ボヘミアン・ラプソディ

70~80年代に一世を風靡したロックスター「クイーン」
数々のヒット曲とともに、ボーカルのフレディー・マーキュリーを中心とした、クイーンの軌跡をたどった作品です。

私はモロ「クィーン世代」ですし、あの年代の洋楽は大好きなのですが。
実はクイーンはさほど好きではなく、いくつかのヒット曲しか知りません。
映画の日でもない平日昼間の映画館。それでも客席は半分以上埋まっていました。

前情報では、天才ボーカリスト・フレディーの栄光と苦悩が描かれているとのことでしたが。
わたし的には、あまり人間ドラマとして掘り下げられていると思えません。

それでも本作は、私のこころをブルブル震わせ、余韻を残していきました。

フレディーから発せられる 色鮮やかな歌声。
繊細な音のひびき 鼓膜を通して伝わるふるえ

それは決して衰えることがない 永遠の音色でした。
生まれ持ってのギフトとして、あの声が与えられたのでしょうか。

あの声にふさわしいサウンドや言葉が与えられたなら、世界中を虜にするのは必然でしょう。

映画のレビューでも絶賛された ラストの21分。世界的イベントであるライブエイドでの演奏を再現したシーンは、鳥肌ものでした。

まるで ノブリス・オブリージュのよう
天のはからいで類まれな才能を手にした者は、尋常でない葛藤を背負うのが義務なのでしょうか。

フレディも例外ではありませんでした。

僕は時々願うんだ、僕なんて生まれてこなければと

クイーンの名曲「ボヘミアン・ラプソディ」の一節に、フレディの悲哀がこめられているのです。

全世界に生中継されたライブエイド。イギリスの会場であるウェンブリーには7万5千人の観客が集まったとされてます。全盛期が過ぎ、バンドも解散寸前だったクイーン。起死回生をかけて、ステージにのぼりました。

こうして、今も語り継がれる伝説の21分が幕を開けたのす。

フレディが謳い上げる 観客がこぶしをあげる
バンドが音をたてる 観客が体をくねらせる

それは、圧巻としかいえない光景でした。

自分の歌声で、自分たちの曲で、自分たちの演奏で
7万5千人ものうねりが、次々と塗り替えられていく。

類まれなフレディーの歌声が、TVの向こうの世界中の人々にまで、隅々まで響き渡っていったのです。

彼らが立つステージの前には、彼らの一挙手一投足に熱狂的する観客たちの姿が。

「We Are The Champions」
伝説のチャンピオンたちが、世界を征服したのです。

そんなことを許されるのは、地球に生まれた人の中でも、ほんの一握り以下でしょう。

孤独で押しつぶされそうになった日々も 酒で紛らわすしかなかった苦悩も
もし、この時のための代償だとしても・・・

眼の前に広がる見晴らしを味わうことができるなら
何を犠牲にしても構わない。

時を超え、スクリーン上で擬似的に眺めた私でさえ、そう思わせるものがありました。

音楽は人を結びつけます

過去から 現在に そして未来に
声と楽器が奏でる 音の細胞ひと粒ひと粒が
時空を離れ 鼓動から胎動までつながる響きを 呼び覚ます・・・

音楽のもつ本質的なパワー 震えが止まらない作品でした。