ブルージャスミン

ウディ・アレン監督作「ブルージャスミン」
本作品で主役ジャスミンを演じたケイト・ブランシェットは見事、アカデミー賞主演女優賞を獲得しました。

シングルマザーの妹が住む小さなアパートに身を寄せるも、贅沢三昧のセレブ生活が忘れられないジャスミン。資産を全て失っても、シャネルの白いツイードのジャケットに、エルメスのバックは手離せません。

妹が連れてくるのは労働者階級の、決して上品とは言えない人たち。 いくら一文無しであっても、彼らと同じように思われる自体が耐えられません。

大学で勉強しなおして、インテリアコーディネーターを目指すと言い放ち、暗に”あなたたちとは違うのよ”と匂わせることで、何とか自分の体面を保とうとします。あまりにもイタすぎるその姿は、怒りを通り越して、シニカルな笑いに誘うのです。

そんなジャスミンにも、再びセレブへと返り咲くチャンスが訪れます。
誘われたパーティで出会った国務省に務めるセレブな男性・ドワイトに見初められるのです。
豪邸に招かれたときにプロポーズされたのですが・・・

「この映画に、ハッピーエンドはありえない。」
そう、シンデレラは王子様に見初められて宮殿で暮らしました的なエンディングは、絶対にありえないと感じました。

なぜかと言いますと
「このヒロインがセレブに返り咲く姿なんて、誰も観たくないから」です。

よく週刊誌などで、「転落したセレブ」のことが取り上げられてないでしょうか?
成功して優雅な生活を送るセレブたちに羨望のまなざしを送る一方で、彼らがとことんまで落ちる姿も観てみたいという黒い欲望を、人は隠し持っています。

セレブだった頃との落差があればあるほど、密かに痛快さを感じるといえましょう。

「そう、セレブにはとことん転落して欲しいでしょ?」
普段すました顔して善良に生活している私たちのドス黒い欲望を、監督 兼 脚本家のウッディ・アレンが、スクリーンを通してまざまざと突きつけてくるかのごとくです。

一文無し生活を受け入れてけなげに働く女性ではなく、滑稽なほどに虚栄心に振り回される女性であればあるほど、観ている側は安心して、彼女が這い上がれない姿を見届けることができるのでしょう。

私たちは映画を通して、様々な自分に出会うことができます。

幾多の逆境を乗り越えていく主人公に、涙ながらエールを送る自分もいる一方で、「人の不幸」という蜜の味を貪る自分もいます。

その多面性こそが、人間の面白さかもしれません。