アミストラはかく語りき 第44回目に取り上げる映画は、「この世界の片隅に」です。

 

予想外、奇蹟の大ヒットなどなど、まさに賞賛の限りを尽くした本作品。

ここで紹介するまでもないですが、一応あらすじをどうぞ。(yahoo映画より)

1944年広島。18歳のすずは、顔も見たことのない若者と結婚し、生まれ育った江波から20キロメートル離れた呉へとやって来る。
それまで得意な絵を描いてばかりだった彼女は、一転して一家を支える主婦に。
創意工夫を凝らしながら食糧難を乗り越え、毎日の食卓を作り出す。
やがて戦争は激しくなり、日本海軍の要となっている呉はアメリカ軍によるすさまじい空襲にさらされ、数多くの軍艦が燃え上がり、町並みも破壊されていく。
そんな状況でも懸命に生きていくすずだったが、ついに1945年8月を迎える。

 

これまでの戦争映画は、戦場モノと言い換えられるでしょう。

絶え間なく続く戦闘のなかで、むきだしとなる人間の本性。

それにより、戦争の悲惨さを訴える作品が多かったのではないでしょうか。

本作品が画期的なのは、今まで添えもの程度にしか描かれなかった戦時下の市民生活を中心に見据えたところでした。

そそっかしいすずさんが広島県・呉市の嫁ぎ先でアタフタしながら、日々を泣いて笑って過ごす姿が描かれています。

空の向こうでは兵隊さんたちが死闘を繰り広げていると見聞きしながらも、空襲の脅威がまだ無かった時期の一般市民にとっては、どこか絵空事でしょう。

 

「うちはボーッとしとるけぇ」

すずさんのこのセリフは度々出てきますが、それが本作品のキーワードだと私は思います。

本当はすずさんだけでなく、戦時下に生きた人々は目を見開いて懸命に生きる反面、どこかで「ボーッ」としていたのはないでしょうか。

国と国が戦い、そこに多くの血が流れるということ

自分たちが旗を振りながら、バンザーイと送り出した兵隊さんたちの命の行く末

新聞やラジオが伝える好況と 実際に肌で感じる雰囲気が微妙に違うこと・・・

真相が知りたい でも 真相を知るのが怖い その両極のなかで・・・。

もし内幕が分かったとしても、思想統制下、声をあげる訳にはいきません。

国家が始めた「神国・日本」の大きな物語に組み込まれた以上、いち市民ではどうにもならない現状があります。

今、自分たちが出来ることだけに集中するのも、生き抜く知恵ではないでしょうか。

 

ただし、戦時中のひとたちだけのハナシとは私には思えません。

私も含めて、今の日本に生きるひとたちも、同じではないでしょうか。

自分たちが好んで着る服が、どこか遠い国の人達の、劣悪な労働の賜物かもしれない

パソコンデスクに使用される木材は 減りつつあるアマゾンから伐採したのかもしれない

石油を浴びるように使う 先進国の暮らしが

海を汚し 大気を汚し 氷を溶かし

いつかは自分たちが もしくは自分たちの子供たちか もう少し先の子供たちが

ツケを払わされるかもしれなくとも・・・

 

戦時下を生き抜いた人々。

もしも日本が戦争に勝利していたなら、「お国のために耐え抜いた人々」として、もっと称えれたでしょう。

しかし、日本は戦争に負けました。

「思考停止」「戦前の洗脳教育の賜物」など、戦前の人たちへの評価は散々なものがありますが。

欲しがりません、勝つまでは - 国民一丸となって闘ったときも

戦後の復興 → 経済成長への物語へと 国を挙げて突き進んだときも

舞台が変わっただけで、市井の人々はただただ、日々の暮らしを生き抜いただけでした。

現代に生きる市井の私たちも同じです。

21世紀という時代が、後世ではどんな物語として語られるかは分かりません。

そして、私たち現代人がどんな評価が下されるかも、神のみぞ知るです。

 

ぼんやりとした夢は、このまま続くとは限りません。

話を戻すと、映画の後半には、日本本土にも空襲が始まります。

東洋一の軍港と呼ばれた呉は、過酷な空襲にさらされました。

誰かの死が 日常茶飯事と変わりつつあるなかで

左手が描いた絵のように、すずさんがぼーっと観ていた現実に歪みが生じました。

ぼんやりとした夢の 歪みに気づいたときは もう手遅れかもしれない・・・

これは、現代の私たちへの警鐘なのでしょうか。