アミストラはかく語りき 第13回目は、言わずと知れた日本映画の名作「八甲田山」です。

このコラムでは今まで、比較的新しい映画(上映してから約2年以内)を題材にしてきましたが。

2014年度の締めくくりとなる今回は、先日お亡くなりになった高倉健さんの哀悼もかねて、本作を取り上げることにしました。

 

八甲田山

 

「八甲田山」は1977年に上映され、当時の興行収入を塗り替えた作品としても有名です。

原作は新田次郎さんの『八甲田山死の彷徨

1902年(明治35年)に青森の連隊が雪中行軍の演習中に遭難し、210名中199名が死亡した事件(八甲田雪中行軍遭難事件)に、創作を加えた作品です。

あらすじは以下の通りです。amazonより

 

日露戦争前夜、徳島大尉 ( 高倉健 ) 率いる弘前第三十一連隊と、神田大尉 ( 北大路欣也 ) 率いる青森第五連隊は、八甲田山を雪中行軍することに。
少数編成で自然に逆らわず行軍する三十一連隊。
一方、大編成で真っ向から八甲田に挑んだ五連隊は、目的地を見失い吹雪の中を彷徨し、遭難する。

 

私は高倉健さん目当てで本作品を手にとったのですが、印象に残ったのは北大路欣也さん演じる「神田大尉」でした。

神田大尉は連隊のリーダーに任命されつつも、現場では上司にあたる山田少佐(三國連太郎さんが演じてます)の指示に従わざるえない、中間管理職の悲哀を見事に演じておられました。

雪山を知らない山田少佐の指示に不安を覚え、異議は申し立てるものの聞く耳さえもってもらえません。

上司に逆らえず、神田大尉は悲壮な表情でグッと言葉を飲み込みんだのです。

 

サラリーマン社会と共通する点は多いものの、オフィスと違い、荒れ狂う雪山の中では小さな判断ミスでさえ、文字通りの「命取り」となる点です。

少佐の行き当たりばったりの判断が全て裏目に出て、隊員が一人、また一人と次々に雪の中に倒れていきます。

それと対比するかのごとく、少数精鋭で準備周到に臨んだ弘前第三十一連隊(健さんがリーダー)の行軍が順調に進んでいる様子が映しだされてきて、より一層、第五連隊の悲劇を引き立てました。

 

零下50度にも及ぶ中、なすすべもなく次々と命を落としていく隊員たち。神田大尉のいたたまれなさが痛いほど伝わってきます。

「あの時もっと強く、少佐に進言をしていれば・・・」

神田大尉の声にならない自責の念が、スクリーンからも伝わってきます。

 

軍隊は上の者に対しては絶対服従です。

それは現在の会社組織とは比べ物にならないほどの圧力を強いられるのでしょう。

しかし、神田大尉自身が自分の意見を強く押し通せなかったのは、それだけの理由とは私には思えませんでした。

 

山田少佐はもちろんのこと、神田大尉をはじめ青森第五連隊は雪山に慣れていない隊員の集まりだったそうです。

雪山を歩いた経験や知識が充分にあれば、的確な判断が下せたのかもしれません。

しかし、自分の意見が正しい、上司の命令に逆らってまで言い切れるほど、判断に自信がもてなかったのではないでしょうか。

もし自分の判断が間違っていたら、それが隊員たちや少佐を死に追いやる原因になってしまったら・・・自分一人が責任を追えることではありません。

ある意味、上司である山田少佐にも重責を担ってもらったとも言えるでしょう。

 

しかし、隊員たちが次々と雪で命を奪われていく姿をみて、気炎をあげていた山田少佐もどんどん気力が失われていきました。

極限状態の中、大勢の命を預かる者としての責任、その重みが、大雪のごとくズッシリ伝わってきます。

 

未曾有の寒気団が日本列島を襲っていたとされる日に行われた、この雪中行軍。

結局、青森第五連隊が率いた210名中、199名が死亡する惨事に繋がりました。

 

雪とはなんなのか。人間と自然はどう折り合っていけばいいのか

今に通じる 組織内での軋轢や葛藤はどのように起こるのか

同じ気象条件の中で行われたにも関わらず、なぜ弘前第三十一連隊は全員生還できたのか

 

決して軽いテーマではないのですが、お正月にかけて、少し時間があるときにじっくりと観ていただきたい作品です。

ただし、3年もかけて雪の八甲田山のロケを敢行して撮影した作品なので本物感はハンパなく、共に雪山にいるかのごとく寒気を感じました。

ぜひ、お部屋を温かくして、ご覧になってください(笑)