カオナシでいられる場所
「ケア」と「セラピー」について、とてもわかりやすく、しかもユーモアあふれる表現で書かれた書でした。
居るのはつらいよ ケアとセラピーについての覚書
東畑開人 著/医学書院
こういうとき、外からよく見えず、放置されているその空間はありがたい。それが「いる」を支えてくれる。
こういう隠れ家のような場所のことを、「アジール」という。
(中略)
アジールとはシンプルに言ってしまうと「避難所」のことだ。逃げ込む場所のことだ。
(中略)
責められず、傷つけられず、気を緩ますことのできる場所が必要だから、僕らは今もアジールを持っているし、つくり続けている。
20代のころのOL時代、私が頻繁に足を運んだ「アジール」とは・・・。
一人客が多いドトールやタリーズなど、よくお茶してたのを思い出します。
(今でも一人カフェは好きです)
会社勤めしていた頃は、会社から自宅(実家)に帰るまでのあいだにフラリと身を寄せてました。
逆にソコを経由しなければ、自宅に帰れなかったのです。
家族が待つ自宅に帰る途中で、一杯引っ掛けるサラリーマンのように。
そこで別段、何をしていた訳ではありません。当時はスマホが無かったので、本を読んだり、ボーッとしたりと、ただそこに「いる」だけの時間を過ごしてました。
会社と自宅を往復する日々。そのあいだで給油するかの場所。
なぜソコが必要だったのか、当時はわかりませんでしたが。
名もない存在になりたかった。
言い換えると、身を隠しておきたかったのかもしれません。
会社や自宅では、いつもの私を着込み、いつもの現実を生きることになります。
会社で見せる顔と自宅とでは違うのですが、ペルソナを纏うことには変わりません。
当時は色々な場面でストレスを感じていて、自分という存在を背負うことに疲れていたのでしょう。
カフェの風景のなかで、カオナシとして溶け込む時間。
ゆるやかにコーヒーを味わったあとで、家路へと急ぎました。
職場で 家庭で コミュニティのなかで
私たちは、役割に応じた自分を演じていきます。
ただ、日常のほんの少しでいいから、自分を荷卸せる空間。
ぼんやりとしたカオナシでいられる時間が、誰にとっても必要なのかもしれません。