失うものを持っていない

「いるものなんか、もうないじゃないか。何だって持ってるんだから」
俺はそういってやる。
リップは俺をにらむと「持ってないものがあるんだよ」という。
間をおいて俺がきいた。「じゃリップ、何がないっていうの?」

「俺には失うものが何もないんだよ」

「レス・ザン・ゼロ」 ブレット・イーストン・エリス・中江昌彦訳(中公文庫)

レス・ザン・ゼロ

”失うもの”を何も持っていない - 背中にザーッと虚無が走り抜けました。

80年代にアメリカでベストセラーとなった小説「レス・ザン・ゼロ」は、ロサンゼルスに住むお金持ちの子供たちの、退廃的な日常を気だるく描いた作品です。

生まれた時から裕福で、何もかも与えられる環境で育った若者たちがお金と時間を持て余し、パーティ、ドラッグ、酒、音楽、セックスetcを輪廻のように繰り返す姿がありました。

 

何でも手に入る状態、そんな体験がない身にとっては、桃源郷のようにも聞こえますが。

心ときめく情景とは、色合いが違うかもしれません。

全てがある世界 それは

言い換えると「無いもの」が「存在しない」世界

影がなければ、光も存在しないのと同じで

「無い」が無いのは同時に、「ある」も無いのと同じです。

そこは、虚無に近いのではないでしょうか。

 

それは執着にすぎない・・頭で分かっていても、どうしても何かを手放せないときがあります。

そもそも、です。

人はなぜ、失うものを恐れるのでしょうか?

それは、命あるものの宿命かもしれません。

人間は本質的なところで、失うものを持つ存在です。

手にしたもの、築き上げてきたものは命の終わりとともに全て失います。

その後は、「失う」体験すら失ってしまうのです。

何かを失うときに、多大な恐怖や悲しみと直面するのは

自分にとって大切なもの、価値あるものを持てたからではないでしょうか。

 

もし、いつまでも続く、永遠の命があるとしたら

それは、命という存在が無いのと同じです。

生きるということは、有限を体験すること、失うものを持つことでもあります。

私たちは生きている限り、失う悲しみや痛みからは逃れられませんが

その痛みが、今日は失わずにすんだ命のありがたみへと繋がっていくのでしょう。

 

 

 


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