【エッセイ90】聴くことが持つ本当の力とは

「人の話を聞くだけで、お金をもらえるっていいですねぇ」

20年に渡ってライフコーチングのプロとして300人を超えるクライアントさんの目標達成や課題解決のサポートを1対1の面談(セッション)で提供してきました。

今でこそ「コーチをしています」と自己紹介すると、「あぁ、会社で研修を受けたことがありますよ」と言ってもらえることも増えましたが、コーチを始めた頃は「コーチって、何のスポーツのコーチですか?」と聞かれることもしばしば。

あるとき、異業種交流会で出会った人から、こんなことを言われました。

「人の話を聞くだけで、お金をもらえるっていいですねぇ」

決して皮肉ではなく、羨ましいなぁという気持ちから言っているのが伝わってきたので、反論する気も起きず、「はぁ、そうですね……」としか言えなかったことを今も覚えています。

確かに傍からだと、コーチの仕事は相手の話を聴いているだけのように見えるでしょう。

ですが、この「聴く」ということは、多くの人が思うほど簡単でも単純でもない。

(「お前はできているのか?」と尋ねられたら、正直、できているとは何年やっても言えません。
 きっとこれからもその気持ちは変わらないでしょう)

しかし、自分の話を本当に聴いてもらえたという体験は、あります。

プロコーチとして活動を始めて、一年目のときのこと。

独立した当初は、前職のお客さんがクライアントになってくれたので、クライアントの人数も売り上げも比較的、順調に増えていく。

だが、独立して半年ほど経った頃、流れが変わる。
ずっと右肩上がりだった売り上げがじわじわと下がり始めた。

最初の1ヵ月目は、「まぁ、ずっと売り上げが上がり続けることは無いよね。来月はきっと上がるだろう」と、そんなに落ち込むこともなかった。

2か月目。
前月より、さらに売り上げが下がる。

「まぁ、そういう月もあるだろうな。来月は大丈夫だろう」
ちょっと胸がざわっとしたが、その不安をかき消すように来月のことを考える。

3か月目、4か月目、5か月目……

残念ながら、売り上げは回復しなかった。

プロコーチとして独立したのと、ほぼ同時期に結婚もしていた。

独り身なら、上手くいかなかったとしても、「じゃあ、違う仕事を探すか」となったかもしれない。

だが、家族を養わなければならないというプレッシャーものしかかり、「もう、生きていけないかもしれない」という恐怖で心がいっぱいになっていった。

星明かりもない真っ暗な森の中で道に迷ってしまったように、どこを歩いているのか、どこに向かっているのか何も見えない。

恐怖で心が一杯になると、身体は動かなくなる。
焦って慌てふためいてでも動けるのは、まだ恐怖という暗闇に心が覆い隠されていないときだけ。

恐怖で身体が動かなくなる。
行動できないから売り上げも下がる。
もっと大きな恐怖でますます身体が動かなくなる。

こんな負のスパイラルに陥っていたことは、後で振り返ったらわかるが、渦中にいるときは、まったく気づけない。

結婚したばかりのパートナーは、仕事を少し手伝ってくれていたので、きっと売り上げが減少していることに気づいていただろう。
だが、心配を掛けたくなかったので、「大丈夫、大丈夫」と努めて元気なふりをしていた。

が、さすがに5か月連続で売り上げが下がり続けると、もう大丈夫ではない。

「自分が養わないといけない」
「男が稼がないといけない」
「心配をかけてはいけない」

と、頑張ってきたが、ついに限界が。

「ちょっと話があるんだけど、今いいかな」

このままだと、本当に食べていけなくなる。
もう自分のちっぽけなプライドにこだわっている場合ではない。

「5か月連続で売り上げが下がっているんだ。このままだと、もうだめかもしれない……」

初めてパートナーに弱音と本音を話すことができた。
ちっぽけなプライドを捨てて、ようやく自分の感じている気持ちを伝えられた。

パートナーは、ただ黙って話を聴いてくれた。
慰めることもなく、励ますこともなく。

そして、最後に一言、こう言ってくれた。

「恐怖をちゃんと感じて」

今まで、ずっと恐怖を感じていたと思っていた。が、本当は恐怖を感じることから逃げていただけだったと、パートナーのその一言で初めて気づいた。

パートナーの目の前で、身体が震えた。
涙があふれて、止まらなかった。
はじめて、恐怖と共にいることができた瞬間だった。

5か月連続で減少していた売り上げは、次の月から上昇に転じた。

もちろん、それからずっと売り上げが上がり続けるなんてことはない。
波が寄せては引いてを繰り返すように、上がったり下がったりを繰り返している。
まぁ、それが自然な姿なんだろう。

だが、明らかに違うのは、売り上げが下がったときに感じる恐怖が減ったことだ。
いや、恐怖が減ったのではない。
恐怖と共に居られるようになったのだ。

あのとき、パートナーは、ただ僕の話を聴いてくれた。
慰めることも、励ますこともせずに。
そして、僕が恐怖と共に居られるように、僕のそばにいてくれた。

真に自分の話を聴いてもらえる体験をしたとき、人は何かが変わる。

自分のことを本当に認めてもらったと感じるかもしれない。
あなたという存在そのものを受け入れてもらったと思うかもしれない。

真に自分の話を聴いてもらえる体験は、真に承認され、受容された体験となる。
そして、真に承認され、受容された体験は、あなたの人生を変える。

そう、真に相手の話を聴くことには、相手の人生を変える力があるのだ。

もし、あなたが誰かに真に話を聴いてもらったことで人生が変わったとしたら、今度はあなたが誰かの話を聴いてあげてほしい。

その力は誰の中にもあるのだから。
僕の中にも、あなたの中にも。