ネタバレ注意です!!

アミストラはかく語りき 今回は「gifted」を取り上げます。

映画gifted

映画のタイトルにある「ギフテッド」とは何か、と言いますと。

同世代の子供と比較して、並外れた成果を出せる程、突出した才能を持つ子供のことである。
(出典:wikipetia

天才的知能をもつ女の子・メアリーと、亡くなった姉の子供であるメアリーを男手一人で育ててきたフランクを軸とした物語です。

それでは、あらすじをどうぞ(yahoo!映画より)

めいで7歳のメアリー(マッケンナ・グレイス)と片目の猫フレッドと共に、フロリダの小さな町で生活している独り身のフランク(クリス・エヴァンス)。平穏に過ごしていた彼らだったが、メアリーにある天才的な能力があることが判明する。フランクは彼女に普通の子供と同じように育ってほしいと願っていたが、彼の母エブリン(リンゼイ・ダンカン)は二人を引き離してメアリーに英才教育を受けさせようとする。

この子にとっての幸せとは何か?

子を持つ親なら、一度なりとも自問するでしょう。

7歳のメアリーは地元の小学校に通い始めますが、レベルが低すぎる学校の授業に辟易し、うちに帰りたいとダダをこねます。

高等な数式まで扱える子が、1+1は? から教えられるのですから・・・まぁ、無理もないですが。

メアリーの才能を見抜いた担任や校長は、天才児が集まる学校への転校をフランクに勧めます。しかし、養育者であるフランクは首を縦に振りません。

「娘には普通の人生を歩ませたい。」

同じく天才的数学者であった姉の遺志を、フランクは尊重していたからです。

そんなところに、フランクの母、つまりメアリーの祖母が突然現れました。

同じく数学者であった祖母エブリンは、メアリーは天才児にふさわしい環境で育てるべきだと主張し、フランクと親権を争うまでになったのです。

話が進んでいくなかで、メアリーの母、つまりエブリンの娘であるダイアンは、母エブリンから非常に厳格に育てられたのが明らかになります。

それが自殺の遠因になったのでは・・・と推察するほどに。

 

どの学校でも一人か二人は、頭一つほど抜きん出る賢い子はいるでしょう。

しかし小学校1年生で、高等数学まで操れるメアリーの知能は、それらを凌駕しています。

普通の公立小学校では先生方も持て余すだけ。天才児に特化した環境でなければ、メアリーを知的面で満足させることはできないでしょう。

養育者であるフランクの意向次第で、備わった才能は、たちまち宝の持ち腐れになってしまいます。

果たして、ソレでいいのか?

フランク自身は口に出さずとも、葛藤で揺れていました。

母エブリンの英才教育のもと、普通の子供時代を体験できなかったのが、フランクの姉ダイアンです。

どんなに天才的な才能をもっていても、それだけでは人は幸せになれません。

娘には自分みたいにはなってほしくない・・・姉が遺した無念は今もフランクの心を締め付けます。

娘ダイアンに無理を強い続けた母エブリンを、「毒親」と石をぶつけたくもなりますが。

しかしエブリンも、同じく苦悩を抱えていたのでした。

私は母と娘の関係を超えた責任を負っていたの。
世界を変えてしまうような偉大な発見というのは、ラジウムより貴重な頭脳なしでは生み出せないものよ。文明だって生まれなかったでしょうね、きっと。

多分に母親としてのエゴを含ませながらの発言でしたが、ある側面を語っています。

子供は社会からの授かりものとするならば、

抜きん出た才能を持つ子供が、自分の元に授けられた役割があるはずです。

授かったものを大事に育て上げ、きちんと社会に還元できるかどうか

その子が才能を発揮するかどうかで、人類の未来すら変わるかもしれないとしたら・・・

親である自分は、どれだけの責任を感じるでしょうか。

授けられたものの重みを理解するからこそ、エブリンは心を鬼にして接したのかもしれません。

 

普通の子より少し釘が出た程度の才能なら、いくらでも才能を伸ばすメソッドも見当たりそうですが。

出すぎた釘以上に突出した才能を どう育てたらいいのか

手放しで喜んでいいのかすら、皆目、検討がつきません。

模範解答がない問いを、親はさまよい続けます。

才能の犠牲にはならず、人として生まれ、当然味わうべき幸せを享受させた方がいいのか

普通の幸せを犠牲にしてでも、才能を思う存分伸ばした方がいいのか

しかし天才ばかり集められた 隔離した環境のなかで育つのが・・・本当にこの子のためなのか?

才能を伸ばしたいというのは、単なる親のエゴではないだろうか。

同時に複数の思いが絡み合い、なかなか糸口が見つかりません。

 

ごく普通の子に育てることにこだわったフランク

英才教育を施すことにこだわったエブリン

両者とも、自分の価値観に固執はしていますが。

表現の仕方はどうであれ、どちらもメアリーの幸せを願うことには変わりません。

しかし、giftedに限らず、子供というものは全て

社会からの授かりものであるのでしょう。

我が子とはいえ、私物化しがたい天才児という存在は

その事実を思い出させてくれるのかもしれません。