【映画コラム】シン・ゴジラ

 

ゴジラ映画は昔からあるけれど、怪獣モノに全く興味無かった私は今まで観たことはありませんでした。

ところが、エヴァンゲリオンで有名な庵野秀明監督が指揮する「シン・ゴジラ」は、とても斬新な人間ドラマだと評判じゃないですか!!

これは、観ないわけにはいきませんっ。

未曾有の危機に、政府や官僚たちはどう動き、どう対処していくのか。
よくあるハリウッド映画なら、突出したリーダーのもと、少数精鋭のメンバーが熱く燃えながら、果敢に立ち向かう姿を描くのでしょうが。

シン・ゴジラはそれとは真逆の作品です。まずもって、際立ったリーダーシップを執る人は誰もいません。

首相もそうですが、内閣官房長官や閣僚、官僚たちも、前代未聞の事態に右往左往しながらも、あくまでも慣例どおりの手続きを踏んで、コトに当たろうとしてました。遠回しに、誰も責任を取りたがらない姿には、いつかどこかの既視感さえあります。

登場人物はおしなべて無表情で早口。キャラも概ね均一化しています。

「新しいリーダーがすぐに見つかるのがこの国の良いところだな」
そのセリフが象徴するように、誰もが交換可能な存在として描かれていました。

後半になって、長谷川博己さん演じる矢口蘭堂がプロジェクトを率いるリーダーに抜擢されましたが。その能力を買われてというよりも、人材が残っていなかったのが理由でしょう。

国難に挑むリーダーらしく、部下を鼓舞する矢口の姿もありましたが。
本人の資質が出たというよりも、「その場に期待される役割」に徹したようでした。

現代は、よくも悪くも「自己愛」社会です。

あなたはかけがえのない存在だ
そんな自分を大事にし、可能性を最大限に発揮しよう

まぶしいメッセージに呼応して、自分をどう輝かせるのか? が、最大の関心事ではないでしょうか。

映画「シンゴジラ」に戻ると、見事なまでに「輝くわたし」はいません。
国難の現場にいたのは、「個」として突出した動きはとれないけど、全体の「部品」として、よどむことなく動き続けようとする一人一人の姿でした。

タイムリミットが迫るにつれて、個々の思惑や立場なんぞはますます塗りつぶされていきます。
平時は何かとぶつかりあう同士でも、一秒も葛藤しあう猶予はなく、一致団結するしかありませんでした。

「国のために一丸となって」というセリフを聞くと、どうしても70年前の太平洋戦争の悪夢が襲ってきます。
国のためにと「個」を捨て去り、一人一人が優秀な「部品」として一丸となったことが、のちの悲劇を招きました。

手痛い反省もあって、日本人は「個」を重視する方向に転換したのでしょうか。
ただし、一丸となってコトに当たらなければならない状況では、モードが変わるのかもしれません。

誰が代わりを継いでも、遂行できるようにするために
いかに代替可能な部品に徹し、大きな力の一助になるか

一人ひとりがどう動けば全体にとって最適なのかが、無意識に刻まれているのでしょうか。

ひとりひとりの人間は、この広い世界のなかで一つの部品でしかないのですが
同時に、ひとりひとりにとっての「自分」は ゴジラのように唯一無二の存在です。

その二つの存在を両立させながら、全力で生きるのが人間だと思います。
現在の風潮は、「個」に重きを置きすぎるきらいがありますが。

世の中の「部品」としても正しく動いている、そんな実感を欲しているのかもしれません。