【中学受験】合格発表を迎える気持ち

時は1月中旬。中学入試全日程を終え、ほっとしたのもつかの間。
第一志望校の合格発表は、刻一刻と迫ってきました。
どこか座り心地が悪い心持ちは、時が経った今でも、ありありと思い起こすことができます。

今回の記事では、いよいよ中学受験のクライマックスである「合格発表」、そのときの思いなどを書いてみます。

中学受験をしたいのではなく、この学校に行きたい。
そんな娘の意思で、険しい道のりのスタートラインに立ったのが、つい昨日のことのよう。
何からすればいいのか分からないけど、がむしゃらに走り続けた日々が、走馬灯にように駆け巡りました。

中学受験スタートは小学校4年生から(厳密には3年生の2月から)と言われています。
そんなセオリーもつゆ知らず、小学校5年生の半ばから参戦した訳ですが。

塾に入ると、中学受験で学ぶ範囲の半分はすでに、塾での授業が終わっていた状態でした。

嘆いていても仕方がないので、過ぎ去った単元については、家庭の自習で乗り切らざるえません。

小学校で学ぶこととはレベルが全く違う内容に、なかなか手こずりました。
唯一助かったのは、国語で足を引っ張られなかったことです。
昔から本はよく読んでいたのが功を奏したのですが、読解問題などはスンナリ入っていったようで、早々と一番の得点源となりました。

外部模試や塾のテストでは4科偏差値のアップダウンを繰り返し、親の私もいちいち一喜一憂をしていたものです。

6年の秋ごろには成績も安定しはじめ、塾の先生からは「志望校は大丈夫でしょう」と言ってもらえたのは良かったのですが。

しかし、受験は水モノだと知っています。大学受験で私は、いくつも不合格を喰らいました。
いくら模試で良かったとしても、本番がどうとはいえません。
とくに、過去問との相性に不安が拭えないまま、本番に突入したのでした。

「うーん、どうかなぁ・・・。」
入試が終わったあとに尋ねてみたものの、娘にしても、合格の感触はつかめないまま。

今どきですから、Webで結果確認はできます。
しかし、きちんとこの目で確認しようと、軽くはない足取りで学校へと向かったのでした。

もし残念になったら、どう声かけたらいいだろうか・・・。
今まで頑張りぬいたことは労いたい。よくやったと。

だけど親の私としても、第一志望校への思い入れはすでに大きくなってました。
無念の涙は必至です。子供をねぎらい励ます、心の余裕が持てる自信はありません。

学校につくと、すでに合格発表の時間から幾分か経ったせいもあり、人はまばらになってました。
とにかく、アノ番号があるかどうか。
掲示板への距離が縮まり、番号が確認できるところまできました。

あっ。

息を殺して見つめた掲示板。目は一点に釘付けです。

あったんだ・・・。

「おめでとう!」
同じく番号を見つけた娘と、喜びを分かち合いました。
あぁ、ここに通うことになるんだなぁ・・・。
安堵感でいっぱいになり、涙もホロリとこぼれましたが。
意外にも、心は落ち着いたままだったのです。

わーーーーっ。
もし掲示板で番号を見つけたら、私は興奮し、号泣で過呼吸になるんじゃないか?と、そんな危惧すらありましたが。あっけなく、運命の瞬間は過ぎ去っていきました。

その時はちょうど掲示板の前にいたのは、我が家だけ。あまりに静かすぎて、テンションが上がらなかったかもしれません。

当初は、合格発表ジャストの時刻に着く予定にしてました。
が、色々と準備に手間取って遅れをとり、合否の嵐は去ったあとだったのです。

あとから聞くと、発表時刻には、かなり大勢の家族が息を呑んでその時を待っていたとのことでした。
その場で、あの熱狂を体験してみたかった気もしますが。

私の無意識が、それを避けたのかもしれません。

手を取り合って喜び合う親子。
もしくは、無念で泣きじゃくる子供を抱きかかえる父もしくは母。

他の家族の様子がどう映るのかは、自分たちの合否によってかなり変わります。

結果として合格を頂いたのだから、その場で喜びを共有しあいたかった気もしますが。
ご縁がなかったご家庭も、ここにくるまでどれだけ頑張ってきたが、痛いほどわかります。
その姿をみるのは、本当に辛いです。

ただ、自分たちが不合格だった場合は、「自分たちだけでない」とホッとしてしまうのでしょうか。
そんな風にココロは動くでしょうが、そんな自分に虚しさも倍増するでしょう。

やはり、その時刻ジャストで迎えるメンタルでは無かったですね・・・私の場合。


とにもかくにも、人生で全く予定していなかった、中学受験にひた走る日々。

「大人になって、あんなに夢中になることはもうないかも。」
「この歳で、熱い青春がやってくるとは!」

保護者の方のブログで、中学受験の振り返ってのこんな感想を見かけましたが。
まさに終了したあとの、私の気持ちを代弁したものでした。