救われたと思ったんです。
自分のためでなく、誰かのために生きよう。
自分の命を、この人たちのために使おうと思ったときに、ウソのように事態が
好転し始めました。
この体験したときに、将来、自分と同じようにどんずまりの人たちを
励ましていくのではないか・・・そんな予感がしました。
それが今につながっています。
■ 劣等生の希望の星になりたい
山崎さんの今と、どう繋がっているのでしょうか?
それは、私が体験の中で習得したノウハウを、一番必要としている人たちだから。
そういう人に、「大丈夫だ」と、ひとこと言ってあげたい。
以前、私は、劣等生の希望の星になりたいと思っていました。
私が、やはりもの凄い劣等生だったからです。
「劣等生の希望の星」
坂本竜馬がそうなんですね。
途中で何らかの変化があっても、大バケしたと言われています。
しばらくは、会社のため、敬愛する上司のために生きていました。
売り上げは確かに上がりましたが、そこには自分というものはありませんから。
でも、あるきっかけで、自分のために生きようと思えるようになりました。

■ 好きなことで生きていく人生を、プレゼントしてあげたい
が、中には仕事をして、楽しくて仕方がないという経営者もいらっしゃったのです。
仕事をして 楽しんでいいかもしれない・・・わずかながら、そう思えるようになったときに
「ソース」という本に出会ったのです。「ソース」とは平たく言うと、
非常によくできたライフワーク発見プログラムです。
ソースワークショップを受けて、コレだ!と確信しましたね。
そのあと、ソースセルフスタディキットをやり終えたときに、
その時、自分の人生を生きたいと思った。
自分が主役で輝くことができる人生を。
あぁ、自分が好きなことで生きていく人生を、自分にプレゼントしてあげたい
そう思うようになりました。
ソースプログラムを受けて、「好きなことをして 生きていこう!」と決意しましたから。
このまま残るとすると、いずれは経営幹部になっていくしかありません。
しかし、私はリーダーシップを発揮して、他の人を統率していくタイプでもないんです。
会社の周りには、その会社のトレーナーになりたい、コンサルタントになりたい、
幹部になりたいと燃えて働いている人もいました。会社の中に目標を持っている、
そういう人を見てうらやましかった。
残念ながら、私は会社の中で、やりたいことがないと気づきました。そして決意しました。
■ 実家に戻れないほど、借金を抱えて・・・
2つ目の会社も人に恵まれました。
しかし、自分の居場所ではないと思いました。
それに、誰かの下で働くのは、やっぱり自由じゃない。
私は自由に自分を表現したい。それなら自分でやっていくしかないと。
自分が本当に伝えたいことを伝える セミナー事業を始めようと。
10年ほど住んでいた東京を離れ、実家に戻ろうと決意したのですが
すぐに帰れませんでした。
冗談みたいですけど、帰るお金すら無かったんです。
引越し費用も新幹線代も、ありませんでしたから。
何とか実家に帰ったとき、200円しか手元にありませんでした。
必要なセミナーをどうしても作り上げたかったのです。
そのために役に立つと思うセミナーは、さんざん受講しました。
その時にNLPと出会えたのですが・・・
ただ、セミナー受講代捻出のためにサラ金に手を出し、最終的には数百万円もの
借金を作ってしまいました(苦笑)。
話は前後しますが、関西に帰る直前に、知人が私を講師に招いて、NLPの
3時間セミナーを、大阪で開催してくれたんですね。
それが、赤木さんと朝比奈さんが受講生として来てくださったあのセミナーです。
■ 自分のやりたかったことを、やるしかなかった
前にいく勇気が、なかなか持てませんでした。
でも、もっとも深い部分のアイデンティティが、
『この方向でいくしかあなたの人生はない』
とささやきました。
だから前に出て、語り始めた。当時、お金もなかった。やるしかなかった。
あのセミナーは、緊張でガチガチで、汗だらだら流しながら、話ししてたんです。
そのときも震えながらでしたが、自分なりに一生懸命やったおかげで、共感して
くださる方がいらっしゃっいました。そのセミナーで共感して下さった方々のおかげで
別の地方で、セミナーを開催する機会に恵まれました。
それが今につながっています。
赤木さんたちのあのセミナーが、講師としての最初の成功体験です。
■ 自分のやりたいことやって、収入が得られる感動を
数千円だったり。今は事業的にも非常にうまく行っています。
年商は今、5千万円を突破し、講師料も相当頂いています。
もちろん、サラ金からの借金は全部返しましたよ(笑)
でも、最初に赤木さんたちに主催してくれたときに頂いた 1日8万円の講師料。
赤木さんはあのとき、「一日中、あんなに話してもらったのに、これだけで・・」
そう申し訳なさそうにおっしゃってましたが、とんでもないです。
人前で話して、自分のやりたいことやって、きちんとした収入があった。
あの時の感動は、決して忘れられません。
ここまで発展された今でも、山崎さんの人としての、一貫性は変わりませんね。
僕は、長く「本来の自分ではない人生」を生きてきたからこそ、言えることがあります。
『自分が大切にしている生き方をしながら、結果的に、それが「誰かのためになること」に
繋がったときに最も力を発揮できる。』
そのことを伝えていきたいのです。
■ 山崎さんの これからのビジョン
この「願望実現コース」をもっとやっていきたいと思っています。
来年、2007年はすでに他のスケジュールが詰まっていて、年に一度しか開催できませんが
再来年以降は、本数をもっと増やしたいと思っています。
願望実現コースのような、直接的に、本来の生き方に目覚めるセミナーに関わる時間を
増やしたいのです。
なぜなら、私が私自身のことは、まさに他人事ではなく切実に思えるように、他の人も、
その人自身のことだけは、まさに他人事ではなく切実に思えるのではないか・・・
だからこそ、目の前の人のミッションや生き方に直結するような活動をしていきたいのです。
『人生のミッションや本来の生き方に目覚める』
人間にとってこのことほど大切なことはない、そう私は思います。
■ この世で一番の奇跡
ボロ雑巾のように打ちひしがれて 街頭に倒れている人たちが 希望をもって生きると
決意したときそれが一番の奇跡・・・それを私が、心からやりたかったんです。
かつての私がそうだったからです。
何かを表現することを通じて、ね。
私は人前で話すのは苦手だったけど、でも 表現力だったんですね。
何かを表現して、その人の生き方の転換を作り出すような。
今、NLPという心理学の講座を開催していますが、私の場合スキルを教えるのではなく
生き方を変えるという方向でやってます。
そのためのスキルをお伝えしてまして、今の私はそれを支持して下さった方々のおかげで
存在しています。
本当に思っていることを正々堂々と語ること
本当に伝えたいと心から思っていることを語ること
その人の深い部分に眠る 偉大な存在としての使命や生きる目的や、可能性について語ること
胸からこみ上がってくるその純粋性がなければ、何も伝わらないし、相手のハートを震わし、
相手の人生全体に影響を与えないものを伝えても意味がないと思うことが多いのです。
より長い時間、その純粋性を伝え続けたいのです。
結果として、受講生の方々に喜んでいただけたら うれしいですね。
今、山崎さんのNLP講座は、キャンセル待ちが続いてますよね。
私の人生が全部、今につながっています。
私が伝えたいメッセージは
人は変化する
自由にやりたいことをやって生きていい
あなたがあなたになるために
これらのメッセージは、苦しい会社員時代の体験があったからこそ、
表現できるようになったのです。
■ 好きを仕事にしたい人へのメッセージ
「この仕事が好き!」と思ったときに、好きというのがどのレベルなのか
考えてもらいたいですね。
ただ これが心地よいから とか
流行の職業だから とか
知人がこの仕事で成功したから とか
そんなことではなく、本当の好きというのは、私は深い部分にあると思います。
いわゆる 生きがいやミッション と言われるものですね。
自分のミッションや方向性が派手じゃない可能性があります。
意識では、自分はもっと脚光を浴びたいと思っていても
でも何となくフィットするのは、派手でなく地味なものと感じたら
その地味なものを選ぶ勇気が大切と 私は思っています。
野球でも脚光を浴びるポジションもあれば、サポートするポジションもあります。
全てが重要であって、役割を大切だと思っているひとは、その役割の中で素晴らしい貢献が
出来ると思っているし、素晴らしい能力を発揮することが出来ると思っています。
表面的なことに惑わされず、深い部分にある生きる目的に近づいてもらいたい。
そのときに、本当に自分らしいと感じられたり、自分の予想を超えた能力を発揮できると
私は思っています。
一人ひとりが、本当に自分の人生に生まれてきて良かった そんな体験をしてもらいたい -
山崎さんの切実な願いから、この願望実現プログラムは誕生しました。
●願望実現の方法を知るだけでなく、願望を実現し続ける自分になる
潜在意識の活用法を学び、体感するワークを重ねることで変化を体験し、
5ヶ月かけて変化を定着させていきます。
充分納得いただいた上で、受講いただきたいので、いきなり サイトで申し込みを
促すようなことはしておりません。 まずは、資料をご請求の上、じっくりとご検討ください。
2007年度願望実現プログラム 詳しくはこちらから!
