FAKE

オウム真理教の真相を迫ったドキュメンタリー映画「A」で著名の森監督が、15年ぶりにメガホンを撮りました。

主人公は、2014年にゴーストライター騒動で渦中の人となった佐村河内守さんと奥さんです。
佐村河内ご夫妻の日常を淡々と描いているのですが、2時間弱飽きさせることはありません。

終わったあとも余韻がのこり、誰かと語り合いたくなる作品です。

騒動になって初めて、私は佐村河内守さんの存在を知りました。

彼が現代のベートーベンと呼ばれていること
音楽の素養は無いのに、天賦の才で素晴らしい楽曲を編み出してること
・・・それらが全て嘘で塗り固められていたことを、一連の報道によって知ったのです。

騒動後の記者会見では声を荒げてた佐村河内さんでしたが、本作品のなかでは常に穏やかで、かつ誠実に森監督からの質問に答えています。

記者会見の席でマスコミにも配ったという診断書を、カメラの前に差し出した佐村河内さん。

耳がほとんど聴こえてないのは、医師によって証明されている。
なのにマスコミはそこには目もくれず、本当は聞こえているのでは?と疑惑ばかり言い立てる。
誰も自分の言い分を聞いてくれない・・・無念がにじみ出る佐村河内さんの表情に、胸が痛みました。

何の事前情報も知らずに、本作品「Fake」を観たならが、恐らく私は佐村河内さんの言い分をそのまま受け取ったでしょう。

本作品の姿からは、そんな嘘をつくような人とは思えなかったのです。
しかしながら、すでに事前情報を織り込み済みで、映画鑑賞に臨んでいます。

この人の言うことは どこまで本当なのか?

映画の1シーンで、あることについての森さんからの質問に、目をいくぶんか逸らしながら答える姿がありました。

あっ、これは嘘が混じっていると感じたのですが。
ただ、先入観が働いたからこそ、ちょっとした異物に引っかかったのでしょう。

ノーチェックで観ていたら、何の疑いも持たなかったかもしれません。

客観的なドキュメンタリーなどない、ドキュメンタリーは作る側の主観が必ず入る。
映画監督である森達也さんの姿勢が、作品のなかに見え隠れしてました。

映画自体は、佐村河内さん擁護を感じさせる内容ではありませんでしたが。
それでも主人公寄りは否めず、嘘を告発した新垣勉さんはやや悪者気味になっています。

しかし、ドキュメンタリーの中だけの話でしょうか?
私たちも同じことをしているのではないでしょうか?

出来事に対して、自分の目で観たものだけが「真実」だと錯覚していますが。
実は自分の主観に合わせて、その時々の出来事を編集しているのです。

「そう言えばあの時の彼は、何だか耳が聞こえているように感じたけど・・・」
そこで交わされた会話も、時にはこの目でみたものにすら手が加えられます。

脳のなかで行われた編集後の場面をつなぎあわせて、私たちは記憶を作り上げていくのでしょう。
それはTV番組のドキュメンタリーやニュースが作り手の都合で切り貼りし、編集されていく作業と同じです。

FAKE -日本語で訳すと「捏造」という意味です。
人生は「ノンフィクション」ではなく、編集後の「フィクション」でしかないならば、私たち人間は、捏造された真実に生きるのかもしれません。