朝比奈映未 オフィシャルサイト

自分という存在の責任者として

2019年も明けました。かれこれ10年以上、ブログは続けています。

当初のブログ名「アミブロ」では子育てやら趣味やら心理的なことやら、ごった煮の内容を載せてました。
アミゴトにブログ名を変えてからは、こころのことを中心としています。

今年で私も生誕半世紀。過ぎ去ってしまえば、まるではかない夢のごとしです。

アラフィーの「今」を感じながら、書く内容ももう少し幅を広げていこうと思っています。

 

さて50歳が近づくなかで、どんどん忍び寄る足音があります。

「老い」

子供の頃、いや30代半ばまでは、自分がいずれは老いていくのは頭でわかるものの、どうも今の自分との地続き感が持てませんでした。

自分の体力に、陰りを感じ始めたのは40代以降。
まぁ老眼だの白髪だのと、目に見えて「老い」を実感する機会も増えましたし。

若い頃は、健康にはあまり気をかけてませんでしたが。
さすがにこの頃は、なんやかんやと健康維持に費やす時間が年々増えてます。

毎晩ストレッチしたり、マメに歩くようにしたり。
漢方も欠かさず飲む代わりに、飲酒量は目に見えて減りました。

超高齢化時代に突入し、今のような医療を3割保険で受けられるとは限りません。
健康を維持することも、私たち世代の使命になりそうですね。

「これからの目標は?」

私も30代頃までは、やたらキラキラしたミッションやビジョンだけを語ってました。

もちろん今でも、胸のなかで静かに燃え続けるものはありますが。

それとともに、別の風味のも入ってきました。

「生涯、元気に歩きつづける。」
「80代以降も、自分の歯を残す。」

若い頃には考えつかなかったビジョン・ミッションを、敢然と掲げています。

自分の身体は、自分だけのものではありません。

自分という存在の責任者として、健康管理もしっかりやっていきたいと思います。

季節が春から夏、そして秋を経て冬に向かうように。

人生の四季はいつも、生まれて初めてみる風景ばかり。刻一刻と変わりゆく景色を味わっていきたいですね。

年初から、健康雑誌に出てきそうなコラムになりましたが、今年も宜しくお願いします。

 

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投稿日: 2019-01-17

普通という名の暴力 -コンビニ人間

小説は好きなのですが、なかなか読む時間がとれません。

それでも今年、何冊かは読んだ中で、とっておきの一冊と出会いました。

コンビニ人間 (文春文庫)

第155回芥川賞を受賞し、既にベストセラーとなった作品なのでご存知の方も多いでしょう。

これほど鮮やかに書ききった小説をみたことがありません。

普通という名の暴力を

 