![]() |
今回のインタビューでも、ありのままの姿を 私たちが講師としてお招きする願望実現プログラムでも、 講師として、受講生より上に見られたいとか 見栄っ張りな私(笑)は、人前に立つと「よく見られよう」という |
![]() ![]() |
「私たちがインタビューしました!」
|
■ もう15年になります
「すごく良かったよ!」と、数名の友人から紹介されて
安西さんのジャズクルージングを楽しませていただきました。
ジャズタクシーとは?
ジャズタクシーを始めて、何年になるんですか?
個人タクシーやり始めた頃、自分のために車内でジャズを楽しめるようにしたのですが、
それがたまたまお客さんにも受けました。
「えっ、こんなタクシーがあるの?」ってびっくりしたことを覚えてます。
僕みたいなジャズタクシーは、まったく異例です。
ただ、自分では独自化したとか、そういう気はありませんし、発想すらしませんでした。
どうやったら楽しくやれるか。
それが結局、いい結果に繋がっただけです。

安西さん
■ 僕の辞書に「努力」はないんです
でも、僕の辞書に「努力」はないんです。
「楽しむ」しかないです。
パソコンも58歳で始めて、大変だったでしょう?
そう言われるけど、全然大変じゃないですよ。
パソコンは利用の仕方によっては色々できるしね。
ホームページって、自己表現できますよね。
今までで、アクセス数は55万を超えました。
それだけの人が見てくれているということです。
それだけアクセスがあると、それだけで自己満足ですよ。
東京の個人タクシーの方でも、ホームページ出しているのは10人いないじゃないかな・・・。
■ 自衛隊での2年間
もう卒業するだけで精一杯。
当時、進学校には求人も無かったので、コレという目的なく、自衛隊に入隊しました。
結果的には、自衛隊も人生経験にプラスになりましたよ。
汚いことでも何でもやってるから、社会人になって仕事する場合でも、例えばゴミ掃除を
やっても、 何とも思わないんですね。
生きることに怖くなくなりましたよ。
■ 僕は社会的に協調性がないようです
最近気づいたのですが、僕は社会的に協調性がないようで。
上司でもこの人はいいと思ったら、もう何でも聞きます。
逆に、ちょっと気に入らなかったら、逆らいました。
それから職を転々として・・・営業系の仕事が多かったですね。
で、30歳のときに、タクシー会社に就職しました。
その頃から、タクシー乗務員やってました。
自分でやる環境が水にあったんですね。
ジャズタクシーで使っている車は、韓国のヒュンダイ社製です。
ヒュンダイ製にこだわったとかではなく、この車は鉄板が厚いから、音楽聞くには
いいんですね。
それだけで選びました。
■ 高い意識なんて ハナから持ってません
楽な方、楽な方を選んで、ジャズタクシーを選びました。
女房からもそういわれてます。
高い意識はなく、起業意識もありません。
この間TVでみかけた社長は、26歳で何歳であれをやって、何歳でお店を何店舗にして・・・
とかそういう計画立ててました。
へぇ、そういう人もいるんだ!とびっくりしましたよ。
とか、そういうのは考えますよ。
そうそう。高校のとき、映画ばかり観てたと言ってましたよね。
アメリカ映画はサプライズが多いし、アメリカ人はそういうのがうまい。
で、お客さんから「彼女を驚かせたい・・・」とか、そういう相談がきたときに、そのシーンが
浮かぶんです。
一つ例に出すと、ある銀行の人が、大事な女性にプロポーズしたいというのがありました。
どっかいいところないか?
考えてみたところ、愛宕神社を思いつきました。
他に誰もいない神社の脇は池があって、ほのかにライトアップされた桜がうつって
ました。
そこでプロポーズ・・・。
■ 会社員時代は、ただ仕事をやってただけです
先ほど、高い意識ないと言ってましたが、安西さんが意識していることは何ですか?
自分がそういう風にやったらいいと思っても、現実的にはくだらないからと、会社側
から却下されます。
自衛隊のときも、会社員のときも、ただ仕事をやってるだけでした。
タクシー乗組員時代も、お客さんの注文のとおりに行くだけ。
一生懸命やって、お金を稼ぐだけ・・・そんな感じでした。
よっぽど楽しかったか、よほどヒドイかだけですね、覚えているのは。

インタビュー風景
■ 「音にこだわるなら、金かけなきゃダメだよ」と言われて
ただ、個人でやるには、法人タクシーでの経験が10年かかりますから。
個人タクシーをやってすぐ、オーディオ積みました。
これは自分のためです。
あるとき、世田谷のとある技術研究所から乗った人から
「運転手さん、音にこだわるならお金かけなきゃだめだよ」
と言われました。カチンときましたね。
で、何かないかと秋葉で探したら、真空管アンプがあったので、搭載することにしたんです。
若い人は真空管なんか知らないけど、オーディオに詳しい人からは驚かれました。
アメリカからもお客さんが来るけど、こんなのニューヨークにもないと言われます。
若い頃、イギリスの女性とつきあったことがあるんですね。
で、必死にコミュニケーションとってたので、外国語勉強するときは、異性と付き合うのが
いいと思いますよ。
■ 今までの経験が 全てジャズタクシーにつながってます
パソコンも全体像はつかめてない。英語もネイティブ並ではない。
でも好きなことだから、続いてしまうんです。
ジャズの好きなお客さんなら、仲間に話している感じになりますね。
客に対して、そこまでフレンドリーに話すのはどうか・・・という人もいるかもしれない。
でも実際には、その方がお客さんもやりやすい。
だから、わがままなタクシーかもしれない。
それって、無愛想とか、色々あるわけ。
そのイメージで来てくれるので、ラクですよ(笑)
■ 同じ年代の個人タクシーの人とは話が合わない
人生短いし、楽しくやった方がいいですよ。
64歳で、同じ年代の個人タクシーの人とはもう話が合わないですね。
話題も、演歌やスナックやパブの話ばかりです。
その人たちと僕とレベルが違うとかではなく、好きなことがやってると別のグループが
出来ます。
そっちの方とつきあってるし、僕にとってはその方が楽しいだけです。
そんな相談を受けることはありませんか?
「だったらやれよ。」と言うのですが、「今はできない」という返事が返ってきます。
楽しそう、もしくは儲かるんじゃないか。
苦労してお客さん探さなくていいのでは・・・そう思うのではないでしょうか?
