恐怖を遠ざけながら、追い求める
先日、兵庫県立美術館で開催の「怖い絵展」を観に行きました。
平日昼間なのに、会場は大入り。会場はもちろん、チケット売り場もグッズ販売のレジも行列でした。
本展示会の目玉は「レディ・ジェーン・グレイの処刑」。世界的に有名な作品で、これを観るために、世界各地から英国に集まるそうです。めったに貸し出されない本作品が来日できたことは、まさに奇跡でした。
タイトルからして陰鬱ですが、目に飛び込むのは若き女性の純白のドレス。
(上記の写真は美術館前のパネルで、本作品の一部を切り取ったものです)
歴史によると、その純白のドレスは直後に赤く染まりゆくのですが。
本作品が断首後を描くグロテスクなものであったり、まさに斧を振りかざそうとする直前を描いたのであれば、違う印象を持ったかもしれません。
悲劇の前の静けさが、底知れぬ震えを感じさせました。
歯はガタガタと激しく音を立て、心臓の鐘が細胞まで鳴り響く・・・
その時が近づこうとするさまを、観る側に呼び起こさせます。
死は、私たちがイメージする恐怖の最たるものですが。
ちょっとした恐怖は、日常でもたびたび感じます。
あんなことが起こったらどうしよう・・・
もしかして、こんなことが起こるのではないだろうか・・・
未だ起こっていないが、予期するものに対し、怖さが止まらなくなることはあります。
ただし、です。
実際に、体験が起こったあとはどうでしょうか・・・。
私たちを恐怖に誘うのはいつも、「未だ」のものです。
想像・・・いや、妄想と言い換えてもいいかもしれません。
予期するものに対して妄想が膨らみ、恐怖は起こりますが。
体験を通り過ぎた後は、別の感情や境地へと移り変わるのです。
人間が抱く最大の恐怖も、恐らくそうでしょう。
まもなく死ぬ・・・ゲートの前が最も震え上がりますが
くぐり抜けたあとは、もう恐怖を抱くこと自体終わりを告げるのです。
死ぬか生きるかの限界に、たまらない魅力を感じる・・・。
かつて、F1レーサーのそんな言葉を聴いたことがあったのですが。
恐怖は強ければ強いほど、強烈に呼び覚まされるものがあります。
迫りくる死の恐怖、高鳴る心臓、それは
自分が「今、生きている」鼓動なのです。
歴史的大作に描かれたのは、真っ白に輝く生と、やがてそれをも包み込む暗闇。
絵画の前に佇むのは、常に生きている者です。
恐怖が、命を生々しく感じさせる・・・
「怖い絵展」に多くの人が足を運ぶのも、潜在的なものに引き寄せられるからでしょうか。