大統領の執事の涙

本作はホワイトハウスで32年間勤務し、代々のアメリカ大統領に仕えた黒人執事が主役の歴史ドラマです。ユージン・アレンさんという実在の執事の手記をもとに構想を膨らませて、企画した作品と聞きました。

この作品は、アメリカの現代史、黒人が負ってきた苦難の歴史を縦糸としたとすれば、父と長男の葛藤が横糸として描かれています。

主役セシル・ゲインズは、白人が経営する農園で黒人奴隷の子供として生まれました。
幼い頃、目の前で父親を白人に殺され、母親は精神を病むという痛ましい過去を持っています。

やがて外の世界に出てみたものの、白人が黒人を殺しても何のお咎めもなかった時代に、安心に暮らせる場所がありませんでした。

しかも黒人が就ける職業はごく限られてたのですが、運に恵まれ、ホテルのボウイとして働けるようになったのです。

その働きぶりが認められて、ホワイトハウスの執事という職を得ることが出来ました。
人種差別が横行する中で、まさに奇跡としか言えないでしょう。

「会話は聞いてはならん。この部屋の空気のごとき存在に」
セシルは先輩執事から言われたことを忠実に守り、大統領たちの口から出てくる、黒人を蔑視する会話にも何の反応も示さず、求められた役割に徹していきました。

セシルとて、自分の父親を殺された白人に何の感情も頂いていないといえばウソでしょう。
それでも差別の嵐を生き抜くため、妻と2人の子供を守るためには、仕方がありませんでした。

セシルは父親を銃で殺されましたが、セシルは自分自身-黒人としてのアイデンティティを黙殺し、白人に従事しなければ生きていけなかったのです。

本質としての自分が行き場をなくしたときに、他者の姿で現れることがあります。
セシルの長男ルイスは大学在学中に、公民権運動に身を投じるようになりました。

誰のおかげで大学まで・・・そんな憤りもある一方で、同胞の自由のために息子たちが政府に抗議する姿は、セシル自身のこれまでの人生を全部否定されたように見えたのかもしれません。

やがて親子の確執は深まり、二人は絶縁状態になります。
セシルは自分の立場を脅かそうとする息子を許せない、いや、何より自分自身もどこか許せなかったのでしょう。

自分がやってきたことは本当に正しかったのか・・・時として、そんな疑問に揺れ動くことがあります。

それでもセシルは生き抜くため、家族のために懸命に働いてきたのは事実です。
だからこそ誰よりも息子に、切り捨ててきた自分の分身に、認めてほしかったのかもしれません。

親子の間ではそういう会話は無かったものの、映画の中で代弁してくれる人物が現れました。

長男が活動仲間と集まっているときのことです。
父の職業を聞かれた長男は、言いよどんた上で答えました。

その場にいたリーダー格の男性、まさに「アイ・ハブ・ア・ドリーム」のスピーチで知られるキング牧師だったのですが、彼は優しい眼差しでこう言ったのです。

執事というのは、白人に従属している恥ずかしい仕事だという人もいるが、私はそうは思わない。
彼らはすぐれた職能で白人に仕え、白人の近くで真摯な仕事ぶりを見せることによって、黒人に対する信頼や親近感を得ているのだ。
彼らもまた、戦士なのだ。

この一言で、観ていた私も救われた気持ちになりました。

そう。激動の時代を懸命に生き抜いてきた一人の人間に対する「敬意」「ねぎらい」にあふれた言葉でした。

一人の人間、その人生に対して、誰か一人でもそうやって肯定してくれる人がいるかどうかで、全く違ったものになっていくのではないでしょうか。

その後、父セシルと長男ルイスは和解し、映画のラストシーンでは、セシルが心から執事という仕事を誇りに思う姿がありました。