【映画コラム】8月の家族たち

アメリカを代表する2大女優、メリル・ストリープとジュリア・ロバーツの共演で話題になった作品です。

前回「ブルージャスミン」の主人公も精神を病んだ女性でしたが、メリル・ストリープ演じるバイオレットのイカレっぷりは、尋常ではありません。

バイオレットの夫が失踪した知らせを聞いて、彼女の3人娘が駆けつけるのですが、娘たちに容赦なく罵る姿は、これぞ「毒親」の見本でした。

やがて夫の死が分かり、告別式のあとに親族で食卓を囲みます。
そこには親族同士の温かさはありません。
いつ一発触発してもおかしくない、張り詰めた空気の中で、ワインが注がれます。

「私は本当のことを言っているだけ」
情け容赦なく、娘たちを口撃するバイオレット。ついに感情を爆発させた長女バーバラとバイオレットは、取っ組み合いの喧嘩をすることに。

鬼気迫るバーバラの表情から、積年の怨念が浮かび上がっていました。

家族ものを扱う映画は数多く上映されてきました。大半は「一度壊れた家族の絆、その再生」といったラストは明るく希望のもてる題材のものでしょう。
しかし、「8月の家族たち」は、「家族の再生」というカテゴリには決して入りません。

なぜなら、再生しようがない家族だからです。

バイオレットをとりまく家族、彼女の妹の家族も含めてですが、もう家族としての体を成してません。このままではどこにも身動きが取れない、それは分かっていても、決して核心に触れようとしない家族の姿がありました。

バイオレットも娘たちに毒は吐くけれど、本当に憤りを感じてる相手と、生涯許しがたい出来事については見てみぬフリしか出来ません。
それを言及してしまえば、もう家族のままではいられないことが分かっているからでしょう。

そのバイオレットの姿は、彼女の子どもたちにも反映されてます。

長女の夫婦関係、次女の恋愛関係、三女の婚約関係・・・表面的にはどうであれ、どれも既に内部は壊れているのですが。
母バイオレット同様、割れたヒビが広がらないよう、関係を維持しようとします。

スクリーンの中で繰り広げられてる世界だからこそ、私たちも「他人ごと」として観ることができますが。状況に違いがあれど、私たちは大なり小なり、壊しきれないものを抱えているのではないでしょうか。

正面衝突を恐れ、本音を伝えないまま、疎遠という形を取ったり。
長く続けてきた、そんな理由だけで、なかなか辞めることが出来ないことであったり。

古い家を壊し、一度平地にしないと新しい家は立ちません。それと同じで、新しい一歩を踏み出すには、一旦手放す必要があります。頭では充分分かっているのに、二の足を踏んでしまうのが人間です。

人間の根底にある「安全安心欲求」によって、新しいモノを創りだせる可能性よりも、喪失感や壊した後の恐れが勝ってしまうかもしれません。

それでも、どこかのタイミングで、大抵の人は壊れかけた関係やモノをリセットする勇気を持ちます。しかし、「8月の家族たち」の登場人物にソレを求めるのは、より困難なのかもしれません。

横暴な母バイオレットも、母親の愛情を注がれないまま、大人になったことが明かされていきます。親から子へ、またその子へと引き継がれたものは、壊れても立ち直る勇気を与えてはくれなかったのです。

世代間連鎖の重みが残った作品でした。