主人公の恵子は、「普通」の就職をしたこともなく、結婚どころか恋愛さえ経験のない37歳の女性です。大学卒業後、ずっと同じコンビニでバイトを続けています。

人や物事に対して、「普通はこうふるまう」「普通はこういう感情を持つはず」
行動や感情における 暗黙の作法がりますが・・・それが恵子には分かりません。

どうも自分は普通とは違う、それは分かりつつも。

「そんな私を分かってほしい」という承認欲求すらないですし、「普通にならなきゃ」という焦りもありません。

ただ「普通の人間たるもの」を分からないがゆえに、周りとの衝突は避けられません。「普通という同調圧力」に適応するため、周りの人たちを完コピする戦略を立てました。

「周りの人が怒っていることに、自分も一緒に怒れば、周りも安心してもらえるんだな。」
「普通の30代女性の身だしなみは、あの人を真似ればいいんだな。」

周りの人の様子をつぶさに観察し、モデリングすることで、「普通の30代女性マニュアル」を自分なりに作っていったのです。

先ほど書いたとおり、彼女は一度も就職したことがなく、結婚したこともありません。

そのことは、彼女にとっては本当にどうでもいいことなんですが。

しかし周りが・・・親兄弟や昔からの同級生たちが、納得できないのです。

いや、安心できないのでしょう。

この世界は共同幻想で支えられています。だからこそ暗黙の了解で、福沢諭吉が印刷された紙切れに、命をも左右するほどの価値を置くのです。

暗黙は、ものの感じ方や人の生き方まで規定してきます。

「正社員として、もしくは手に職を活かして働くこと」
「結婚すること」「子供がいること」

この3つは持ってるだけでは褒められませんが、社会に渡り歩くには無難なパスポートです。

「なぜ、結婚してるの?」「なぜ、子供がいるの?」
とは誰も聞いてきません。しかし、一つでも持たないと疑問を投げかけられます。

まして3つ全てを持たない恵子は、家族や古い友人から「異物」扱いされるのです。

タチが悪いことに、「普通の人」が望む反応を、恵子はしてくれません。

何も引け目を感じてないし、むしろ、「なぜ、そうしなくてはいけないのか」が分からないからですが。

より多くの人がそうだと、無意識レベルで信じなければ、共同幻想は成り立ちません。

恵子みたいな存在は、共同幻想に疑問を投げかけてきます。

だからこそ、「普通」が通用しない存在は都合が悪く、静かに排除されるのです。

 

恵子の周りが、恵子を「普通」に治そうとする躍起になる姿は、どこか滑稽です。

しかし、私だって無自覚で、普通という暴力を他人にふるっているでしょう。

同時に、私のなかにもいるのです。

「恵子」が。

そこを呼び覚ましてくれた 素晴らしい作品でした。

 

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投稿日: 2018-12-19

人の目という名のお天道さま

「私、ひんしゅく買ってないかなぁ?」

学生時代の友人で、やたら人の目を気にする友達がいました。

とにかくひんしゅくを避ける行動が的外れで、余計にひんしゅくを買うのが常でしたが・・・。

「そんなん、誰も気にしてないよ。」

「そんなに人の目を気にして、どうするの?」

彼女の態度はいらっとするので、本人に刺さらないと分かりつつ、つい小言をぶつけてましたが。

シャクに障る理由はたった一つです。

私も同じく「人の目を気にする」タイプだから。しかし、そんな自分を堂々とさらけ出せなかったのです。

自分のイヤな部分が目障りで、余計にイライラが募りました。

巡り巡って数年が経ったとき。

「あなたって、人の目を気にするよね。」

今度は私が言われました。そして「人の目を気にするなんて・・・。」と諭されるところまで同じでした。

ただ・・・私の捉え方は変わっていたのです

 

「人の目を気にする」

一般的にはネガティブに捉えられます。

確かに周りの目を気にすることで、本心が望む行動を取れないことはよくあります。

しかし、です。

全く人の目を気にしないというのも、そこまで素晴らしいことなのでしょうか。

本当に気にならなくなれば、行動の制約はかなり無くなります。

ただし人の目をモノともしないふるまいは、どうでしょう。

抑止力が効かず、周りとの軋轢を生むのではないでしょうか。

「こんな行動をしたら、不快を与えるだろう・・・。」

感知するセンサーが暴走を食い止め、不用意なふるまいを抑止します。

ハラスメントもネットへの陰湿な書き込みも、人の目が届かない場所で起こるからです。

 

人の目を気にする - そんな性分も使い方次第です。もちろん、ポジティブな使い方もできます。

目標達成法のひとつに、宣言効果というのがあります。

「私は困っている人を助けます!!」

たとえば大勢の人の前で宣言した場合が、そうですね。面倒だなと思う場面でも、言った手前が働き、そんな人を放っておけなくなるでしょう。

実際にカッコつけ効果を狙って、なりたい自分を宣言する人も多いです。

自分一人で、なりたい自分へと律し続けられるほど、人は強くはありません。

人の目は、世間体という名で縛ることもありますし、行き先を止めようとする遮断器にもなりますが。

勝手なふるまいを制御したり 自らを省みるお天道さまにもなると思います。

 

 

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投稿日: 2018-11-26