教誨師

大杉漣さんの遺作となった作品です。
主人公はプロテスタントの牧師である佐伯は、教誨師として拘置所に訪れます。

死刑囚たちと面会し、聖書について話したりもしますが、ほとんどの時間は死刑囚たちの話に耳を傾けています。

身の上話をする人もいますが、大抵は他愛のないヨタ話です。
一人、相模原殺傷事件をモデルにした?と思われる若者・高宮がいます。世の中に絶望し、人々を蔑む高宮は、佐伯にも挑発的な態度を崩しません。

海の物とも山の物ともつかぬ人物たちに翻弄されながらも、必死で聖書の教えを伝えようとする佐伯ですが・・・。

当初の彼のスタンスは、罪深い彼らに自分が犯した罪と向き合わせ、悔い改めるように対話をしていく、そんな感じが伺えました。

しかし、佐伯は気づき始めたのでしょう。

それでは、固く閉ざされた心を開かない。
彼に対しても、自分自身に対しても・・・。

誰だって、罪人のままで、人と向かい合いたくありません。
間違ったことをしたのは 分かっている
それでも、本当に望んでいることは何か、分かってほしいのです。

映画のラストの方で、佐伯が高宮に対して、心から訴える場面がありました。

「あなたのことが知りたいのです」

そこには
罪と向かい合わせようとする指導者もいない
悔い改める罪人もいない

佐伯が高宮をひとりの人間として、正面から向かい合ったのです。

知りたい、理解したい。教えを乞いたい。
魂ごとぶつかっていこうとする姿は、心が震えました。

斜に構えた高宮の態度は変わりませんでしたが、表情はわずかながらに変化したのです。

私も あなたと 同じ人間なのだ

言葉にしてみれば、たったこれだけのことですが
本当の本当に、心からそう思っているのかは
援助される側、立場が弱い側の人間には、無意識的にも伝わってしまうのですね。

対人援助職の、まことの在り方を問うた、素晴らしい作品でした。