バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)

「稀に見る傑作!」
「何だかよくわからなかった・・・」

本作品のレビューは見事なくらい、評価が二分に分かれてます。
私も観終わった直後は後者で、ポカーンと口が開きましたが。

「あぁ・・・こういうことかも」
しばらく逡巡したのち、映像の断片と自分の理解、カケラとカケラが結びついたのです。

かつて「バードマン」というヒーロー映画で一世を風靡したものの、その後人気は下火になり、起死回生を図る主役リーガン・トムソンを演じるのは名優マイケル・キートン。

マイケル・キートンもかつてヒーロー映画「バットマン」を主演し、一躍スターダムを駆け上がりました。
このキャスティング自体が、本作品の世界観を表しているのです。

出番を終えて、楽屋でひと息つくリーガン。見慣れたはずの風景に、急にバードマンの荷姿そっくりな男が現れます。まるで心の声を代弁するかの言葉でがなりたて、リーガンを追い詰めていきます。

またある時はバードマンさながら、リーガンが空を駆け抜けるシーンへと滑らかに変わりますが、空から舞い降りたリーガンは、何ごともなく劇場の中に入っていく-

そんな調子で、どこまでが現実でどこからが虚構なのかが判別できず、観る側は軽い混乱を生じます。
(この辺りは実際に観ないとイメージしにくいでしょう。あえて似たテイストの作品を挙げるなら、映画なら「ブラックスワン」、小説なら村上春樹でしょうか)

目に映る世界 脳内で広がる世界
耳から聞こえる声 脳内に響き渡る声

はい、ここまでは現実で、カット、はい、ここからは非現実ね、と
映画のカット割りのごとく、私たちは虚と実を切り分けながら生きています。

しかし、私たちの1日を脳内カメラで撮影したら、どうでしょう。

さっきまで目の前の相手を観察していたはずなのに、ノーカットで、昨日の出来事をアリアリと脳内で体験しているのではないでしょうか。

本作品は映像の長回しという手法で、映画全体をワンシーンで撮ったかのように観せていきます。

元妻との言い争いも、リーガンが空を駆け抜けるシーンも
バードマンががなり立てる様子も
全てがノーカット、2時間弱にもわたるワンシーンの中に収まっているのです。

私たちの生きる時間も、虚と実が陰陽のマークのごとく入り混じっているのではないでしょうか?
目の前の現実と脳内とがノーカットで交差する中で、むしろ脳内の時間にいるほうが長いのではないでしょうか。

さらに脳内で聞こえる声、観える世界は、かなり私たちの人生に影響を与えます。
そうなると、どちらの現実を私たちは生きているのか、実際には分かりません。

本作品のラストシーンも、どこからが生でどこからが死なのか・・・生と死が入り混じるつくりになっています。私たちの死は、生きる瞬間をバッサリ断ち切るような、漆黒のエンドロールで幕切れではないかもしれません。

人生の荒唐無稽さをユーモアを交えながら映し出す・・・そんな作品でした。