自己肯定感が低い から 人としてスゴイ!?

「こんな私でも、親として育てることが出来るのだろうか・・・。」

生まれたての娘と対面できた喜びのあと、ヒタヒタと込み上げてきた不安。

一人の人生に大きな影響を与えてしまう、その重みがずっしりときたのでした。

無我夢中の日々のなかで、いつの間にか親となって11年が経ちました。

「育児は育自」「子育ては自分育て」

子どもを産む前は、ふーんと流していた これらのセリフも

今となっては、首を大きくタテにふるばかりです。。

 

先日、娘が書いた作文をふと目にしました。

何かの感想文らしく、登場人物についての自分の意見を書くのがお題でしたが。

「(私は)この人は謙虚だと思います。すごいことして褒められても、「いやいや。全然・・・」とすごく謙そんします。この人は自己こうてい感が低いのでしょう。私はすごいなぁと思いました。」

ざっくり言えば、こんな趣旨のことが書かれていたのです。

「ん?」と喉に引っかかる感じがしませんか?

すごく褒められても謙遜する、謙虚な姿勢 → すごいなぁ(尊敬)だけなら、喉ごし爽やかなのですが。

間にはさまれた一文 が こころに歩留まりを生じさせます。

自己肯定感が低い

一般的には、否定的なニュアンスが付随する言い方でしょう。

特に自己啓発の世界、セルフイメージ至上主義な人たちに言わせると、ダメダメなことであり、是正すべき!といきり立つかもしれません。

私だって、大して自己肯定感は高くないですし。いや、低いかもしれませんね・・・。

そんなニュアンスのことを、セラピストの方だったかな? に ぼそっと言った日には、すぐさま「なにか癒やしが必要な人」扱いにされたこともありました(笑)。

でも、おかしくはないでしょうか。

ここでいう登場人物が仮に、自己肯定感が低かったとしても、です。

そのことが、その方の人生に、どれだけ影響しているのか

ソレとコレとは、また別問題ではないでしょうか。

自己肯定感が低い

これはあくまでも一つの解釈にすぎず、それ以上でも、それ以下でもないのです。

もちろん自己を肯定できないことが原因で、思うような行動を取れない場合は多々あります。

かといって、自己肯定感が低い、その言葉を十把一絡げに捉えることはできません。

自己肯定感に関して、その人がどれほど重きを置いているか。

人によってもかなり異なるからです。

 

「自己肯定感は高くあるべき」
「自己肯定感が低いと、幸せになれない。」

自己肯定感。そのイメージを価値観で塗り固めてしまうと、素のすがたがみえなくなります。

まだ自己肯定感にこだわりがない娘からみると、ただの事実として、「そうなんだ~」と受け止めるにすぎないのです。

とはいえ、私とて「自己肯定感が低い」というのは、やはり否定的なニュアンスをもってました。

でないと、引っ掛かりを感じません。(笑)。

娘の書いたものから、色々と気づかせてもらいました。

ほんと、育児は育自 - 子どもから私が学ぶことの方がよほど多いです。