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ココロのつぶやき

まじめがいちばん!

「君って、真面目だよな~。よくやるなぁ~。」

そう揶揄する場面に出くわしたことはないでしょうか?

「俺なんか、適当にやっちゃってるけどね!」
「私なんてね・・そこまでできないわ~。」

薄いせせら笑いとともに「真面目だなぁ」と、私もよく言われます。

本人としてはきちんとやっておく方が、後々のためだったり

ただ、やるべきことをやっただけだったりするだけですが。

 

そこで、疑問に思うことがあります。

なぜ「真面目」は揶揄されがちなのでしょうか。

自分が言われ続けてきたなかで、または、他のひとがそう言われているのをみて・・・
少しずつ見えてきたものがあります。

それは、ほぼ確信に近いものです。

 

私が「真面目だなぁ」の言葉を不可解に感じるのは、その言葉そのものではありません。

発言と同時に発せられる、粘っこいエネルギーのせいです。

その粘っこさは、どこから来ているでしょうか。

そもそも圧倒的な行動とともに結果を出している人は、他人に対してそんな揶揄はしません。

彼らにとって、やるべきことを真摯にやるのは当たり前です。

それで結果を出してきた訳ですから、他人を揶揄する必要がないのでしょう。

そう!

ちょっと辛口になりますが。

「真面目だなぁ」マウンティングを仕掛けるのは、ソレしか相手に対して優位な立場に立てないからではないでしょうか。

 

自分のプライドを高めるには、2つの方法があります。

自分も同じく真摯に取り組むか。

マウンティングで相手をさげ下ろすか。

「そんなこと、真面目にやったって~。」

懸命に取り組む他人を見下ろしたところで、得られるのは一時的な優越感だけです。

そもそも

真面目にやることが大事ではないし、目的でもありません。

結果として真面目にやり続けること、それが自分が望む方向にたどり着くための手堅い手段なのです。

 

 

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投稿日: 2019-05-21

人の目という名のお天道さま

「私、ひんしゅく買ってないかなぁ?」

学生時代の友人で、やたら人の目を気にする友達がいました。

とにかくひんしゅくを避ける行動が的外れで、余計にひんしゅくを買うのが常でしたが・・・。

「そんなん、誰も気にしてないよ。」

「そんなに人の目を気にして、どうするの?」

彼女の態度はいらっとするので、本人に刺さらないと分かりつつ、つい小言をぶつけてましたが。

シャクに障る理由はたった一つです。

私も同じく「人の目を気にする」タイプだから。しかし、そんな自分を堂々とさらけ出せなかったのです。

自分のイヤな部分が目障りで、余計にイライラが募りました。

巡り巡って数年が経ったとき。

「あなたって、人の目を気にするよね。」

今度は私が言われました。そして「人の目を気にするなんて・・・。」と諭されるところまで同じでした。

ただ・・・私の捉え方は変わっていたのです

 

「人の目を気にする」

一般的にはネガティブに捉えられます。

確かに周りの目を気にすることで、本心が望む行動を取れないことはよくあります。

しかし、です。

全く人の目を気にしないというのも、そこまで素晴らしいことなのでしょうか。

本当に気にならなくなれば、行動の制約はかなり無くなります。

ただし人の目をモノともしないふるまいは、どうでしょう。

抑止力が効かず、周りとの軋轢を生むのではないでしょうか。

「こんな行動をしたら、不快を与えるだろう・・・。」

感知するセンサーが暴走を食い止め、不用意なふるまいを抑止します。

ハラスメントもネットへの陰湿な書き込みも、人の目が届かない場所で起こるからです。

 

人の目を気にする - そんな性分も使い方次第です。もちろん、ポジティブな使い方もできます。

目標達成法のひとつに、宣言効果というのがあります。

「私は困っている人を助けます!!」

たとえば大勢の人の前で宣言した場合が、そうですね。面倒だなと思う場面でも、言った手前が働き、そんな人を放っておけなくなるでしょう。

実際にカッコつけ効果を狙って、なりたい自分を宣言する人も多いです。

自分一人で、なりたい自分へと律し続けられるほど、人は強くはありません。

人の目は、世間体という名で縛ることもありますし、行き先を止めようとする遮断器にもなりますが。

勝手なふるまいを制御したり 自らを省みるお天道さまにもなると思います。

 

 

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投稿日: 2018-11-26

大学名なんて、どうでもいい・・・本当?

