アミストラはかく語りき、第34回目の映画は、『ボクは坊さん。』です。

ボクは坊さん。

2001年から2008年まで「ほぼ日刊イトイ新聞」で連載し、のちに書籍として出版された実話エピソードを映画化した作品です。

24歳で四国八十八箇所の札所・栄福寺の住職になった白川密成さんを演じるのは、伊藤淳史さん。丸刈りがとても似合ってます。

それでは、あらすじをどうぞ。(yahoo!映画より)

 

祖父が他界したのをきっかけにそれまでの勤め先を辞め、四国八十八ヶ所霊場第57番札所の栄福寺住職となった白方光円(伊藤淳史)。24歳で足を踏み入れた坊さん生活には、初めて見る坊さん専用グッズや檀家の人たちとの関係など、知られざる驚がくの世界が広がっていた。さまざまな経験を積む中、自分にどのようなことができるのかを日々考えながら過ごしていく。

 

仏さまのように大衆を慈しむ存在

お坊さんに求める姿とは、このようなのものでしょうか。

その職業に就いたからといって、すぐに「あるべき姿」を体現できないのは、私たちも分かっています。

高野山大学を卒業後、一度は別の仕事に就いた光円さん。24歳で住職だった祖父の跡を継ぐ決意をしたのですが。

お坊さんである前に、一人の人間として悶々とし、ときには酔いつぶれるまで飲んだくれてしまうこともあります。

彼には京子と真治という幼なじみが二人いるのですが、京子が病に倒れます。

その姿をみるのが耐え切れないと、真治が嘆きだしました。

光円さんは、修行した密教の教えを伝えながら、真治を励まそうとしましたが。

真治は、まっすぐすぎるほど本心を問うたのです。

「お前は本当にそう思ってるのかよ」

 

お坊さんでなくても、教師やコーチ、もしくは管理職、子どもの親にいたるまで

誰かを導いていく立場の人なら誰でも、一度はこの問いに向きあうでしょうか・・・。

そう教えられた、もしくは、そうあるべきだけれども

自分自身、はたして心からそう思って言っているのかどうか・・・

「こうあるべき」と、立場上で語るのは簡単です。

しかし、どんなに熱く語っても、自分の身体から出たことばでなければ、相手には本当のところは伝わりません。

お坊さんである光円さん。仏の教えを語ることはできても、その境地から語っているかどうかは、本人が一番よく分かっているのです。

だから苦しみ、葛藤するのですが・・・。

「仏の教えに身体でぶつかってゆく」

イッセー尾形さん演じる檀家の長老が、光円さんを見守りながら語った言葉です。

遠い時代を経て脈々と伝わる、弘法大師・空海が遺した教え、その真の意味は

すぐ体得できるようなものではありません。

一生をかけて、光円さんが身体ごとぶつかっていくなかで、やがて血となり肉となるのでしょう。

 

立場が人を変える、だとしたら

お坊さんという仕事が、光円さんに人として生きる道を導いていくのだと思います。

それは、どんな職業どんな立場でもいえることではないでしょうか