好きじゃない映画を語る その醍醐味

月に一度(新月の日)に、私が運営する会社(ファインネットワールド)のサイトにて、映画コラムを連載しております。

最近観た映画をサカナに、わたし独自の視点で(独断と偏見ともいう)、大いに語るコラムです。

専門的なことは分からないので、「映像がうんぬん」「脚本がぁ~監督がぁ~」といった批評的なことには一切触れてません。映画エッセイという位置づけですね。

2014年6月から始めたので、かれこれ2年半ほど続けています。

おかげで、鍛えられましたっ!!

 

映画コラムを書いていることもあり、おびただしい数を観てるイメージがあるようです。

その中から選りすぐりをピックアップして、コラムに書いているとも。

確かに、映画は昔からの趣味ですが。

本数だけみると、映画好きとは言いづらいレベルです。

ここ数年は、劇場鑑賞もレンタルも合わせて、月1~3本くらいですね。コラムを始める前は、月ゼロもザラでした。

下手な鉄砲も 数撃ちゃ当たるほどではないので・・・。

毎月、数少ない観た映画の中から、何とかコラムを書いています。

だから必ずしも好みの映画だけを、コラムで紹介しているのではありません。

「うーーん、悪くはないけど、コラムには書きようがないなぁ」
「前評判はイイけど、わたし的にはビミョー・・・。」

これがまた、締め切り直前にかぎって、頭を抱える作品に出会ってしまうのです(笑)

今回はパスしようか、悪魔のささやきを振り切って挑みます。

「さぁぁーー、どう料理しようかなぁ~。」

ここからが腕の見せどころだからです。

どうにも手強い作品もあるのですが、それでも「何か書くべき視点は無いか?」と探求します。

自分一人の視点では足りない分は、他の人のレビューも参考にしながら。

これが、私にとって良いトレーニングになりました。

別に自社のサイトだから締め切りを無視して、本当に気に入った作品だけを紹介するやり方もありますが。

自分の好みを裏付ける作品ばかり選ぶことになり、かなり視点が偏ります。

「きっと、キラリと光るものが隠されてる!」

いつもと違うメガネに変えると、掘り出し物が見つかるのです。

映画の好みをひきずったままでは素通りする その作品ならではの味わい。

いつもの自分、共感だけでは見落とす視点に気づき、言葉にのせます。

これが、好みではないモノからでも、光るモノを見出すレッスンになったのです。

 

そういったモノの観方は、日常生活でも応用できますよね。

苦手な人物、苦痛がともなう作業、不快な出来事など・・・。

好きではないものを受け入れる過程のなかで、いつもの自分とは違う視点を要求されますから。