禅ゴルフ」という本にある、僕の好きな一節を紹介します

 

 

 一人の若者が、粘土の像を持っていた。

家宝だったが、若者はこれが味気ない茶色の粘土でなくて

黄色に輝く黄金でできた像ならよかったのに、といつも考えていた。

 

だから若者は、生計を得始めると、粘土の像を黄金の延べ板で覆うという

特別な計画を実現するに足るだけの額を目標に、折に触れていくらかずつ貯金したのだった。

 

計画は実現し、粘土の像は若者の希望どおり金で覆われ、人々は賞賛した。

 

若者は、金の像を手にしたことに大いなる誇りを感じた。

しかし、せっかくの金の延べ板は粘土にうまく馴染まず、しばらくするうちに部分的にはげ始めた。

 

そこで若者は、像を修理に出して、さらに金を貼らせた。

だがそうしているうちに、全財産とすべての時間を費やさない限り、黄金の像を維持していくのは不可能であることを悟った。

 

ある日突然、若者の祖父が何年も続いた長旅から帰ってきた。

若者は、粘土の像が黄金の像に変わった姿を祖父に見せたかった。

 

しかし、金がはげ、粘土が露出している部分が何か所もあったため、若者はいささか困惑した。

 

老人はにっこり笑って、愛しげにその像を握った。

そして、濡れた布で像をそっと擦り、徐々に粘土の部分をはがしていった。

 

 

「この像は、何年も前におそらく泥の中に落ちて、粘土がこびりついてしまったに違いない。

だが、そのころはまだ小さかったから、そんなことは知らなかったお前は、これは初めから粘土の像だと思ったのだろう。

しかし、ここを見てごらん」

 

老人はそう言うと、粘土がはがれた下から明るい金色の光がさしている部分を孫に見せた。

 

「この像は、粘土の層の下は初めから純金だったのだよ。

だから、粘土を金で覆う必要はまったくなかったのだ。

さあ、これでこの像の正体がわかったのだから、粘土をそっと拭い落としてごらん。

お前がずっと昔から持っていた純金の像が姿を現すから」

 

 

この話を読んで、どんな印象を持ちましたか?

 

個人的には、コーチングで大切にしている人間観と通ずるところがあり、大好きな話の一つです。

 

粘土を金で覆うのではなく、粘土を拭い落として純金に気づく。

コーチの役割の一つは、このこびりついた泥をあなたと一緒に拭い去っていくことかもしれませんね。