とあるコーチの物語~The story of a certain coach

第3話「とあるコーチの物語」

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セミナーのモチベーションが続かないんですよ….

ヒロはあの日のあの企業家の言葉が忘れられなかった。

これまでも「モチベーションが続かない」
ということを口にする受講者の声は耳にしたことは何度かあった。

だがこれまでは、その人のやる気の問題だと思っていた。

だから「モチベーションが続かない」と言われたときは、
「この人やる気ないなぁ」と正直思っていた。

「いるんだよなぁ、こういう人」

「意欲的にモチベーションを持続して成果を出している人がいるのに、
それ、あんたの問題だろ」「人のせいみたいなことを言うなよな」

そんなふうに思っていた。

だが、あの企業家に「モチベーションが続かないんですよね」と言われた時、
ヒロははじめてハッとした。

あの日、目の前にいたのは意欲のある誠実な人だった。

そんな人が発した言葉に

「この人..本当に困っているんだ」

ヒロははじめてそう思った。

それなのに僕は…..。

ヒロはそれまでの自分のことを恥じた。

今までモチベーションが上がらないと言われた時、
ヒロは心の何処かで自分が責められているような気がしていた。

ただし責められている気がしているなどとは、
当時は頭ではわかっていなかった。

だが自分が責められているような居心地の悪さを身体で感じていた。

だから反射的に頭の中で相手を責めていたのだ。

「自分のやる気のなさの問題だろ」
「人のせいにするなよな」

そんな気持ちになっていたのは、
自分が責められているような気がしたからだったのだ。

だから瞬時に、自動的に、全く自覚のないまま
そんな反応をすることしかできなかったのだ。

あの企業家は…本当に成果を出したいと思っているんだ。
本当によりよくなりたいと思っているんだ。

今まで気づかなかった….いや、解りたくなかったんだ。

ヒロは自責の念を感じた。

と同時に、自分がこれまで何の疑いもなく「いい!」と
自信を持って人に勧めてきたものに自信が持てなくなってきた。

セミナーだけではダメなのか….

その日からヒロは、前のようには仕事への情熱を抱けなくなってしまった。

不完全なものを提供しているのかもしれない….
そんな思いが心に影を落として纏わりつくようになってしまった。

そして更に、ヒロにとって衝撃的な事件が起きた。

それは定例の営業会議での出来事だった。

「なんだよ! お前ら! やる気あんのかよ!」
「数字をあげているのはヒロと俺だけじゃないかよ! お前らなにやってんだよ!」

会議室に、同僚のタケシの怒号が響いた。

普段温厚なタケシの、それまで見せたことのなかった激しい一面にヒロは驚いた。

ヒロはタケシの隣の席で唖然とした。

タケシがこんなに怒るなんて….。
タケシがこんなことを言うなんて…..。

今まで温厚だと思っていた同僚の見たことのない姿に、
言葉に、ヒロはショックを受けた。

ものすごくショックを受けた。

数字とか売り上げ….目標……..、
そんなことオレ、考えたことなかった。

オレ、そんなこと考えたこともなかった。

ヒロは本当にショックを受けた。

こんな場面、人によってはヒロのようにはショックは受けないのだろう。

それどころか「オレとタケシは数字をあげてるんだ」「オレは優秀だからな」
「それに比べてこいつらときたらどうだ?」「本当にダメな奴らだな」

きっとそんなふうに他の社員を見下して、
自分が優秀だという思いに酔いしれることもできるのだろう。

だがヒロはそうではなかった。

タケシの思いもかけなかった言葉と態度にギョッとした。

企業には目標がある。
企業は目標を達成するために、その力になる人材を求めるのだ。

企業に雇われる側はその企業のヴィジョン、目標を達成するために
自分の能力を提供し、その見返りに報酬を受け取る。

企業と雇用される側は、そういう契約の関係なのだ。

自分は企業に役立つ能力を発揮できる人材を
育成することを仕事にしているんじゃないか。

自分がやっていることはそういうことじゃないか。

そんな当たり前のことを今まで自分は考えたこともなかった。

自分はただ仕事が楽しかったからやっていただけだ。
楽しいからたまたま業績が良かっただけだ。

それに引き換えタケシは会社のことを、
会社の業績のことをちゃんと考えている。

タケシは経営者なんだ。

それに引き換え自分はどうだ?

