新感染
「いわゆるゾンビ映画だけど、すごく泣けるのよぉ~。超おすすめ」
普通のアクションものすら心臓にこたえる私は、いつもなら一顧だにしない題材ですが。
薦められたのも何かの縁、たまには目先を変えたものをと挑みましたが・・・。
あぁ、出だし30分ほどで、後悔しました。
いかんせん、私がこんなにも「オカルト耐性」が低かったとは・・・。
「ゾンビ映画のなかでは、描かれ方はかなりマイルドで、オカルトが苦手な人でも大丈夫」
ネットの意見を真に受けたワタシ・・・甘かったです。
高速列車が発車する間際、狂気の病に感染した女性が駆け込んできたのが、本作品の始まりでした。
その女性が目をひん剥きながら、客室乗務員に食らいつきます。今度は、噛まれた客室乗務員がゾンビ化。血走った目で乗客を次々と噛みつき、ゾンビを増殖させていくのです。
一転してパニックに覆われた車内。密室しかも逃げられない状況の中で、ゾンビと人間の絶望的な戦いが繰り広げられます。
まるで人殺しウィルスが人体に入り込み、細胞を次々と冒すように。
さっきまでの普通の人々が眼の前でゾンビに襲われ、断末魔の苦しみに顔をゆがめる。
やがて知性も意識も奪われ、ただ、人を喰らいつくだけの化け物がまた増えてゆく。
私にはグロすぎて気分が悪くなり、鑑賞後は食欲すら失せました。
個人的には散々な目にあったのですが・・・
それでも、書いてみようと思い立ったのには理由があります。
高速列車内で感染したのは、ゾンビだけではありません。
極限状態のなか、ゾンビと戦う人間たちにも瞬く間に増殖するものがあります。
「恐怖」
未曽有の危機にさらされ、利己心がむき出しになるのです。
自分さえ助かればいい。邪魔なやつは消えてくれ。
恐怖が猛威を振るい、車内は殺意が充満しています。
ただし、ほんの小さな救いがありました。
大きな濁流に呑まれない人々もいたのです。
主役のファンドマネージャーのソグは元々、「ザ・ジコチュー」で、他人を顧みることはありません。
「パパは自分のことばかり考える・・・。」
一緒に列車に乗った娘にさえ、疎まれるほどです。
そんなソグも極限状態のなかで、心境の変化が起こります。
ともに乗り合わせた人々が、危険を顧みず、他者を助ける姿に
こんな緊急事態でも、自分の娘が他者に心を配る姿に
小さな感染がソグの心に優しく噛みついたのでしょうか。
ゾンビとは真反対に、利他へと変化を遂げました。
最後にソグが命をかけて娘に語りかけるシーンは、涙なしではみられません。
本作品はたしかにゾンビが題材ですが、現実世界にも既視感があります。
ひとたび、インターネットに目を向けると・・・。
不倫やハラスメントの当事者は、名もなき暴徒たちの、格好のエサとなっています。
憎悪というウィルスが猛威をふるい、当事者を徹底的に追い詰めるのです。
それでも・・・映画に出てきたソグ親子や妊婦とその夫、高校生カップルのよう
大多数に呑まれないひとたちが、ささやかに声をあげています。
その流れはせせらぎのようですが。
個人だけを責めても仕方がない。
彼らがそこに至った心理、そして個人の背景にあるシステムや空気を
感情に流されることなく、客観的に理解していこう。
インターネットの片隅で、そんな姿勢も芽生えているのです。
社会的動物である人間は、お互いを影響しあいながら生きています。
憎しみや怒りという破壊的なものに、感染しやすい生き物ではありますが。
一方で、大災害のときにみせたように、慈しみや助け合いの精神も人から人へと伝わっています。
大きな流れは変わらないとしても、です。
私たち一人ひとりの精神や行動は、特に身近にいるひとには、確実に影響を与えます。
ソレに対して責任を負っている、そう自覚したとしたら。
そして自分は、周りに何を感染していきたいのか・・・
まさかゾンビ映画で、そんな考えに至るとは思いもしなかったですが・・・きっかけを与えてくれた作品でした。