でも、ジャズが本当に好きじゃなければ、お客さんにバレちゃいますよ。
今まで演歌だったやつが、いきなりジャズなんて難しいし。
■ 僕はそろばん勘定したこともありません
僕のサービスを話ししたら、こういわれます。
「そこまでやったら、儲けがないじゃん!採算合わないよ。」
今まで、僕はそろばんを考えたことがないのですが、先に損得から考える人が
多いですね。
銀座に行けば、ずらーっとタクシー並んでます。
僕は他のタクシーに比べて、特別収入が高い訳ではないですが、来るか来ないか
分からない客を待つより、私は、好きな話をしながら、運転したいんです。
失礼な言い方になるかもしれませんが、タクシー乗組員になるには、特別な技術が
必要という訳ではなく、運転免許があれば、誰でも出来る仕事ですね。
それをいかに好きで、楽しく出来るかが大事と私は思いました。
■ お客さんを断ったことも・・・
酔っ払ってるときにいつも、家まで送ってくれというお得意さんも何人かいましたが、
ある時期から断るようにしたのです。
だから、一時期はお客さんが減りました。
今はマスコミで出るので、お客さんが「乗せてください」と来てくれます。
「乗ってやる」ではないです。
それに僕のジャズタクシーを乗りたいという人には、親身になって相談に乗ってます。
しょうがない、また働きに行こうか、そう思うことなんてありません。
だって、全国から来てくれる、宮崎県とか北海道とか・・・そんなタクシーないでしょ?
■ 好きを仕事にしたい人へのメッセージ
あとは楽しくやることでしょうか。
大阪の講演でも、色々な人に聞かれました。
「なんで、そんなに楽しそうにできるんですか?」
先日、あるイタメシ屋に入りましたが、従業員がハツラツとしていて、受付の女性も、
一生懸命やってます。
対面にある、イタメシ屋はガラガラでした。
そっちの店にも入ってみたのですが、雰囲気が全然違います。
経営者の教育がいいでしょうね・・・従業員に、ただマニュアルどおりにやらせたらダメ。
そこの店員各自が、楽しくやっていれば、お客さんも寄ってきますよ。
私も、乗ったときから感じが違うと言われます。
■ 今後のビジョン - 今のまま 続けるだけです
さらにやろうというのはないし。
どうやって、クルージングにサプライズできるかなと考えたり、乗って良かったという
粋なタクシーになればと努力しますけど・・それが目標ですね。
あとね・・・女性を口説き落とせないとダメ。
口説くって言うのは心を開かせること。
例えば、夜、女性が一人でタクシーに乗るのは不安じゃない?
それをいかに楽しませて、少しの間でも幸せな感じを与えられるか・・・
その女性が降りるときに「ありがたい、乗ってよかった」という気持ちにさせたら、
男なんて簡単ですよ(笑)
![]() |
「僕はね、難しいことは考えない。好きなことをやってきただけ」 何度も繰り返し、おっしゃっていたのが、とても印象的でした。 「なかなか同年代で、ミクシーやっている人はいなくてね」 安西さんといえば、我が母と同年代。 早速、マイミクになってもらったのですが、こまめにブログも 一度、ご覧あれ。
|
好きを仕事に!編集部宛に届いた 読者からのご相談です。
ライフワークに生きる!と決意したあなたにも、ヒントになるかもしれません。
でも、好きな仕事も、まだよく分からないし、何より、急に今の仕事を
放り出すわけにもいかない。
そんなとき、赤木さんはどのように毎日を過ごされましたか?
私は父親が倒れた姿を見たことで、これまでのような仕事への情熱は、なくなり
ました。
それは、自分がこれまで大切だと思っていた
「自分が成長するには、仕事で長時間働かなくてはいけない」
という信念が、ガラガラと根底から崩れ落ちたからです。
しかし、自分が本当に大切にしていることは何かを見つめなおしたとき、
仕事の全てで情熱を失ったわけではありませんでした。
仕事は色んな作業の集大成であって、一つ一つの作業では楽しいものもありました。
私の場合は、
「人の話を聴くこと」「お客さんに喜んでもらえるような知識や情報を提供すること」
などです。
長時間働きづめの仕事のスタイルには疑問を持ちましたが、
お客さんに喜んでもらえることをしたいという気持ちは変わりませんでした。
もちろん、何度もやめようと思いました。
かろうじてこの「お客さんに喜んでもらいたい」という気持ちを支えに、喜んでもらえる
ようなことを探しながら、何とかやっていたというのがこの時期ですね。
仕事全てに情熱がもてなくても、何か一つでも楽しい、嬉しいと思えることを探すのは、
過渡期を送る上で一つの方法でしょう。
やめなかったもう一つの理由は、やはり「お金」です。
「1年間、何もしなくても大丈夫なだけお金をためてからやめよう」と
現実的に考えてからは、モチベーションは相変わらず低いままでしたが、何とか
仕事をこなせるだけの意欲は保てました。
仕事そのものへの情熱が薄くなったときは、当面、お金を貯めることを目標にして、
モチベーションを保つのもいいかと、個人的には思います。
あと、この時期色んな「自分探し」をしました。
スピリチュアルなセミナーや個人レッスンを受けたり、「神との対話」といった
精神世界関係の本を読んだり、瞑想をしたりと精神のバランスを保つために
いろんなことをしました。
カウンセリングやセラピーといったものを受けることで、精神のバランス保つことは
を非常に大事なことだと今でも思います。
そして、あるとき本屋で偶然「ソース」の本と出合いました。
その3ヵ月後、これもたまたまお客さんが忘れた「コーチング」の本を見つけ、人生が
大きく変わったのです。
振り返ると、今まで大切にしていた信念に疑問が生じ、混乱する時期がまずありました
(父親が倒れたときです)
それからすぐに新しい信念が出来、人生が新しく変わるかというと 「そうではない」
ということです。
混乱の後に、崩壊が起こり、しばらくは何もない空白の時期が生じます。
人生で一番しんどいのは、もしかしたらこの「空白」つまり、先が見えない時期かも
しれません。
しかし、今なら間違いなく言えるのは、この先が見えない時期は、永遠には続かない
ということです。
あなたも、これまでの人生の中で、何度かそんな時期があったことでしょう。
けれども、それらを乗り越えて、今ここにいるということです。
先の見えない時期は、闇の中、霧の中にいるように感じ、無力感にとらわれる
こともあるかもしれません。
そんなときは、
「夜の明けない朝はない」「夜明け前が最も暗い」
これらの言葉を思い出してください。
そして、その闇の体験が、周りの人に光をもたらすことになるということも
ぜひ知っておいてください。
夜が明けた後には、新しい創造のときが必ず待っていますので。
書籍「ソース」でもそうですが、最近いろんな本の中で
「自分が小さい頃、好きだったことを思い出すといい。そこに自分が
本当に好きなことを見つけるヒントがある」と言ってます。
本田健さんの本にも、そう書いてました。
でも、かなり前のことは、なかなか思い出せません。さらに、楽しいことを
思い出すと同時に、辛いことも思い出してしまって・・
なかなかヒントを見つけるところまでいきません。
楽しいことばかり思い出すヒントはあるのでしょうか?
