音と知能の悩ましい関係

東大生は、ピアノを習っていた人が多いとよく聞きます。
穿った見方をすると、こうでしょう。
東大に子供を行かせるご家庭は年収も高いので、ピアノを習わせるゆとりがあるからじゃないかと。

それはそうかもしれませんが。
ただ、ピアノや打楽器を習っていたことと学業の成績は相関関係がある、そんな調査結果もあるようです。

そういった知識もさることながら、耳が遠くなってしまった母と接していると、やはり「音と知能は関係しているのではないか・・」と思うことが多々あります。

「難聴を放っておくと、認知症のリスクが上がる」
母を連れて補聴器専門店に行った際、渡されたパンフレットのデカデカと書いてました。

音の刺激がないと、脳は活性化しづらくなる、その科学的根拠が載っていたのです。

嫌がる母を説得し、補聴器を付けてから3年以上経ちました。
最初はかなり聞き取れるようになり、私もホッとしたのですが。
月日が経つに連れて、装着していても音が拾えないことが増えてきました。

耳が遠いとなると、声を張り上げて話さなければいけません。
たとえ大声でも、話すスピードがあがると、補聴器の処理能力を超えてしまうのでしょうか。

「何言ってるか分からない」と、母から反応がかえってきます。

例えば
「近くのスーパーにふと立ち寄ったら、店頭でトマトが半額で売っていたから買ってきた」
とダラダラ話し始めると、えっ、とすぐに聞き返されます。

重要なキーワードを抜き出して、ゆっくり話すしかないんですね。
「スーパーでトマトが半額やった」
「買ってきた」

万事がその調子なので、伝えるべきことの半分以上は省略して、届けなければいけません。

しかも、「えっ」と顔をしかめて聞き返されるのは、地味にストレスだったりします。
経験のない人には、なかなか分かってもらえないのですが・・・

同じように、親の難聴に手を焼いている友人同士で慰めあってます。
「えっ、と何度も聞き返されるの、あれってしんどいよねぇ~。」

同じことを何度も説明しないといけないのも参りますが、しかし本人にとっても「聞こえづらい」「聞き返さざるえない」のはストレスでしょう。


娘である私はともかく、他人との会話でいちいち聞き返すのも億劫と母は言います。
社交的だった母ですが、人付き合いも減る一方となりました。

人付き合いが減ると、肉声で届く声や音もますます入ってこなくなります。
脳に伝わる音の刺激も減るので、考える力も劣ってくる・・・そんな悪循環に陥るようです。

やはり母と接していると、頭の回転というか、キレが鈍っているなぁと感じますね、残念ながら。

 

母方の祖父も耳が遠かったようで、これは遺伝かもしれません。
ということは、私もそうなる可能性は高いかもです。

そのことは覚悟して、ちょっと聞きづらくなったら、早めに補聴器をつける心づもりをしておかなければいけないかもです。