【コラム99】本来の自分に近づいていく道のりに何があるのか?
私の愛読書の一つに「ゲド戦記 影との戦い」という本があります。
後に大魔法使い、大賢者と呼ばれる魔法使いゲドが、まだ少年だった頃のこと。自らの傲慢さが引き起こした災いを、自らの手で決着をつけに仲間と旅をする話です。
ゲドが解き放ってしまった世界に災いをもたらす「影」を追いかけ、最期にお互い正面から向かい合い、ゲドと影が同時に「ゲド!」と名前を叫び、抱きしめたとき、ゲドと影は一つになって全てが終わったのです。
「ゲドは勝ちも負けもしなかった。自分の死の影に自分の名を付し、己を全きものとしたのである」
「ゲド戦記」を初めて読んだのは、まだ中学生のときでした。
かなりの月日が流れても、ことあるごとにその場面を思い出すのは、これが自分のミッションに深くつながっているからでしょう。
さて、弊社ファインネットワールドのミッションは、「本来の自分に気づき、本来の人生を生きる」です。このミッションの言葉は今も変わっていません。
ただ、その中身はミッションを作成した当時とは随分変わりました。
当時、そのミッションに持っていたイメージは、「自分のワクワクを追求する」であったり、「好きな仕事をして、好きな人たちと共に幸せに豊かに生きる」ことであったりしました。
嫌な仕事を我慢して続けるのではなく、好きなことを見つけて、それを仕事にしていきましょう。そんなメッセージを発信していました。当時はそれが「本来の自分に気づき、本来の人生を生きる」ことだったのです。
それから時を経て、ミッションの意味合いは少しずつ変わってきました。
「好きなことをする」「ワクワクすることをやる」ということは、裏を返せば「嫌なことは避ける」「ワクワクしないことはやらない」ということに陥りがちです。
しかし、嫌だと思ったこと、できればやりたくないと避けてきたことに向き合って取り組んだとき、人は成長し、ときには大きく変容する。
そんな体験を数多く見てきたことで、「本来の自分に気づくとは、本来の人生を生きるとは、どういうことか?」という問いに対する答えが新たになってきたのです。
嫌っていた自分の一部、見たくなかった自分の一部を受け入れ、統合していくことで、「自分」という存在が大きくなっていく。これが「本来の自分」に近づいていくことだと今は思います。
では、「好きなことをする」「ワクワクすることをやる」というのが間違っていたのかというと、そうではありません。
「好き」や「ワクワク」といった「光」を目指さないかぎり、「嫌っていた自分」「見たくない自分」といった「影」に気づくことは難しく、したがって、統合することもできません。だから「光」を目指すのは、必要なプロセスです。
「光」を目指し、「影」を浮かび上がらせ、光と影の葛藤を越えて、再び一つになる。そしてまた「光」を目指し、「影」を浮かび上がらせ、統合し一つになる・・・
これを繰り返していくことが、人が成長し変容するということではないでしょうか。