私たちが提供しているワクワクを自宅で見つける学習教材、ソースセルフスタディ
キット受講生の方々からも、よくそんな声を聞きます。
喜びや楽しみという、いわゆるポシティブな感情は心地よいので、その場で
味わいつくし、あとに残ることはありません。
しかし、悲しみや怒りなどネガティブな感情は味わいつくすことが難しいので、
処理しきれず、心に残りやすいと言われてます。
ですので、何かを思い出そうとするとき、ネガティブな出来事を思い出してしまう
のは、自然なことです。
ここで大切なのは、ネガティブな出来事を思い出した自分を責めないこと、
そして、思い出した出来事を無理に打ち消さないことです。
さきほど、感情は味わいつくすと処理されるといいました。
悲しみや怒りといった感情は、ケーキのだま(小麦粉の塊)のようなものかも
しれません。
溶けきれずにそのままになっている感情のだまを、もう一度、ゆっくりと味わって
あげることで、自然とそれは溶けていきます。
小さい頃は、まだ人生の経験も浅く、悲しみや怒りといった感情をじっくりと
味わい、昇華する余裕はまだなかったでしょう。
でも、今はその当時とは違うことを思い出してください。
今なら、当時感じた悲しみや怒りといったネガティブな感情を充分に昇華できる
だけの経験もつみ、成長してきたことに気づいてください。
とはいえ、無理にネガティブな感情を味わおうとする必要もありません。
味わおうとしてみたけれど、昇華しきれないなと思ったものは、まだその
タイミングではありませんので、
「タイミングがきたら、この感情も味わい溶かすことができる」と、自分に
語りかけてあげてくださいね。
そして、もう一つのやり方は、自分の状態を整えるということです。
自分のワクワクを、他の人たちと一緒に思い出すソースワークショップでは、
「ワクワクを見つけよう」という全体の雰囲気に包まれるので
比較的早く、辛いことは流れ、自分の好きなことだけを思い出しやすいです。
一人で考えてると、辛いことに気をとられ、楽しいことを思い出す前に、考えること
すら、つい辞めてしまうことになりがちです。
ですので、環境を整えるのがまず大事です。仕事帰りの疲れたときなどは避けて、
目覚めのよい朝や、友達と楽しく食事したあと、マッサージやお風呂の
あとなど、リラックスしているときに思い出してみるのがポイントです。
過去のことを思い出すということは、思ったよりエネルギーを使います。
普段よく考えていることは、すぐに思い出せますが、昔の記憶をよみがえらせる
のには、時間がかかります。
ですので、出てこなくなったり、ネガティブなことばかり思い出してしまうときは、
ちょっと休むことも大切です。
最初にも書きましたが、何よりも大切なことは、自分を責めないこと、
自分に優しくすることです。
このことだけを今は、おぼえておいてくださいね!
本に書いてあった内容で、質問があります。
「目標を立てる代わりに、進む方向だけを決めるといい」とありましたが、
自分の好きなことを仕事にするために、目標を立てた方がいいこともあるのでは
ないでしょうか?
それに関しては、どう思っておられますか?
目標に関する考え方は、大きく分けて2つのタイプに分かれると言われています。
一つは、「目標設定型」。
「いつまでに、こうする」という風に、明確に目標を定めるタイプを指します。
目標を点のように定め、「そのために、どうしたらいいのか」を計画し、実行に移します。
もう一つは、「展開型」
書籍「ソース」に書いてるのがコレに当たります。
目標を明確に定めず、方向性だけを決めるタイプ。計画は決めてみても
状況に応じて、臨機応変に行動も目標も変えます。
どちらが良い訳ではありませんし、人によって向き・不向きもあります。
また目標により、両方を使い分ける人もいます。
赤木もアミーゴも、両方の要素があります。
目標達成型と展開型の割合が、赤木は3:7。アミーゴは6:4ぐらいでしょうか。
差し迫っている業務があるときは、目標達成型で期限・計画・行動を決めてやってます。
年間目標みたいなのは、方向性だけを決めていますね。
ソースプログラムの受講生にもお伝えしてますが、目標設定はあくまでもツールです。
目標を明確にした方がパワーが出る、そんな方が無理して「展開型」になる必要もあり
ません。
逆もしかりです。
あまりとらわれず、フレキシブルにやっていかれたらイイと思います。
![]() ![]() |
「私たちがインタビューしました!」
|
■ 累計100万部売り上げたITライター
ITライターとして、エクセルを中心にマイクロソフト・オフィスの使い方、 そしてエクセルマクロ
(VBA)の解説本を執筆しています。

大村さん
大村さんのIT解説本、朝比奈がOL時代にお世話になったそうです(笑)
累計100万部の売り上げを記録したITライターとして、IT出版業界では、大村さんはかなり
有名だそうですね。
ただ、昨年の11月に初めて一般書を出版し、その本がベストセラーになったことで、一般的
にも名前が知られるようになりました。
私も人に勧められて読ませていただきました。今日、本を持ってきましたが、このように
たくさんラインが引いてあります(笑)
おかげさまで、「この本で人生が変わった」と言って下さる方から大勢、お便りやメールを
いただきました。
■ 昔から小説家を目指してましたが・・・
まずは、会社員時代の仕事について教えていただけますか?
しかし、なれるはずはないとブレーキをかけていたのです。
小説家になれないなら、どこでもいい。
そんな気持ちで、大学卒業後に地元の大手企業に就職しました。
私は文系だったので、入社後、総務部などに配属されるのかと思いましたが、
情報システム部に配属されたんですね。つまり、コンピュータを扱う部署です。
けれどもいざ、その世界に入ってみると、プログラムを作ったりメンテをしているのは
文系出身者ばっかりだったんですね。
当時は、コンピュータというと、オフコン(オフィスコンピュータ)と呼ばれる大きな機械
でした。
私はオフコンを使って、生産管理ソフトをプログラミングしていました。
そのときにコンピュータは面白いと思いました。
人間相手だと、自分の思い通りに動きませんよね(笑)
それに対して、コンピュータは忠実に動いてくれる。それが痛快でした。
それと、私はルーチンワークには向いてないと気づきました。
1日の終わりに何か「進んだ。やり終えた」と実感できるモノがないと、満足できない
んです。
今日は何行進んだとか、進捗状況が目に見えますよね。
時々、工場が忙しいと、私もそっちに借り出されてました。
ベルトコンベアーの流れ作業をやるんですが、例えば、ある製品を磨き続けるとか、
1日中全く同じ作業を繰り返すんですね。
進んだという実感が得られず、ルーチンでは生きていけないと気づきました。
当時、1千万円以上するオフコンに、私どもでプログラミングしたソフトをつけて、
売っていました。
最初は良かったのですが、入社して3年目でバブルがはじけました。
ちょうどその頃、パソコンが出始めたのです。友人のパソコンを借りて、自分でプログラムを
書いてみました。
ビックリしました。
1千万円以上するオフコンと、当時100万円ほどだったパソコンで同じことが出来たのです。
それが、退職するきっかけとなったのですが・・・
■ 会社が辞めさせてくれず
そう提案しましたが、上司は聞く耳を持ってくれませんでした。
そうこうしているうちに、パソコンの価格がどんどん下落していき・・・
あるとき、上司と大喧嘩して、辞表をたたきつけました。
情報システム部は数年前に出来た部署で、特に上の世代の人は、他の部署から異動して
来ていましたので、コンピュータのことをあまり理解できてなかったのです。
彼らにしてみれば、若い頭脳でコンピュータを理解した人間が辞めるのは痛手だったのです。
大村をやめさせたらとんでもないことになると、とっかえひっかえ上司の方々が頭を
下げてくださいました。
そこまで言って下さるなら、1年かけて、オフコンよりもパソコンのほうが優れていることを
理解していただく。その気持ちを伝えていくしかないなと。
一生懸命、オフコンとパソコンのコストパフォーマンスの資料を書きましたが、まったく
検討してもらえませんでしたね。
もっとも、今、自分が当時の上司の年齢になって、上司は部下、すなわち私と、取締役との
板ばさみであったことがわかりますが・・・
結局2年間、辞表は受理されませんでしたが、最後は誰が何と言おうと引き下がらずに
退社しました。
生産管理ソフト、給与ソフトなど、色々作れるようになったから独立できたのです。
クライアントがコンピュータに何を求めてるか?
どういうソフトを導入したら、クライアントの利益の向上に寄与できるか?
