正しい選択なんて無いけれど

生きることは、選択の連続です。

Aを選んであるき出したばかりなのに、すぐに分かれ道が現れて・・・と。

できれば迷わず、自信を持って選択できればいいのですが。

AかBか、甲乙つけがたい場合は、優柔不断なワタシになります。

早く決めてしまいたい!と焦りがつのるばかりで。

そもそも迷う時間ももったいないし、頭の片隅に居残るのが不快ですし。
頭をグリグリ廻したところで、一旦はどちらかに決めかけるのですが・・・

でも、ファイナルアンサーと言い切れず、また堂々めぐりの渦に飲まれます。

Aを選ぶと、こんなメリット・あんなデメリットがあるのですが。
Bを選んでも、右に同じなのが悩ましい。

「あちらを選んでおけば良かった・・・。」

迷いの色は深まるのは、のちのちの後悔を避けたいからです。

 

そもそも、ですが。

選択に正しい・間違いは、基本的には無いと私は思います。

どれだけ自信をもって選択をしたとしても、しくじることはありますし

消去法で仕方なしに選んだことでも、結果的には胸をなぜおろすこともあります。

そう、選んだ地点では正しいか間違っているかは、まだ決まっていないのです。

「そんなはずでは・・・」

どれだけ熟慮して選んだとしても、自分ではままならない状況に陥ることもありますから。

しかも、です。

「塞翁が馬」のごとく、長いスパンでは良し悪しがひっくり返ります。

短期的には、あぁ選択が間違い無かったと思えたとしても。

数年後では、その選択が災いの元凶に変わることもあります。

だから、選択に100点を求めても仕方がありません。

ただ、一つだけ希望があるとしたら。

もし間違っていたとしても・・・長いスパンでみると、のちのちに活かされる可能性があることです。

人間は成功よりも、失敗の方が学べると言われます。

手痛さとともに「なぜ?」を見つめ直すことで、人生の歩き方が軌道修正されるでしょう。

 

それでも私たちはどうしても、選択に確かなものを求めてしまう。

失敗したくない、損をしたくない、そんな保身が走るからでしょうか。

しかし、どれだけ目を凝らしても、未来は霧に包まれたまま。

クレジット払いが、未来の自分に支払いを任せるように

結局は、その後の自分に委ねるしかありません。

その選択を良いものにすること

例え失敗だとしても 成功の母に結びつけていくこと

それを可能にするのは

選択したあとの未来を歩く あなたでしかないのですから。