「大学なんて出てても意味がない」
「大学名なんて、どうでもいい」

時々ですが、高らかとそう言い張る人に出会います。

ただし、そんな発言をするのは、大学を出てる人ばかりですが・・・しかも有名どころの。

確かに学歴や学校名が目に見えて影響するのは、就職活動のときだけかもしれません。

その方々の業績からすると、大学出ても出なくても一緒じゃん・・と思えるのでしょう

ただ人生は、目には見えない、意識からは削ぎ落とされたもので埋め尽くされています。

その微妙な蓄積が、知らず知らずに影響を与えていると言えないでしょうか。

 

「大学は出てるけど・・・短大だったんです。」

学歴を訊かれたときに、私が答えるセリフ。

大学と答えると、今は概ね4大卒を思い浮かべるでしょう。

私が入学した当時、女性は短期大学進学の方がメインでした。今は短大への進学が少なく、短大自体のレベルも下がってると聞きます。

まぁ、特に短大卒だから、と卑屈に感じる機会はありませんが。

それでもかすかに感じます。

「大学は出てるけど・・・短大だったんです。」
「あぁ・・・。」

そう、あぁ・・・と相手から漏れた発声のトーン、頬にあたる微かな風圧を。

風圧といっても、目には見づらいチリが舞うレベルの弱いものです。

相手から、あからさまな「ジャッジ」や「マウンティング」を感じることは特にありません。

これが「東大です。」となると、どうでしょうか。

「おぉ!」「すごい!」

はからずとも、アノ風圧を浴び続けることになるでしょう。

とはいえ、一瞬のおどろきが去ったあとは、もとの無風に戻ります。

私も聞いたときは「すごーい~」な反応をするものの
「えっ、東大卒!? あっ、前にも聞いたよね~。」とすっかり忘れていることもありますから。

意識する間もないほど一瞬の かすかな反応ですが

あなどれないのは・・・チリも積もれば山となると言いように、長い人生のなかでは微妙な影響をもたらすのです。

 

ここでは分かりやすく、学歴の例を挙げましたが。

へぇーー、すごいねぇーー。そうなんだーーー。

一般的に羨ましさの対象となるものは、他にもたくさん考えられるでしょうし。

逆に、卑下されやすい対象となるものもあります

無防備に発する眼差しは一瞬で、発した本人もすぐに忘れることが殆どです。

しかし、発した以上はエネルギーとして相手に届きます。

かすかな風圧の一回一回は、意識する間もなく、記憶の底に沈んでいきますが。

長い年月のチリツモは、決して侮れないのではないでしょうか。

 

 

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投稿日: 2018-11-14

後のために 今はガマンするべき?

後のことを考えると、今したいコレは我慢しなくちゃ。

◯◯のために我慢する、その分かりやすい例は、お金に対してでしょうか。

今、手元に多少は現金があるのに・・・欲しいもの、行きたいところがあっても、ガマンする。

なぜなら、お金が減るのはイヤだし・・・残しておきあいしぃ~だなんて

それでは豊かな生き方なんてできない! やりたいことは「今」全部やるべき!

先のことは考えず、今を目一杯楽しもうよ!

そうキラキラ目で訴えられると、たじろいでしまう私がいます。

もちろん、言わんとするところは分かるのです。

いつやるの? 今でしょ! 