会社としてはどうしても、めったに使わない機能をつけて、高値で売りたがるのですが
中小企業の会社では必要のない機能がほとんどです。
会社の規模に応じて、オーバースペックにならないものを提供することが大切だと
身をもって学びましたね。
■ 若さゆえに無知で、実力さえあればいいと思っていました
生産管理ソフトの制作・販売は、極端な話、机とパソコンさえあればできるので、
初期コストがかかりませんし。
前の会社で2500万で売っていたものを、自分は400万円くらいで売れると思いました。
実力さえあればいいと思っていましたね。
今は珍しくありませんが、当時は25・6歳で起業する人はいませんでした。
前の会社が売っていたオフコンやソフトは高くて手が出ないと言っていた会社を廻っても、
相手にされませんし、銀行もお金を貸してくれません。
相手にしてくれるのは、怪しげな先物取引業者だけです(笑)
それで、ハタと気づいたのです。

インタビュー風景
1件目の契約をとるまでに半年かかりましたね。
ただ、仕事をくださった会社に喜んでいただき、他の会社を紹介してくださったおかげで
ようやく軌道に乗りました。
■ 家にひきこもり、TVゲームばかりやってました
途中でパッケージ化して売るようになりました。
3枚のフロッピーにコピーするだけで3百万。コレを繰り返すだけ。
モチベーションが保てなくなりましたし、勤労意欲を失いました。
小学校5年生まで電話もカラーテレビもなかった、風呂場にシャワーがついたのが
23才のとき、そんな貧乏育ちの私が28歳にして初めてそういう状況になり、
金銭感覚が狂ったのです。
肝心の仕事の方は、ソフトを作るよりも、ソフトの使いかたを教えるほうがメインになって
飽き始めていました。
また、その地域では有名になりつつあったけど、閉ざされた地方都市で、
一生グルグルしているだけでいいのか? という思いもよぎってきました。
そこで一生を終えたくない。
でも、そのために自分が何をしたらいいか分かりませんでした。
それからの2年は苦しかったですね。
お金はまだあったので、今でいうニートになり、TVゲームばっかりやってましたね。
さすがに2年たつと、どうにかしようと思いはじめました。
その頃、表計算ソフトのエクセルが日本でも広まりはじめ、エクセルの解説本も
本屋で見かけるようになりました。
ただ、エクセルVBAに特化した書籍というのが、全くありませんでした。
そこに目をつけたのです。
出版社の社長にVBAで作ったソフトを売っているという話をしたところ、
じゃあ、その書籍を出してみませんか? と声をかけられたのです。
■ 出版社に売り込むからと、30万円騙し取られてしまって
詳しい経緯は「人生は数式で考えるとうまくいく」に書きましたが、そこは出版社では
あるけど、自分たちで本を出版したことがない、いわゆるエージェントだったのです。
「出版社に売り込んであげるから」と言われて30万円騙し取られました。
まあ、エージェントというよりも悪徳ブローカーですね(笑)
その後、「うちから出版しましょう」と、文芸系の出版社が言って下さったのです。
ただし、条件がありました。
5千部のうち、3千部は私が買い取ることでした。
まっとうな出版社だったら、著者に「3千部買え」とは言いません。
きちんと情報を仕入れておけば、こういう風にはなりませんでしたが、結局
「それなら、3千部、自分で売るしかないな」と思い、動きました。
■ 3千部の販路を見つけようと
売れるわけがないですよね、まだ本が出来上がっていないんだから(笑)
しかし、先に販路を見つけずに、本を印刷してしまったら、多額の借金かかえることになります。
必死でした。
御社の宣伝のPRになるのだからと、あのマイクロソフト社にも泣きつきました。
その時、今につながるアドバイスを頂いたのです。
応対して下さった方が、VBAの解説本をまだ出版していないIT出版社を
数社教えてくださいました。
7社目でようやく出版にこぎつけるようになって、大村あつしというVBA新人ライターが
誕生しました。デビュー作は2万部売れました。
その後、私が書いた本は出せば2万部という状態が続き、ついにはPC系では最大手の
会社に声をかけられました。
で、冒頭でお話したとおり、自分では実感はありませんが、一躍、業界で有名になりました。
■ 歯車が狂えば、今の私はありません
けれども、出版社に売り込むには、本来なら色々なことを知らなければいけません。
知った上で、セールスやマーケティングが成り立ちます。
マーケティングを知らない人間を相手にするほど、出版社は暇ではありません。
それでも私はうまくいきましたが・・運が良かっただけですね。
それを実力というのとは違います。
ちょっと歯車が狂えば、今の私はありません。
一般書を書くようになったきっかけは何でしょう?
ただ、IT書籍自体が斜陽分野なんですね。
インターネットの普及で、パソコンで分からないことがあれば、大抵ネットで調べられます
から。
先ほど話に出てきた、IT出版社最大手から出したVBAの本は、いきなり20万部
売りたいと出版社が言ってきて、誕生した本です。
どうしたら売れるかを私は考えました。結果、文章を少なくして、分かりやすく図を
たくさん入れたのです。
結果、20万部どころか、60万部売れました。
それ自体は満足しましたが、自分は物書き志望なのに、文章がかけない。
これはすごくジレンマで、ここ5~6年は葛藤していました。
IT書籍も斜陽で、次のステップに進まなくてはと。そのとき、幸か不幸か、26才のときに
作った会社の代表取締役社長の座を失いました。
1年半後に株式公開というところまで成長させたところで、ある人間に裏切られました。
人間、お金が絡むと怖いですね(笑)
それがきっかけでうつ病になり、数ヶ月寝込みましたが、友人や家族の理解や支えが
あって、2年前に小説家を目指して上京したんです。
■ 取説ライターにどうして小説が書けるのですか?
