誰しもが筆をもつ存在
友人であり、アーティストの野村佳代さんの個展に行ってきました。
大きな美術館で、教科書に出てくるような画家の作品をありがたく鑑賞する。
彼女と出会うまで、私の絵画鑑賞はもっぱらソレでした。
生身を知っている友人の作品を観るのは、ソレとは全く違う味わいです。
今回の佳代さんのテーマは「筆を持つ」
最初の個展から作品を観続けてますが、植物の成長のように、どんどん姿を変えていく絵の表現に圧倒されるばかりです。
ひと通り絵画を堪能したあと、彼女自らの言葉でつづった個展の案内板が目につきました。
彼女のメッセージに心をグラグラと揺さぶられ、息をするのも忘れてしまったのです。
私ができることは、ただ、筆を持って、描くことだけでした。
それは一見無力な行為のように感じましたが、私とって、それは命を灯す行為そのものだということに、描きながら実感するようになりました。
彼女のこころの目で観た世界
そこはかとなく流れるメロディ
吹きわたる風のぬくもりを
筆をもち、絵画という手段で表現しています。
筆を持たなければ、彼女の内側でしか存在しえなかった世界を描き出すことで、この世に新しい世界を刻みつけてくれます。
まさに、命を灯す行為です。
私自身、筆をもつ者だからこそ、よけいに感じるものがあったのでしょうか。
ことば、そして文章という手段で、ですが。
表現者のはしくれとして、このアミゴトというカンバスの前で
こころに生まれた「ことば以前のモノ」を、ことばという音にのせ、ことばという絵で描き出す。
それは私にとって命を灯す行為であり、生きていくそのものでもあります。
彼女が描く世界が、観るひとに化学反応を起こすように
私が奏でることばも 響きを帯びてほしいと願いながら。
人は誰しも、筆をもつ存在だと思います。
生きていく全ての営みのなかで、誰かに問い、誰かに問われながら、世界というカンバスに何かを刻みつけていく。
それは、あなたがいない世界では成し遂げられない、化学反応をもたらしていくのではないでしょうか。