幸せや豊かさを、身も心も同時に体験できるのは「今」という時間だけですから。

それでも、です。

私は、未来のために、今をガマンする行為を否定する気はないのです。

 

好きなこと ワクワクすることしかしない

後先考えず、胸躍るワクワクだけを追求する時期があってもいいかと思います。

だけど、同時に「ほしい未来」のために、今の「ほしいもの」を手放すのもアリではないでしょうか。

欲しいものを得たときに味わえる「快」と、ほしい将来を想像するときの「快」

両者とも感じる感覚はどちらも「快」です。

結局は、今、どちらの「快」を選ぶのか、その選択にすぎません。

決定権を握るのも、自分株式会社の経営者である「あなた」です。

内部留保がある程度あった方が、「今」に集中しやすくなるのか

それとも、手元の資金をすべて「今」に投資した方がいいのか・・・など

 

「これが、私のポリシーです。」

SNSを眺めていると、日々、様々な人たちの指針を目にします。

ただ指針に関しては、その時々で微調整してイイのではないでしょうか。

「やりたいことを今、全てやる。なにも我慢しない!」

SNSで生き方を公表してしまったからと言って、ずーっとソレ一辺倒である必要もありませんし。

今の自分が持つ「お金に対するポリシー」も、複数を同時に掲げてもいいでしょう。

今欲しいものをぱーっと好きに使う自分 将来のために貯蓄する自分

割合なども含めて、柔軟にポートフォリオを組んでいいのですから。

価値観やポリシーに縛られるのではなく、しなやかにソレらを使いこなしていきたいですね。

 

 

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投稿日: 2018-10-30

自己肯定感が低い から 人としてスゴイ!?

「こんな私でも、親として育てることが出来るのだろうか・・・。」

生まれたての娘と対面できた喜びのあと、ヒタヒタと込み上げてきた不安。

一人の人生に大きな影響を与えてしまう、その重みがずっしりときたのでした。

無我夢中の日々のなかで、いつの間にか親となって11年が経ちました。

「育児は育自」「子育ては自分育て」

子どもを産む前は、ふーんと流していた これらのセリフも

今となっては、首を大きくタテにふるばかりです。。

 

先日、娘が書いた作文をふと目にしました。

何かの感想文らしく、登場人物についての自分の意見を書くのがお題でしたが。


「(私は)この人は謙虚だと思います。すごいことして褒められても、「いやいや。全然・・・」とすごく謙そんします。この人は自己こうてい感が低いのでしょう。私はすごいなぁと思いました。」


ざっくり言えば、こんな趣旨のことが書かれていたのです。

「ん?」と喉に引っかかる感じがしませんか?

すごく褒められても謙遜する、謙虚な姿勢 → すごいなぁ(尊敬)だけなら、喉ごし爽やかなのですが。

間にはさまれた一文 が こころに歩留まりを生じさせます。

自己肯定感が低い

一般的には、否定的なニュアンスが付随する言い方でしょう。

特に自己啓発の世界、セルフイメージ至上主義な人たちに言わせると、ダメダメなことであり、是正すべき!といきり立つかもしれません。

私だって、大して自己肯定感は高くないですし。いや、低いかもしれませんね・・・。

そんなニュアンスのことを、セラピストの方だったかな? に ぼそっと言った日には、すぐさま「なにか癒やしが必要な人」扱いにされたこともありました(笑)。

でも、おかしくはないでしょうか。

ここでいう登場人物が仮に、自己肯定感が低かったとしても、です。

そのことが、その方の人生に、どれだけ影響しているのか

ソレとコレとは、また別問題ではないでしょうか。

自己肯定感が低い

これはあくまでも一つの解釈にすぎず、それ以上でも、それ以下でもないのです。

もちろん自己を肯定できないことが原因で、思うような行動を取れない場合は多々あります。

かといって、自己肯定感が低い、その言葉を十把一絡げに捉えることはできません。

自己肯定感に関して、その人がどれほど重きを置いているか。

人によってもかなり異なるからです。

 

「自己肯定感は高くあるべき」
「自己肯定感が低いと、幸せになれない。」

自己肯定感。そのイメージを価値観で塗り固めてしまうと、素のすがたがみえなくなります。

まだ自己肯定感にこだわりがない娘からみると、ただの事実として、「そうなんだ~」と受け止めるにすぎないのです。

とはいえ、私とて「自己肯定感が低い」というのは、やはり否定的なニュアンスをもってました。

でないと、引っ掛かりを感じません。(笑)。

娘の書いたものから、色々と気づかせてもらいました。

ほんと、育児は育自 - 子どもから私が学ぶことの方がよほど多いです。

 

 

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投稿日: 2018-10-18