「取説ライターにどうして小説が書けるのですか? 読んでる暇はありません」
ITライターとして一番有名、累計100万部のベストセラーという実績と共に、
出版社に持ち込んだのに全然ダメでした。
A4一枚のあらすじさえ読んでもらえません。
そんなとき、ひょんなことから、サンマーク出版社の社長さんと知り合うことができました。
会社経営をしていたときに、サイト上にエッセイをUPしていたんですね。
そのエッセイを、サンマークの社長の友達に見せたのですが、エッセイを読みながら、
彼は僕の前で涙を流しました。そして、サンマークの社長を紹介してくれたのです。
「小説は出せないけど、あなたの経験を1冊の本にして」
その一言で、「人生は数式で考えるとうまくいく」が誕生しました。
もしとんとん拍子で小説でデビューできていたら、この本はまだ誕生してなかった
かもしれないのですね。
読んでいただいたとおり、この本に図はありません。
やっぱり文章を書くのは楽しい。子供の頃からの夢でしたしね。
私が書いたITのノウハウ本は、時が経ってソフトのバージョンが上がれば、
残念ですが使い物にはなりません。
いえ、ノウハウ本は、頭に叩き込まれた時点で使命を終える「消費財」ですから
使い捨ては宿命だとも思っています。
実際に、私も古くなった本はどんどん捨てていますし。
けれども、この本、「人生は数式で考えるとうまくいく」は、折にふれて、
落ち込んだりしたときに読んでいただきたいと願っています。
どこかにヒントが書いてあったな・・みたいな感じで。
そういう意味では、この本は「文化財」ですよね。
墓場にまで持って行っていただけるとは思っていませんが、何年経っても捨てずに、
再び読み返すことができます。
「成功の秘訣」は、時代が変わっても古くはなりませんから。
■ 今後のビジョン
ITライターから、小説家に変わっていく過程のつなぎとして、今回の本は書いた
つもりでした。
しかし、つなぎにはなりませんでした。
あらすじと原稿、そして5刷まで版を伸ばしているベストセラーのこの本の実績で、
営業ができると思ったのに全然相手にされません。
「こんな本を書いたからって、小説が書けることにはならない。」
「これは、自分の考えや体験をストレートに表したエッセイじゃないか。」
どうやって出版社にあらすじを読んでもらえるか、あちこち探している途中です。
また経験を重ねたら、書くかもしれませんが、当面その予定はありません。
この本は自分の体験の中で書いています。
自分の経験という有限のなかで、何冊も書くのは到底無理です。
出版社にそうお伝えすると、「同じような内容でテイスト変えるだけでいい」と言われました。
自己啓発本を量産することを否定しませんが、それは私の望む道ではありません。
同じ量産するのであれば、IT書籍を書きますよ。
それに、これからも、ITライターとしてもやっていきますし。
しかし、ベストセラーを目指すつもりは毛頭ありませんが、やっぱり小説も書きたい
ですね。
両輪でやっていきたいんです。
■ 好きを仕事にしたいという人へのメッセージ
私は初年度売上ゼロでも大丈夫なほど蓄えがなければ、独立するなと言っています。
独立3年で累積の損失が消えればいいというくらいの心持でやらないと、不安で
経営の舵取りなんてできません。
焦って誤った判断をしてしまうだけです。
私もその蓄えが出来てから、独立しましたから。
何でもそうですが、物事動き出すまでの最初が辛いです。
雪だるまと一緒で、周り始めたら、ごろごろ動き出すんですけどね。
ま、今だからそう言えるのですが、私ももっと計画性を持って独立すべきでした(笑)
独立前に、大村くんにうちの会社のソフト任せてみようかというアテを持ってから、
独立しておけばよかったんです。
成功は実力だけでなく、運にも左右されます。
「運も実力のうち」と言う人もいますが、それは僕は違うと思っています。
「実力」に含まれないから「運」だと思うのですが(笑)
■ 幸運・不運も偶発的
僕の小説も周りも面白いと言ってくれていますが、編集者に気に入っていただけないと
出版できません。
さらに、作者の知名度といった営業的なファクターもあります。
「人生は・・・」には「あきらめなければ・・」ということを書きましたが、実際には
それだけでなく、偶発的なことが2割・3割含まれます。
好きを仕事にしたいという人は、今の生活レベルを保ちつつ、夢を追いかけるのが
現実的ですね。
そう思ってましたけど、今は思いませんね。
自己啓発本はニートだったころ、自分も読んでました。
宗教を否定するわけではありませんが、どうしてもすがる気持ちになってしまいます。
その時思ったのは、成功談から学ぶことは少ないということです。
成功する前の不遇な時代、その人はどうだったのか? 逆に失敗から学べることは
多いと感じます。
VBA書籍を出版しようと出版社を廻ってましたが、6社目であきらめようと思いました。
ひどい扱い受けました。
どんな扱いを受けたのかは、「人生は数式で考えるとうまくいく」をお読みください。
そのとき支えてくれたのは「脳内革命」でした。
ただ、私の本も「脳内革命」も、同じサンマーク出版というのは奇遇ですね。
これを「必然」とおっしゃる方もいますが、私は否定的です。
これこそ、人生には偶発も付き物、を地で行くような話ですよね。
あきらめられないのは、あきらめられない理由があるはずなんです。それが目標だ
と思います。
でも、夢は違いますね。
■ 夢は捨てても後悔しないもの 目標は捨てたら、後悔するもの
例えば、子供の頃に、私は野球選手になりたかったんです。
しかし、大きくなるにつれ、それは無理だと分かり、諦めました。
成長するということは、好き・きらい、得意・不得意を知っていくことだと思っています。
ただ、何歳になっても、これは好きでたまらない。イヤな仕事をして1千万円もらうより
200万円でもいいからやりたいというモノ。
それを捨ててしまったら後悔すると思います。
東京にきて2年で、友達はたくさんできました。その中に、ヒルズ族・芸能人もいます。
私自身の成功の定義は、人生に満足することなのですが、世間一般でいう成功の
定義とは、富・名声などでしょう
東京には1千万人も人がいるのに、そんな人は1万人くらいしかいません。
昔は人気あったのに今は・・・というタレントさん、バブル期までは業績絶好調で、
今は友人のアパートに住み着いている元経営者もいます。
そういう人をたくさん見てきているので、世の中に流布している安易な成功法則には
疑問を感じます。
そう言いますが、そのとおりになるとは思えません。
例えば、フェラーリの写真を持ち歩いていたら、フェラーリが持てたというのは
10回コイントスして、すべてのコインの裏表を当てられた人が言うことです。
先ほど、「東京の1千万人の中で世間一般の定義の成功者は1万人しかいない」と
言いました。
1000分の1です。
10回コイントスして、すべての裏表を言い当てる確率も1000分の1です。
絶対数では1万人も成功者がいるので、そうした人の生き方を紹介して
「あなたも成功できる」とか、「1万人の成功者が実践していたテクニック」なんて
言うのは簡単です。
でも、相対数では1000分の1しかいない現実から目を背けてそれを鵜呑みに
してすがるのは、私は心の弱さだと思っています。
私はブレイクする前から、井川遥さんの大ファンで、部屋にポスターを貼りまくって
ますが、東京にいる今も逢えてません(笑)
どなたか、成功法則に当てはめて、私が井川さんに逢えない理由を、私が
納得のいくように説明してくだされば、私も考えが変わるかもしれませんが(笑)
目標でしょうか?
小説家にならなければ死ぬというほどでもない。
ただ、小説家になる自信を捨てることもできません。
自分が自分で自信を持たないことには、売り込みもできません。
今なら、今日明日の食事には困らない程度のお金もありますし、体力もあります。
ただ、小説も映画も音楽も、凄い才能を持っているのに成功できていない人を
東京で何人も見ました。
仲の良い女優さんがいますが、どうしても端役しかもらえずに、アルバイトをしています。
ルックスも演技も申し分ないのに・・・。
彼女は、あと4年、30才まで頑張ってダメだったら諦めると言っていますが、
その気持ちは非常によくわかります。
そういう意味では、小説家は半分目標、半分夢ということになると思います。
ただし、「自意識過剰になること」。
これは大事な点だと思いますし、そうでありたいと心掛けています。
この仕事なら、自分の方がうまくできるし、自分の方が儲けられる。
もしそういう気持ちになれたら、それはチャレンジする最高のタイミングだと思います。
実際、ITライターとして売り込んでいるときも、市販の解説書を読んでいて、常に
「これなら、自分のほうがいい本が書けるのに」とほぞを噛んでいました。
でも、その気持ちがあったからこそ諦めることなくチャレンジできましたし、
結果としてITライターになれました。
自分で自分を愛さなくて、誰が自分を愛するのでしょうか?
私は、経営権を失って、大学時代の夢だった作家が頭をよぎったとき
2冊の芥川賞作品を読みました。そのときに思ったんです。
「これで最高峰の賞が取れちゃうんだ・・・。うーん、自分にも書けないことはないぞ」(笑)
もっとも、自分が芥川賞や直木賞作家になれるとはまったく思っていませんが、
作家の夢を全否定するほど、自分に才能がないわけではない。
そう思ったのが上京したきっかけです。
自分の中で思っているだけなら、いくら自意識過剰でもいいのではないでしょうか。
![]() |
ベストセラー この本を読んで感銘したアミーゴが 昨年、ロイヤルウェディングで話題になった、 あぁ、これだからインタビューは辞められない!
|
![]() ![]() |
「私たちがインタビューしました!」
|
■ 物があふれて困るという方のために・・・
住宅設計のほかに、収納アドバイザーをやっています。
どう収めたらいいかわからないという人に対してアドバイスしています。
収納の仕方はもちろん、
なぜ、物があふれるのか?
あふれた物は、その方に本当に必要なのものなのか?
