【エッセイ49】苦手な人はなぜ現れるのか?

どうしても馬が合わない人、反りが合わない人、いわゆる、苦手な人が誰しも一人や二人いるものです。(もちろん、私も例外ではありません)

そういう人を目の前にすると、いや、思い出すだけでも、イライラしたり、腹が立ったり、不愉快な気持ちになったりするかもしれません。

具体的に何か嫌なことを言われたり、されたりしたので苦手になったという場合もあれば、特に何かをされたわけではないのに、苦手意識を持ってしまっている場合もあります。

でも、どうしてそういう人たちが自分の目の前に現れるのでしょうか?

ここで大事なのは、万人にとってイヤな人、苦手な人が存在するわけではなく、あくまでも自分がその人のことを苦手だと感じているだけだと知ること。

誰かを苦手だと感じたり、イヤだという気持ちを持ってしまうことは悪いことでもダメなことでもありません。

むしろ、この苦手だと感じる気持ちは、自分自身をより深く理解するために欠かせないものです。

 

私の例をあげてみましょう。

私が苦手意識を感じる人たちに共通していることは何かを探ったとき、出てきたのは「ポジティブな面のみ、上手くいっているところのみを見せようとしている」ところでした。

そのような場面を見たときに、嫌悪感を感じたのです。

ではなぜ、嫌悪感を感じるのでしょうか?

嫌悪感の向こうに何があるのでしょうか?

ポジティブな面、上手くいっているところは、言うならば「光」です。

その「光」と自分を比べたとき、自分の中に「影」が見えてきます。

自分の中にあるネガティブな面、上手くいっていないところ。

そんな、自分が見たくなかったところに否応なしに気づかされるので、「光」を照らした相手を嫌悪したのです。

私は己の「影」を見るのを恐れていたのです。

でも、私が「影」と名づけたのものは、本当に「影」なのでしょうか?

ネガティブと名づけた面、上手くいっていないと名づけたところは、本当に「影」なのでしょうか?

その答えに気づいたとき、「影」は、その本当の姿を表してくれるのかもしれません。