何者

本作品の脚本・監督は、三浦大輔さん。「恋の渦」「愛の渦」で描いた人間の本音っぷりに魅了された私は、本作品もワクワクで鑑賞に臨みました。

幸せ - もともとこの言葉や概念は、江戸時代以前は無かったと聞きます。
海外から輸入された「幸せ」の概念、またたく間に日本人のこころを掴んだのでしょうか。

幸せな人生をおくりたい - 誰もがもつ素朴な願いに、いつしか人としての勝ち負けの要素が入り込んだようです。

自分は幸せと思いたい。幸せだと人から思われたい。
喉元から手が出る願いから、SNSに充実したワタシをアピールするのでしょうか。

本作品に登場するのは、就活中の若者たちです。
そして、どの世代の人にもある欲望が見え隠れします。

「あなたたちより 私の方が上よ。」

舞台裏でほくそ笑むマウンティングが出ないよう、表面的には励まし合い、協力しあう彼ら。

ある人は理想を掲げ、就職という名で自分を売り渡す人たちを蔑み
ある人は意識の高さを掲げ、自分を積極的にアピールし
ある人は何者になろうとしてあがく人たちを、高みの見物で眺めています。

誰もが持っているものを 私も持ちたい
誰かが持っていないものを 私は持ちたい

それが内定であるのか 恋愛か友達の数なのか それぞれですが。
充実したワタシを自他ともに認めること
それでようやく自分が立っていられる感覚は、私にも身に覚えがあります。

私の大学時代は、クリスマスは恋人と過ごすのが定番の過ごし方でした。
今でいうクリぼっち、恋人がいないという理由だけで形見の狭い思いをしたのです。

誰も表立って言う友人はいないのですが、微妙な視線って感じるのですね。

友人同士、デートの話で盛り上がっているのに、自分は聞き役でしかなれないこと
唯一無二の異性としては、誰からも選ばれないということ

結婚し、子供を持つ母親になっても、忸怩たる思いは忘れることが出来ません。
誰かにとっての「何者」にもなれない、あの頃感じた存在証明の危うさを。

本作品の場合は、その「誰か」が「就職先」に取って代わられたともいえるでしょうか。

「内定ってまるごと自分が肯定された感じ」

菅田将暉さん演じる光太郎のセリフが、胸に突き刺さりました。

自分をブランディングするなんて、かつては芸能人しか必要なかったでしょうが。
インターネットが普及し、日々が劇場化するなかで、一般のひとたちも「何者」かにならざるえないのでしょうか。

「こんなにたくさんのお客様に囲まれて、忙しくても充実するワタシ」は、至るところで目にします。

「何者かになるなんてアホらしい。どこまでも素の自分自身でありたい」
天衣無縫なメッセージを発することで、他者との差異をアピールする「何者」もいます。

目にうつる人達を冷めた目線で分析する主人公・拓人は、誰のなかにもいる「何者」かもしれません。