それを本人に問いかけた上で、物をすっきりさせたり、必要なものだけ
残すようにアドバイスしています。
営業が契約をとってきたものを、施主の要望や会社の意向を踏まえて、設計してました。
学生時代に、私があこがれていた設計とは違いましたね。
授業で住宅の図面を書いたりしてたんです。
私は住宅設計とインテリアの仕事をやりたかったので、ハウスメーカーに就職したのですが・・・
■ 会社員時代は、施主の言うとおりにしていました
学生時代授業では、自分の好きなように、自由にデザインしてやってました。
ハウスメーカーでは、施主の意見が中心です。
私が、デザイン的にコレはちょっと・・・と思っても、施主がいいと言えばその通りにします。
あと、学生時代は、法律とかあまり知りませんでした。
実際は、色々な法律に阻まれて、建てられる住宅は限られてるということが分かったのです。
自由にデザインした家を設計したいけれど、現実社会でお金をもらうということを考えると、
そういう訳にはいきませんね。
社会人になって、初めて学んだことです。
実際の現場では、工事監督、職人、チーム一体となって、家を作っていくんですね。
それはすごく楽しかったので、会社にいるよりも、現場に出る事の方が好きでした。
■ 不景気になって、雑用的な仕事も増えてくるようになってきて
会社も数年前から、女性社員を設計として、起用しようという動きもあり、自由にやらせてもらって
いました。
だんだん、時代とともに不景気になっていくと、雑用的なことも女性社員に回ってきました。
設計以外のこと、自分がやりたくないことも、どんどん流れてくるようになったので辞めました。
あと、大手企業だったので、周りの人や親からはもったいないと言われましたね。
けれども、やってる内容が自分がやりたいとか、楽しいことではなかったので、私自身の躊躇は
あまりなかったですね。
もっと本音で言えば楽しいか、楽しくないか、それが私の選ぶ基準です。
■ 独立後は、夫婦で設計事務所を設立しました
そのとき、主人は設計事務所に勤めてましたが、いつかは二人で独立して、そう結婚前から
言ってました。
私が辞めたのを機に、設計事務所設立の準備をやろうということになったのです。
あとは、他の設計事務所と組んで、マンションとか大きい仕事の一部を受け持ってました。
枠は作らずにやってたのですが、一番、やっていて楽しいのは住宅ですね。
アパートやマンションなど、人が生活する場を手がけるのは楽しいです。
こちらでタイプを用意してても、タイプに当てはまらないところが楽しいです。
生活したいところや望んでいることが違う。
それを聞いていると、何年もこの仕事している私たちでも、毎回気づきがあります。
へぇー。こういうところに生活のポイントを置いてるのかとか、楽しみ方を求めているのかーとか。
マンネリ化が全くないですね。
■ お客さんありきで、ハイハイと聞かなくて良かったと思う
が、窓を一つとっても、縦に長く、横に長くとか、色々決めることがあるんですね。
施主はデザイン優先で、要望を言ってきたりしますが、私たちの方が経験上、ここにはこういう
大きさで、こういう防犯を施したりとか、アドバイスすることもあります。
最初はどうしても意見が食い違ったり、ぶつかったりしますが、最終的に、私たちの意見を取り
入れてもらって、その方が良かったと言ってもらえたときは嬉しいですね
お客さんありきで、はいはい聞かなくてよかったと思う瞬間です。
どうしても、お金を払っている方が偉いということになって、お客さんがそんなに言うんだったら
いいですよ、とハイハイしてしまうことは、私たちにもあります。
しかし、どうしても譲れない部分、あとあとの使い勝手を考えると、私たち設計士が曲げずに、
ケンカも恐れず押し通すこともあります。
これは後に収納アドバイザーの仕事にもつながっていきますが、片付けが面倒にならない収納
や、戸締りが面倒にならない防犯や、あとあと、ひと手間が省けるのは、設計の段階でやって
おきたいと常々考えてます。
■ 収納のコツは、みんな知っているものだと思い込んでたのですが。
その中で、収めやすい収納の仕方をその場でアドバイスしてきたんですね。
私は当たり前のこといってたのに、みんなはとっても感動して聞いてくれている。
自分にとっては当たり前に思いすぎてたけど、意外にちょっとしたものの収め方とか工夫とか
知らない人が多いんだな。
私もやっていて楽しいし、そのアイデアを考えるのも楽しいから、それに特化した仕事に結び
つけたら、私の仕事はますます楽しいんじゃないかなと。それが始まりです。
実家は自営業だったので、母が忙しい上に、収納が苦手。
忙しい母に代わって、整理したりすると母にとっても喜ばれたんです。
子供なので単純。舞い上がりながらやってました。
「お母さん、とーっても助かるぅ!」、そう言う母も、人を動かすのが上手でしたね
そのスペースに、クレヨン、のり、えんぴつをキレイに収めたり。
「お母さんできた、みて!」と、母に自慢げに見せてました。
遊びでしたね。そう、パズルみたいなもの。
■ 人生の無駄をそぎ落とす楽しさにもつながります
一つはもちろん、ものが取り出しやすく、すっきり収まる。
もう一つは、収納のすきな私でも、何ヶ月もほうったらかしたり、仕事が忙しかったりすると、
色々なものがたまってきて、山になります。
そのなかから、いらないものを探す楽しさがあって。
これはいらない、不要という、そぎ落とす楽しさ。
自分の手紙やお知らせのメモだったりするのですが、捨てたときに重荷も減った感覚があるん
です。
これは、人生の無駄をそぎ落とす楽しさにもつながりますね。
あるお宅にいって収納をやったとします。
そのお宅の人が喜んでくれて、友達が遊びにきたときに、いつもは見せないのに、
「うちのキッチン見て。こんなにきれいになったのよ!」と見せびらかしたりするんですよ。
それを見た友達が、「うちもやってもらいたい!」ということになって。
そこで広がりました。
今のところ、私一人でやっているので、ちょうど口コミで広がるほうが、私にとっても負担が少ない
です。
何人かの方に一度、スタッフとしてやってもらおうと思ったこともありますが、私も感覚でやってる
部分が多いので、うまく人に説明できないんです。
それにシステム化することに重点おいてしまうと、自分が楽しんでやってるのが半減しちゃいます。
なので、あまり大きく宣伝はやってませんね。
やはり、このスペースにはこれだけしか収まらないと思ってたのに、もっと色々なものが収納
できた。
棚が取り出しやすくなったというところで、感動してくれた人が多いです。
■ ごちゃごちゃとしている家をみると、燃えます(笑)
自分の周りって、日常はもう整理つくされて、もう出来ないんです(笑)
だから、やらせてくれる場を提供してくれてありがとう。
だからいまだに、ビジネスやってる意識よりは、新しいクイズを出してくれたという感覚の方が
強いですね。
さぁ、どうやってやろう。。。って。
お客様のところにいると、必ずお客さんから、「そろそろ終わりにしませんか?」と言われます。
夢中になってるので、「もう少しやらせて」とこちらが言うくらいです。
ある意味、時間管理は下手かもしれない。
■ 好きなこと、収納がお金になるなんて
周りの設計事務所の人からも、それだけではお金とれないと言われました。
リフォームとかそういうのではないと。
そんなとき、本田健さんの「幸せな小金持ちへの8つのステップ」という本に書いてある、好きな
ことを仕事にするというセンテンスを読んだのです。
もともと、ダメ元でいいからやってみようと思ってました。
やってみると、意外に喜んでくださる人がいたんですね。
「収納アドバイスをする」と宣言すると、何人かの友達が「ためしに」と言ってくれたんです。
遊び場を提供してもらい、やってもらった友達は
「これいけるよ。仕事になると思うよ」と言ってくれたんです。
褒められると調子に乗る私は、じゃあやってみようとはずみがつきました。
後から思えば、セルフイメージが低かったのでしょうね・・・。
それから、徐々に上げていきました。
