鬼滅の刃

もともと娘から、鬼滅の刃の大まかな設定や登場人物は聞いていたのですが。
激しい戦闘シーン、首がぶった切られるシーンなどが大の苦手だったので、観に行くことに二の足を踏んでいました。

が、見て見ぬ振りしても気になります。

「なぜ、こんなに社会現象起こすほどのブームを巻き起こしたのか?」
好奇心の炎が燃えさかり、とうとうチケットを取ることに。

美しくはかない作画、練りに練ったストーリーに引き込まれ、2時間があっという間に立ちました。

鬼がもつ魔力により、人々は心地よい夢の世界へと堕ちていく
それにとりつかれた 現実に疲れ果てた人たち

「夢のなかでいい 幸せな世界で生きていきたい」
その願望はある意味、普遍的ではないでしょうか。

主人公である炭治郎や煉獄さんも、あたたかな夢のなかに取り込まれそうになりました。

夢の世界の途中で、炭治郎はそれが鬼が放つ幻であることに気づくのですが・・・。

家族を鬼に惨殺され、自分と妹の禰豆子だけが生き残った炭治郎にとって
家族みんなで 本来過ごすべきだった未来のなかにとどまりたい
そのはかない願望を断ち切ることは、どれだけ辛かったでしょうか。

しかし、炭治郎はぬくもりの幻想より、家族を失ったあとの、凍えるような現実に戻っていったのです。

かつて人間で、のちに鬼と化した猗窩座(映画のラスボス的存在) も
鬼殺隊最強の剣士 煉獄杏寿郎も
そして 炭治郎も 善逸も 伊之助も

彼らの願いはひとつ
「強くなりたい」

その願望が、技を磨いてゆく原動力となりました。

心に宿ったときの、純粋な願望のままで持ち続けることは難しく。
願望はいつしか欲望へと、変色していきます。

「強くなりたい」
猗窩座の欲望の果てに、敵を叩きのめすために技を磨いていきます。

「手に入れた強さを 人を支配するために利用する」
こうして、欲望という名の「鬼」が、人間を食い尽くしてしまうのです。

「強くなりたい」
この願いは、鬼である猗窩座と同じです。
しかし、煉獄さんも炭治郎も、欲望に飲み込まれなかったのです。

それは真の意味で「強くなれる理由」を知ったからではないでしょうか。

誰よりも強くなりたい 人を支配したい
気を抜けばすぐに陥ってしまう欲望に、彼らは打ち勝つことが出来ました。

全てをなげうってでも、幸せな夢のなかで生きていきたい
その欲望にも足をすくわれませんでした。

煉獄さんも炭治郎が強くなったのは
強い武器を持てたからでも、技を磨いたからでもありません。

彼らが強くなりたいと願った理由 それは

「誰かのために」

誰かを救うためだったのです。
その意思が己の欲望をはねのけのけたのです。

「強くなって、弱い人たちを助けなさい」
煉獄さんは、亡くなった母親からの遺志を心に秘め、貫き通しました。

生物として、次世代に命をつなぐ宿命を背負った人間は
自分のためではなく 誰かのためにこそ 本来の力が発揮できるのかもしれません。

最後になりますが、冒頭の問い
「なぜ、こんなに社会現象起こすほどのブームを巻き起こしたのか?」

映画を見終わっても、その問いに対する答えは分かりません。
しかし、素晴らしい映画であることには間違いないです。

何が 本当に人を強くするのか・・・
どう生きるべきなのか・・・

炭治郎たちの姿を通して、まっすぐに問いかける作品でした。