自分にはタケシのような責任感もなければ、ヴィジョンもない、
仕事を遊びくらいにしか思っていなかったのだ。

自分はただの…子供だったんだ。

タケシの言葉と態度にショックを受けたとき、
そこまでのことに思いが至ったわけではなかった。

そのときはただショックを受けただけだった。

ヒロはタケシのことを怖いと思った。

この日からヒロのモチベーションは変わってしまった。

毎日があんなに楽しかったのに…..。

ただなんのビジョンもなく、浮かれていただけの自分を知って、
仕事へのモチベーションを見失ってしまった。

オレ…なんのためにここにいるんだろう….。

オレ、この会社のなにか役に立っているのか?
いや、オレは何も考えてなかった。
なにも…….考えてなかった。

ヒロの仕事への情熱、気力はどんどん失われていった。

あんなにキラキラ輝いて、毎日胸躍っていた日々が、
まるでモノクロの風景のように色を失っていった。

どんどん毎日無味無臭なものになっていった。

こんな虚しい、辛い思いをするなんて….。
それはヒロの人生においてはじめての体験だった。

会議室から戻ったヒロは無言で自分の席に着いた。

いつものオフィスの風景が荒涼な荒野に見えた。。

自分の荒んだ心が、まるで風景に映し出されたようだった。

席について…ヒロはため息をつくことすらためらわれた。

席に着くと椅子がギイと音を立てた。

ヒロは無言でどこを見るでもなく空間をぼんやりと見つめた。

そうするほかなかった。

空虚な気持ちがヒロの胸を占領していた。

会議室から戻ってきた同僚たちは各々仕事に取り掛かっていた。

みな無言で、無表情で、心がどこかに行き、ここにないような、
それでいて身体だけはルーチンで自動的に、
やるべき決まった作業を機械的に始めた。

ヒロには…そんな彼らの姿が心のないロボットのように見えた。

いつもの活気がそこにはなかった。

ヒロはボーっとそんなモノクロームの風景を眺めていた。

機械的に心なく、動いているかのような
彼らの動作を観ているうちに、ヒロの身体も動き始めた。

心がここにないのに、やる気がわいたわけでもないのに、
身体は動き始めた。

ヒロは書類のファイルを出そうとして引き出しを開けた。

無気力に開いた引き出しに目を落とす。

そのとき、ヒロは「あ」と小さな声をあげた。

そこには、ファイルの束の上には、
黒いブックカバーのかかった一冊の本があった。

ミヤモトさんが忘れていった本だ…..。

ヒロは小さく呟いていた。

ヒロは本を手に取ると、周りをキョロキョロと見まわした。

オフィス全体を見回した。

みな自分の作業に、自分の世界に入り込んで、
誰もヒロのことは見ていなかった。

まるで…ヒロだけがこの世界の中で、
目を覚ましているような不思議な感覚がした。

ヒロは本を取り出すと、パラパラとページをめくった。

なにかが…ヒロにページをめくらせているようだった。

そんな、そんな感じがした。

パラパラとページをめくっていると、
あるページに目が留まった。

そのページにヒロは目が釘付けになった。

そこに書かれたたった一行の言葉に目が釘付けになった。

そこにはこんな言葉が一行綴られていた。

【その人の求める答えはすべてその人の中にある】

そのたった一行の言葉に、ヒロの目はくぎ付けになった。

ヒロの中で「なにか」が動いた。

真っ暗な闇の中で、遠くに小さな明かりが灯ったような、そんな気がした。

気が付いたとき、ヒロは次々とページをめくっていた。


Quest_03:信じていたものが信じられなくなった体験は? 

主人公のヒロは、ある一言がキッカケで、これまで信じていたものが信じられなくなりました。

かつて信じていたものに対する疑いが出てくることは、苦しい体験かもしれません。
しかし、「産みの苦しみ」という言葉があるように、後で振り返ると、「あれが転機だった」ということがわかったりします。

  • あなたの人生を振り返って、かつて大事だと信じていたことが、揺らいだ体験、信じられなくなったということはありましたか?
  • その体験によって、あなたの中にどんな変化が起きましたか?
  • 信じていたことで得ていたものは何ですか?
  • 逆に信じられなくなったことで、新たに得たものは何ですか?