■ 安い報酬が、お客さんのためになるとは限らない
最初は安いというか、実費プラスアルファくらいでやっていくと、仕事はたくさんありました。
ただ、自分ひとりなので、追いつかなくなるんですね。。
安い単価でやると、「ちらかったら、また頼めばいいや」ということになるんで、ある意味、
お掃除屋の延長になってしまう。
本来、私が求めているところと違うところに、感動が出てきました。
このスペースにこれだけ入るんだったら、今度、押入れもやってもらえたら、まだまだ入る。
まだまだ物が買えるって。
前回お伝えしたとおり、収納したことで、そぎ落とすものもあります。
求めるところは、シンプルでセンスよくなんです。
なのに、シンプルじゃない方向に持っていかれる。
「まだまだ入るから、もっと」という感じが、一部のお客さんから出たときに思いましたね。
闇雲にやっていたのでは、私の思いは伝わらない。
だから、少しずつ単価を上げて、ふるいにかけ始めました。
最初は「とにかくやらせてもらえるなら」というのがあったので、そんなに自分の思いを伝えて
ませんでした。
最近は、実際の現場で動く前に、カウンセリングを必ず行います。
どういう風にしたいのか、カウンセリングでじっくりとお伺いするので、お客さんと私のやりたい
ことがマッチングすることが増えてきましたね。
私の思いが伝わった方は、物が無くなったときの空間的なゆとりを楽しまれたり、わずらわしい
整理整頓とかお掃除から解放されます。
もちろん、私も前もってカウンセリングの段階で、そういう風に気づいてもらえるように話して
ますが。
これを味わってもらうと、闇雲にものを購入することはなくなります。
■ 会社員時代とは違い、人と比べることはなくなってきました。
会社時代はどうしても競争社会の中にいますので、他人と比べたりとか、他人の目を気にする
こと多かったです。
自営業になって、色々なことをシンプルにしていくことを仕事に選んだのですが、そこから学ん
だのは、他人じゃなくて、まずは自分。
自分の中で揺るがない部分があれば、他人と比較することはないということが変わってきました。
どうしても20代は、おしゃれや遊びにいくことも多かったです。
精神的な意味でも大人になったかもしれません。
今思うと、常に他人との比較が中心でした。他人から格好良く思われたい、うらやましく思われ
たい、そんな気持ちをどこかで感じてました。
昔から物をたくさん持ってた訳ではないですが、他人と比べて良いもの持とう。
というのはありました。
今は、ものを少なく持つ、そのために厳選したときに、自分が心地よいものを中心に持つように
なりました。
■ 収納とは”その人の人生を写す鏡。”
物が多い方だったり、自分の物というのにこだわりすぎる方は、物だけじゃなく、プライドとか
名声にとっても捉われている方が多いんです。
あと、昔の物を捨てられないというのは、昔の名声・・学校時代にこだわっていたりとか。
そういうのは、ものの整理をして、多くの人に出会ったときに何気なく学びました。
ものはその人の精神の表れだと、つくづく実感したのです。
見栄とか他人が持っているから欲しいのか、
それとも本当に自分が欲しいから持っているのか
自分に何かを買おうとしたときに、無意識のうちに確かめるようになりましたね。
その人が日常で暮らしてるときに、ものを大切に使うひとは、親を大切にしてますし、友達も
大切にしています。
100円ショップとか、安いものだけをとりあえず、とりあえずで物を買って、とりあえず収納を
収めている。
人生もとりあえずとりあえずで流されている人、とっても多いんですね。
先に言った、昔を捨てられない、昔にこだわるのも同じですね。
自分の思いが、目に見えやすい「物」に写っていることがとても多いです。
全てのものを捨てろというわけではないんですよ、もちろんね。
自分の納得いくものに囲まれて、自分の納得いく収納して、納得いく人生に進んでって
もらいたい。
自分の身の回りのものも大切にできなくて、自分の人生を本当に大切にできるんですか?
こう問いかけたいです。
自分の家がごちゃごちゃしていて、落ち着かない。
そういって外に出て行く方は、自分の人生もどこかで軽く扱っていて、どこか他に楽しむところ
がないかと逃げている方がとても多い気がします。
物や収納にたいする態度は、人生のあり方、生き方につながってます。
■ 好きを仕事にしたい人へのメッセージ
それを忘れて、お金や名声ばかり追いかけると、「楽しい」という気持ちは半減して、それが
お客さんに伝わります。
楽しいという気持ちには、常に正直にいてほしい。
それは決して、わがままではありません。
責任を持った上での、貪欲さを追求してほしいです。
■ これからのビジョン-シンプルな生き方を多くの人に
これからの時代は、自分が物を所有することにこだわらずに、物をそぎ落として、身軽に
なって、目に見えない部分での、人とのつながり、健康、体を動かす喜び、そういうところの
バランスをよくしていただきたい。
それに気づくきっかけとして、シンプルでものを少なく、そして自分の持っているものには
こだわる。
それはとっても楽しくて、気楽な生き方なので、その感覚を味わっていない方にお伝え
していきたいし、そういう人を増やしたいですね。
人生の重荷をはずしたときの楽しさを、私だけじゃなく、他の人にも味わってもらいたいんです。
今の日本は、ローン社会だったりして、今日のためにではなく、明日あさって、老後のために、
お金を使ってますよね。
例えば、家を購入してしまったがために。
そうすると、イヤな仕事、イヤな会社でも続けなきゃいけなくなったりして。
見栄やものを捨てると、無駄な仕事をしなくていいんじゃないですか。
大きな家にこだわらなければ、今の家を快適に使えばいいと思いますよ。
人生はマラソンだとよく言われますが、あんまり所有してしまうと、重すぎて動けないでしょう。
それよりは、必要なときに必要なものを借りたらいいんじゃないですか?
カーシェアリングも少しずつ増えてきてますし。
赤の他人と住むのがイヤだったら、好きな人たちと一緒に住んで、そのコミュニティの中で
色々なものをシェアしていく。
快適な人たちの中で生活できたらいいなー。これが私の将来の夢ですね。
北欧では、自分は所有しなくて、例えば地域の役所やコミュニティが日曜大工とか園芸道具
など、色々なものを貸し出してくれます。
もちろん、物価が高いというものあるんですが、やはりシェアがとても上手なんですね。
日本人はもっとそういうところに目を向けて、そこで浮いたお金や時間を、楽しみだったり、
ボランディアとかね、違うところにまわせばいいと思うんですが。
持ってるもの=自分の価値みたいに勘違いしてる人も多いですね。
いかに他の人の持っていないものを持とうとか、それで自分の存在価値を感じてる人も
いますね。
そこにこだわってるのは、時間やお金、精神的なものを浪費してますよ。
競争してるわけだから、ストレスになります。
本人は気づいてないでしょうが。
物はどんどん新しくなって、どんどん珍しい物が出てくる。
そして、企業も売りたいから、作る。
文明はそれでできているから、それが悪いわけではない。
しかし、それに踊らされすぎてる。
せめて私が携わった人には、そういう重荷から軽くしてあげたい、そう願ってます。
![]() |
吉島さんのご自宅にて、インタビューをさせていただき 「自宅はもうやりつくした」と、ご本人がおっしゃてましたが インテリア雑誌そのまんまの家って本当になるんだなーと これだけ美しいのだから、さぞ掃除も好きなのかと思った 「私は掃除がスキではない。収納をきちんとしておけば |

こちらからメールアドレスをご登録いただければ、好きを仕事に!メルマガのバックナンバーが
全てご覧になれる 好きを仕事に!クラブに ご入会できます。
※ メールアドレス変更や解除はいつでも出来ますので、お気軽にどうぞ。
![]() ![]() |
「私たちがインタビューしました!」
|
読者のみなさまだけに、今までのバックナンバーをご覧いただけます。