【エッセイ93】書くために大切なことは、小学生の娘が教えてくれた

 

「パパ、どんなことでも作文は書けるんだよ」

娘が小学6年生のときのこと。

父親(私のことです)が「あぁ~、書くネタが思いつかない!」と毎週毎週叫んでいるのを横で聞いて、思うところがあったのでしょう。

凄いと思ったのは、そのあと。

風呂から上がった後、濡れた髪の毛にバスタオルを巻いたまま、原稿用紙に向かい600字ほどの文章を書きあげる。所要時間は15分。

「はい、できた。パパ読んでいいよ」

一気に読んだ。
思わず唸った。

冒頭の書き出しは、こうだ。

『「早く風呂に入りなさい」耳にタコができるほどよく聞くセリフだ。この言葉に、私はふと疑問を持った。なぜ私はこんなにも風呂に入ろうとしないのだろう? 風呂が嫌いなわけでもないし……』

夜になると、娘にいつも叫んでいる言葉、それが、「早く風呂に入りなさい!!!」だ。
その「風呂に入りなさい!」をネタに風呂上りに600字の文章を15分で書き上げる娘。

そのあとに、こう続く。

『考えた末、理由は二つあるのではという結論に至った』

一体、どんな結論に至ったんだ? と、続きを読みたくなる気持ちがうずうずする。

『一つ目は「場」である。「場」というのは、例えば、家という「場」、家族が一緒に居るという「場」(中略) 家だから、家族だから、ちょっとくらいいいだろう、といった「甘え」が、原因の一つだと考えた』

たがが、「早く風呂に入りなさい!」という父親の小言から、自分の中にある「甘え」の構造にまで思い至る、その深い洞察。そのあと、もう一つの理由を考察して、文章は終わる。

「どんなことでも作文は書けるんだよ」

この言葉通りのことをわずか15分で実践してみせた、その有言実行ぶり。我が子ながら恐るべし。

「なあ、昔は、読書感想文大嫌いって、言ってたよなぁ。いつから、こんなに書けるようになった?」

そう、娘は昔から文章が得意だったわけではない。
夏休みの宿題の読書感想文は、いつも休みが終わるギリギリに書いていた。

「うーん、塾に行ってからかな。毎日、書かされているうちに書けるようになってきたら、だんだん好きになってきたよ」

あっさりと答える娘。

「だから、今は、どんなことでも書けるって思えるんだよね」

量稽古、恐るべし。

かつては娘も、僕と同じで、文章を書くのが苦手でした。
けれども、いつの間にか「どんなことでも作文は書けるんだよ」と、本当にどんなことでもスラスラと文章にしてしまっていたのです。

一方、僕はというと、相変わらず追い込まれながら、なんとか書いている。
とてもじゃないが、彼女のような境地にも行動にも至っていない。

その差は、一体何なのか?

一つ、気づいたことがあります。

それは、彼女は、ただ「書いている」ということ。

余計なことを考えずに、ただ「書いている」

一方、僕は相変わらず、「いい文章を書きたい」「上手に書きたい」「役に立ったと思われたい」「ためになったと思われたい」という気持ちに囚われている。

彼女が、大空を自由にはばたく鳥だとしたら、僕はまだ、かごの中に囚われている鳥だ。

「いい文章を書きたい」「何かお役に立つことを書かないといけない」「早くさっさと書きたい」etc……

こういう欲が、目に見えない心の檻を作り出し、自分で自分をかごの中に閉じ込めていたのだろう。

娘は「どんなことでも作文は書けるんだよ」ということを疑っていないし、「書けないかもしれない」なんて心配もしていない。そして、僕のような変な欲がない。

何より、書いている姿を見ていると、楽しそうなのだ。

書くことへの苦手意識を克服したい。
数年前に、ある文章講座を受講するキッカケはそれでした。

確かに、最初のコースと再受講を通して、以前のような苦手意識は無くなったが、
でも、克服できたかと言えば、そう言い切れない自分がいました。

毎週、締め切りがあるおかげで、強制的に書かざるを得ない環境に身を置くことができる。故に書けるようになったのは事実。

ただ、そのやり方は、あくまでも「書かねばならない」という強制力を自らに課すことで、成し遂げようとしたものでした。

ある程度は、強制力は必要でしょう。特に最初のうちは。
だが、それをずっと続けられるかというと残念ながら難しい。

そう、「書かねばならない」に変わる何かが必要だったのです。

でも、それは一体なんだろう?

ある日のこと。
食事の最中に、娘に尋ねた。

「どうしたら、書けると思う?」

「うーん、そうだなぁ、興味を持つことじゃない? 興味を持っていたら書けるよ」

「スプーンについても?」「うん、書けると思う」
「はちみつについても?」「うん、書けると思う」

あぁ、そうか。
彼女にあって、僕になかったもの。

それは「興味を持とう」という姿勢。

興味を持とうとして、対象をじーっとよく見ていると、色々と疑問が湧いてくる。
疑問は謎と同じだ。謎解きは僕たちをワクワクさせてくれる。
いつの間にか楽しくなってくる。
そして、どんどん楽しくなってくるから、書ける。書き続けられる。

興味は自然に湧いてくるだけではなく、自ら興味を持とうとすれば持つことができる。
そう、興味は育てることができるのです。

野山に自然と咲いている野生の花もあれば、人が自らの手で種をまいて育てる花もあるように。

「だから言ったじゃん、どんなことでも作文は書けるんだよって」

そう話す娘の顔は、ヒマワリのような満面の笑みでした。