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アミストラはかく語りき 第7回目は「ゼログラビティ」を取り上げます。

日本を初め、世界中で大ヒットした作品なので、既にご覧になった方も多いかと思います。

今さら、このコラムで紹介するのも・・・と気が引けたのですが、映画館に2回足を運んだほど素晴らしい作品だったので語っちゃうことにしました。

 

登場人物が二人(出ずっぱりは一人だけ)という希少な作品ですが、中だるみの箇所が全くなく、最後までノンストップに楽しめます。

ストーリー自体はとてもシンプルです。(Yahoo!映画からあらすじを一部引用)

地表から600キロメートルも離れた宇宙で、ミッションを遂行していたメディカルエンジニアのライアン・ストーン博士(サンドラ・ブロック)とベテラン宇宙飛行士マット・コワルスキー(ジョージ・クルーニー)。
すると、スペースシャトルが大破するという想定外の事故が発生し、二人は一本のロープでつながれたまま漆黒の無重力空間へと放り出される。

 

映画の冒頭、音もなくテロップだけが流れていきます。

地球の上空600キロ
温度は摂氏125℃からマイナス100℃の間で変動する
音を伝えるものは何もない
気圧もない
酸素もない
宇宙で生命は存続できない

 

作品の中で、サンドラ・ブロック演じるライアン・ストーン博士は、たった一人で宇宙に取り残されてしまいます。

自分以外、誰も生物が存在しない世界に放り出されてしまう、その心境は想像を絶するものに違いありません。

 

しかし、映画を観ながら、ふっと感じたのです。

ストーン博士のその姿は、私たちが生きている世界そのものの比喩ではないだろうか、と。

 

目の前に広がる宇宙とストーン博士との間を隔てるものは、たった一つ。

彼女が身につけた宇宙服のみです。

宇宙服という壁を取り囲むように、生命が存在しない世界、いわば死の世界が迫っています。

宇宙服を剥ぎ取られた途端、瞬く間に生命は宇宙の中に吸い込まれてしまうのでしょう。

 

地上に生きる人間、肉体という宇宙服から出てしまうと1秒足りとも生きていけない私たちも、死の世界は常に隣接しているのではないでしょうか。

 

スピリチャルな教えの中では、「私たち人間は元々ワンネスだった」という言葉が度々出てきます。

命が肉体から離れてしまうと、瞬く間に 全て一つ -ワンネス- に吸い込まれてしまうのかもしれません。

 

そこには全てがある

それは同時に何もないのと同じ

 

無限の存在であることは、すなわちゼロの存在と言い換えることができるでしょう。

 

「ここは居心地がいい。傷つけるものは周りにいない。静かで孤独な空間だ。
だが、ここで生きる理由がどこにある?」

映画の中で、ジョージ・クルーニー扮するマット・コワルスキーがストーン博士に語りかけます。

やがて国際宇宙ステーションにある小さな宇宙船にストーン博士が乗り込み、その宇宙船のみを切り離して発車するシーンがありました。

 

私たち人間、魂と言い換えてもいいのかもしれませんが、全てが守られた世界から、なぜ生命の星へと向かうのでしょう?

無限に広がる存在が、らくだのように重い身体に押し込められようとするのはナセでしょうか?

 

何のために生命は存在するのか・・・これは誰にも答えることができない永遠の謎です。

一つ言えるのは、その理由を求めること自体が、生きるということではないでしょうか

 

「結果がどうだろうと、これは最高の旅よ」

ストーン博士のセリフですが、一人一人がどう生きていけばいいのかは、この一言に凝縮されているのかもしれません。

 

以上、これはあくまでも私の観方です。

シンプルな作品でかつ、様々なメタファーが隠し絵のように潜んでいるので、人によって様々な観方や暗喩を楽しめます。

一人の女性の成長物語(ヒーローズ・ジャーニー)としても観れますし、人類の進化や、命が宿ってから誕生するまでを感じ取ることもできるでしょう。

もちろん深いこと一切考えず、普通のアクション映画としても充分楽しめますが、映像のチカラで潜在意識にメタファーが埋め込まれるのも、こういう映画の強みだと思います。

本来は映画館で観るのがオススメな作品なのですが、秋の夜長に思いを巡らすのにもってこいの作品ですね。