リメンバーミー

2018年度のアカデミー賞長編アニメーション賞と主題歌賞の2部門を受賞した本作品。世界中で大ヒットを記録しています。

メキシコには、1年に1度だけ他界した家族と再会できる「死者の日」という祝祭があります。
日本での同様の風習は「お盆」です。お盆の始めに「迎え火」で先祖の霊を迎え入れ、お盆の終わりに「送り火」であの世へと送り出しますね。

主人公の少年ミゲルは死者の日に、ひょんなことから死者の世界に迷い込みます。
死者の世界というと、闇に包まれたオドロオドロしいところ・・・そんなイメージが浮かびますが。
リメンバーミーで描かれたのは正反対の、絢爛豪華できらびやかな風景でした。

ただし、永遠を約束された安住の地ではありません。
なんと!死者の世界にも、ですが。
死があるのです。

映画では、二度目の死と呼んでましたが。
私たちが生きる現世(生者の世界)の誰からも存在を忘れられた時、死者の世界にいた者はいよいよ存在ごと消えていくのです。

現世に生きる人間は、誰かが亡くなり、肉体のままでは会えなくなっても。・・・いつでも、どこでも、その人を呼び覚ますことができます。

リメンバーミー - つまり、心のなかでずっと忘れずにいることで。

しかし、現世を生きる人誰もが、その人がいたことすら分からない・・・つまり、忘れたことも存在しない状態になったとき それは
その存在その事実ごと、無となることを意味します。
それこそが、本当の意味での「死」かもしれません。

死者の世界にさまよううちに、ミゲルはヘクターという元ミュージシャンと出会います。
現世を旅立ってかなりの年月が経つヘクターにも、現世でたった一人、自分との思い出を持つ人物が生きていました。

しかしその人物さえ、現世を離れようとしてたのです。
それは、ヘクターに二度目の死がまもなく訪れることを意味します。

スピリチャルや精神性を問う分野では、魂という言葉がよく出てきます。
魂とはなにか? ということですが
ワンネスという言葉は聞いたことはあるでしょうか?
あの人もこの人も、犬も蝶も、山も河も、元々は全て一つ(ワンネス)であるとされています。

魂という言葉には色々な解釈がありますが、このワンネスという概念もその一つです。

しかしワンネスのままでは、自分がワンネスであることすら分かりません。
こうしてワンネスから切り離し、分割したものが、一人一人の人間ということです。
今回は、それに沿って話しを進めてみます。

魂の視点に立つと、存在が忘れ去られる痛みを感じることはありません。
全ては一つであるなら、存在がある/なし そのものも 存在しませんから。
しかし、「個」である私たち人間は、在るを生きています。

日本が生んだ浮世絵師・葛飾北斎。 最も有名な作品は「神奈川沖浪裏」です。
海原からせせりだす、蒼い大波の絵は、誰もが一度は目にしたでしょう。
大波から飛び散った波しぶきは、絵画のなかで永遠に刻まれました。

浮世絵が描かれた数百年後の私でさえ、その姿を観ることができます。

「功成り名遂げたい」
私たち人間には抗いがたいその欲望。
虚栄心だの、承認欲求だのと揶揄されがちですが。
それだけと言い切れるものでしょうか。

功を成し、名を遂げること。
一人の個別化した人間として生きた証を、歴史に刻むことができるのは
魂という大波のままでは なしえないことです。

大波から波しぶきとして 生まれでたからこそ
エゴという「個」を体験したからこそ 願うものではないでしょうか。

もちろん 誰もが「功を成し、名を遂げる」訳ではありません。
ブッダやイエスのように、数千年単位で語り継がれる人もいますが。
大半はこの世を去ってから数百年はおろか、数十年で二度目の死を遂げるでしょう。

だけど、多くの名もない人たちも
懸命に働き 家族を愛し、仲間を支え合い
喜び 悲しみに心震わせながら
この世でたった一つの個として、確かに存在したのです。

RADWIPSの楽曲「スパークル」はこう語りかけます。

いつか消えてなくなる 君のすべてを この眼に焼き付けておくことは もう権利なんかじゃない 義務だと思うんだ

先にこの世を去った人に思いを馳せること 忘れないでいることは
そう、個として生き抜いた命への敬意であり、同じく個を生きる私たちの義務です。

映画「リメンバーミー」では、主人公の少年ミゲルと、忘れ去られそうになったミゲルの先祖とが心を通わすシーンがありますが

時空を超えたつながりを、奥底にある魂が感じ取ったのでしょうか。
寄せては返す波のよう、心を震わせる涙が止まりませんでした。