【エッセイ103】もう、自分を責めないと決めた
「ちょっと、ちょっと、なんでこんなところで泣くんだよ~」
帰宅するサラリーマンでごった返す夕方の電車。
ビジネスバッグを手にしたスーツ姿の若い男性がつり革を持ちながら、隣にいる白いブラウスを着た女性に話をしている。
襟につけている社章が同じなので、会社の先輩と後輩だろうか。
よく見ると、だまって話を聞いていた女性の目にいつの間にか涙が溜まっている。
男性もそれに気づいたのか慌てて何かを言っている。
慰めているのか、言いくるめているのかよくわからないが、しばらくしてからようやく女性も泣き止んだ。
男性もだまってしまい、二人の間には気まずい空気が流れていた。
そう……
この男性は、今から20年以上前の僕のこと。
後輩を連れて同行営業に行った帰りに起きた事件である。
「こうしたほうがいいよって言っただけなのに、なんで電車の中で泣くんだよ~」
無性に腹が立ってきたが、それを言うと、もっと泣かれると思ったので、さすがに口に出さずグッとこらえて我慢する。
だが、話はこれで終わりではない。
「電車の中で泣かれてね、ほんと弱ったよ。かんべんしてほしいわ~」
オフィスに帰った途端、いら立ちをぶつけるように、その場にいたスタッフに言い放ったものだから、彼女はまた泣き出し、給湯室に駆け込んでしまう。
「えっ、ちょっと待って、オレが悪いの? カンベンしてよ?」
他の女性社員たちのにらみつけるような白い目が一斉に自分に注がれる。
「こうしたほうがいいよ」と正しいことを言っただけなのに、なんで泣かれるの?
正しいことを言ったのに、なんで分かってもらえないの?
正しいことを言ったのに、なんで聞いてくれないの?
20年前の僕は、その理由がまったく分からなかった……
あれから心理学やコミュニケーションについて何年も学び、経験も積んだ。
だから、今ならわかる。
正しいことを言ったからこそ、分かってもらえなかったことを。
正しいことを言ったからこそ、聞いてもらえなかったことを。
自分には自分の正しさがあるように、相手にもまた相手の正しさがある。
相手の正しさを理解しないまま、自分の正しさを主張しても伝わるはずがない。
今の僕があの場面にいたら、もっと後輩の話を親身になって聞くことができただろう。
後輩の言い分を聴く余裕もあるし、彼女がこうしたいと言ったら、「それでやってみたらいいよ」と任せたかもしれない。たぶん、そのほうがうまくいっただろう。
でも、だからと言って、あの当時の自分を責めたところで何になるだろう?
確かに手痛い失敗だった。今も思い出すと胸が痛む。
だが、あのときの僕は、自分のできることを精一杯やっていたのだ。
初めての女性の後輩。
どう指導したらいいかなんて、わからなかった。
余裕なんてまったくなかった。
戸惑うことばかりだった。
僕も必死だった。
あのときの僕は、あれ以上のことはできなかったのだ。
私たちは、過去の自分がおかした過ちをついつい責めてしまいがちだ。
「こうしていたらよかったのに。ああしていたらよかったのに」、と。
試験で解けなかった問題の答えが、あとでわかったとき、「あの問題、こう書けばよかったのに……」と、自分を責めたくなるだろう。その気持ちはよくわかる。ても、だれが好き好んでわざと間違える? いないよ、そんな人は。どんなときもベストを尽くしているんだ。
だから、僕は決めた。
もう二度と、過去の自分を責めることはやめる、と。
今の自分が、過去の自分を責めるということは、
未来の自分が、今の自分を責めるのと同じことになる。
未来はいずれ今になり、今はいずれ過去になるからだ。
そうなると、僕は一生、未来の自分から責められ続けることになる。
でも、今の自分が過去の自分を責めなくなったとしたら、
未来の自分も、今の自分を責めなくなるだろう。
未来はいずれ今になり、今はいずれ過去になるからだ。
だから、今の僕は過去の自分を責めたりしない。
その代わりに、こう言ってねぎらってあげたい。
「あのときの君は、本当によく頑張った」と。
そのとき、未来の僕は、今の僕にきっとこう言ってねぎらってくれるだろう。
「今の君は、本当によく頑張っている」、と。
そう、僕はその言葉が欲しかったのだ。
そして、あのときの彼女もまた、きっとその言葉を求めていたのだろう。